企画text07
此処に眠る。

視点:I 誤解

スーパーダーリンが通りまーす!



「イルカ先生。」
街角で呼ばれて顔を上げると、俺の苦手とする人が小首を傾げるようにして歩み寄ってきた。こちらの表情をも逃さぬといった間の詰め方が、抜け目ない。
「これは、カカシ先生。今晩は。」
「今晩は。どちらへ。」
「私は、もう帰りです。」
覆面を免れた右の眉と目がすかさず、どこからの、と穏やかに追及してくるので、俺は肩に担いでいた模造紙を示してみせた。
「教材作りに使う物を買いに。近所の文具屋には、ないもので。」
「そうでしたか。」
「ええ。」
と、それでなんとなく区切りを付けてそれぞれ離れ始めるのが互いの仲から見積もった妥当な動きだろうに、カカシ先生はじっとしている。俺は仕方なく、「そちらは」と聞き返すことを強いられる。だから、苦手なのだ。
今年の二月に、顔を合わせれば頭を下げる関係性が出来た。それから三ヶ月、経つか経たないかという今日は土曜で、空には夕焼け雲が浮かんでいる。

彼は里内屈指の上忍で文武両道、そのうえ人当たりもよく、さらには美男子と噂されている。そんな相手がぱっとしないアカデミー教師、つまり俺に対して、妙に距離を詰めてくる。そのことにどう対処すればよいのか、分からないから困っている。
「今日は、休日でらしたんですか。」
「そ。俺は夕食の買い出しです。」
片手の紙袋がちょいと持ち上げられてガサッと鳴った。
「え。ご自分で?」
ふふ、と纏う空気を小さく震わせ、
「そりゃ、一人暮らしですからね」と、カカシ先生。
「あ、はあ。そうでしたか。」
それは知らなかったが家庭がなければそれもそうかと同感しつつ、それにしたってこんな日ばかりはカカシ先生が自ら買い出しに行くこともあるまいに、と思いを進めた俺は、改めて疑問を口にした。
「いや、しかし、彼女さんとか……。」
「とか?」
「とか……あー、彼女さんとか……。」
「いなーいよ。なぜ二回言ったの。」
「だって、いえ、ですから、今日は……。」
「今日?」
「十九日、ですよね。」
「ああ。はい。そうですね。」
特別さを微塵も感じていない口振りに、まさか袋の中身も弁当だったりしないだろうなと気になった。
「これから自炊、なさるんですか。」
「気になりますか。」
「え。アァすみません、つい。いえ、そんなことは。」
「なんだ。気にしてくれないんですか。いつも俺しか質問しないから、珍しいなって喜んじゃった。」
(喜ん……じゃった?)
なんだか分からないけど心臓がばくばくしてきた。だから苦手なのだ、この人が。
「立ち入ったことながら、ただ、お一人で食事されるのかな、と思いまして。」
「そうですよ。いま貴方を誘って、いい返事をもらえるならその未来も変わりますけど。」
「う……。」
こういうところだ。独特すぎる言い回しが、人を変な気持ちにさせる。
「どうですか。」
「ど、どうって、お、俺は……暇、です……が。」
どこか店へ入ろうにもカカシ先生が生肉を買ってしまっていたこと、彼の家がこの場所からすぐ裏の筋にあること、俺がナスもトマトも好きなこと、他にも聞かれたことに答えていたら、あれよあれよという間に夕飯を一緒に食うことになっていた。天よ、救い給え。この人の前に立つとなぜか調子が狂って、進展についてゆけなくなる。

