text_other05(援団)
置いては往かない。

浜+梅+梶 『古城と風』後の話 雰囲気

M42



1.

この日の朝に予鈴と一分一秒を争って駐めた原付を学校の裏手の草叢から引っ張り出してきた梶山はシートに跨り、運動部がグルグル走る「外周」を形成している下り坂を、駅に向かって出発した。通う高校の関係者が目を光らせる範囲から脱出する、そのことにさえ成功すれば、あとは彼が校則違反を犯しているかどうかなど誰にも分からない。それどころか、ここが私服制のために、敷地を出れば下校中か否かを見分けることすら困難のように思われる。とにかく、彼はさながら敵地から見事に忍び出たスパイのごとくほくそ笑みながら、下りきった道が本道と合流する赤信号で停止した。
(よーし。)
ほどなくして信号の色が青に切り換わる。
(さー、放課後だー、放課後最高ー。)
目指すは踏切向こうの本屋だ。交差点を直進し、爽快な気分で小道を左折した時だった。前方に、幅員ギリギリのぺちゃんこな形をした真っ赤なスポーツカーがブレーキランプをこちらに点して停まっているのを目撃、それと同時に、助手席のドアの側に立つボサボサ頭の男子も識別した。どうやら運転手と喋っているらしい。
梶山は煩わしげに「アァ」と歎息した。見て見ぬふりをしてその場を通り過ぎることはできない。なぜなら、一目瞭然の無警戒さで窓の高さに身を屈めているのは何を隠そう、気の置けない仲の高校生だったからだ。そのうえ、そいつの浮世離れっぷりを日々痛感している身としては、目前の現場でまさに起こりつつある事件を常識に収まらない類の珍事と推論するのも妥当な筋立てだった。

この近辺の町並みはとても古く、区画はおそらく戦前からずっと変わらない。細い道を挟んで木造の低い瓦屋根が軒を連ねている。いかにも高齢世帯が肩を寄せ合って余生を送っていそうな全体の色彩が、どことなく侘しい。それもあってか、通学路としては断然不人気だ。大方の生徒はもう一本向こうの旧商店街を好んで帰る。それで、平日の夕方に差し掛かる時間帯であっても、辺りに人の気配はなかった。
ただ、駅への道中に、元々は石で造られた浅い川が一本流れていたという場所がある。そして、時代が平成に入ってもその流れの一部分は、こじんまりした緑化公園の要素となって守り抜かれていた。風情漂う景観として今の世までせせらぎを枯らさずにいるその水で、昔は染物の作業をしていた、という説明の看板が、見落とされがちだが木の門に取り付けてある。
梶山は、たとえ廻り道になっても学校の行き帰りにそこを通りたい梅原の傾向を熟知していた。その一画の入り口付近に、町にまったく溶け込んでいない平べったい車は何かを待ち構えるように停まっていた。無害な金満家の可能性も無論あるが……。
「ウメ!」
わざと大声を張り、徐行で近付いていく。
(ハーイ、そいつを知る人間のお出ましでーす。おたく、善良な一般人? 地元の住民? さもなくば事案になる前にとっとと退散したほうがいいんじゃないですかー。)
こちらの意図を汲み取ったのか、呼ばれた男子がひょいと意識を原付に向けたとたんに不審な車はスーと発進して、梶山が友の位置に着いた頃にはもう角を曲がって見えなくなってしまっていた。
「カジィ、こんなところで何してんだ?」
「おー、今日これで来たし、本屋行こうと……て、違うだろオイ。オメーだよ、『何してんの』は。」
「俺? 俺は、道を教えてたの。さっきまでここに車いただろ?」
「ああ、アレお前の知り合いじゃなかったんだ(やっぱり)。」
「歩いてたらいきなり声掛けられた。『駅までの行き方を教えてくれ』って。」
梶山は両肘を付けるような格好でハンドルに凭れかかると、ハアーと深い溜め息を吐いて頭を垂れた。

