企画text04
此処に眠る。
| side I | ファッション |
| ファッション |
立春が過ぎたといっても春を実感するのはまだ先で、出掛けにはポケットに使い捨てカイロを入れたくなる毎日だ。板塀に囲まれた道をブワワワと冷たい風が通り抜ける。 「おおい、やべ。」 がらんとした前方からまともにきた強風はイルカに吹き付けるや、からかいの鮮やかさで手から書類入りの封筒をかっさらっていった。 大通りに面した郵便局の本局へ向かっていた身を慌てて翻すと、折好く足元に飛ばされてきた茶封筒をかがんでさっと拾い上げる人がいた。その道で擦れ違った人間はなかったから、後方のどこか細い筋から出てきたところだったのだろう。進路が反対らしく、後ろ姿だった。そしてその背が負うリュックの色が、あろうことか目に痛い真っ黄色をしていた。 イルカは(ありがてえ)という気持ちを差し置いて、思わず(真っ黄色じゃねえか!)と内心叫んだ。 「……すみません、助かりました。」 「どうぞ。おや、イルカ先生。」 「え。え、と。あ。」 封筒の四角から目を上げてよくよく人相を確認してみたところ、拾ってくれた男は知り合いに相違なかった。彼の個性がぎゅっと詰まったバサバサの銀髪はモコモコした耳当てで押さえ付けられて残念ながら目立っていなかったものの、フードのファーに埋もれている白いマスクの上に、眠そうな片目が出ている。いつもずらした額当てで塞がれているもう一つの目には、今日は黒い眼帯が使われていた。 封筒を渡してくれた手を守っているのはスエードのミトンだ。まるでパペットがぱくっと何かをくわえるように挟み持つしかない輪郭が妙に可愛く映った。とはいえ、人物と面識がなければ印象に残るのは、他を圧倒するリュックのインパクトのみだろう。 「カカシ先生、ですか。」 「奇遇ですね。おめかしなんかして、これからデートですか。」 「いえ全然、これは、普段着です。」 「……。」 「……。」 「違うんですか。」 イルカは、シルエットのすっきりした黒いロングコートに茶系の革靴を履いていた。それに、忍服を着用している時間帯と違い、肩まである黒髪の半分を後ろで丸めて束ねてもいた。たしかにカカシと顔を合わせる時とは雰囲気が異なっているかもしれない。しかし、そうだとしても、彼ははりきって身だしなみを整え街へ繰り出した訳ではなかった。特定の誰かとじっくり過ごすことも想定していなければ、繁華街をうろつくつもりもない。ちょっとそこまでという距離にある目的を済ませるのに相応の格好をしている感覚でいたのだ。 「俺にそんな相手はいませんよ。これを預けたら、米を買って帰ろうかなと、思っていたくらいで。」 「ああごめん、音が聞き取りづらくて」と、そこで耳当てをずらすでも浮かすでもなくしっかり外したカカシが、ちゃんと聞く意思を示した。「はい、もっかい言ってください。」 「え、いや……。」 ないに等しい予定を繰り返す勇気を粉砕されたイルカはよけいに口ごもる。そこへ、また寒風がピュウと吹いた。 「み、耳が。冷たい。ハ、そういえばイルカ先生、丸出しじゃないですか、あ、手もだ。耳も手も丸出し。」 「どこもかしこもみたいな勢いで言わないで頂きたい。」 「そんな薄着で寒くないんですか。そうだ、手袋。貸してあげましょうか。」 「イエイエめっそうもない」という遠慮を聞きているのかいないのか、カカシがミトンの手袋をスポンと引っこ抜くと、現れたのは素手ではなく五股に分かれた黒手袋だった。 「まさかの二重! と、俺は大丈夫ですから、カカシ先生がしていてください、それは。」 「そーお?」 「ぜひ。ところで、カカシ先生は、これから山でも歩かれるんですか。」 「山はあっちじゃない。方角が違う。なんで。」 「その……、街中を……。」 「歩く格好じゃない」と、二人の口が同時に言った。 「よく言われます。『まあいいんじゃないか、俺だったら絶対選ばないけど』とか、『ダサいとかなんとかいうより、チョイスが変わってるのよ』とかね。そんな変かな。このリュックだって。すごいんですよ、雨ははじくし、型崩れしないし、靴が一足入るし、ポケットいっぱいあるし、夜でも目立つから転落してたら気付いてもらえる……まあ、町中ではそうそうないですが。」 「そう、ですね。」 イルカは、つい数日前に教員室で提唱した〈良質素材を塩で頂く理論〉を思い出していた。 (美人の子って本当に化粧っ気ないし、お洒落にも無頓着なんですよねえ。何もしなくても元がいいから、何かしようって気が逆に起こらないんですよ。もっとばっちりメイクしてヘアアレンジして、そしたらもっともっと奇麗に仕上がるのに。どうしてしないのかしら! 私があの子の容姿だったら、そりゃもう着たい服を全部着て街を闊歩して、寄って来た男どもを千切っては投げ千切っては投げ、手玉に取ってやるのに。) (今ご自分で答えてらしたじゃないですか。