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此処に眠る。

- 風呂

和敬を家訓の一つとす



1.

カカシは風呂が嫌いである。この男が掲げる三大面倒のうちの一つが入浴であり、入らずに済むものならばそうして過ごしたいと思っている。
彼曰く、浴室という空間は暇で堪らず、浴槽の中でじっと座っていることに飽きてしまうと身体が温まるより何より、一刻も早く上がりたくなる。入ったからといって楽しいことは一つも待っておらず、身体を洗うのが面倒なら洗髪も面倒であり、そもそも入浴の前に立ちはだかる、服を脱ぐという動作からして面倒臭い。さらに言えば、風呂に入らねばならんと思うだけで気が重くなり、脱衣の踏ん切りさえなかなかつかないらしい。
それでも里内で生活しているあいだは、翌日が来るまでにはどこかで越さねば済まされぬ峠であるから、毎晩えいやっと重い腰を上げて渋々浴室へ行く。それがカカシという男の常であった。

一方イルカはというと、彼は風呂が好きである。一日を終えると早く入って汗を流し、垢を落としてサッパリしたくなる。
熱い湯に浸かり体内で血を循環させ、頭を空っぽにして筋肉を解すのも気持ちが良いし、自分が忍者学校生徒であった時分からずっと気に入りである唱歌を歌いながらぬるくなってきた湯加減の中でゆっくり寛ぐのも良い。それは、誰にも侵犯されたくない空間と、乱されたくない一時であった。

そんな二人が、一つ屋根の下で暮らすとどうなるか。





2.

その一 ――イルカが風呂から上がり、空いた浴室に、カカシ入る。

「カカシさん、お先にシャワーを浴びて来たらどうです。」
「え、なんで。」
「なんでということもないですが。」
「興味なーし。」
「……興味のあるなしは関係ないんですよ。」
こんなように誘導が通じない結果、イルカの風呂が先に終わる。
本当は、自分より前にカカシの入浴を完了させてしまいたい。その理由の一つは、洗練された格好良さという上辺をお持ちの上忍様がいつまでも愚図愚図と入浴を避けていると、イルカはいつまででもヤイヤイ催促し続けなければならないからである。
「カカシさん。」
「ん。」
「それを擱いて。」
「……。」
「いい加減になさい。」
「待って。」
「もう何回目ですか。手を止めて。立つ。ほら。」
「……。」
「カーカシさん。」
「あーとーで。」
「後ではそっち! それは冷めねぇけど、湯はどんどんぬるくなるでしょう。さあ! ほれ!」
放っておけば良いものを、生徒の尻を叩くやり方でつい、しかもそいつの苦手な分野であるなら尚の事、それを成し遂げるまで叱咤激励してしまう。最終的には、そんな忍者学校教師に、天才忍者は口煩いとぼやく身体を半ば強引に引っ張り上げられ衣服を剥かれて風呂場に放り込まれてしまうのである。



その二 ――イルカが風呂から声を掛けるも、カカシ来らず。

夕飯で腹が膨らみ一息付くと、イルカは風呂場へ自分の好みの温度の湯を張りに行く。カカシは専らシャワーで済ます烏の行水で浴槽には殆ど浸らないし、イルカの沸かしたのがまた新手の拷問としか思えない熱湯なので余計に足も浸けずに上がる。だから、自分しか入る者がいない湯の温度をイルカは好みの熱さに設定するのである。
ダーと勢い良く出る水音を背にして居間に戻ったイルカは、カカシに声を掛ける。
「俺はもうすぐ風呂に入りますよ。」
「どうぞ御勝手に。」
「……貴方、いつ入る気です。」
「そのうち入るよ。但し今じゃない。」
「又それですか。」
「しょうがないでしょ、今じゃないんだから。」
ここに、イルカが先にカカシを風呂に入れたがるもう一つの理由がある。
カカシは、自分が入りたいと思ったその時に行動する。型破りなことに、それは人が湯浴みの最中であろうが何であろうがお構いなしなのである。ゆえに、イルカは自分よりも先にこの傍迷惑な御仁をなんとか風呂に放り込んでしまいたい。しかし、カカシはあくまでも不規則な時間にヒョイと入浴に立つのである。

それが先の者の洗髪中と重なろうものなら、洗い場は狭くなるわ、使う湯が両者それぞれの方向からバシャバシャ撥ねるわ、もう風呂場がしっちゃかめっちゃかになる。
それならせめて後はもう上がるだけという段になってから、自身は湯船に収まった状態でカカシを風呂に呼ぼうと、イルカが目論むこともある。そういう日は、風呂場の扉だけ開けて中から大声で居間に呼び掛ける。
「カーカーシーさあん! 今だったら風呂に来てもいいですよー!」
「んー、その気になったらねー。」
この誘いに乗ってカカシがすんなりと居間から立つのはせいぜい二割で、残りの八割は風呂嫌いの言う「その気」とやらが起こらないらしく、「その気」などなくとも風呂には入れる風呂好きのイルカがのぼせるまで待っていても現れないものは現れないのである。



