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置いては往かない。

水谷視点 水→栄 蜘蛛の糸

レクイエム・ニ短調、三、セクエンツィア〜ディエス・イレ



廊下から入ってくる人の動きに釣られてドアのほうを見てみたら、栄口だった。
あの子の目指す先にあるのは花井の席で、そこに花井本人と、阿部もいる。主将と、副主将が二人揃った。きっとキャプテン会議だろう。俺には関係ない。
(どーしてお空はこんなに青いのかな?)
焦点を緩めたまんま、その突き抜ける青さを見るともなしに眺めていた。眺めていた、はずの視線は、次第にユルユルと落ちてきて自分の机の上を滑り、気が付くと四列向こう、前方の、栄口に終着している。

そのことを自覚すると強引に、けれど、表面的には誰にも見つからないさりげなさでそっと、いつまでも捉えていたがる視線を彼から引っぺがして窓の外に戻してやる。本当は、ずっとぼんやり見ていたい。
同時に、この心の深淵は誰にも気付かれたくはない。だって、ずっと見ていたい、なんて、恐ろしいと思わないか。それは淡い恋心でも、慎ましい想いでもない。薄暗い独りよがりな執着だ。それの増幅の果てに待つ結末など目に見えている。
だから、ずっと見ていたいと思う自分に対して、強引に。
それでも、ずっと見ていたいと思う自分もなかなか強情のようですんなりとは引き下がってくれず、もいちどやっぱり四列先に視界が振れた。

――栄口と、目が合った。


(神さま、ごめんなさい。俺が欲に打ち勝てなかったばっかりに……それにしたって、目を合わさせるなんてそんな罰は、酷すぎると思います。)
こちらにぐんぐん近づいてくるその姿を見ていると、朝のグラウンドで見送った、フワフワと飛ぶ白い蝶々が脳裏に浮かんだ。それはナミアゲハでもヤマトシジミでもない、紋白蝶。
栄口は純粋で、心の模様がそのまま顔に出て、今だって俺が笑いかけるとすぐに素直な笑顔を返してくれる。ヘッドフォンを外して首にかけながら、きっと俺が糸を張ったら面白いように引っ掛かるんだろうなあ、なんて思ってしまう。

「なに聴いてるのー?」
「え〜、聴いてみる〜? ふふふ。」
俺は君の、人の領域に入ってくる瞬間の自然さが好きだ。
ヘッドフォンを少し遠慮がちに耳に当てて音を判断した、栄口の魅力的な眼がパカリと開かれた。心の模様がそのまま顔に出るくせに、こんな時にはスッと素早くそれを引っ込める。その手際がじつに鮮やかだ。小さく驚きをみせたその表情は次第に、こっそりと疑問符を浮かべたものへと変わる。それをすぐさま口に出してこないのは、彼の思考が凄まじい速さでクルクルと回っているせい。敬愛すべき思慮深さ。
「……あー、の……。」
言葉を選んでくれているんだ、俺のために。俺が――人が、傷付かないように。そんな君に、親愛を込めてお返事します。
「ヘコんだ時は爆音クラシック! 俺の見つけた密かなヒーリング方法だから、誰にも内緒だよ。」
「あ、うん。言わない言わない。」
「ふふ。」
「ふふふ……。」
二人だけの秘密ねなんて囁きはいかにも安直かと思うと笑いが洩れる。そして、それに対する栄口の八方美人的釣られ笑い。
「……。」
「……?」
人に同調するのがうまいんだろう。そこで、問題です。例えばそれを穴だと思う人がいて、例えばそこに付け入ろうと思う人がいて、そしたら君は、どうすんの。
「栄口は偉いね。」
「え?!」
「引いてても、あんまり動じないんだね。」
試してごめんね。

「ええ! 引いてない引いてない……や、そりゃ売れてる新曲か何かかと思ってたからビックリはしたけど、あくまでビックリしたんであって、」
「そか。」
優しい。
優しいなあ。人柄って、滲み出るんだな。
「あ、てか、何にヘコんでんのさー? 阿部?」
「ぶはっ! 『阿部?』って! 阿部がカワイソ。いや、ヘコんでるってのは冗談……つーか、ナシ!」
「ナシ?」
「いや〜、考えたらねえ、俺べつに全然ヘコんでなかったわ。ボーっとしたい時、に変えといて〜。」
ヘッドフォンを返してもらう流れで手に触れようかとも思ったけど、やめておいた。
「水谷って、よく分かんない……、……とかって、よく言われる?」
今、君に言われたよ。慌てて遠回しにしてさ、なんて。嗚呼、どこまでもこの子は素敵だ。
「掴みにくいって言われる。ふふ。」
「そっか。ふふふ。」
釣られ笑いは、控えめに。でなきゃ俺は――。


神さま、ますます欲づいてしまいます。










終.
青春迷路。
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