1.
今、俺は大いに腹が減っている。あと十分で夕方の四時になる。
本日は、学校の時間割自体が一週間のうちで一番早く終わる水曜日だ。自分の担当している分も、さっき終わった。
俺が教師として配属されている忍者学校は、公的機関とはいえ所謂定時というものが有る訳ではなく自分が受け持つコマの時間に現場に居てやるべきことを行ってさえいれば、後は毎朝何時に来ようが何日徹夜で残業しようが、其は各人の裁量に委ねるという方式で運営されている。教職に専従する忍は問題が起こった際に最終的な責任を請け負う校長や教頭といった上の役職の者くらいで、大抵は教育の他にも任務に出たり、里内で事務方の用務に追われていたりするのだ。それでも生徒が帰ってから陽が沈むまで職員室に留まって、明日の忍を養成する授業に備えた作業や研究をしている教師は多い。
自分も普段はよくそうして居残っているのだがその時間帯は規定された枠外での活動なのだし、空腹を我慢して留まっている必要はないのだから今日はもう帰ることにして、お先にと周りに声を掛け飲食店街へ向かった。何とも中途半端な時間に、俺の胃袋は昼飯を食いっ逸れて空っぽだ。ランチタイムとディナータイムの狭間にあたるこのティータイムに果たして何で満腹になればよいだろう。
「第二幕 第三場 木ノ葉隠れの里。忍者学校からの帰り道。
忍者学校教師イルカ、愛用の白い布鞄を肩に掛けて登場。
イルカ そうだ……今が何タイムであろうと、そんな洒落たものは御前には関係無い、おお、拉麺! 正しく拉麺の為に空いた此の胃、今はそう信じられる。縦令我が右手が惣菜を買って帰ろうとも、其らを袋から出したり蓋を開けたりするのすら面倒臭いのだ! そんな時に打って付けなのは――拉麺! そう、拉麺だ。〔イルカ、拳を握りしめ振仰ぐ〕
塩拉麺好きの内なるイルカBとスタミナ拉麺定食好きの内なるイルカC登場。
イルカB 異存はありませんね?
イルカC そうだ、その通りだ!
イルカ おお、我が身の渇望する声が聞こえる! 聞こえるぞ、私の全身が、今、拉麺を求めている!
イルカB 〔耳を澄まして〕何ですって? 味?
イルカC 君は、そんなことを今から考えているのか。何味にすべきか、答えは注文を口にするその瞬間まで、誰にも分かりはせぬ。
イルカB 数量限定味噌なのか定番豚骨なのか……私は何を口走るのか、〔イルカに向かって〕其はその瞬間の、この唇のみが知っている事なのです。」
一楽に行く道すがら思わず壮大な拉麺戯曲が誕生しそうな高揚の感に身を包まれていると、ぼやぼや歩く忍の後ろ姿を前方に見付けた。逆立ち傷み切った銀髪に丸い背中、両手ともポケットに突っ込むあの癖はカカシ先生で間違いない。
カカシ先生は、この春に俺の手を離れた生徒三人を、この春から部下として引き受け忍者学校生徒改め下忍となった彼等を率いて下さっている上忍師だ。
二週間計り前、俺と彼は話をする時間を設けてそこで初めてと云うか漸くと云うかまともに口を利き、これからは本格的且つ積極的に交流を図っていこうという方向性で合意していた。
実は俺達は、何年か前から面識が有るには有ったのだ。しかし是迄の二人は、片や御前とは一切関わり合いたくないという態度で赤の他人の振り、片や相手に合わせて無視という形でお互いに相手を避け続けていた。その原因を作ったのは俺だ。
泥酔した一介の中忍を、通りすがりの上忍が介抱した。カカシ先生の宅の布団で目覚めた俺からは記憶がすっぽりと抜け落ちていたのだが、その間に酔っ払いが何の縁故もない人様に散々掛けたであろう迷惑の中身など大方想像が付く。
爾来、氷河期のような気まずい空気が、彼曰く二年と九ヵ月続いた。
