企画text03_4
此処に眠る。

- 子供化

<3.
困らされる



3.(続)

迎えのイルカは、空き皿と丼が築いた山を二度見した。
それから、引き継ぎの立ち話をしていた。
「ねえ。シカクさん、なんて?」
「ああ、経費で落ちるかなって。たくさん食いましたね。」
影法師が二つ、家路を辿る。
「イルカ。」
「はい。」
「あのさ。」
「ええ。」
夕焼けの天をぎざぎざ切り取る並木は真っ黒である。
「……朝は言い過ぎた。ごめん。」
「そんな、カカシさん。こちらこそごめんなさい、無神経で……。」
影絵の世界に蝙蝠が飛んだ。
「俺、足引っ張ってるね。」
「へ。」
「おたくの。」
「え。ど、どこが、ですか。」
「どこ、うん……と、生活?」
「ふっふ。残念でした。」
「……。」
「俺の生活は、貴方という存在を含めて、有るんですよ。」
俯くカカシはそれについて、返事をしなかった。


肩掛け鞄を下ろしたイルカは、一息つく間もなくフライパンを温める。腹がはち切れないか念を押したら、けろりとして、焼きそばは食べなかったと言われたからである。
カカシは本棚を物色していた。

「ちょいと旦那、本は擱きなせえ。食べる時は食べる。」
ひっくり返ったりそっくり返ったりしている括弧や、鉤形や、矢印の記号で綴った式をへんてこな文章に織り交ぜた一冊。他人の趣味や専門の書物が何百冊とあるなかでも、選り分けて正確に本人の持ち物に関心が向かうのを、イルカは不思議だと思って背中で見ていた。その一冊を、食事を始めても皿の横に開いている。窘められてもまだ、同席者のことはまるで眼中になかった顔には「なんで」と書いてあった。
「食卓を囲む人に失礼でしょう。そういうのを、ながら食べって言うんです。作った人にも失礼だ。だいたい食べ物に対する冒涜です。あと体にも悪い、多分。」
おどけ口を引っ込めた根っからのお節介を一瞥し、カカシは無言でぱたんと本を閉じた。
「聞いてるなら返事をしなさい。」
「はあいいい、うるっさいなあイルカは。」
「できてる奴には言わねえの。」
鼻っ柱の強い年頃が子供扱いするなと短気を起こすとややこしいから、それに続く「反抗期か」の一言をイルカは喉元で止めた。


習いたての御馳走様をした子が洗い物を引き受けたので、家の主人はさて、と風呂の湯張りに立った。
直後に、カシャン、「わ」という音がたて続けに起こった。
「大丈夫でしたか。」
大股で引き返すと、台所で陶器の平皿が割れていた。
「ごめん、なさい。」
「あ、動かないで。じっとしてて。足を切ると危ないですよ。」
「ごめん、なさい。俺……。」
「うん。カカシさんは、しゃがんで拾える足元のやつを集めて。」
散った破片はイルカが箒と塵取りで片付けた。
「…………ごめ……、……。」
「割ろうとして割ったわけじゃないんでしょう。」
「……そう……だけど……。」
屈んでいた大人はそこで異状を察知した。
「なら、もういいんですよ。」
「俺……。」
カカシの様子が深刻である。もっと重大な過ちでも犯したように放心していた。

「……俺は……。」
わなわなと指先が震えている。
「そんなつもりじゃない……そんなつもりじゃ、なかったんだ……そんなつもりじゃ……。」
瞬きさえ忘れた目は皿を滑らせた手に釘付けになっていた。
「必要以上に落ち込まないで、さあ。」
「……俺さえ、いなければ……。」
「カカシさん。」
イルカは、胸を衝かれた。

