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置いては往かない。

泉視点 浜←泉 『Guilty or not guilty.』の泉side [中学]起点

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1.

枯れた木の葉がカラカラと舗装道路に舞う秋の夕だった。この日は一か月のうち稀な部活のない金曜日で、先程の分かれ道で学友と手を振り一人になったばかりの俺は、久しぶりにその人を見た。
「浜田先輩。」
三年生が部活を引退してしまったことはとりわけ大きな原因で、少し前を往く浜田先輩とは通学路が被っているにも関わらず、最近めっきり会わなくなっていたのだ。
まず登下校の時刻が合わなくなったし、学年の一つ違う俺たちが普段広い校内で擦れ違う偶然もそうはない。部活という機会が削られたことは明らかに二人の関係性を疎くした。それを俺は、寂しい気持ちで受け入れている日々だった。
「ヨー、いずみぃ。」
「ちわス!」
振り返り歩を停めてくれているそこまで、小走りに駆け寄って行く。
「あー、今日は『部活なしデー』か。」
「はい。」
部を引退してからも今のように顔を合わせさえすれば決まって大らかな明るさで応じてくれる、俺はもう大分と前からこの男のことが好きだった。

「会うの、久しぶりですね。」
平静さに気を割きながら横に付く。先方の大股な歩幅が、なんとも恨めしく思われる。
「そうだなー。意図的に場面でも設けなきゃ、顔も見ないで過ぎちゃうよな。」
「やっぱ、……淋しいですよ、――」
こんなようにおかしくない流れを見付けては、本心を紛れ込ませるという冒険を今までに何度も冒している。ただし、すぐに他意はないという主張の上塗りによってその意味合いを散らしておくのもこの冒険に於ける鉄則だろう。「――三年の引退って。けど先輩たちは淋しいとか言ってる場合じゃなくて、受験勉強で忙しいですよね。」
先輩は笑う。
「周りはそうだなあ。俺はなんだか、プラプラしちゃってるよ。」
(この笑顔が、とても魅力的なのだ。)
ちょっと見上げるだけにして、そわそわする目は踏み出す自分の運動靴に固定した。


取り留めのない話をしながら、先輩が昨日洋楽アルバムを買ったことを知った俺は興味有り気な態度を取った。「貸してやろうか」と言うから「今から寄ってもいいですか」と聞いた。そしたら気さくに「いいよ」と答えてくれたので、俺の心は嬉しさで一つ跳ねた。
どちらの家も自身の行動圏内にあるお互いだから、必然的に同じ小学校を出て、同じ中学校に入った。相手の家の前を通り掛かることがしばしばあることも把握し合っている。けれども、幼馴染になるほどには近所でないのに加え、学年という分断現象によって、交遊の主たる輪が重なることはなく、それで、当然家に上がるなんていう経験とはこれまでずっと無縁でいた。
この日に初めて、俺はそんな、先輩の部屋という未知なる領域に足を踏み入れたのだった。





2.

「階段を上って左の奥だから、先に行って、見ていていいよ。ベッドの横に一塊であるから、すぐに分かると思う。」
了解して、一足先に教えられた部屋へ這入った途端、俺は立ち眩みを起して思わずその場に膝を付けてしまった。
(ああ、そうか。)
あまり長居は出来ないと思った。
(そういうことなのか。)
クラクラするような個人の匂いが、強烈に鼻腔に満ちる。慕う人の部屋に入るという行動を軽率に取ってはいけないことを俺は学んだ。
(不味い。)
たちまち脳天まで侵される。
麻痺しそうな思考回路の突き当たりに理性という名の糸が見えたが、初めて見出した己のそれは早くも切れ掛かっていて危うかった。
(とっとと探して、借りて帰ろう。先輩が戻ってきたらすぐに失礼しよう。)
媚薬の香りにほかならない空気に閉口しつつベッドサイドまでにじり寄ると、話の通りCDが一ヶ所に収められてあった。


