企画text03_5a
此処に眠る。

- 子供化

<3.(続)
困らされる




「イルカってさ、もてなさそうだよね。」
「オ、オオン?! もてまくりですけど!」
「いいよ、見栄張らなくて、さ。」
「なんなの、この人。言っとくけど俺にだって……恋人くらい、いるんだからな。」
「妄想上の、ね。」
「信じてねえだろ。その哀れむ目ぇやめろ。」
十二歳の照れ隠しと二十五歳の強がりはどっこいどっこいであった。勝敗はどちらが長く湯船に浸かっていられるかに持ち越され、どちらも茹で蛸になって畳に倒れ込み、湯冷めしないうちに明かりが消された。
そして、夜半の嵐が雲を払い、明けの空を玲瓏にした。





―― (三) ――、終わりの一つの形

4.

カカシは全身の痛みにうなされて朝方起きた。どこもかしこも急激に伸びたせいである。彼はすうすう寝入っている横の呼吸を確かめて、布団の下に隠しておいた頓服をこっそり飲んだ。
それから、歯を食いしばって風呂場へ這い出て密室に籠ると、シャワーの音はお構いなしにざあざあ立てて汗を流しながら頭を働かせた。
(十七……。この歳が、未来の俺の、遡りたくない年か……。)
だろうね、と納得したら、ひとりでに口の端が釣り上がった。

じゃばじゃばと激しい水音が遠くでしている。イルカはやっと目を覚ました。その寝ぼけ眼に、びりびりに破れた寝巻ともぬけの殻の寝床が映り、はっとする。
浴室の扉に、
「カカシさん」と呼び掛けた。「また成長したんですか。服が。脱ぎ捨ててあったから、あの。大事ないですか。中で倒れていませんか。カカシさん。カカシさん。」
「うるさい。」
ガチャッと開いた隙間に合わせてイルカの目線は低まった。ところがその辺りにあると思われた銀髪はなく、もうもうと立つ湯煙に、色白な胴体が珠なす水を弾いていた。
「ん……?」
自然と加えられる調節より早く、ばたんと扉は閉められてしまったものの、擦り硝子で暈けた人影が長身に見えた。
「そこに着替え置いといて、大人用」という指図も心なしか低く聞こえた。
なんとも偉そうな物言いに思われたが、カカシの服を一揃い籠へ置いたついでに脱衣所を兼ねる洗面所で鏡を使う仕度を終えて、部屋の住人は冷蔵庫から林檎を取り出した。


「ねえ。」
風呂から上がったカカシの身長は、ほぼイルカと同じ高さになっていた。
「あ、お早うございます。その姿は、ええと……?」
「下着に、俺が書く印が入ってるんだけど。アンタこれどっから持ってきたの。」
「元に、戻ったようでいて、そうではないような。」
「答えなよ、盗人猛々しい。」
「ぬ……、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。」
赤い皮をしゃりしゃり剥いていたイルカは、包丁を下ろして感じの悪い男に向き直った。
七歳のほんの子供から十二歳の男子に急成長を果たした時には、まるで一人っ子だと思い込んでいた子が実は弟で、弟がどこかへ遊びに行ってしまったのに交代して兄が転がり込んできたような気持ちになっていた。その兄弟の数がたった今、もう一人増えた。七つの子が末っ子の新入生であるとするなら、昨日いた十二の男子は真ん中の最上級生で、目前の彼に対してはさらに年長の、とっくに卒業した長男でも現れたかという心境になった。
(眩しい実習生と同年ってとこかしらん。つうか、この回復具合は漸進的なの、最速最短なの。喜んでいいの、挫けそうになってもいいの、何がどうなっているの。よもやこれより年上がまだ控えているなんてことはあるまいな。はあ……。精根尽き果てそう。)
格別の瑞々しさを有したこのカカシとも、イルカは初対面であった。
「その分だと、まだ完全体になってないんですね。」
「完全体って言い方、やめてくんない。」
冷水を喇叭飲みしていた若い男は不機嫌な目で相手を射た。