美男美女は、畢竟自分自身が真珠だからじゃないですか、って、言ってて悲しくなってきた。) おお、神よ! 非の打ちどころがないと思われていた男にこんな難点を仕込まれ給うとは。やはり美味い物は塩でいけという啓示と捉えて宜しいか! 「なんていうか、方位磁石を装備してマチブラされてそうですね。」 「マチブラ?」 「街をぶらぶら、です。」 「ううん、あ、この間しました、方位磁石はなしで。ガイ……友人の、買い物に付き合ったんです。」 「ガイ先生、俺もお世話になってる方です。すごく尊敬している上忍師さんで。」 「ふうん。この耳当て、その時に買ったんだあよ。」 「おお。今年は厳冬だって巷は騒いでましたからねえ。有用ですか。」 「うん。『どうして帽子屋から買い物袋を提げて出てきて、中に入っているのが帽子じゃないんだ』って笑われたけど。『一体どこにあったんだ』って。これさ、地味に左右のここに蛇腹が内蔵してあって、ほら、こんなふうに、伸び縮みが自在だからどんな頭回りの奴にも合うんですよ。エクセレン。」 「お、うん、あの、小技が効いてますね、うん、えくせれん。」 「コートも、『みすぼらしい』、『それ何年着る気?』って毎年言われてるんだけど、これは綿地のフカフカ部分が着脱可能だから冬が終わったらその一枚を抜いて、薄手の羽織り物として春も引き続き活躍するんだよ。激安だったわりに丈夫で、春も冬も秋も着られるから、ずっと着てるの。」 「激安だったんですか。」 「そうだよ。水ノ国の小島で夜ごと開かれてる世界的に有名なでかい夜市があって、そこで売りつけられた、よく分からない物。」 「よく分からない?」 「安くするからって片言で商売に励まれて、駐屯してた最後の日に財布の外貨をそっくり毟り取られたという話です。そっくりったって、残額三百両くらいだったかなあ。」 「さ……。」 それではゼロを一つ足しても、イルカのコートどころかマフラーすら買えない。火ノ国では、ちょっと奮発したら飛んでいく夕飯代だった。 「そういえばこのブーツも外で買ったやつだな。豪雪地帯で手に入れたから滑らない靴底なんですよ。それが、土の斜面でもがんがん登っていけることが判明して。そこが気に入ってます。」 「そこが。」 (斜面をがんがん登る休日――それだけですでに傾聴に値するオモシロ台詞なのだが、カカシワールドはこんなもんじゃない筈だと内なる俺が囁いている。) イルカに確信めいた期待が芽生えた。 (もっと話したいぜ。) 「靴底といえば、俺は修理に出しながら履き続けてる口なんですが、そろそろ踵を直さないと。擦り減ってきてるんですよ、ほら、こんな。」 「ああ、修理できるんだ。物を大切に扱う姿勢は素晴らしいですねえ。」 「よく安物買いの銭うしナイナイナイ、言わない言わない、あれだ、なんだ、そうだ、掘り出し物との出会い、とかそういう、楽しみがありますもんね。それはそれで、こう、なんというか……。」 「異論はありませんよ。まったくもって、安かろう悪かろうです。俺も二十代を折り返したし、そろそろまともな服を持たないといけないなあと思いつつ。もう長いこと、試着もなしで適当に量販店で買ってます。おっとりした爺さんがやってた店に通ってた頃はよかったんですがねえ。」 「その店は。」 「畳まれてしまって。以来なかなか一軒に落ち着けずにいるんです。なんか、ややこしくなっちゃうことが多くってさ。そのうち嫌んなっちゃったんですよねえ。」 「ややこしいって?」 「『店長に内緒で割引します』って言われて困ったり、『本当は仕事中にこういうことしちゃ駄目なんですけど』って言われながら個人情報がぎゅうぎゅうに詰まった名刺を渡されたり、店主と娘さんがなぜか親子喧嘩を始めちゃったり。」 (そんな経験、普通は頻発しませんけど。) 我が身に一度も起こったことのないエピソードが続いて、今後も我が身には一度も起こりそうにないと判断した脳がわりと早い段階でぽうっとしていたのだが、郵便窓口締め切り刻限という名の英雄が颯爽と現れて浮いた話の一つも持たぬ民草を叩き起した。 「は、そうだった。あー、あの、カカシ先生。」 無事に返った封筒を目の高さに上げて振る。 「俺、これを窓口に預けて手ぶらになったら特に予定もなくなるんです。カカシ先生にお時間があるなら立ち話もなんですし、のちほどお茶でもしませんか。折角休日に会えたことですし。」 「そうですか。俺はこれから古本屋巡りをするので、何とも言えませんね。」 「う。」 「古本横町、知ってますよね。」 「あ、ええ。すぐそこ、近所に。」 「多分午後一杯その界隈のどこかにいますので。それが運命であれば、また後で。」 「そ……。」 そこで一礼したカカシは、そうしてすたすたと去っていってしまったのだった。 一時間も経たないうちにイルカは再びカカシを見付けた。