人差し指をケースの上角に掛けて、無造作に数枚を取り出して見る。並ぶ不慣れな英語の表記は、どちらが歌手名でどちらがタイトル名なのかもよく分からない。何枚目かのケースに指を掛けて手前に引き出した、その拍子に、カタッと棚の奥で何かが落ちた。
低い造りの二段棚には脚がなく、音のした下段の奥は、床に顔を付けるように覗き込んでも暗くて見通しが利かない。手を突っ込むと、薄いプラスティックの類とは別な角ばった感触がした。箱だ。俺は、探り当てた小さな箱を引っ張り出した。ひょいと裏返してみると、一目瞭然で箱の正体を知れる図が載っていた。


俺の心臓は、チッと火花が散ったかと思うや否や炎上したように熱くなった。
手中の物自体がそうさせたのではない。これは兄の部屋で見たこともあれば、中の一個を連から切り離してこっそり拝借し、封を切ってそのゴムを直に触ってみたこともあった。それ自体に対する興味はもう、そんなふうに一通り消化してきている。主眼はそこではない。
今持つ箱の、外装フィルムが剥がされているという事実、それこそが、俺の気を過剰に昂ぶらせているのだった。

(勝手に見ちゃいけない。)
そう思いつつも、ある一点のみがどうにも気に掛かって仕方ない。すなわち、箱の状態とそこから読み取られる、これが既に使われているという事柄との整合性だ。
俺は誘惑に打ち勝てずに、そっと箱を開いてしまった。
そうして、一連の端の一つが雑に封切られて空になっている現実を目の当たりにした。





3.

突然ガチャリとドアが開いた。
「泉、いま食いモンなんもねえわ。」
そう言って先輩が近付いてくる。元に戻す寸暇もなかった。
俺は咄嗟に体の後ろに箱を隠したが、見咎められずに済むはずもなく、容易に自分の過ちを知られてしまった。
「ス、スイマセン! 別に、見るつもりはなく、なかっ、ち、違……くて。あ、だって……いや、」
浮かぶ言葉はどれも言い訳にしか繋がらない。
人の物を断わりなしに広げてしまったのだ。幻滅されたか、腹を立てられたかもしれないと思うと、怖くて顔を上げることが出来なかった。

持ち主は不問に付すつもりか、ああごめん、忘れてたと、存外平気な口振りで言ってのけてから堂々と俺の間近に胡坐をかいた。そうして再び、一向意に介さないといったふうに喋り掛けてくる。が、冷静でない頭の俺は普通に会話がこなせない。とりあえず首だけ動かして相槌を打った。それから、秘かに、こちらに起こった変化に気付かれぬよう自然を装って相手側の片膝を立てた。
(鎮まれ! 精神を統一させろ! 無だ。無になるんだ!)
その矢先、好きで好きで仕方ないその人の腕がぬっと視界に入ってきた。不意打ちの接近にびっくりして反射的に仰け反った、俺の動きに伴って相手の声が苛立ちを帯び始めたことが分かった。
「それ、返して。」

「ス、スイマセン。」
「いや、だから怒ってねえよ。それは全然、ていうか逆にごめんって、だから。」
先輩に謝られる筋合いはない。悪いのは一方的に俺なのだ。それなのに気遣われていることが申し訳なかった。そしてこんな時に、
(こういうところがやっぱり好きだ。)
と思考がずれる自分自身に呆れてしまった。しかしそこで、
「それずっと持ってる気かよ。」
といよいよ険しくなった先輩の声にはっとする。俺は、今度こそ邪念よりも反省のほうに意識の焦点を合わせた。
この手にある物を返そう。

返したい。
(返したいのは山々だが、返せばやましい所業がばれてしまう。)
反省するといったそばから、この期に及んで臆病な気持ちがジワジワと湧いてくる。それでも、俺とてこんな物を後生大事に持っていたいわけではない。打つ手がないのに抗していたって、埒は明かないのだ。
(もう、すんなり不快感を浴びよう。)
俺は覚悟を決めて、隠していた事柄を示す証拠を提出した。


「開けて、見たの?」
失望されたって仕様がない。嫌われたって弁解の余地はない。開けて、見たというのが事実なのだから。
数分前の、興味に打ち勝てなかった自身の行為を、俺は激しく後悔した。





4.