その三 ――イルカが風呂の真っ最中に、カカシ乱入す。

夕飯の後、風呂が沸くと、いつまで経っても居間でのらりくらりとしているカカシに、イルカは一声掛ける。
「俺、風呂に入ってきます。」
「ああ、どうぞー。」
「……じゃ、お先に。」
(来るなよー、今日は入って来るなよー。俺は先に入らないのかとも、今から自分が入るとも事前に伝えましたからねー。)
日課のようにその念を送り、そうしてイルカが更湯に浸かって一日の疲れから脱していると、居間からカカシの動き出した気配がする。ある時は掛け湯をした直後であり、ある時はそろそろ上がろうかと身体もホカホカになっている頃である。気配を察知したイルカはそれに辟易する。稀に風呂場ではなく横の便所を使って居間へ帰ってゆくが、一度立ち上がったその気配は十中八九、イルカがのんびりと入っている風呂の扉をバフリと、問答無用で開けるのである。
(アアー……来ちまったー……!)
イルカは湯船の縁から洗い場へダラリと両腕を垂らし、さもガッカリした態度で出迎える。

これがまだ譲り合って、大人しく去るなら良い。ところがカカシの襲来を受けた風呂場では、決まって台風が直撃したような一悶着がこの家では起こる。なぜなら、此方の存在を物ともしないカカシの振る舞いに対してイルカが黙っていないからである。そしてカカシは、仮にイルカが風呂椅子に座り頭をガシガシと泡立てていてもその前の隙間に無理矢理入り、隙間などなくとも目を閉じた相手が驚いているうちに強引にその身体をずらさせ空いた空間に入りこみ、風呂床に直接胡坐を掻いてシャワーを使い始める猛者なのである。

体の正面を蛇口から九十度回して洗い場を向き、湯船の半分を空けながらイルカが不平を鳴らす。
「ちょっと、なんで入ってくるんですか。」
「しょうがないでしょ、今なんだから。」
「何がだよ! なんなんですか、その今ってやつは。今は俺が入ってるでしょうが。さっき聞きましたよね、そして言いましたよね。」
「どうぞお構いなく。」
いけしゃあしゃあと宣う上忍様は洗い場の椅子に座るとシャワーの首を取って、出てくる湯の温度調節をすることから始める。
「誰が構うか、むしろそっちが気にしろって言ってるんですよ!」
「何を。」
「こっちにだって色々、段取りってもんがあるんです。狭いし!」
必要な水量も掛かる光熱費も一切気にしていないカカシは、いつも蛇口を目一杯まで回して怒涛の勢いで湯を吐くシャワーを使う。ザーザーと激しい水音がする。カカシの身体に当たった湯は、細かく撥ねて湯船のイルカをもろに襲う。ちなみに、イルカの方は片手桶で湯船の湯を掬いシャワーは滅多に使わない。
「ちょっと、シャワーの湯気が立込めて風呂場が蒸し暑くなる! これじゃあ長風呂が出来なくなるじゃないですか。」
「ギャアギャア、ギャアギャアとうるっさいなあ。」
すっかり吠えられ慣れてしまっているカカシは、イルカの苦情をちっとも真剣に扱わない。「こっちゃあ風呂に入ってやってんですよ。文句言われる筋合いなんかなーいよ。」
「なに上から物言ってんですか、風呂に入るのは当たり前です。」
カカシが石鹸で適当に洗髪し出すと、イルカはすかさずシャワーの出を中位に抑える。
「あ、ちょっと、湯に勢いがなくなったあよ!」
「これだけ出てりゃ十分ですよ。」
「そんな出じゃあ途中で水に変わったりしちまう!」
「なに、そのうち湯に戻りますよ、ハハハ。」
「嫌だ!」
「我が儘言うんじゃありません、勿体無い!」
「横暴!」
「人が風呂に入っている時に勝手にズカズカやって来ておいて、よくそんな言葉が吐けますね!」
カカシは首を倒して目を閉じ、ゴワゴワの銀髪を左手で洗いながら右手で固定口に嵌められていたシャワーを外すとヒョイとそれを己の右側に据えられている浴槽へ向けた。
「わぶぶぶ、っぷあ! この野郎、止めろ!」
イルカは顔面に、まともにシャワーをぶっ掛けられた。



