企画text06
此処に眠る。

side Y ヤマト

エンカウント



七夕はもうすぐだというのに、空一面に垂れ込める不穏な雲が日光を遮っている。そのせいで薄暗い朝は、目覚めが物憂い。おまけに、ここのところ昼夜を通して蒸し蒸ししている。こんな天気では、キラキラ光る天の川には今年も期待できそうにない。
「いい気味だ、色ボケどもめ。」
正午を待たず、とうとう雨が降り出した。会えるといいねと地上の子らが願う織姫と彦星に、ヤマトは偏狭な毒を吐く。

自里にある忍施設の本館五階のずらりと並ぶ小会議室の一室に詰めて、三名の忍と近々当たることになった任務について作戦会議を開いていた。けれど、音のない雨脚をふと窓の外に認めるとそれまで籠っていた室内の、いかにも閉塞した感に俄かにやられて、長引く打ち合わせに意欲をなくしてしまった。
そこで彼は息抜きしようと提案した。そうして設けられた休憩の一時に先のような胸のどす黒いモヤを散らしつつ、新鮮な空気を求めて、目が回りそうな階段をぐるぐる一階まで下りていったのだった。

特殊な底の履物を装備している忍らをもってしてもツルツル滑ると不評であるタイル敷きを過ぎ、ガラスの大きな出入り口を一枚、押し開けた時だった。
張り出した玄関棟から左に伸びる軒の下にあった、雨宿りを装う二つの人影が目の端に入って、すぐに分かった。
(僕だから、分かったんだ。)
ただならぬ親密さが壁沿いに佇む両人を一つにしているという、そこにある、秘匿された私的な事情を。
(やっぱり、そうなんじゃない。)
少し前から気付いていた、二人の隠し事に。


(君との付き合いなら先輩よりも、僕のほうが長いじゃないか。なのに、なんで最近会ったばっかりの、それもだよ、僕を介して知り合った先輩と、あんなに仲良くなっているのか。)
お互いが十五の年からの友であるイルカと、幼少の時分より属していた暗部の先輩であるカカシは、ヤマトという接点なしに肩を並べ、ぽつぽつと言葉を交わし合う様子でありながら一つ向こうのけぶる辻や、目先に勢いよく落ちてくる大粒の雨滴を眺めていたりなんぞした。今日の日のしっとりとした空気が、彼らをとても大人に仕立てている。
(普段僕の前じゃあんなに、なんにもないようなごく普通の顔をして。なんだよ。なんなんだよ、あの雰囲気は。)
人の目を盗んで、という慣用句が心情にぴたりと合った、ヤマトは憤慨していた。

(先輩との関係をとってみたって、僕のほうがうんと古いんだぞ。イルカと先輩が顔見知りになるよりも、僕のほうがずっと昔から一緒に暗部で働いてたんだからね。なのにさ。なんでその僕を抜きにして、勝手に会うようになってるんだよ。僕はイルカよりもカカシ先輩と共に過ごした時間が多いし、僕はカカシ先輩が出逢うよりも前からとっくにイルカと友達だったんだぞ。)
「だから、つまり……」と、最近よく落ち込む思考の窪みに彼はまたよろける。そして、己はどちらに対して業腹なのかと悩んでは、
(イルカも。カカシ先輩だって。だから、つまり僕はどっちにムカついているのかっていったら……どっちにもだよ!)
という答えに至ることを繰り返しているのだった。
「二人っきりでこそこそ会うなんて!」
近づいて声を掛けることはあえて止し、踵を返した彼は、今しがた使ったばかりだった階段をぐんぐん上がって最上階の小部屋に戻った。こちらから二人に歩み寄るという身体的行為を、感情が拒むのだ。


さて、一同のやる気が回復しなかった会議は結局再開されることがなく、日を改めてもう一度、ということでお開きとなった。それでヤマトは、先ほど目の当たりにした癪に障る光景にぶつぶつと文句を垂れていた。
「まったく。どう思う。」
「あ、俺に言ってたの。友達と先輩が、恋仲になったんだっけ。そうだなあ。どっちが女かで変わるかも、その話。」
「え。」
「例えば、友達が女だったら、まあなんか、気ィ悪いとまではいかなくても複雑な気持ちになるのは分からんでもない、かも。ほら、俺、女友達はゼロだけど、姉貴がいるじゃん。それだって一応、近しい異性だろ。自分の先輩に手ぇ出されたのが姉ちゃんだったらって考えたら、なんかなあ。」
「しかも隠れて、だよ!」
「ううん。ちょろっと言っておいてもらいたいような、そんな報告は耳にしたくないような。しかし、先輩が女の場合で男友達とくっ付いた、となると全然違うかな。ああそうっていうか。その場合は、俺は好みじゃなかったんですね、ああいうのがいいんですね、みたいな。それでおしまいじゃねえの。憧れの存在だったとか美人だってんなら、そりゃちょっとは悔しがったりするかもしれないけどさあ。」
「まあ、美形ではあるけど……違うんだよなあ! そういうんじゃなくて!」
「ンだから、どっちが女なんだよ。まずそこだろ。」
「それは……あんまり、詳しくは……話せない……。」
「はあ? じゃ知らね。お疲れっしたー。」
骨子の部分で衰える剣幕に同期の忍は愛想を尽かし、別れの挨拶をすると、さっさと帰路に就いてしまった。
そして、
「貴方、いくつ。」
と、それまで口を挟まず静かにしていたユリイが冷ややかに言い放った。

