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置いては往かない。

浜←泉 泉家 泉兄妄想注意

,you are older than me



1.

九月の、ある木曜日。午後の短い学活を終えた教室は一気に雑然とする。そうした放課後の空気に紛れて、元後輩が、中学時代には先輩であった現級友の席に立ち寄った。
「浜駄ァー。」
「なんだい、泉クン。」
泉の部活仲間でもある同じ組の田島と三橋はその傍を「お先〜!」と、二人して急ぎ足で抜けてゆく。そして三人が属する野球部の応援団を創設し、団長を張っているのが四人目の浜田だった。ゆえに、単なる級友以上に緊密な仲にある彼らのあいだで「じゃあな」「バイバイ」「後でね」「おう」という挨拶が慌ただしく交差した。
簡潔な一言が飛び交ってから二人に戻ると、長身の金髪は小柄な黒髪に向き直った。
「お前さ、アクセントがちょいちょいおかしい時があるよね。ダを吐き捨てるように発音するけど、脳内にはちゃんと正しい漢字が浮かんでいるのかな?」
「土曜日さあ、暇?」
「ああオッケイ、受け流すスタイル、ドンマイ俺。」
何をブツブツ言っているのだという表情を作って泉は別段悪びれもせずに返事を待った。
そうした可愛げのなさをいつものことだとする年上の男は特に気にする様子もなく、聞きたがっている答えを相手に与えた。
「今週は確か、午前中に予定がある。」
「昼飯は?」
「さあ。家……いや、帰り道で食って帰ってるかもな。」
どうして、と聞き返すより早くに泉の口が再び開いた。
「じゃあ、オムライス作ってくれよ。」
それはつまり、土曜日の昼に彼が浜田の宅を訪問することを示している。

「うーん、作るのはいいけど、時間がなあ。向こう任せでいるから、きっちり把握してなくて。終わりがずれ込むかもしれないんだ。どうせ午後から何もないと思ってたもんだから。」
「バイト?」
「あー、うん、まあ……そうね、たいしたアレじゃないんだけど……ハハ。」
「……、用事が済んだら電話くれよ。材料を持って行くから。」
「遅くなるかも……、」
「今聞いた。」
浜田は困ったように少し笑い、それであっさり了承した。
「分かったよ。じゃあ、終わったら電話すっから。おばさんによろしくな。」
ここでなぜ泉の母が出てくるのかといえば、この男の手料理を食べるのに際し、泉は必ずその分の食材を持参するからだった。早くから自活の道を選択した若人の境遇を遠巻きに見守る母親が、そうさせている。
そして、親元を離れて暮らす男は、外より教わらずとも正確に、そうした背景を己の内でしっかりと飲み込んでいた。不甲斐ないと見下げられてもよさそうなのにいまだに懐いてくる元後輩が、頼みもしない食品を毎回きちんと揃えて持ってくる。自分の受け取るそれを誰が用意しているのか、もっと細かく言えば、その配慮の発想から実際的な手配までをこなし、身を切っているのは誰であるかということをちゃんと解っているのだった。
「おう」と言付かったほうは、そこまで思いを至らせてはいない。大人びた口上くらいになんとなく聞いている。
とにかく、部員数がぎりぎりである野球部の練習にたまに助っ人として入ることのある浜田がこの日はグラウンドに現れなかったので、彼らはここで別れてしまった。



部活を終えて帰宅した泉は、さっそく保護者に食材の必要を申し出た。
「お袋、今週の土曜日さ、オムライスの材料二人分、用意してくれねえ?」
「団長んち?」
「うん。」
息子が中学を卒業するまでは子に倣って「ハマダセンパイ」と言っていたが、息子が高校へ上がったこの春から彼女は浜田のことを「団長」と呼ぶように変わった。
片や学校の場面では呼び捨てに改めていた息子は、家族を前にしてのみ旧来の言い方を続けていた。
「つっても先輩は昼までバイト……あ、そうだ。兄貴には言わないでよ。」
「分かってるよ。」
あのブラコン、と溜め息交じりに長男を指してそう洩らすと、明後日ね、と確認して母は風呂場のほうへ出て行った。上の子と浜田の折り合いの悪いことをなんとなく察していた彼女は、何はともあれ、今でこそ兄貴風を吹かすようになったが、たとえ表面的な言動がそうでも根は弟思いの長子だと理解している。
台所に残った泉家の次男坊は飲み干していた空のコップに麦茶を注ぎ足しながら心の中で返事した。
(あんな奴、ブラコンでも何でもねえ。俺が絡んでいようがいまいが、アイツは単に浜田先輩が気に食わねえってだけなんだよ。)

彼は何も知らなかった。
彼と浜田がそれぞれ中学の二年と三年だった頃、兄のほうは、「あの泉さんの――」という形で弟に先方への恐縮を強いつつ下の学年に名前を残して卒業していた。その当時、すでに兄は「俺の可愛い弟を変な道に誘うな」と呼び出した浜田に釘を刺していたのだ。
そうした兄の圧力を、弟はどちらからも全く聞かされていない。だから、浜田にしてみれば自分の兄は逆らうなんてとんでもない、怖い上の代の人だから敬遠するし、反対に、兄から見たら浜田は年下のくせに目立って生意気だから疎ましいのかも、などと揣摩することはあっても、そんな直接的な接点については思いも寄らなかった。





2.

