企画text03_5b_1
此処に眠る。

- 子供化

<3.(続)
困らされる



「イルカってさ、もてなさそうだよね。」
「オ、オオン?! もてまくりですけど!」
「いいよ、見栄張らなくて、さ。」
「なんなの、この人。言っとくけど俺にだって……恋人くらい、いるんだからな。」
「妄想上の、ね。」
「信じてねえだろ。その哀れむ目ぇやめろ。」
十二歳の照れ隠しと二十五歳の強がりはどっこいどっこいであった。勝敗はどちらが長く湯船に浸かっていられるかに持ち越され、どちらも茹で蛸になって畳に倒れ込み、湯冷めしないうちに明かりが消された。
そして、弱いものは連れ去ってしまおうと企てているようなきつい風がよもすがらヒューウと鳴き続けた。





―― (三)――、あるいは別の終わり方

4-別.

明け方、カカシは全身の痛みにうなされて起きた。どこもかしこも急激に伸びたせいである。彼は、横の呼吸がすう、すう、と寝入っていることを確かめて布団の下に隠しておいた頓服をこっそり舌に載せた。脳裡で五年分の記憶が蠢く。
(十七……だ。)
それらの齣々を自在に支配する権限は記憶ではなく意思にあるのだと自身に強いて、取り戻した出来事を、閉じた瞼の裏に正しい順を追って並べていった。
(この歳が、未来の俺の遡りたくなかった年……。)
だろうね、と納得したら、ひとりでに口の端が釣り上がった。体を起こすと、イルカも目を覚ました。

「おあ……うぐ!」
寝ぼけ眼に成長したカカシが映り、叫びかけたその口を塞がれた彼は、あげく馬乗りになられた。
「うるさい。」
裸の筋骨は、昨日よりも一段と元の年齢に近づいていた。おまけに声変わりも終わっている。「いい? 今から手を放すけど、大声を出したら躊躇なく殴るから。」
躊躇なく、殴る。イルカは胸で復唱した。そして、「分かった?」の念押しに頷きながら、本当に殴るだろうかと思った。
だから、実行した。息が楽になるや否や「わああ」と腹から声を張りあげたのである。すると、跨る若者は前言の通り彼の左頬を思いきり平手打ちした。パンと乾いた音のした頬が、氷でかじかむのに似た痛さのあとからカッと熱を持つ。
「意味分かんない。何が目的なの。」
「本当に、やるのかどうか、知りたくて。」
「教壇に頬を腫らして立ちたいの。」
教師はぶんぶんとかぶりを振った。
「そういう趣味かと思ったよ。なら、虚仮威しじゃないって、体で覚えられてよかったね。」
色違いの瞳は生気を欠いていた。「ねえ。アンタの服、貸してくれない。」
「ああ、服なら、貴方のがあるからそれを。」
二十歳に届いてないですか、今の貴方まだ、と訊ねながら着替えを渡し、イルカは頬を冷やすのも兼ねて顔を洗いに立った。
まーねと答えて忍服を受け取ったカカシの身長はイルカと大差なくなっている。この歳頃の彼とも、イルカは初対面であった。

「ところで、どうして俺の服がこの家にあるのか、それも下着まで。昨日までモヤモヤしていた部分と同じ謎なんだけど。」
部屋の住人が髪を高く結い上げている鏡に、背後の不機嫌な目が映り込んだ。
「つまりは関係性。アンタ、確か言ってたよね。」
若い男は、洗面所を閉てきる引き戸の縁に寄り掛かり腕を組む。そして、
「俺とは家族同然だって。大切に思ってる。それから、アンタの人生に、ぎちぎちに食い入ってる、だっけ。俺の服やら食器やらも、ここにはあるんだよね」と、そこで思考する口調に区切りを付け、意地悪くじわじわと論を結んだ。
「これってさあ、ひょっとして、俺とアンタって、付き合ってるんじゃないの。」
図星を指されてイルカは下を向いた。どう応じるべきであろう。不用意な首肯は躊躇われた。

「なんだ、当たりか。」
カカシは、なるほどねえ、ふうん、と舐めるように知らない恋人を見た。「なあんかおかしいと思ってたんだよねえ。」
右から下から、様々な角度からじろじろと目が動く。「付き合ってるったって、どうせアンタから告白したんでしょう。」
出任せの断定はかなりの切れ味をしていた。「俺、アンタで遊んでんのかな。」
カカシは二十六の、自身の思惑を揣摩していた。「だって俺がアンタと暮らすわけないでしょ。」
鋭利な言葉に斬られた心がじんと痺れる。それは、張られた頬よりずっと痛い。
「ね、怒ったの。」
記憶がないとはいえ、本人の口から面と向かってこんな台詞を浴びせられて応えないほうがどうかしている。イルカは返答に窮した。
「ねえ、俺、怒らせた?」
「いいえ。んなことより火影様の所へ報告に行って下さい、また大きくなったって。」
この人にはいったい何遍どん底があったのかと思いながらカカシを擦り抜け、背を向けたまま彼は下駄箱を叩いて示した。
「鍵、貴方の分はここにありますから。」
浅い小箱には、いつもカカシが無造作に手から落とす小銭と合鍵が入っていた。

人の目がなくなった。四角な空間が静まり返る。強靭な心力でもって監護役に不調を気付かせなかったカカシは頭を押さえ、
「ぐ……。」
そして、床に這いつくばった。
「く……、は……。」
這って、痛み止めに手を伸ばす。顔面は蒼白である。錐を捻じ込まれているような頭痛がしていた。





5-別.