浅ましい自分の行動に泣きたくなった。
「興味あったから? これに。」
と、問い掛けてくる先輩の声がいつものよく知る調子から変質した、そんな気がした。
(アンタにあんだよ、俺の興味は。)

「初めて見たから?」
(その程度の興味で、他人の物に手なんか付けるか。)

「使ってみる?」

(え?)

思わず顔を向けたら、目が合った。
先輩の発している空気がどこかおかしい。
底からくるような光を涼やかな両の眼が放つ。挑発的に上がる口角が素敵にエロチィックだった。

どうやら怒ってはいないらしい。失望も、幻滅もされていないようだ。俺は嫌われて、いないらしい。
それどころか、少しずつ、先輩が近くになる。ジリジリと、距離が詰まる。息の掛かる間合いにきた。まるで、俺が狙われているような。
(そうならいいのに。)
そうであるなら早く来い。こっちの水は甘いぞと、蛍を誘う童歌が頭の遠くで唄われた。
呼吸を抑えて。凝っとして。彼の捕食を促した。
事態は急転直下で予期していなかった展開を迎えたが、これをみすみす逃すほど、俺は純粋な後輩ではない。俺だってこの人を、獲物を罠に掛けるように狙っているのだ。

フワリと柔らかい唇が当たった。その時この胸にあったことは、
(俺はアンタの、範囲内なのか、外なのか?)
ただ、それだけだった。


「逃げなくていいの?」
と聞かれた。戯れの感もしたが、遊ばれていようがいまいがこちらの答えは決まっている。

千載一遇のこの好機に、逃げる莫迦が何処にいる。

(むしろ続けてくれるのかとこちらが聞きたいくらいです。)
頬に、優しく触れられた。
「先輩」と口走ってしまったところで慌てて口を噤んだ。
(待て、待て。早まるな。)
本当に、千年待っても巡ってこないことが前提だった、それが崩れて今が在るのだ。どんな出来心だか知らないが兎にも角にも乗り気になった、相手のその気が殺がれてしまう可能性は、極力潰さなくてはならない。後の人生にこんな状況は二度と訪れないのだろうから、なんとしてでも今此処で相手の興を醒めさせてはならないと、画策に似た思いを炸裂させた。
もしも他の誰かを重ねて俺を映しているなら、迂闊に声など出さないほうがいい。やっぱり男は駄目だと思われる可能性も、黙ることで幾らかでも減るのならそうすべきだろう。黙って受け入れる。拒絶を連想させるそぶりは一切しない。だから、どうか、全身で合意していることを感取してほしい。
俺は行為が中断しないことをひたすら祈った。





5.

思っていた通り、あの一件があったからといって二人の間は密にはならず、それどころか俺はなんとなく敬遠されているようだった。さりとて元々叶わない片想いなのだから、表面的な事態の悪転は、実際にはさしたる問題にもならなかったりする。

俺は、先輩が好き。
だから棚から牡丹餅の好機はありがたく戴いた。
あとはまた以前と変わらない、気が遠くなるほど永く続く片想いの日々になる。それだけのことだ。そのなかで、たまにはこの思い出に嬲られるように泣いて、心の支えとそれでも縋って、慰撫されてまた糧として大事に仕舞い込んだりする。
(それくらいは、いいでしょう?)

俺は、貴方が好き。
だから、追いかけるように同じ高校に進学した。
卒業生のうちの何人かは西浦を選んでいたし、受験して合格したのだからどこに通おうが俺の勝手で通る話だ。たまたま中学時代から敬愛している先輩が一つ上に在籍していたって、おかしくはない。


アンタが留年さえしていなければ、自分のこの選択が迷惑になったかと危惧することもなかっただろう。
そんな俺の心配を、元センパイとなった先輩、貴方が優しく否定してくれたのは、また別の御話ですね。










終.
そんな別の御話は、「貴方が好きだと叫びたかった・後」です。
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