「あ、そうだ。ケーキ。ありますか。」
「ケーキ? 甘い生菓子のことですか。」
「はい。ああそうか、カカシ先生は甘味が……。」
しまった、嫌いだということまで知っているのはいくらなんでも不自然だと思うと同時に、相手の横目に獰猛な動物の鋭さで捉えられたとほんの一瞬、感じさせられた。この眼光は趨勢を見極め、頂きを掴むごく一部の実力者が有するもので、三代火影もそれを白い眉の下にギロリと見せることがある。とはいえ、一睨、というのがきっとミソなのだ。「ええ、やたらと喉が渇く気がして、好きではないんですよ」と丁寧に、理由まで添えてくれる頃にはもうその、人の臓腑をきゅっと絞る緊張感は消えていた。
(うわあ、この人も昇り詰める部類の人なんだ。さすがだなあ。クワバラ、クワバラ。)
「ケーキか。あるのが、一般なんですか。」
「え、あ、まあ、多分。」
「そうなんだ。ううん、けれど生憎。今日は我慢してくれませんか。また今度、用意しておきますから。」
「ああ、とんでもない、そんな、こちらこそ。ていうか今度って、今日じゃなきゃ、や、別に、カカシ先生が、なくていいならそれで。」
「ふうん」と曖昧に収めた彼と、同じ手順を踏んで酒もない事を了解し合った。
差し出がましいことを言いましたと俺が謝ったら、カカシ先生はいかにも堪らずといった具合に吹き出し、クックッという笑い声を引き摺りながらマスクの口元に拳を当てていた。



「ベスト、掛けますか。」
「ああ、どうも。ではお言葉に甘えて。」
のこのこ付いて上がったお宅はこざっぱりしていて、普通だった。自分より不精ではなさそうだという印象を持ったそばから、それだけでは足りないと考え直す。急な来客に慌てて正す点がどこにもないのだから、上等だ。ちょっとした隙間を埋めたり、鉄アレイの下に積まれたりして本が点在している様には親近感が湧いた。
「もう作り始めても構いませんかね。」
台所で腕を捲る家の主への返事に窮したが、
「はい、あの、本日の主役の方に仕事をさせてすみません。」
「本日……の、お客様は、イルカ先生じゃありませんか。」
「カカシ先生。」
ケーキも乾杯も省かれるなら、この言葉を贈る機は今なのかもしれない。
「おめでとうございます。」
「ん?」
「誕生日ですよね、今日。」
「……。」
何を隠そう、俺は今、孤独な誕生日を阻止するためにここにいるのだ。どうして色々知っているのかと直接問い質されたら、今度こそ白状しよう。年が明けて巣立った生徒が心配で、託す上忍師に関する資料を何かのついでにあらかじめ情報室で繰り、カカシ先生の頁をざっと読んでいたことを。
「五月、十九日。」
「ああ……まあ、そうですね、ざっくり計算すると、概ね、そんな感じです。」
この時の俺は、うろ覚えの勘違いに端を発してなんでもない日に上忍師宅を訪問し、手料理を馳走になり、あまつさえ路上でデザートや酒さえ要求していたという大それた行為の数数にまるで気が付いていなかった。
誕生日の正解が発覚し、俺が顔面を蒼白にするのはこれから四カ月も先、九月十五日の当日になる。それならばそうと訂正してくれればよいものを、この日のカカシ先生は「ありがとう」と微笑んで片付けてしまったのだった。



梅の花が枝にモコモコと白く咲いていたころお近づきになった。その人の家で、俺はトマトソースのスパゲッティを口に運んでいた。水辺の杜若はたしかに青く群生しているが、それにしても夏を先取りしているように感じたのは野菜のせいだ。まだ早いのに美味しいなんて。俺の入ったことのない店には、俺の買ったことのない品が売られている。そうとしか思えなかった。
「この葉っぱ、なんて言うんですか。初めて食います。」
「バジルだよ。」
「おお。」
「香草です。」
野菜のせい。自分の体温が上がっているからだなんていう発想に至れるはずもない。
「どうりで癖が強い訳だ。へええ。」
「イルカ先生は、どんな味が好き?」
常時の装備をすっかり解いたカカシ先生は噂通りの整った顔立ちをしていて、手料理からは未知の味がする。そのことに気を取られて、「美味しい」の一言を伝えそびれていた。
(いけね。母ちゃんに怒られる。)
「すげえ美味いです、これ! すみません、夢中で食ってました。店出せますよ、カカシ先生。百二十両は取れ……ハ! そういや俺、めし……食費代をまだ払って……!」
「止してよ、簡単な夕食ごときで。そんなに気を回さないで。口に合っていたなら、それで十分だあよ。」
「美味しい、です、すごく。」
「ふふ、ありがとう。」
「あの、本当です。」
「なら、嬉しいね。」
素早くこっそり確認したが何度見てもカカシ先生はやっぱり格好良くて、差し向かいで優しそうな笑顔を作られると、俺の目玉はうろうろ泳いだ。