「ここ一方通行地獄だからさー、迷ったのかな?」
そう言う梅原の右手には、どういう経緯があったのか、クタっとなった猫じゃらしが握られている。「それで説明してたんだけど、オニーサンが『助手席に乗って案内してくれ』ってしつこくってさー。」
「お前……。」
「っても、駅なんかすぐそこじゃん。わざわざ助手席に乗るのもなあって思って、ちょっと迷ってたっつうか、困ってたっつうか、どーしよっかなあってところだったんだ。」
「聞かれた先が『すぐそこ』じゃなかったら付いて行ってたかもしれない口振りだな。」
「うんー、分かんね。」
猫じゃらしの茎を、摘んだ指の腹でクルクルと回して遊んでいる。そのたびにフワフワした頭の部分がブン、ブンと振れて、その動きがなんとなく腹立たしい。
梶山は、なんでこの年齢の男にこんな注意を与えなければならんのかと思ったが言わずにはおれなかった。
「『分かんねえ』じゃねえ、付いて行ったら駄目なの! 知らない人の言うことに耳傾けちゃ、駄目! いいか? お前、連れ去られかけてたんだぞ、今!」
「え、違うよ。道を訊かれてたんだって。俺の話、聞いてた?」
「莫っ迦! オメーだよ。俺の話を聞いていたか? 客観的に見て……、面倒臭ぇなオイ、もういいわ……とにかくだ、口で説明して分かってもらえなかったら、スイマセンっつってその場からはもう立ち去れ!」
「分かったよ。なに怒ってんだよ……。」
確かになあ、と呟きながら梅原は歩きだす。梶山は、親指と中指をメガネの両の端に添えてクイと上げることで苛立つ気を散らした。


「確かに何回口頭で説明してやっても『乗ってくれ』って頼み込んでくるもんだから、堂々巡りで埒が明かなかったんだよなあ。それで、乗っちゃったほうが、話が早いかとも思っちゃって。」
梅原に付き合う形で、梶山は原付を押して歩いている。「あれナンパだったのかな。そうだったら俺、初体験だ。」
「俺もあんな怪しいのに引っ掛かりかけてる奴、初めて見たわ。とにかく、ナンパだろうが誘拐だろうが、この際分類がどうでも、教えた対処をしっかり覚えとけよ。」
「うんー、リンネ先輩が分類は大事って言ってたぞ。」
「誰それ、六道を支配せし者か何か? 異世界生活始まっちゃう感じ? 輪廻先輩って巨乳?」
「ブフッはは、カジってすごい角度から笑わしにくるよなあ!」
「……そう……?」
真正面から受け答えしているつもりでいたが、だからといって食い違いを正すでもなく、絶対に差し支えないという確信のもと梶山は持ち前の度量でもってそこのところは流して済ませた。

「けどさー、俺が、もしもすげぇ可愛い女の子とか美人なオネーサンだったら分かるけどさ、俺だぜ? コレだぜ? コレを持って行こうと思う奴なんていねえと思うけどなあ。」
「迂闊なんだよ、お前は。世の中にはいろんな思惑が蠢いていて、いろんな人間が蔓延ってんだよ。」
「ふーん。あ、エノコログサあげよっか?」
(ハイ聞いてないねー、人の話全ッ然聞いてないねーキミ。ていうか、説教されるのに飽きちゃったんだねー……あーあ。)
平和な春の青空を、遠い目で仰ぐ。
「ちょっと元気なくなっちゃったけど。食えるんだよ、これ。はい。」
「要らねえから。てか、食えるとかマジか。いや、要らないなら捨てなさい。どこで拾ってくるんだそんなもん。」
「ん? あっちの、花水木の花壇に……、」
梅原が振り返ってはるか後方を指差し、詳しく教え始めたので、ツッコミに精を出して墓穴を掘ったほうは不興の感も忘れてフフ、と笑ってしまった。
(分かったところで、摘みませんから。普通はね。)
「ウメ、お前も本屋に寄ってくか?」
行く、と答えた彼も乗せて、梶山は残り少しの道程を原付の力で移動した。





2.

本屋に到着すると、人が原付を駐めるのを待ちもせずに背中から剥がれた塊は、あたかも見ず知らずの人間から離れるようにスタスタとガラス扉の内へ行ってしまった。
そうした情感の薄さをいちいち咎め立てしたり、あるいは必要以上に我慢してそのリズムに付き合おうとしたりする者は遅かれ早かれ音を上げることになるだろう。
梶山の場合は、方針の基本がいわば放し飼いなものだから、梅原の自由にさせておいて、危ない方面へ逸れかけでもしないうちは別に干渉もしていかない。そして、その放任主義は物臭からきていた。
さらに、物臭の大本を辿っていけば、世話好きだという根に由来する。先刻の件にしてもそうだ。一旦関わるとなればあれこれ手を出し、口を出して結局世話を焼いてしまう。そうした己の性質の面倒臭いことを重々弁えているから彼は、取っ掛かりとなるそもそもの腰を上げたがらないのだ。