あの起きながらにして半分寝ている様なカカシ先生がその時はいやにはきはきと主張していたから、吾の方でも珍しい様子と一緒に具体的な数字を何だか斯うして頭の中に残してしまった。何はともあれそんな風にちゃんと正面から向き合ってみたことで先日、歯の間に挟まって取れないモヤシに似た引っ掛かりが双方の勘違いの結果であることが分かったのだ。
俺はその場で誤解を解いて己の非礼を詫びた。彼方の方でも気にしていないと流してくれた。そうして、俺とカカシ先生の繋がりは確立したのだった。
さて、下らない事ならぽこぽこと思い付くこの脳味噌は、創作途中の拉麺戯曲を丸めて屑籠に放ると今度は、ドッキリ大作戦〜カカシ先生と仲良し小好しになるの巻〜を閃いた。
思い立ったが吉日を地で行く俺は、右左、右左と踏み出すのも一々大儀だと云わんばかりの進み方をする彼との距離をサササと詰めてゆく。そして身を屈めて、勢い良く背後から懐へぐるりと回り込んで、見上げる体勢で腹から声を出した。
「わ!」
ズザッと土を擦る音がするのと同時に、俺の登場した左側に早くも防御の形が作られる。
「?!」
神速で間を取った相手の右目が見開かれるのを、やけにスロウモーションで見た。
「カ、」
「イルカ――せんせい?」
「……そうです。」
(俺がイルカ先生です。)
イルカ先生である俺は、完全に挨拶の仕方を間違えた。
今後は絶対にカカシ先生に巫山戯た悪戯を仕掛けたりしない、いいか、絶対に、だ。差し当たりそんな気持ちで胸を一杯にした。予想の斜め上をゆく反応を蒙った此方の心臓にも悪い。
「あの、済みません。驚かす積りは……あったんですけど、」
「……。」
「まさか襲撃として認識されるとは思ってもいなくって。」
里の中だということで油断をしていた分、奇襲と察知したのであればその驚きも一入だったろう。否、里の中でくらい張り詰めた緊張感は解除していたいものだ、警戒を解いていて当たり前の此の場合に油断という言葉は相応しくない。ともあれ働き者のささやかな心の安寧を乱して申し訳ないことをした。
「その、なんだか済みません。こんにちは、はは……。」
「はあ、今日は。」
腕を下ろして、低くした重心をすっくと戻したカカシ先生はくたっと折れるように頭を下げる。
里の為に稼働している時には皆の憧れの的になるのも納得の空気を周囲にぴんと張っているのに、へなへななお辞儀をする今の彼からはとても凄腕の忍という感じがしない。例えば萎びた野菜とか、雨でずぶ濡れになった紙片みたいだ。悪口ではない。俺は彼の、何とも言えないこの脱力感の領域内に入るのが案外好きなのだ。
(防御姿勢に入られた時の素早さと、一瞬の眼光の鋭さは流石だったけどな。)
(ていうか、恐かったけどな。)
「吃驚して仕舞って済みません。嬉しいです。」
「嬉しい、ですか。俺はてっきり眉を顰められるかと。」
「何でさ。あ、同じ系統のものに後ろから両目を塞いで『だあれだ』と聞くやつがあるよねえ。」
薄雲で白っぽい空を仰ぎ見、友人知人に「だあれだ」とやる自分を想像してみたところ、俺には「わ!」と「だあれだ」は何だか違う系統に属する二つに思われた。
「アー……。」
「まさか自分がされるなんて思いも寄らず、不測の事態に驚いた……イヤ突然でないと意味が無いんだろうけれど。ま、無縁だと思っていたシチュエイションの一つなので、それを体感出来て嬉しかったあよ。」
選りに選って里内屈指の上忍に対し、無謀にも本気で気配を絶って背後から忍び寄り「わ!」と挨拶する輩のそうそういないことは想像に易い。そんな事は少し考えれば分かる事だった。
(俺ってば、うっかりさん。)
但し、そもそもいい歳をした大人が大の男を相手に決行することではないという切り口の観点には立たない、俺が俺である限り。
