text_other07(梅+梶)
置いては往かない。

梅+梶 頭痛

friend



1.

屋上に出たらカシャン、カシャン、と金網が微かに震えている。風はない。けれどまた、カシャン、と鳴る。原因は俺の紛失物(などと言えば失礼か)、友人である梅原だ。屋上の隅っこで、頭突きを繰り返すようにボサボサの黒い頭を金網にくっ付けてはフワリと離し、また力無くユラリと倒れ掛かる動作を繰り返している。それで、身の丈以上に聳える、しかしごく薄い安全柵が、額の辺りをぶつけるごとにカシャン、カシャン、とさながら相槌を打つみたいに音を出しているのだ。彼の胴体からぶら下がっている両手はその網目を掴むでもなく、ダラリとしていた。
この日の時間割は授業があと二コマ残っている。そして、短い休み時間がそろそろ尽きようとしていた。

それからほどなくして各人の教科書が一斉にバラバラと開かれだした教室に、もし梅原がいなかったとしても、俺は一向差し支えない。そうであるにもかかわらず、教壇に立った教師が、席にいない当人ではなく俺に矛先を向けてくることがままあるせいで回り回って困却する羽目になる。どうして居場所なり、不在の理由なりを知らずにいるのかといった、また、それが一種の失態であるかのような目遣いで人を見るのだ。そのうえ、嘘じゃなかろうなと痛くもない腹を探られでもしたら、堪ったものではない。
だから、そうした煩わしさへの対策として発する「一応探したんですけどね」を偽言にしないために、俺は毎回当たりを付けてどこか一箇所にだけ足を運ぶようにしている。そんなわけで、なんとなく今日は便所より屋上と思い、階段をグルグル上ったのだった。


十分間しかない休憩の終わりがけにまだここで愚図愚図しているのは、俺を除けば梅原一人きりだった。
「ウメ、何やってんの。」
カシャン。柵と彼のおでこがくっ付いた。それを最後の一打としたのだろうか。そのままの体勢でこちらに首を捻る。伸びっぱなしの髪がまばらに容貌に被さって、それは――俺の寡ない語彙でこの光景を形容するのは非常に難しいのだが――じつに奇抜な光景だ。乱れた黒髪からのぞく薄い唇がほんの僅か開かれて、そこから弱弱しい声が洩れた。
「頭、痛い。」
「……。」
こちらは梅原と目が合っている気でいるが果たしてあちらはどうだろう、思わずそんなふうに疑ってしまう彼の、力の無い目は眉間に深い皺が走ったと同時にギュウと固く閉じられてしまった。「そんなことして遊ぶからじゃないですかね。」
「痛いのが先。」
伏せられた面から、籠もって先程よりもさらに聞き取りにくくなった声がした。

野球部では投手の三橋クンが変人として名高いようだが、俺にしてみれば彼などまだまだ可愛らしい。俺は、もっぱら彼の世話を焼いている捕手の阿部クンに問うてみたい。
(頭痛が起こったからといって屋上へ出て金網に頭突きを繰り返す、そんな人間に遭遇する確率は?)
さらに、そいつが友人だったと絞り込んだ場合、きっとパーセンテージはなおのこと低くなるだろう。
「保健室に行けよ。屋上に来たって治んねえよ。」
「そうかな。」
なんの考えもなく当たり前に思うことについて疑問を呈されても、人の頭はパッとは追いつけない。例えばこんなふうに。そうかなって、そうに決まっているだろう――あれ、本当にそれはそうに〈決まっている〉のだろうか――いや、そうとも、決まりきっている、と、〈俺は〉確信する――。
そして、その確信の出処を自分なりに整理した時に、圧倒的な他人感をまざまざと見せつけてくるのが、梅原という男だった。しかし、その個性が放つ得体の知れない空気にたじろぐ時期はとうに過ぎた。
「お前のその処置じゃあな。」
「……ふむ……。」
「行くか? 保健室。」
「行かない。」
それから「誰とも、一言も口を聞きたくない」と続けたので、早速あますことなくその意向を汲んでやることにした。
「ああ、そう。じゃあ俺も帰るよ、ごゆっくり。」
俺はこんな場面で言葉の裏など面倒臭くて読む気にならないし、元来面倒見のいい性格でもない。(断じて違う。)こんな場面、とはつまり、優しさが切り札になると思われるシチュエーションだ。
「カジ。」
「なんだよ。」
「……カジ。」
ペースを譲らざるを得ない会話を数だけはこなしてきた結果、多少のことでは動じなくなった。この謎の生物の第一人者などと浜田あたりは俺を評す。が、その称号はあまりにおこがましい。俺にとっても、眼前の男は一年を経ていまだに奇怪極まりない。
(ただ、人間性は悪くない。)
懇意にする理由はそれで十分だ。
踵を返そうとしていたところを留まって眼鏡を上げる仕草で間を取り、相手の一手を待った。誰とも話したくないと言った同じ口で俺を呼び止める、彼の次の台詞を。