彼女は、ヤマトが転属する前のおよそ二年、彼の下で働いていた暗部上がりのくノ一だ。彼女の加入した頃カカシはすでに暗部から正規部隊へと活躍の場を変えていたので、こんな話程度から自分の言う先輩が誰を指しているのかなんて見当付けられまいと、ヤマトは彼女に聞かれていることを気に留めていなかった。
あっさりした目鼻立ちは厨子に収まる木彫りの仏みたくツルリとして、どこか幼い面をしている。確か実年もうんと下だ。その二十歳になるかならないかという小娘が真顔のまま、
「子どもみたいなことを言ってないで、大人になったらいかがです。」
と、意見した。いま部屋に残っているのは彼女のみだった。
「どなたのことをおっしゃっているのだか察し兼ねますが、お二方の仲は、貴方には関係のないことなんですから。」
こげ茶色の地味なジレやしゃんと伸びた背筋が、まさにお堅く、また、嫌味なほどの正論を流暢に浴びせ掛けてきそうだ。
「分かってるよ、そんなこと。」
「だから嫌なんでしょう。貴方には関係のないことだから。」
「う。」
「そうでしょう。だけど、付き合うのにどうしてただの友達の許可がいるんです。勿論ただの後輩に断りを入れる必要だってない。」
配属されてきた当時から彼女はずけずけと物を言う性格だったが、それは今日においても健在だった。

「泥沼の三角関係かと思って聞いていたのに全然面白くない。がっかりです。貴方、一人で子育てしてる片親のね、新しくできた恋人に、親を取られたと思ってる子どもと一緒よ。」
「こ、子ども?」
「親の恋愛に貴方は関係ないんです。」
「お、親って!」
「それが年端も行かないヨチヨチ歩きの齢というならまだしも、成人した子どもなら認めてあげたらいかがです。乳離れできてないみたいで恥ずかしい。」
「恥ず……あのねえ、さっきから。僕は子どもじゃない!」
「分かってますが。」
「あんな人たちが親だとか、冗談でもやめてよね!」
「だから。どんな人たちか存じ上げませんが。貴方がいなくても、そのお二人が幸せになるときにはそうなるんです。気焔を収めなさい、はしたない。だいたい悲喜交交って概念も、貴方にはなさそうね。あるのは、僕が見てる世界、それだけよ。」
「ねえ君、今さらっと、はしたないとまで罵った? 僕が先輩だってこと、忘れてない? 乙女の気配り的な、大切なサムシングを、忘れてはいないかい。」

「口の利き方に気を付けなさい。ユリイからのありがたい助言なのよ。」
ガチャッと戸が開くやいなや、西方の彫刻像に通じるような鼻の高い女が目をいからせ、息巻いて部屋へ入ってきた。色っぽい泣きぼくろが一つ。ど派手な赤のボディコンは体の曲線を強調し、巨乳を押し上げ谷間を作っていた。肌の露出が多くて目のやり場に困る。
「マキア。貴女、なぜここにいるの。」
「待ってたの」と、ぽってりしたピンクの唇を動かし、金糸の髪を耳にかける仕草で上目遣いになったマキアは、この上なく甘えた声を出した。「ユリイ。終わったんなら、一緒に帰ろ。」
腰に鞭さえ提げているその気の強そうな外見と、メロメロな実際との差が激しすぎる。
ところが、
「一緒には帰れない。」
化粧っ気のない面立ちだけでなく体付きまでツルンというかペタンとしていて一見圧され負けするかに思われるユリイは、表情を険しくしてきっぱりと、完全に上からの物言いで、
「私は、この人と帰るから」と告げたのだった。