「今度は俺の方からイルカ先生の不意を突いてみましょうかね。」
「いや、逆は寿命の縮む匂いがするので遠慮します。」
「でも、御返しはしないとねえ。」
「仕返しというんです、それは。謝ってるじゃないですか、根に持つ性質なんですか、カカシ先生って。」
「いいええー、御返しですよ。それよりアンタ、謝っていると言う割に太太しいですね。第一、根に持つって失礼じゃないの。」
「そうなんです、俺、カカシ先生には基本的に失礼なんです。」
「知ってるよ。出逢った時からそうだもの。」
「あはは、御愁傷様。」
やれやれと言わんばかりに頭をガシガシ掻いてそっぽを向くカカシ先生は、稀に其がこの人の本質だと思われる凍て付く気を発していることがあるにはある、けれども世間的には寛容で大らかな人だと思う。大人気無い男に対してもこんな返答をくれるのだから。
俺は、此の人と居るのが嫌いではない。
此の人、カカシ先生は、どことなく寒そうな印象を与える人だ。彼のことを初めて目にした昔からずっと、何時見ても己にはそう思われる。任務受付所の階段ですれ違う時も、町の遠くに豆粒みたいな彼を見附けた時も、冬でも夏でもどんな時でも、誰と居ても一人でも、何となく寒そうにこの目には映るのだ。
姿勢の悪さと両手を隠す癖の所為であるのかもしれないが其が大きな原因では屹度なく、彼が生きてきた二十数年の道がその寒気を放っているのだろうと勝手に思っている。そして、絶望と孤独の縁を知っていそうな寒々しい達観の色調は深深と降る雪の中に突っ立って、灰色の空を無心で見上げてゐたくなる様に、悲しい美しさを帯びて俺の心に作用する。
2.
其はそうと、ここに一つの問題が在った。
「ところでですね、是丈しっかりと足を停めさせておいて言い辛いんですが、その……用は無いんです。」
特に何という用も無いのに背中を見付けたという理由のみで「わ!」の特攻は如何なものかと、我ながら重ねて思う。
(よく実行したな、数分前の自分。)
それでも、
「然うですか。」
カカシ先生はこう肯って笑ってくれた。目元の一箇所以外は隠されている為に本当のところは分からないが、多分笑ったと思っておこう。
俺は、此の人の型に嵌らない価値観が好きだ。
恐らくこの場面で、了承の一言で済まし緩い雰囲気を呉れる大人はカカシさんしか居ない。うかうかしていたら、そんな思い違いを起こしそうになる。
「それで、貴方はこんな時間に町で何を。学校は如何したの。」
「今日は早く終わる日なんですよ、水曜日ですから。生徒達が放課後なら、俺ももう放課後という訳です。腹ぺこなので、これから拉麺をぶち込んでやる意気込みでおります。」
「どこに。」
「そりゃ、胃に。」
「拉麺を食べに行くんですか。」
「ええ。」
「一人で?」
「はい。」
「これから?」
「その積りです。」
「其は、三十分、いや二十分後では駄目かな。」
「ううん、そうですねえ。」
「俺も行きたいです。」
「え、だったら何分後にしたって良いですが……。」
「そんなら二十分後に……何処に行けば良いかな。」
「まあ何処でも可いですけど、じゃ、この辺に俺が居ることにします、二十分後に。」
「成る丈早く済ませて来るよ。」
そう頷くが早いか飛切りの上忍は、やる気の無い猫背の衣を脱ぎ去るかの如き瞬発力で以て里の中枢部へと駆け出した。疾駆の形が徒に優秀だ。本当に行く気ですかと念を押す隙も無かった。
俺は、突然の拉麺の誘惑に乗ったことで本来抱えていた用事が疎かに処理されなければ良いがと思い乍ら彼の影が離れた角に消えるのを見ていた。
(カカシ先生も、そんなに拉麺が好きなのかな。)
それとも。
俺の事が――彼の言葉を借りて言うならば――気になるのか。
3.