その四 ――イルカが風呂から上がる寸前に、カカシ降臨す。

イルカが入っていようがいまいが、カカシは己が入浴する気になった時に浴室に現れる。
それが髪も体も洗い終えている時ならば、イルカは涙を飲んで長風呂を諦め、カカシと入れ違いになろうとする。余力がある日は彼の方から居間へ呼び掛け風呂大嫌い魔神の召喚を試みたりもするが、基本的には、イルカは風呂場でカカシと関わり合いたくないのである。しかし、呼びもしない悪魔のような上忍が自ら風呂場へ登場した場合にはその時点で、イルカはカカシの退場まで風呂から出られない。
たとえイルカが風呂上がりの頃合いで、これ以上浸かっていたら湯中りするという状態であっても、彼は風呂から出られない。なぜなら、カカシがそれを阻むからである。
だから、イルカはいつ襲来するか知れない男を居間に残して自分が先に風呂に入るのが嫌なのである。

風呂場に降臨したカカシと入れ違いに湯船から出ようとしても、その身の動きは物の見事に阻止されてしまう。湯船にいたイルカには入って来た里最強の忍が障壁となり、男の向こうにある出口には到底辿り着けない。それが一歩分の幅の洗い場でも、そこにカカシが居て、彼がわざとイルカを自分の向こうへは行かせないよう働くときには、その一歩は絶望的な遠さとなるのである。どう隙を突こうとしても絶対にそこを通り抜けることができない。カカシが洗髪していても、イルカはその隙に上がれない。その隙が、どこにもないのである。
と云っても、これがもし命懸けの場面であるならイルカも難なく脱出できている。しかし、状況は日常で、お互いが素っ裸という状態のなか、そこから導き出される可能な動きに上限のある範囲内においては、カカシには寸分の隙もない。腕を伸ばして扉をバフリと開けても、瞬時にバフリと閉められる。風呂椅子に陣取り目を瞑って頭を洗っている彼の隙間を素早く抜けようとしても、その気配の方へズイと上半身をずらされると自身も全裸のイルカには闇雲に強行突破する手段も取れない。立った際の己の股間の高さと、椅子に座る男の背中や顔の位置とを考え合わせれば当然である。揉めれば揉めただけ悲惨になってしまう。

「あ、イルカ先生、肩が出てるよ、ホラ。」
ザブンと浴槽に浸かる自分とは逆にザブンと湯船から出ようとするイルカの肩を、グイと押さえて再び湯の中へ沈め込んだカカシが喋る。「肩まで浸かって、確か百まで数えてから上がれって……よく言うじゃない。」
カカシが、イルカの肩に湯をパシャパシャと掛ける。
「やめろ! もう俺は本気で上がりますから、どうぞ百でも二百でも御自由に、好きなだけ数えていて下さい。俺は熱くて敵わない。」
「こんな熱湯に設定するからだあよ。」
カカシはダバダバと水道から浴槽へ水を足している。
「違う、どっかの誰かが俺を上がらせないからだ。」
勿論イルカは、なぜそんな無体を働くのかを相手に問い質す。「カカシさん、どういう料簡で俺をここに閉じ込めるんです。」
ギュウギュウ詰めの湯船に浸かりながらカカシが隣の問いに答える。
「それは――、」
「……。」
「分からない。」
「おい。」
「習性です、俺の。」
「どんな習性だ!」
「昔チビだったパックンもよく部屋に閉じ込められてたなあ、俺に。」
「……。嫌われてたでしょう、貴方。パックンに。俺にはパックンの苛立ちが手に取るように解りますよ。」
「いやいや、パックンもイルカ先生も俺のことが大好きだあよ。」
「いやいやいやいや、どうでしょうね、好きだからってその子に意地悪をする男子はボロクソに嫌われるもんなんですよ。」
「……。」
「大体、二人で入っても狭いだけでしょうが。俺はもう湯中り寸前です。本当に駄目ですよ、あと一分も入っていたら倒れます。」
「その前に俺の方がもう上がる。こんな熱くてなんの面白みもない所なんて、こっちから願い下げだね!」
「……貴方……、本日も絶好調ですね……。」
本来溜まった疲れを癒す空間である筈の風呂場から、どっと疲れて上がるイルカであった。





3.