探しに寄らずそのまま帰ってもよかったのに、自らわざわざ接近したのだ。今度は偶然ではない。人目なんてアイドンケーウォウウォウなあの私服にもう一度お目に掛かりたくなっていたからかもしれない。 「カカシ先生。またお会いしてしまいましたね。」 「ん。やけに早かったですね。」 そう言うと彼は、ポケットから取り出した物にちらっと視線を落としてすぐに仕舞った。 黄金の鎖がキラキラと光るそれは、ピカピカの懐中時計だった。いうまでもなく服装とはまったく合っていない。が、木ノ葉の忍をしていればそれが何かを察しない者はない。金無垢の懐中時計は、正しく里から賜る恩賞の品だった。誰でも貰える物でないことは勿論、それ一つで中忍の稼ぎの何カ月分になるか知れない。代々語って子子孫孫受け継いでゆくような宝物だ。つまり、この上忍はそれを気軽に持ち歩いていることになる。 (うおおい、普段使いしてるとか、嘘だろ! 色褪せたコートになんか突っ込んでいい物じゃねえぞ! 見間違いだ。見間違いであって欲しい。見間違いだとしておこう、心臓が爆発する。) 「イルカ先生が運命を追い抜いてきた、いや、運命を連れてイルカ先生がやって来た――今日の日記のタイトルにしよう。」 「え、カカシ先生、日記付けてるんですか。」 「いえ。」 「いえ? あれ?」 「会計してきます。」 「あ、はい。」 カカシはほんの僅か相手をじっと見て、棚の奥へ下がった。 「さて。それで、イルカ先生の用事のほうは?」 「完了しました。あの、カカシ先生。道端で会った時にしていた白いマスク、やめたんですか。」 口元で指を動かし、イルカが角を作ってみせる。 「ああ。猫も杓子も皆こぞってあのマスクをしているものだから真似してやってたんだけど、意味がないことに気付いて、飽きてやめました。年末の大掃除の日に上忍待機所で配られてたのを一枚だけ持ってたの。」 ついでにミトンの手袋も、もこもこした耳当てもしていない。首の下から伸びてきている黒い布で鼻までを隠して、カカシはいつも通りの覆面に戻っていた。 「他の防寒具は。」 「リュックに。これ、何でも入るんです。だいたいミトンって不便なんですよ。」 「ええ、そんな、元も子もないことを。」 「耳当てもずっとはめてると耳が痛くなってくるし。」 「踏んだり蹴ったり感を漂わせてるけどすべて私物が招いた結果でござんしょ。」 「いかにもさようでござんす。」 「カカシ先生って、寒がりなんじゃないんですか。」 「俺って寒がりなんですか。」 「違うんですか。いや、すみません、だってそんなに着込んでるから、てっきり。」 「着込んでる……、この下は長袖のTシャツ一枚ですよ。」 「意外と薄着だった!」 「あ、袖なしの暗部服を数えたら二枚か。」 「そのマスクの生地でしょう、ぺらぺらじゃないですか。それで暖かいんですか。」 「このコートを着ているうちは無敵です。イルカ先生こそ寒くないんですか。」 「ええ、俺も。結局安い服は何枚も重ね着して暖を取らないといけないのに比べて、高い物は保温力が抜群なので着膨れないうえに肩も凝らないし、体の立体に服の方が合わせてくれるという結論に達して、それでなるべくケチらないことにしてるんです。とか言いながら、なんだかんだで長持ちするしって思ったりなんかして、はは。」 「なるほど。俺もそんなふうになりたいなあ。このコート、着てる間は無敵だけど、暑くなって脱いだらめちゃくちゃ寒いんですよ。」 「でしょうね。」 服装に関してなされていた話題は、それから古本屋にまつわるものへ移っていった。 足元ばかり見て歩くイルカの頭の中は、隣を歩く人のことで溢れかえっていた。 そのまま直進すると商店街の軒先に点々と設置された「大売り出し」の旗にぶつかりそうになっていた彼の腕を、すんでのところでカカシが「マジか」と引っ張った。 「わぷっ、は、はた!」 イルカもびっくりしていたが、 「なんだこの手触りは。」 黒いコートが尋常でないほどすべすべしていて抵抗感なく、溶けそうに柔らかく心地良いことに、カカシもまた目を丸くしていたのだった。 「口から涎が垂れそうになっちゃった。」 「あ、あの。」 「いいね、この手触り。好きだ。」 「す。おお、コートの、コートが、コートがさ……、ね!」 肘を曲げても寄る皺はゆるやかで後に残らない。そんなことを熱心に確認している彼は、上質の生地をすっかり気に入ったようだった。 「今度服を買う時に、お供してもいいですか。」 「そりゃ勿論。俺のじゃなくて、カカシ先生の買いたい物がある時に、その、よかったら、一緒に見て……回りましょう……。」 ごにょごにょと最後が濁ってゆく声を聴きながら、カカシは本当にイルカが運命を引き連れて来たように思っていた。 終. |
| (2016.02) |
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