よって、自分の目が届く範囲では相手のしたいようにさせている梶山の周りは、わりと環境がいいのかして、梅原や浜田といった輩が棲息している。
一足遅れて店へ入ってからも、この建物のどこかにはいるだろうという把握で十分と思う彼は、どこの棚へ行方をくらましたのか不明の友ではなくて、ハードカバーの新刊置き場で目当ての一冊を探した。それから、金欠の学生の強い味方である岩波が一番端に並ぶ文庫の棚へと移る途中で、梅原を見掛けた。宇宙が特集されている一隅で立ち読みをしている。そっと距離を詰めていくと、手に取っていた雑誌に〈無と時間軸〉という文字が載っていた。それに、相対性理論だとか、超電導や超対称性がどうのといった、梶山が字面を目にしただけで脳がイビキをかきそうな書籍が並んでいたから、彼は黙ってその後ろを通り過ぎた。


新書の背表紙を冷やかして店内を一周し終えた梶山は、レジで会計をしている友と合流した。
何を買ったのか尋ねられて大雑把に「星の本」と答えた梅原はしかしすぐにハッとして、
「貸そうか?! DVD付き!」と言い足した。
お前の好奇心に気付いた、とでもいうような顔付きで提案された梶山は、残念ながらその推理はとんだ的外れで毫も興味がない旨をありのままの態度で伝え、辞退した。が、自然な感じでそこにスパイスを加味しておくことを忘れなかった。
「俺より、浜田に見せてやったらどうだろう?」
もう一人の友には心の中で(浜田ワリィ、お前の反応見たくてつい振っちまった)とあらかじめ謝っておいた。





3.
「あー、ウン、非常に……こう、ね? 奇麗だよね?」
浜田の絞り出す感想に、梶山は口元を隠してさっきからニヤニヤしている。
「マジ? どのへんが良かった? どこが一番面白かった?」
「オモシロ?! え、ああ……そうね、あのー、アンドロメダのあたりなんて、ね? カジ君……ネ?」
「いや俺には難しくて分からん。見せてくれるって言ってたけど、遠慮したんだ。」
(鬼! お前、自分一人で、コラ!)と、浜田の目が雄弁に訴えていた。
(スマーン、いやあ、期待通りの面白さだよ)と、梶山は高みの見物を決め込んでいた。
「おっきい話とちっさい話を同じ理論で語れるところがドキドキして、怖くなるよな。」
うっとりした顔で梅原がページをペラペラとめくり、赤や青に写る靄や画面を埋め尽くす無数の白い粒を何度も見返している。「魅惑のエンタングルメント……。」
ふと、梶山は思い出したことを口走った。
「プラネタリウムって、県内にあるよな?」
「あ。あるよ、俺、小学校ン時の遠足で行ったことある。いいな。行きてえ!」
梅原が興奮気味に頷く横から浜田が口を挟む。
「どうせ見るなら本物がいいや。すっげえ数の星が、すっげえ奇麗に見える所に行ってみてえ。」
「おおおお! 俺も行きてえ!」
「だったらお前ら二人で行ってこい。俺はそんな大規模な話には乗りたくねえ、面倒臭い。」
梶山がそう言うと、梅原はキラキラと眼を輝かせて話をまとめた。
「プラネタリウムにカジと行って、『星空見るツアー』には、浜田とカジと行く。」
「決まり。」
浜田が決を採った。
「待て待て待て、おかしい。俺がナチュラルに全参加しちゃってるから! 後半にも名前出ちゃってたから!」
「異議なーし!」
梅原は元気よく一年九組の教室で席を立った。
「ようし、そんじゃあ皆さん、午後からの授業もいっちょ頑張りましょー!」
と、浜田は手を振って二人を送り出した。
梶山は、ワッショーイと言う梅原に引き摺られながら二年九組に強制送還されて行く。
昼休み終了を告げるチャイムが朗らかに、そして一人の男の叫びが虚しく――響き渡る水曜日だった。
「俺ぜってー行かねえかんなー!!」










終.
大体こういう関係図になってるといいなというプレゼン。
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