「大人のカカシさんは行儀良く、グラスを使ってくれますよ。」
「は。」
ふらりと体の向きを変えた男の興味は、冷蔵庫の中身から相手へと移行していた。「ねえ、アンタ確か、言ってたよね。俺とは家族同然だって。」
なんの話をされているのだか察しが付かずにいた人の顔色は、
「大切に思ってる。それから、アンタの人生にぎちぎちに食い入ってる、だっけ」というくだりに差し掛かったところで一変した。
「俺の服やら食器やらも、ここにはあるんだよね。」
一歩。
「これってさあ。」
また一歩。
「ひょっとして。」
どんどん近づく。
鼻先すれすれの距離で、カカシが鎌を掛けた。
「俺とアンタって、付き合ってるんじゃないの。」
じりじり詰め寄られステンレスの縁と彼のテリトリに押し込められたイルカは、動揺を抑えきれず下を向く。どう応じるべきであろう。不用意な首肯は躊躇われた。

「なんだ、当たりか。」
そしてカカシは、なるほどねえ、ふうん、と言いながら舐めるように知らない恋人を見た。「なあんかおかしいと思ってたんだよねえ。」
右から下から、様々な角度から観察されるイルカは値踏みをされているみたいで、針の筵の心地がして、
「カ、カカシさん。えっと、その」と、しどろもどろになった。「ええと。そうそう、何歳なんです、それ。」
「気になる?」
「え。」
「気になるかって訊いてるの。」
「そ、りゃ、気に、なります。」
「俺のことが好きだから?」
「す……。」
「ま、どっちにしろ教えなーい。」
「な……。」
「付き合ってるったって、どうせアンタから告白したんでしょう。」
「……っ」
不意打ちの当てずっぽうで断定された彼が息を呑んだ。
「俺、アンタで遊んでんのかな。」
カカシは二十六歳の自身の考えを推測する。「だって、俺がアンタと暮らすわけないでしょ。」
さすがにイルカの心はずきんと痛んだ。記憶がないとはいえ本人の口から面と向かってこんな台詞を浴びせられて、応えないほうがどうかしている。
「……。」
「俺に、どこが好きだって言われてんの。」
「……。」

口籠る輪郭を捉えようとしたら、「出勤します」と押し退けられた。その刹那、カカシはぞくぞくするのを自覚した。パリパリパリと氷の膜にひびが入ってゆく空耳が興奮を過剰にする。
(そそるね。)
抱き寄せられた温かさも、かがんで目の高さを合わせてくる優しさも憶えている、だからこそ。
(もっと困った顔が見たい。)
あの頼もしい笑顔も、言の葉に宿る情の深さも知っているからこそ。
(落ちた肩の線が、最高だ。)
マグマが胎動する。こうした己の傾向が、十年後でも彼を選んでいるのかと思った。
泣かせたい。
カカシはイルカの腕を取ってその場に引き留めた。
「なに泣いてんの。」
「泣くかよ。」
泣かせたい。
「涙こそ流してないだけで実質泣いてんじゃない。脆すぎない?」
泣けよ。泣いてしまえ。
(泣かせたくて堪らない。)
「これ以上、アンタと口利きたくない。」
イルカがそう言って眉間に皺を寄せると、カカシはますます離したくなくなった。


「睨まないでよ。七歳の時も十二の時も遊んでくれてたのに、なんで俺だけ仲間外れにするの。」
正直なところ一番接しにくいのがこの、あと少し若いカカシであったイルカは、返答に窮していた。そこへ、ジリリリリと解除し忘れていた目覚まし時計がやかましく介入してきた。鳴り渡るけたたましい鐘の音をこれ幸いと彼を振り払い、寝間へ逃げたが、
「ね、怒ったの。」
「うわ。」
振り返ると、真後ろでカカシもしゃがんでいた。
「なんで付いて来た。んなことより、火影様に報告に行って下さい、また大きくなったって。」
「ねえ、俺、怒らせた?」
「しつっけえな、怒ってたけど怒ってねえよ。どいてください。」
先と同じ所作で押し退けようとするものだから、またカカシに手首を掴まれる羽目になる。
「二十六の俺はさ、イルカを抱きまくってんでしょ。」
「な、あ、な、なな……なん、何、何言ってるんです。」
露骨な一言に面喰って、イルカは鯉みたいに口をぱくぱくさせている。
「なら俺のことも愛してくれるよね。」
そう言う口角は上がっていても、目の奥が笑っていなかった。