「何それ。」
つれない仕打ちを受けたマキアは嫉妬の炎をメラメラと燃やした瞳を、ユリイの側に立つ男に向けた。
「え、ぼ、僕?」
「何よ、それ。アタシ、待ってたのよ。」
「いや僕に言われても……。」
ユリイも、
「頼んでないわ」とにべもない。「今度ゆっくり話しましょう。今度よ。今日は、私たちはこれで帰るから。さあ、先輩、行きましょうか。もうここ、閉めるから。出て。」
「ひどいよ。ねえお願い、私を嫌いにならないで。ユリイ! どうして最近冷たいの? 待って。待ちなさいアンタ。アンタ、ユリイのなんなの?!」
叫ぶ彼女を廊下に残し、ユリイはさっさと廊下を去る。ヤマトも逃げ遅れるのはご免だからどんどん階段を下りた。そのあいだに早口の後輩と少しの会話を交わした。
「置いてきて大丈夫かな。」
「あの子、私にぞっこんなんです。」
「ぞ……!」
「色々あったけど、友達にも戻れなくて、避ける私を、あの子が追い掛け回してる状況で。」
驚いた彼の歩調はぐんと落ちた。
「急いで。」
「あ、うん。それで半狂乱に……。」
「先輩を利用したお返しに、私があの下らない愚痴に付き合ってあげます。」
「え。」
「だから、私のことにも力を貸して下さい。」
「ええと、それは……どういうこと?」
そうこうするうちに例のツルツルする床を越えて表へ出る。マキアは追ってこない。と、広い屋根の玄関口に身を引っ込めて、まだイルカがいた。





「あ、ヤマトだ。」
「イルカ。まだいたの。」
「まだって?」
「う。いや、さっき見かけたから、ていってもさっきは時間がなかったからあの、すぐ過ぎちゃったんだけど。」
「ああ、そうだったのか。」
「カカシ先輩は?」
「カカシ先生は、俺の分の傘を買いに行ってくれて。」
「へー。」
ちょうどそこへ話中の人物が、黒い傘を畳みながら大屋根の下に駆け込んできた。彼の手にしていたビニール傘をイルカが受け取る。
「ありがとうございます。」
「テンゾウ。いたの。」
「……。」
「カカシ先生。遣い走りなんてさせてすみませんでした。自分で行くべきところを。」
「俺が一っ走りするくらいって、きかなかったんでしょ。」
(ほら始まった。)
すぐこれだ、とヤマトは思う。
(イルカは平気で「相合傘してくれ」って要求してくるような奴だし、先輩は「日頃の行いの違いだあね」とかなんとかのたまいながら、さっさと自分一人で濡れずに帰ってしまう鬼なのに。)
似合わない気を遣い合っているのが、まるでいちゃいちゃしている風に聞こえて、すごくムズムズするのだ。

「先輩からの挨拶を無視するってどういう神経してるの、貴方。」
(いや僕は僕で、君の直の先輩なんだけど。)
諭したくなっていたヤマトの脇腹を肘で小突いた女の子を、カカシとイルカが見た。
「奇麗な人だな、ヤマト。」
イルカがそれとなく紹介を促したが、彼女は自ら「ユリイと申します」と名乗った。
「あ、初めまして。イルカです。」
「彼女?」
忖度ない一言をズバッと口に出すのはカカシだ。代わりにイルカがその人を紹介した。
「こちらは、カカシ上忍。」
「ええ、勿論。」
承知しています、という後半をユリイがゆっくりした頷きで省いているうちにヤマトは、
「……今日は。先輩」とぶっきらぼうに遅い返事をしたのだったが、
「いつもテンゾウがお世話になってマス」という彼女に向けたカカシの発言と重なって状況がごちゃついた。そもそも人の出入りの多い一所にいつまでも四人が目的なくたむろしていると通行の妨げになりかねない。ユリイが、
「私たちはこれからお昼を食べに行くんです。お二人は、今日はどちらもお休みなんですか。」
と尋ね、イルカが、
「俺たちは、どこか喫茶店にでも寄ろうかって話していたんです。」
と答えた。その流れで―― 社交下手なヤマトとカカシに言わせれば何故か―― 、四人で明るい洋食店の四角いテーブルを囲むことになったのだった。