「らっしゃい! あれ、先生かい。」
「今日は。変な時間に来たでしょう。」
「いやあ、それもあるけど……。」
慣れた挙動で席に着く常連客ではなく、俺の左隣の椅子をガガガと引いている一見さんを大将は見ている。
「先生が、誰か大人を連れて暖簾を潜ったのは初めてのこったから意外でね。」
「止して下さい、そんな悲しい独身男の生活を暴露するのは。それに、俺にだってね、友達の一人や二人……ああ、この人は違うよ。友達じゃなくて……同業、同業っても上……アー……マア、先生です。あと、凄い忍者。」
「誰が先生に友達がいないなんて言ったんだい、逆だよ、逆! 何時聞いても取っ替え引っ替え、忙しい人だってんでい。」
「ほう。」
其迄黙っていたくせにカカシ先生が妙な所で相槌なんぞ打つものだから、一楽の親父は調子付いて仕舞った。
「何時までもふわふわしてるってえのかなあ。」
「一寸、大将。」
「なかなか興味深いね。」
「カカシさん。」
「例えばよ、先生と、景気は如何だいなんて話しているとこんな具合なんでさあ。前回これから『い』の町一丁目へ行くと言っていたと思っていたのが、さて次に来た時にはもう全然別な方角にある『ろ』の町近辺に詳しくなっている。暫く経ったら、さあ今日は『は』の町にある何たらで待ち合わせだとまた全く違う区画の方面に変わっちまっている、ね、旦那。それだのに、何処に住んでいる誰でもうちへは一人も連れて来てくれねえんだもんなあ。旦那が初めてですよ、うちへ来た。」
「大将、誤解を招く様な事をべらべらと喋らないで呉れよ。それじゃいかにも俺が持て持てらしく聞こえるじゃねえか。」
「好いと思いますよ、人脈作り。」
手元の献立表から目を離さずにそう答えるカカシ先生が、俺には何だか臍を曲げたように映る。大将は、その俺に向けた人差し指を振り振り厨房から、頬杖を突く客に尚も商売人の気さくさで話し続ける。
「斯ういう持てない、持てないって言ってる御仁程、裏じゃどうだか知れねえんですぜ。」
「左様かもしれない。」
顔を上げてカウンタアの向こうへ朗らかな声を出す、カカシ先生のこの柔和さに、俺は作られた社交性を感じた。
「得てして、やれ色男だの高嶺の花だのと言われている人物程、本当は好きな人の手を握った経験さえ一度も無かったりしてねえ。」
「そうそう! まるであべこべでさあ。」
「ええい、盛り上がらんでいい! 決まったら呼びますから、彼方に行ってて下さいよ。」
「何でえ、好い人を家へ連れて来た時の娘の様な口振りをして。」
「おや、アヤメさんにも遂に彼氏が出来ちまったんですか。」
「まさか!」
あいつは小さい頃から父ちゃん父ちゃんって、と愛娘自慢を語り始めた大将の大きな独り言をウンウンと聞き流して俺は注文を決めた。
一楽の親父には両親を亡くした十三の歳から随分と世話になっているから、この店との付き合いはもう十年以上になる。
独りになって間もない年の大晦日の晩、一楽の一家から一緒に年越しをしようと誘われたことがある。徹夜で麻雀だと言って皆で打つうちにうとうとし、其の儘座敷に転がり仮眠して起きた翌日の元旦には、おばちゃんが俺の分の餅も焼いて出してくれた。花札で遊んだり坊主捲りをしたりして其を食った。大人は酒を飲み、子どもは親父特製の焼豚も食って賑やかに過ごした。俺には、思い出深い正月だ。
そう思うのは自分が成長したからだろう。当時の胸中は、感覚が麻痺していたこともあって感謝よりも空転の楽しさでほぼ占められていた。
店が定休日だった或る時には、親父と二人して日帰りで温泉に行ったこともある。あの頃の俺は未だ下忍で、今より自由に時間を使えていたから可能だった物見遊山の一つだ。暇が有る代わりといっては何だが、持っている金は今よりずっと少なくて無いに等しい日の方が多い位だった。なのに、じり貧状態の頃にも親父は皿洗いで返せと言って拉麺を食わせてくれていた。そうして調理の基本が少しずつ身に付いていった俺は、お蔭で独りでも自炊をして生活していけるようになったのだ。