「ところで、イルカ先生はラジオを聴く?」
「あ、ええ。よく聴きますよ。落語とか、面白いやつが好きです。」
「そっか。ううん、知ってるかな。この上区の界隈でさ、『草木も楽しむ丑三ツ放送』っていうんですけど、平日の夜明け前に流れてる番組があるんです。」
「いやあ、すみません、聴いたことないです。」
「そうですか。」
そこでカカシ先生は少し言葉を切った。
「まあ、里全域で拾えるものではないんです。小さな番組なので。」
「はあ。」
「場所柄もだし、時間帯も一般の里の人は寝ている時間帯だし、どちらかといえば、ばっちり活動中の層がある忍向けというか。だから、曲が掛かりっぱなしというのでもなく、割と葉書を読んだりもするんです。」
「なるほど。」
「それで。俺。『夜の黒髪』という人の投書が気になってるんですよねえ。」
聞けば、俺とカカシ先生が初めて挨拶した数日後からその投稿が始まったらしい。そして進行役の低い声で読まれていた事柄が、俺たちの間で交わしたやり取りの内容と、最初はなんとなく似ているような気が、二度目は状況が被っていると、思ったのだそうだ。

「書いているのはイルカ先生だったりしてって、ちらっと思ったんだけど。」
「ううん、深夜の二時、三時は俺も寝てる組です。」
「こないだ話した時に、家は下区のそれも“は町”だって言ってたしね。」
「そうです、そうです。」
「でも、なんとなく、ね。」
そこで、葉書の文言を思い出せる限り教えてもらった結果、俺は焦った。
確かに出来事は二人の間で起こった実際に相違ない。ところが、心情の方がでたらめだった。投稿者が、恋心を綴っていたのだ。これでは、俺が葉書を書いている本人だとすれば、その相手はカカシ先生だという誤った解答が導き出されてしまっても仕方ない。ということは何か、俺こそがラジオの向こうで片想いをしている何某の正体ではと疑われているということか。
葉書を送っていたのは自分ではない。自分ではないが、しかし、住所の件が出てきたとたんにある人物がぱっと浮かんだ。
(ミシャ先生か!)
彼女宛ての年賀状に、この近所の番地を書いていたことを思い出す。あの人ならばやりかねない。「旦那さんが女と浮気をするのは死刑に処するが、男とであった場合は詳しく掘り下げそれをおかずに白米をお替わりする」など、謎の発言は枚挙にいとまがない女傑だ。
持てない若造は諸先輩から恋愛事情をいじり倒される定めにあって、ミシャ先生は普段から「女に縁がなくても男に走ったら幸せになれるかもしれないよ」なんて励みにならない激励をくれていた。
けれども、だからといって事実無根の恋を捏造してはいけない。
とはいえ、感情面はともかく葉書の内容は俺が先生方と教員室でくっちゃべっていたものとほぼ一致していたので、出どころの責任を問われればあながち全くの無関係とも言えず、そうであるならば己も軽率と反省すべきなのか、先ずは訂正の必要がある箇所を明確に告げるべきなのか。頭の中がとっ散らかった。
「あの……俺……。」
「ねえ。投稿者の『夜の黒髪』って仮名、何から取ってるのか察し、付く?」
「え。いえ、全然。何か元になっているものがあるんでしょうか。」
「んー、ないのかもしれない。けど、俺はなんだか引っ掛かって。」
と、カカシ先生はおもむろに立ち上がり、
「記憶を頼りに調べたら、こんな歌に辿り着きました。」
卓を回って真横に来ると、戸惑う俺の耳元にゆっくりと声を落とした。
「ひとすぢに、あやなく君が指おちて、乱れなんとす――夜の黒髪。」
音にし終わった彼と、間近で目が合う。百人いたら百人が視線を外すだろう。俺がそうしたのも当然だ。そうしたらカカシ先生は、俺の頭を触った。
「イルカ先生も、黒い髪だね。」
後ろで一つに束ねた流れに沿って、ついと髪に、軽やかな指を走らせたのだ。彼のこういう、意味不明な距離感覚を発揮してくるところが、物凄く苦手だ。