風呂好きのイルカが湯船に浸かって首をボキボキ鳴らしていると、風呂嫌いのカカシが突然バフリと扉を開けてやって来る。この家ではよくある光景である。
時偶カカシは完全に気配を絶って磨り硝子に近付き、いきなり扉を開けてバフリ、と音を立てる。湯船の中で気を抜いていたイルカは突然の音に仰天し湯の中で身体を滑らせ溺れそうになったりする。そんなときは仕掛けた罠の発動を見て悪戯っ子が満足げに頷くように、カカシはニヤリと口の端を吊り上げて磨り硝子から姿を現す。イルカが溺れなかったときは、詰まらなそうにぶすっとした顔の儘シャワーに手を伸ばすのである。

「……呼んでも来ない癖に、呼ばないのに来るんですね。」
「何がだ。」
「貴方がですよ。」
イルカが湯船の縁に顎を載せ、堂々とした態度で他人の風呂の時間に割り込んで来たカカシに言葉を掛ける。当初からエリート上忍に夢を抱いてなどおらぬからそういう意味ではなんとも思わないが、イルカは、よくこれで普段は済ました顔をして称賛の詞に適った上忍をやっているなと感心する。
気持ちの大半は順応してしまい諦めもついてしまっているが、それでも出る溜め息をハア、と洩らしてイルカがまた口を開いた。
「どうして俺が上がって風呂場が空くのを待たないんです。」
風呂椅子に腰を下ろし、シャワーを手に当てて温度を確認しながら深刻な面持ちでカカシが答えた。
「時機が到来するんだよ。それを逃せば、大変なことになる。」
「はあ? どうなるんです。」
「次に又、『今なら入ってもいいかな』と思う時まで入れない。」
「…………そう、ですか。それはまた、大変ですね……て、いや別に何も大変なことねえよ! 知ったこっちゃない! 何だ、その時機って! 俺の風呂の時間を邪魔しないで下さいよ。」
カカシはシャワーの口をイルカの顔面に向ける。
「わぶぶぶば、……ぷあ! し、信じられん、何すんだよ! その攻撃、地味に気に入ってるだろ!」
「文句があるなら出て行け。」
「アンタが入って来たんだろうが! 不戯けんなよこの野郎、俺が出ようとしたらしたで妨害する癖に!」
イルカは、湯船の湯を掬うとまだ濡れていないカカシの背にパシャリと浴びせ掛けた。
「あっつ! あっつい! なんなのその温度、熱湯だよ! 上忍に熱湯を浴びせ掛けてくるってこたあ、それなりの覚悟が出来てんでしょうねえ!」
カカシは蛇口の温度調節部分を青色の端まで回して、イルカの上から冷水の滝を降らせる。
「ギャア、冷てえ! やめろ馬鹿上忍! 人が気持ち良くあったまってんのに!」
イルカはすぐにシャワーの栓をキュっと止める。

彼に言わせればろくすっぽ身体を洗わずに、カカシがザブンと浴槽に浸かる頃にはイルカはその中でぐったりしている。
「おや、今日は浸かるんですか……。」
「この湯加減なら入ってやらんこともない。」
「……あー……、もうー……。」
「やれやれだあよ。」
「こっちの科白ですよ。」
そういうイルカの窮屈に折り畳まれた膝小僧に、丸い痣が出来ているのをカカシが見付けた。
「ん、ここどうしたの。」
「ああ、これ。さあ、何だか痛いとは思っていたんですがね。気付いたらできていました。」
そこを、何の躊躇いもなくカカシがチョイと押す。
「だ! って、コラ! なに触ってんだ、痛いだろうが!」
イルカがそう言うと、カカシは満足そうに薄い唇の端を吊り上げた。
「どれ、ちょっと診てやろう。」
「さ、触るんじゃない!」
イルカは手の平で己の膝をペタリと塞ぐ。「もう、カカシさん、早く上がったらどうですか。」
「なんなのその言い方、ほんっと可愛くないねえ。折角俺が一緒に入ってやってんのに。」
「頼んでないです。ええ、一度たりとも一緒に入って欲しいと望んだことはありません、狭いです。熱いです、疲れます、迷惑です。」
「ああ、ハイハイ、……後で覚えてろよ。言われなくても上がりますよーだ。いつまでもこんなところでボヤボヤしていられるか、イルカじゃあるまいし。っぺっぺ。」
こうして、まるで台風のようにイルカの風呂の時間を襲撃したカカシは、また嵐が去るようにザっと風呂から上がってゆくのである。

漸く静かになり平穏を取り戻した風呂場で、湯船の縁に後頭部を置き広くなった湯の中で関節を伸ばしてだらしなく不格好に浮きながら、イルカは天井の換気扇を遠い目で眺めた。
「なんか、すごい……悪党が吐くような台詞がボソリと聞こえた気がしたが……、気のせいだと思いたい……。」

そんな二人が、一つ屋根の下で日々を暮らしているのであった。










終.
(2011.08)