金曜日を越えて、土曜日がきた。
泉は居間に敷かれたラグの上に寝転がり、テレビの前でゴロゴロしている。大きなクッションをポンポンと投げては受け止め、グニャリと折り曲げては抱き付き、時たま携帯を手に取って、置いて、そうして内心うっすら募ってゆく不安を散らしていた。家族からは昼飯を食ってしまえと再三勧められた。けれどもそれをそのつど断わって、電話が鳴るのを待っていた。

十四時を過ぎても携帯は鳴らない。
そうこうするうち、どこかへ出掛けると思しき長男が玄関へ立った。そこまではよかったのだが、横を通るついでに次男を見下ろし、
「すっぽかされたんだよ」と決め付けた口振りで構うものだから、兄弟は口論になってしまった。
「今日は元からそういう予定なんだよ!」
先からの空腹やら、人に言われるまでもなく感じていた自身の存在の軽さにまつわる心細さやらで、次男の態度は見る間に硬化した。
この時点で相手が誰かといった興味は皆無だったが、その正体を知ろうが知るまいが、いずれにしろ長男は元来挑発的な喋り方をする。
「ハ? 放置プレイ?」
ちょっかいをかけられたほうは、この兄に普段から悪し様に言われている人物が待ち人であるという真実や、今日の待機どころかもっと大きく、自分の片想いをまるごと揶揄されているように感じた真理が相俟って思わず激昂した。
「うるっせえんだよ、兄貴に関係ねえだろ!」
「アァ?! 誰に待ち惚け食わされてんだよ、一体。」
「いいから、どっか行くんならとっとと出掛けろよ、クソ兄貴!」
「主導権一つ握れねえなんて、ダッセェの!」
その時、
「それ以上騒ぐなら外でやりな!……ったく」とそれまで台所の椅子を引いて換気扇の下で一服し、居間での諍いをうるさそうに視界に入れていた母親の一喝が入った。そのピシャッとした制止の声に、居間と廊下を半々に跨いでいた兄は口を結んでぐっと片端に力を入れた。それで、「オメーほど暇してねえわ」と寝そべる弟に嫌味を投げるとさっさとその場を後にした。続けざま玄関扉がガチャリ、バタンと荒々しく鳴って家の中は静かに返った。


やがて時計の針が十四時半を回り、ようやく着信があった。
「行ってくる。」
鶏肉と玉葱、マッシュルーム、ほうれん草にケチャップを詰めたレジ袋を手渡しながら、
「どうせならもっといろんな食材を使う料理をお願いしなよ」と母が言った。注文の品と合わせて彼女はいつも、旬の果物や使い道の多い野菜を相手が兼ねしない程度に入れている。
「え? ……例えば?」
「それは自分の頭で考えな。……八宝菜とか?」
「はあ。……んじゃ、焼きそばは?」
「まあ、そういうやつよ。」
「ふうん」と返す息子のほうは意図を汲み取り損ねているようだったが、こうした大人の厚意を突っ撥ねないで素直に享受していると伝え聞く浜田の様子が泉の母には、まだ餓鬼のくせにといじらしさを増して映るのだった。
「団長によろしく。迷惑掛けんじゃないよ。」
「はいはい、先輩もよろしくっつってたよ。んじゃ。」
「行ってらっしゃい。」

勾配のついた車道の両脇に粗い仕事でコンクリートの階段が造られていて、そこを歩くと坂の上に出る。完成した当初はそれなりに使われていたのだろうが、いつの頃からか町の人間に忘れられていった――濃いシミで汚れてところどころ明るく老朽したコンクリートの灰色が、そういう哀切を漂わせていた。自由に茂った夏草が青々として、人工物に特有の直線を片側から半分も飲み込んでいる。現代においてこの階段を上ったり下りたりしている人間は地球上で自分一人ではなかろうかと思いながら泉はガサリと袋を揺らし、中身を覗いた。今回は梨が二つ入っていた。
そうして自転車に乗らないと二、三十分掛かってしまう道のりを、彼は今日も徒歩で行く。理由はよく分からないものの、彼が歩いて来たと話した日には、帰り道、好きな人が「見送る」と言って途中まで一緒に隣を歩いてくれるから。










終.
とりあえず今回はここまで。
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