手首を絞める五指を、躍起になって引き剥がそうとするのに骨を粉砕するまで緩められそうにない指は、一切浮き上がらない。
「く。こ、ォ!」
「ね、いいでしょう。」
「痛いって。」
「いいって言って。そしたらさ、俺、火影様の所へ報告に上がるよ。」
「何をぬかしていやがるこの野郎は。痛いって言ってるのが聞こえねえのか。報告はアンタの義務だろうが。」
「それが難しい場合は、監護人が代理でやってくれなきゃねえ。」
「おンのれカカシィ……ちょ、いい加減にしろ、怪力! 痛いんだよ! もげる!」
涙目で「痛い、痛い」と騒いでいるのを見ているとカカシは、その人の口からもっと「痛い」を聞きたくなった。
「それまでは行ーかない。俺、忍を休業する。養って、イルカ。」
イルカは状況を処理し切れずに気を失いそうになった。
「きゅ、休業、休業って、忍を。それ、それって、それは、俺のせいに、なっちまうのか? そんなことが火影様の耳に入ったら俺は確実にホルマリン漬けにされる。そして史上最低の愚物とかいってラベリングされるんだ。」
「そりゃ大変だね。さ、取引しよ。」
「成立しねえよ、そんなのはただの我が儘だろ!」
ふう、と息を吐いて「頑固なんだから」と言ったカカシは、その頑固者を手荒に突き放した。
「わ。」
「しょうがない。ま、せいぜい今日の一日を、心の準備に費やしなよ。」
解放されたイルカは、
「もう……もう! 最悪の日、多すぎです!」
ここぞとばかりにワアアンと脱兎の勢いで職場への道をひた走ったのであった。





今日の自転は速い気がするとぼやきながら仕事を終えて帰宅した彼は、
「あれ。」
部屋がしんとしていることに緊張を解き、それから新たに不審がった。
浴室は空である。ほかの水回りにも人気はない。寝室を覗くと、布団が膨らんでいた。
抜き足差し足で近寄ってみる。息をしていないみたいにカカシが目を閉じていた。
(奇麗な顔してる……。嘘みたいだろ……なんちゃって。はっはっは、違う、違う。……え?)
そういえば、掛け布団がちっとも上下していない。
(え、違うよな、……熟睡だろ。)
そんなことはあるはずがないと思いつつ、鼻に手を翳した。
(だって、あの綱手様が、命には関わらないと……。)
息が、掛からない。
「――カカシさん! カカ……ッ……!」

布団を撥ねた長い腕がぬっと脇から襲ってきたかと思えばグリンと視界が回転し、イルカはぴんぴんしているカカシに組み敷かれていた。
「うるさい。」
「な、し……。」
「脈も取らずに慌てふためいちゃってまあ。」
「騙したな。性格悪すぎるぞ!」
忍と忍は化かし合いである。
「ふふ。」
「悪口にうっすら笑った。おっかねえ。」
「だって、今からたっぷり吠え面かかせるんだと思うと愉しくもなるでしょう。」
暴かれたくない素顔を、誰も見たことがない表情を、引き出したくてカカシはうずうずしている。
「ふざけんな。」
「ふざけてはないかな。警戒してる奴との距離を詰めるのって手間じゃない。それが、ものの見事に密着成功してるんだから、んー、勝利の一笑だあね。」
「からかわないでください。」
「本気だよ。」
イルカはぐっと押さえ付けられた。
「ね。俺ね、ここ数日、寝ても覚めても最悪なの。」
「そ、それは……重々承知している、つもりです……。」
「なら話も早いよね。俺のこと、可哀想だと思うなら抱き締めて。」
おもむろに上体を自由にしてやり、見下ろすかっこうになったカカシは泣き落としにかかった。「愛されたいんだ。」
反論を練る隙を与えず、
「ねえ、お願い」と殊勝ぶって愁いを纏う。が、イルカの上から退く気はさらさらないらしい。でんと腿に居座っている。