「カジ、なあ。甘えていい?」
「なんだよ、それはお前、申し出によるよ。」
内容によってはこちらの切り札と相談可能だ。
「俺の財布と、そこから小銭取っていいから、なんか水分持って来て。鞄の内側の、チャックの中にある。」
あまりに具体的で、かつ容易く実現できる要望だったので、俺はあっさり承知した。貴重品管理の不用心さについて思うところがあるものの、小言は今度にしようじゃないか。
「水分な。」
「財布だよ。」
「……財布もね。」
「そっちのが重要。」
要点の伝わっていないことを返事の調子から聞き分けた梅原は、俯いたままで苦しそうに「常備薬入ってるから」と言い添えた。





2.

引き留められているあいだに四限目は始まっていた。それでも、教科の教師の到着より先に教室に滑り込めた俺はあいつの鞄を素早く漁ってその場を後にした。人の持ち物からよりによって財布を抜き取るという行いが、いかに心地の悪い真似であるかを初めて知った。勘の鈍い奴に見付かっていたら大事になっていた。俺は、安請け合いしたものだと反省しつつ一旦一階へ下りて自動販売機でスポーツ飲料を買うとまた屋上まで、一気に駆け上がった。
(早く戻らねえと。)
こうして急ぐのは、どこかの組に向かう教師の誰かに見咎められる不安のせいでも、友の体調不良を慮る気掛かりからでもない。ただただ、そいつが同じ場所に大人しく留まっているという保証のないためだった。


屋上まで上がりきると、梅原はいた。
「まだ、いたか。」
「お前が動くなって指示したんだろう。」
「マアそうなんですけど。ほら、水分。これでいいか?」
「ありがとう。」
(ちゃんとお礼が言えるんだから、奇人だろうが変人だろうが関係ないね)と思う俺も、存外変わり者なのかもしれない。
その場で錠剤を嚥下した梅原は、どこまで小さく丸まれるかに挑戦するように両膝と頭をギュウと抱え込んで蹲った。が、不意に、眉間に皺を寄せた顔を上げた。
「四限、出ねえの?」
「今日はな。」
答えながら自分も座り込む。それからペットボトルを取り上げて、断りもなく半分まで飲み干した。
ふうん、と小さく鳴いて、彼は、聞き手の存在しないごとくにポツリと喋る。
「……頭が痛い、カジ。」
「俺に言われてもなあ。」
すると、「カジ、」と、また俺を呼ぶ。

今度は横着して視線でだけ応えたら、
「お礼に、俺の一番大切なものをあげる。」
と古い歌謡曲のパロディみたいなことを無感情に言いだした梅原が、目を合せてきた。
「こんなことくらいで?」
それが何であるのか、さっぱり思い付かないけれども、聞いた感想は返した言葉の通りだった。
それにしても、なぜこんな時に限ってじっと見返してくるのだろう。その虚ろな目付きが冗談とも本気ともつかない語調と相俟って、真意をますます量れなくさせる。そんななかで名曲の痺れる旋律がふいに脳裏にゆらめいたものだから、哀れな性を持つ生物はつい言明を求めずにおれなくなる。「ちなみに、何。それって。」

「いや、分かんねえけど。」
まるで詰まらなさそうに、この話を始めた張本人はフイと顔を逸らしてしまった。
「分かんねえのかよ。」
「なんかすごい食い付いちゃったよ俺」と軽口をたたきはしたものの、ひとえに蒙昧からくる恐れのようなものもなきにしもあらず、で、問い質しておいてなんだがむしろ不明瞭な回答に終わってよかったのかもしれないと思った。
思ったのだが。表面ではこれでよし、としつつも内心暴かれなかった部分について謎のままであることにいくばくか後ろ髪を引かれる思いを催してもいた。
そんなふうに一事が万事、いつでも世界の襞は無色をして、最も知りたい真相をこの目から隠す。
だから俺は、そのたびに手を替え品を替え、最後の一枚を剥がしてやろうと格闘する。そうこうするうちについた(のかしらん、)悪知恵が変なふうに働いて口を滑らせた。「そんなとっておきを、浜田に取って置かなくてもいいのか?」
「浜田には、じゃあ、一番大切なもの以外を全部やるよ。」
滑稽にも咄嗟に両方を天秤に掛けてみた俺は、一杯食わされた気になって笑ってしまった。相変わらず無表情を保って柵を隔てた校外に目を向けている梅原に、一言。
「お前、適当喋ってない?」
「だって頭が痛いんだもの。」
「そうでした。」
いかにも生気を欠いた風情で切り返されて、俺もあとは静かに寛いで時間を過ごそうと決めた。










終.
ヘルプミー、つってな。
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