「で、こちらのオジョーサンは。」
「ただの暗部の後輩、ていうか、あ、あんたらには関係ないでしょ!」
「俺はともかくカカシ先生に向かって。なあヤマト。お前、なんでそんな荒れてんの。」
「べっつに。僕の交遊関係にいちいち口出してこないでよ。それとも何、逐一報告しなきゃいけないわけ?」
自分たちのことは僕に黙っているくせに、とヤマトは思った。横で聞いていたユリイは、見事なブーメランだこと、と溜め息を吐いて頭を振った。
「ほら。カカシ先生が休みの日に構ってやらずにほったらかしているから、こうなったんですよ。」
「ううむ。育て方を間違えたか。」
「ちょっと、なんなんですか、その小芝居は!」
「今頃になって反抗期とは。まったく、誰に似たんだか。」
「カカシ先生でしょう。」
「ふふ。なんだかお父上と、お母君のようですね。」
「ははは、マジっすか。ですって、カカシ先生。」
「と、いうより、お付き合いなさっているみたい。」
「いやあ、マジっすか。」
「少なくとも、この人はそう思っているみたいですよ。」
「え。ヤマトが?」
ヤマトは今回もモヤモヤを解消しないで見て見ぬふりをして終わろうかと迷ったが、ええいと腹を決めて、とうとう、
「見てりゃ分かるよ」と言ってしまった。
「僕はどっちとも仲が良いんだから。」

「テンゾウ。」
ヤマトのことを未だにそう呼ぶのはカカシくらいだ。
「言わないでいてすまなかった。」
「……。」
(こんな時、歳だとか力関係だとか、なんやかんや自分のほうが上だと思っているカカシ先輩は、わりと折れるか折れないかっていう一歩を譲ってくれる。)
「お前、イルカ先生のこと好きだもんな。」
「は……。」
「取られたと思ってるんですよ、どちらに対しても。」
「ちょ……。」
「イルカさんに限らないです。この人、カカシ先輩のことも相当好きみたいですから。」
当人が顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせているのもお構いなしに彼の心情は、他の人間によって赤裸々に公開されてゆく。そこに慈悲の二字はなかった。
対等な友人関係にあるイルカはその点、堂々と面倒臭そうな態度でいる。この男は、例えば「お前には関係ないだろう」という主張があったらはっきりとそう言ってのけるのだ。
もしくは、こんな時に誠実なのは、意外にもカカシのほうだと評し得るのかもしれない。

「なにもカカシ先生が謝る必要はねえと思うけど。内緒にしてたのは、長続きするかどうかなんて分からねえからだろ。これが、お前と関わり合いのない相手ならさ、俺だってもっと早くに打ち明けていたかもしれないけどさ。カカシ先生はヤマトが大事にしてる人だから、言い難いのは当たり前だって。俺は、お前に悪いことしたとは思ってねえ。」
「うん。別に、もういいよ。僕の我が儘だとしても、ただ言って欲しかったんだ。そういうことになったから、って。ちゃんと……教えて欲しいっていうか……。そしたら……。」
(そしたら、なんだ。反対なんかしない? 除け者にされたなんて気持ちは消える? 僕は……どっちに対しても、僕の友達を、先輩を、取っただなんて思っていたのか?)
いくら考えたって悩んだって、彼にさえ彼自身の気持ちの、本当のところが分からない。
だから、どうして欲しかったのか、何をされたくなかったのかと訊かれても、即座に上手く本音を伝えるのはとても難しい―― ヤマトがそんなふうに己の心を覗いていたら、
「ちょっといいかな。」
と、カカシがやぶからぼうに、場に問うた。

「蒸し返すようで悪いけど、俺はイルカ先生と、この先どうなるか分からないしっていうあやふやな気持ちでは付き合ってないよ。」
「あら。」
「先輩……。」
「イルカ先生はどうだか知りませんがね。」
「せ……。」
「ええええ、同盟国に突然宣戦布告された気分。腹の割り損じゃねえか。俺もう今からカカシ先生のほうに首回せないです。どうにかしてくれたまえヤマト君。」
「傷付いた俺に慰めの言葉を掛けたっていいんだよ、テンゾ。」
「ああああ、もうっ。好きにしたらいいでしょ! 知らないっ。」
(知らないっ、て、何その言い方。いい歳して可愛いわね。見込みがあるわ、この先輩。)
ミックスジュースを一口味わいながらユリイが女王様気質な笑みを薄く浮かべた。
イルカはおもむろにメニューに手を伸ばし、「俺も何か摘もうかな」と話題を変える努力をした。
カカシは、意外にも斜め向かいのユリイとミックスジュースに使う果物の黄金比率について淡淡と議論を始めている。
フォークで刺した海老フライはそのままに友人と先輩を交互に見るヤマトは、まだ若干、不貞腐れていた。
(フン。そうさ、好きにしたらいい。どうせ半年や一年で別れるに決まってる。)

そんな彼の予想は、世界に平和が訪れた十数年後に、大いに外れていたことが実証されたのだった。










終.
(2016.07)
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