コメカミの血管がズキズキして事態がよく飲み込めない。俺の脳味噌はこんなときに、直面した問題に対処しようとせず、閊えるどころか、打ち上げの場でべろんべろんに酔った小隊長の衝撃発言という過去をせっせと掘り返していた。
小隊で鍛えられていた下忍時代、二回り離れたこの中忍のことを皆でこっそり隊長と呼ばず親分と呼んでいた。口は悪いし喧嘩っ早いが親分肌で、小柄なのに怪力な、妻子持ちだった。親分がひとたび下ネタという名の桃色武器を振るえば、瞬く間に酒席は暴露大会会場と化し、その時間は、ノリのいい誰かと刺し違えるか言いだしっぺが自爆するまで終わらないのが常だった。そして、ある夜の親分が言っていた。「十代ん時のツレに、馬鹿みてえに男前な奴がいたんだけどよォ。俺、正直もしそいつに言い寄られたら、断るとか逃げるより、流されるんじゃねえかなって思ってた」、と。当時は仮定の時点でどっと笑いが起こった。俺も腹がよじれた。酔っ払っている親分は、一同が口を揃えて「有り得ない」と囃すのを、「馬鹿野郎、その辺の男前とちげえんだよ。よっぽどだぞ。非の打ちどころのないツラを想像しやがれ」と、怪しい呂律の大声でもって押さえ付けていた。なぜ今、そんな昔のどうでもいい一場面なんぞ思い出したのか。
「顔。真っ赤ですよ。」
思わず椅子から尻を浮かして後ずさった俺を見てもカカシ先生は一切動じずに、余裕の拍を置いてなお口を開く。
「貴方の影がちらちらするのに、実際はこんな調子ときたもんだから……。代筆の可能性も思い付きました。」
「お、おお俺は、俺が、そんな……!」
(そんなこと頼む訳ねえだろ! 誤解……、そうだ、誤解を解かなければ。)

「イルカ先生、熱いですね。」
説明をもたもた練っているところへ追い討ちを掛けられた俺は、見事に瞬殺された。
万策尽きたり。
(ああそうさ、見栄を張った。万も千も、一つだって策なんか持ってねえ!)
手も足も出せないで固まっている肩をとうとう抱かれてしまったのだ。やめろという声も出せない。どちらかというと、鼻血が出そうだ。
「昼間の太陽の熱を溜めこんでるみたい。」
(太陽? 太陽って言った? え、これって、現実に、俺が言われてる台詞? この人、王子様か何か?)
そもそも、何が起こっているのだ、俺に、今。
社交経験云々というか恋愛経験が絶望的に足りていないと思わされるような、現実と夢が混じり合うような不思議な空間から、天よ我が身を救い給え。だがしかし。運命は破竹の勢いで一秒先を切り開いてゆく。

咄嗟に止めた息を吐き忘れて危うく死ぬところだった。
「へっ?」
ヘの音にこんなにもスタッカートを付けたのは人生で初めてだ。いや、そんなことよりも、俺は人生で初めて、キスをした。したというか、されたというか、むしろ無情に奪われた。
(ちょ、ちょ、ちょ……待て、どど、どうしよう、どうしよう、どうしよう!)
俺の混乱の原因は、ぱっと出ておかしくない怒りも、例えば突き飛ばしたり罵声を浴びせたりしてやるという嫌悪感も生まれてこないことにあった。それより何より、唇がむにゅっとした感触に失神しそうなほど興奮している。
(なに、俺、こんなことされて、カ……カカシ先生のことが、すすすす好きなのか? 好き? 好きなのか? 正気か?)
近過ぎて見えないカカシ先生にではなく自分自身に対して一番戸惑ったものの、体はいまだ反撃に切り替わらないし、可能性としてはある。鼻血が出そうなのも、それならば頷ける。もしかしたら、好きだったのかもしれない。バジルの葉っぱも美味しかったし、一理ある。いつからか、好きになっていたのかもしれない。シンクが長身に合わないのかして、慣れた手付きで調理用の椅子を引き寄せていた私的な後ろ姿を目にしていた時か。出されたコップに口を付けたら水にレモンの味がした時からか。恋はレモンの味だと言うし。……言ったっけ。

そう、俺の恋は、万事うろ覚えに支えられている。なにはともあれ、こうして完全無欠の恋人ができた俺は、末永く幸せに暮らしましたとさ。おしまい。










終.
引用:
『与謝野晶子歌集 与謝野晶子自選』(岩波書店、1943年12月 改版第一刷発行、12頁)
(2016.09)
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