「カ、カシさん。こういう遊びは、やめましょう。」
「本気だって言ってるじゃない」という声にどすが利いている。イルカは下手に刺激してはいけないことを賢く悟った。
「落ち着いて、話せば分かる、ネ。ウン。」
「なんでそんなに嫌がるの。」
「冷静になろう、な。」
「俺のこと。俺のことだけ、好きじゃないの?」
(カカシさんともあろうお人が、さっぱり話が通じないとはこれいかに。)
青い情緒の荒波に困却している、そんなイルカを、カカシはさも悲しげな瞳で追い詰めた。
「俺だけ、好きになってもらえないの?」
「だから……。」
「そんなに俺とするの、ヤなの?」
イルカはもはや事態を丸く収める、説得力のある理由を見付けられなかった。お手上げである。
「アンタ、……………………何歳……なんですか……。」
「ハア?」
「だから、そういうのは、ちゃんと分別のつく歳になってからでないと……。」
「そんなこと?」
「おい。自分のことだぞ。そんなことじゃない。大事なことなんだぞ。」
カカシは吹き出しそうになるのを堪えるのに大変であった。
(こちとら十年前から自己責任で身を立ててるんですけど。)
とはいえ、がしっと肩を掴んでくるイルカは真剣そのもので、その倫理観念の強さは明白である。体の感覚では十七、なっていても十八くらいであったが、彼はサバを読んで十九と自称した。





5.

喉の渇きがイルカの浅い眠りを覚ました。
(……六回って……。)
「う……。」
(六回って。頭おかしい。なんなのあの子……。)
「お……。」
(恐ろしい。鉄塊じゃねえか。鈍器だよあんなもん。若いって……あんなんだっけ……。なんかもう……二十五って、おっさんなのか……な。いや何この気分……。)
「うう。」
(はああ……。……六回って。)
「アー……。」
(便所に行きたくねえ。三日間くらいは安静にしていたい。腰っていうか、危惧すべきは完全に穴。)

「イルカ先生?」
夢もへったくれもない思考に蝕まれていた男の耳にふわっと、馴れ親しんだ柔和な声が届いた。
「へ?!」
イルカはその光景を目の当たりにして、驚きのあまりただ目をしばしばさせることしかできなかった。
「体、大丈夫ですか。」
そういって申し訳なさそうに打ち守っているのは、ゆったりした余裕を持ち合わせた、紳士然たる、紛う方なき大人のカカシであった。
「俺、怪我をさせてしまいましたか。」
歓喜する心臓がびくびく跳び上がってぶるぶる震え、「いえ大丈夫です」の一言もままならないイルカは、どうかこうか首を振って返した。
「でも、昨日の俺、遣り口が強引だったでしょう。あんな迫り方をするなんて、汚いです。貴方には、心底済まないことをしました。」
「……カカシさん……だ……。」
「散々盛って、申し開きのしようもない。」
口元を押さえカカシは、年齢を偽った件は墓場まで持っていく秘密にした。
「戻ったんですね、元まで。」
「ええ。術に掛けられた任務からどん底の状態でいた日数を足して、今日という日がそこから隔たってなければ洩れなく繋がっています。」
「二十六歳?」
「ええ、二十六です。」
「カカシさん?」
「はい。」
「うう、おおおお、ど、どこも、どこも痛むところはないですか。」
「俺ならなんともないんですよ。俺に辛い思いをさせられたのはイルカ先生のほうでしょう。」
イルカはぶんぶん頭を振った。

「あの頃の自分に貴方を会わせたくなんかなかったです。せめて俺は……、今は、貴方と距離を置いたほうが……。」
がつんとカカシの頭に手刀が落ちた。
「いっ……!」
「脳天を叩き割ってやろうか。」
「もう、やられてますけど……。」
「嫌ですよ、やっと久しぶりに会えたのに!」
そしてイルカは喜びの赴くまま恋人を抱擁した。
「カカシ先生なら絶対に乗り越えられると思ってました。」
「イルカ先生……。」
「良かった。」
「俺は、仕合わせです。」
「あいつらに聞かせてやりたい。その言葉。」
「あいつら――俺のことですか、それって。聞いてますよ、ここで。」
「そ、そっか。」
「ありがとう。」
「……。」
「……。」
「済みません、そこに、血ィ集めないでもらえますか。」
「済みません、けどもう大人だから、安心して。」
「うううう、会いたかった。もう離さない!」
「ああ、仕合わせすぎて、気絶しそう。」
かくして麗しのカカシ上忍は、元の立派な大人へと返り咲いたのであった。










終.
(2015.12)
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