「カカシさん。」
固まる少年の耳は現実の声を拾っていなかった。
「カカシさん?」
追い詰められたその表情を、イルカはとても見ていられなかった。

力にならなければ。
それで。
(それで、どうなるだろう。)
これまでの癒えていなかった傷が塞がり。
(自分が、必要なくなったとしたら――?)
その先の道とは、どんなであろう。
「…………。」
一緒には、居られないかもしれない。
心の空隙が埋まった彼は、別な家庭を求める人間に育っているかもしれない。
子供が欲しいと思う男に変わっているかもしれない。
何度でも、必ずしも自分が選ばれるとは限らないではないか。
そうだ。手を差し伸べずにいたほうが、長く一緒に居られるかもしれない。
しかし、術に掛かった姿を見守りながら、早く解ければいいと元の彼を恋しがる思いと願いどおり何もかもが損なわれずに還るのかという憂慮の、二極の衝突に苛まれていたイルカは、それでもカカシを思うと何かをしないではいられなかったのである。
「カカシさん。」
そうして彼は、同じ時空へそっと引き戻す手付きで細い指先を摘んだ。
「吐く息に、意識をやって。」

教授本に従うならば、ここで議論めいたことを始めるべきではない。けれども、二人の関係性と己の知るカカシの特性に鑑みてイルカは、皿を割った反省に見合わない結論をあえて掘り下げた。
「俺さえいなけりゃ。その仮定から、ぜんたい何を言おうとしてるんです。貴方がいない世界のほうがいいとでも、言いたいんですか。」
「皆、幸せだったかも。」
「貴方のいない世界が幸せに満ちている。そのことから、何が言いたいんです。じゃあ、貴方のいる世界は不幸せしかないって、意味を反転させてるんですか。」
「そう、かも。」
「乱暴だな。」
そのイルカがカカシの目に、ぐっと大人として映った。
「こうやって夜を明かしてやりたいけど、きっとどんな方法でも、俺の存在が貴方の論陣を崩してしまいますよ。俺の仕合わせを、覆せるんですか。少なくとも俺の人生に、こんなにもぎちぎちに貴方は食い込んでいるのに。」
不安定な指先を包む大きな手にぎゅっと力が込められた。「貴方が居るという俺の仕合わせが、何か貴方に害を及ぼしますか。」

真理は万民を救えない。だから人は、希望を唱えるのかもしれない。
「イルカは……誰なの。」
「見たままの、不甲斐ない男です。」
「なんで俺に構うの。はたけ上忍の息子だから。アンタも、あの人と親しかったから?」
「俺が親しんでいたのは、貴方ですよ。」
人差し指が、とん、とカカシの左胸を指した。
「一緒に居ても、俺の周りに仕合わせは無いよ。」
「それが、案外転がってるんです。」
「嘘。」
「んん、はは。」
嘘か真か、無いか在るか――脳裏で合図を待つ悪魔に欠伸をさせてイルカは、そいつの出番を削ってしまった。
「俺、――カカシさんにこういう話をすると、暇人って半笑いされるんですけどね――たまに考えることがあるんです。希望から信仰心を引いたら、何が残るだろうって。」
「はあ?」
「うわあ、その感じ。」
「そんなこと。そういうの、机上の空論って言うんだよ。そんなものは実戦には持ち込めない。まさか、それで愛が残るとか言わないでよ。」
カカシは身震いしながら二の腕をさすった。
「答えは人それぞれで、それは、愛であるのかもしれません。それもいいと思う。俺は、あらゆるものを突き破る、内からの力だと思うんです。」
「腕力?」
「じゃなくて。でも、三日後には別の答えになってるかも。」
「何それ、無責任。」
「うん、じゃあ、俺は無責任かもしれないということで。今日はここまで。」
「ああ、適当なこと言って切り抜けようとしてる。」
「はい、もうおしまい。」
「話を逸らしたね。」
「そうでしたか。」
「むう。」
「さあ、湯に浸かって、あったまって、さっさと布団を被りましょう。」
「……ふん。」
同意をしたような、しないような彼にイルカから苦笑が洩れた。
「カカシさんの居ない世界については次の機会に、一緒に想像してみましょう。」
「……。」
そんなことを言わないで。どうしてそんなことを言うの。――反射の形は概ねそんなものであると決め付けていた。自分の見方を全面に押し出したもの。感情のごり押し。懇願ぶった一方的な禁止。
「とことん真剣に。でも、それをするとすげえ時間がかかるから。また、今度。」
「……。」
頭ごなしに責められている気分にしかなれなかったはずの場面で、カカシは処置に惑う安らぎを覚えていた。










-続-
>4.〜5.(終わりの一つの形)
>4-別.〜6-別.(あるいは別の終わり方)
>目次