仮に忍が途中で降りられる稼業だとして、どこかの分岐点で他の選択をして今とは違う人生を送っていたなら俺は、一楽の暖簾分けを目指して前掛けを締めていたと思う。
大将は、自分にとっては行き付けの飯屋の店長どころか、二人目の父親みたいな存在だ。一楽を二つ目の実家だと俺が言うのを聞いたとしても、この家の人達なら誰もがそうだと答えて呉れると思える信頼感がある。うちにゃ娘しかいねえもんだから、息子が出来たみたいでこういう出会いも楽しいもんだと何気なく話してくれた親父の言葉を未だに覚えている俺は、此の店には一生頭が上がらないのだ。
一丁前の教師になってからは、大将は俺のことを先生と呼んで、馴染み客と店主、大人同士という付き合い方に切り替えた。それでも矢っ張り、俺の方では、今日など例えば親に彼女を目撃されたらこんな感じかしらという類の変にそわそわした心持ちになっていたりする。
そんな父親同然の大将から、出来上がる拉麺を順々に受け取り其々の前へ下ろす動作の中で、余計な事は喋らなくていいから奥へ引っ込んでいて呉れよと目で訴えると、
「ごゆっくり。」
とにやにやされた。
(気持ちわりぃな、この世界は客が回転して何ぼだの邪魔だから食い終わったんならとっとと帰れだのと五月蠅いお決まりの文句と真逆じゃねえか。)
「頂きます!」
割り箸を割る。麺を二、三口啜ったところで、俺は隣に違和感を覚えた。
箸を丼鉢に突っ込み麺を掬ってズズズと啜る、揃う筈のその動きが隣と揃わず、目の端に留まった腕はせっせと何かに勤しんでいるのだった。
「ああ、カカシ先生!」
横を向くとどうだ、彼が餃子のタレを入れる小皿にせっせとメンマを取り除いているではないか。
「何という事を、勿体ねえ! 嫌いなんですか。それなら注文の段階でメンマ抜きって伝えなきゃ。言いそびれて入ってきたのなら、覚悟して食べなきゃ。」
「へえ、そんな我が儘が通るのか。それは、知りませんでした。」
「勿体無い! 今日のところは俺が食いますから、此方に放り込んで下さい。」
「え?」
「そいつ等を全部、此方の器にぶっ込んで下さい、カカシ先生の代わりに俺が食べて上げますから。美味いのに、拉麺からメンマを抜くなんてどういう神経してるんです。」
「ご、御免……なさい……?」
「如何致しまして。」
「有難う、俺のメンマを引き取ってくれて。」
(「俺のメンマ」!)
カカシ先生の選ぶ言葉は偶に、俺の極個人的な笑いの壺にどんぴしゃに嵌る。
(「俺のメンマを引き取る」! あは、ははは! カカシ先生ってば面白いんだから!)
「はは、どうって事無いですよ、俺はメンマが好きですから。では、カカシ先生には代わりに焼豚を一枚上げますね。」
「ん?」
「ハイ交換、と。」
「イルカ先生は、焼豚が嫌いなの。」
「いいえ、好きですけど、マア交換です。煮卵は譲れない気分なんです、今日は。一個しかねえし。だから焼豚です、カカシ先生に選択権のないことを御了承下さい、サァ頂きますよ!」
「ハア、頂きます。」
そこで、箸を動かすのではなく先ず口元に手を遣る相手の仕草を目にして初めて俺はある点に考えが至った。つまり、覆面の人間にとって拉麺は果たして食べ易い料理なのか、食べ難い料理なのか。
「カカシ先生、食べられますか。」
「問題なーいよ。」
(ぬ、男前。)
マスクを下ろした横顔を見て、良い武器を持っているなと思った。
「イルカ先生が常連の店なら、俺は此処ではゆっくり食べたい。」
「う、ン? そーでうか? はふ、ズズズ。んめえ。」
今日も拉麺が美味い。
個別に勘定を済ませて店の外へ出てから、どうでした一楽の味はと聞いたら、可もなく不可もなくという感想を返されたのだが、彼はそれからこう続けた。
「けど、イルカ先生の好物なんでしょう。」
「はい。一生飽きないという自信がありますね。」
「それを食べられて良かったです。」
この日、俺は、自分がカカシ先生に好かれていることを実感した。
終. |