数十分後、日の下へ姿を現したカカシは、火影の御前ではなく自宅へ向かった。彼は、成長の止まった点が無作為でないとするなら、それはこの歳に抱えていた悩みが未来において取り返しのつかないことになってしまっているということだという焦燥の念に駆られていた。
(俺のカルテが、出来てしまっているかどうか。)
森閑のしみついた古い家を見回したのはそれを物色するためであった。

寝室の板棚に、写真立てが飾ってある。術に掛かった朝には気付かなかった。
「間の抜けた顔。」
恐らく術が解けた暁にはこんな男になるのだろうという、未来の空気が切り取られている。白けた手付きでカカシはそれを写真立てごと屑籠に捨てた。
寝台の縁に腰を下ろし平時の息遣いを心掛けつつ、今いちど過去を整列させてゆく。


あれは、十二の秋口であった。父の机周りに触れたのは。
随分前に鬼籍に入った人の遺品に、漸く手を付けた。といっても、処分した物は殆どない。使われなくなった物と邪魔な物とが等号で結び付かなかったからである。彼は単純に、誰のものでもなくなった抽斗を開けて、所有者を失くした物を見分していった。
その時に、薬の袋とカルテを見付けていた。しかし、横に走る汚い文字を外国語であると判別したきり少年はそれを発見した場所に仕舞って過ぎた。患っていたものがなんであれ、後の祭である。長いことそう思っていた。
ところが、頃日――未来から振り返る形で換言するなら十七に差し掛かったころ――、その思いが、遺伝というたったの二文字で我が身に跳ね返り、こんなにも根深く刺さって生を脅かすのだという見方に転換した。それで彼は、久しぶりに抽斗からカルテを抜き取って見たのであった。

(俺が『選択を間違えた』と思っているとするなら、この件しかない。)
彼の感覚は、十日前に抽斗のカルテを携えて暴挙に出た末に、昨日獄房から放免された時点のものである。
つまり、十七歳時の何が障壁として立ちはだかり、解術を阻んでいるのか、そのことに、今回のカカシは自覚的であった。


意を決し立ち上がると、彼は己のカルテという恐ろしい物の有る無しを探し始めた。それは、疑念を晴らすための行動であった。無いに決まっている、絶対に無い、絶対に無いと不吉な仮定を打ち消して、自分が置いておきそうな場所に手を掛ける。応急処置に使う消毒液や常備薬ならそこに保管している、茶箪笥の引違いを引いた。俺は違う、俺は違うと否定した。けれども、探し物はあまりにあっけなく見付かってしまった。
(――発病、しているのか。)
辛うじて数字は読める。初診は十九。
(嘘だろ……。)
インクの書き込みは二十三の年を最後に止まっていた。話では、自分は二十六まで生きているはずである。いや、それより何より、まずもって手にある事実を受け入れられなかった。

カルテの字を読み解くことはやはり不可能であった。たとえ奇麗に書かれていたとしても、素人では歯が立たぬ専門用語ばかりであろう。
常服薬の袋は、薬箱にもどこにもなかった。
カカシは、二十六歳の自分の容態を知りたかった。となれば、次の行き先は一つしかない。


世を覆う戦乱から隠れるように崖下に築かれた旧町は、史書を紐解けば清らかな滝を水源として牧歌的生活を営んでいた集落である。新興地の隠れ里のほうが勢力を増して接収されたが、目と鼻の先に花街が開かれると山肌は夜な夜な幻惑の灯をぼうと浮かべ、成らず者がその奥の森から漂着するのに伴って、じょじょに自治の色を濃くし現代に至る。
だからであろうか、特殊部隊員を養成する、中央の管轄でない根という組織を里は擁しているが、木ノ葉における闇とも称されるこの部門との結び付きは、時代を下るにつれ強まっていった。
そうした土地柄であったり、日照時間の短い地理的特徴であったりを指して、そこを地下街と呼ぶ忍もいた。
石材の建造物と、道の起伏の多い町である。石畳を進むといつのまにか二階の出入り口と繋がっていたり、中二階、半地下といった中間階がざらにあったりして、その構造はさながら立体迷路であった。
彼は、木板が打ち付けられた灰色の壁の前に立った。そこは、カカシの感覚に沿うならば、八日前にやっとの思いで突き止めた医者の住処であった。
いちいち世界の現在とそれを見る感覚がずれていることに苛立ってしまう。
無断で力任せに揺すり、ガボンと下の木枠から板を剥ぎ取った。次に出現した玄関を蹴りでぶち抜き、ずかずかと侵入する。看板も診察時間の案内も表に掲げられていないところは変わってなかったが、きらきら舞う埃と室内の空気の淀みは、長きに渡る住人の不在を示していた。

屋外へ出た彼は当てのない足取りでふらふらと歩き始めたが、自身が思っているより疲労困憊していたのか意識がだんだんと遠のいていき、気を失ってばたりと倒れた。そこを上忍長に捕捉されて、緊急入院の措置が取られた。





6-別.

シカクは偶然居合わせたのではない。彼は密かにイルカの家を張り込んでいたのである。
太陽が昇り、イルカが通勤路に就いた。正午には火影が里に帰り着いている。それまでに何事も起こらなければ異常なしとして切り上げれば良い。
だが、事は悪い方へ転がった。ほどなくして対象と思しき人物も家を後にしたのである。しかも、それが対象で間違いないなら、その体躯は成長していた。頭髪ごと厳重に覆面してはいたが、留まった番地によっていよいよ正体がカカシであることに疑う余地はなくなった。そこに建つのは彼の生家だったからである。
それからも、事態は目まぐるしく展開した。外套のフードを目深に被った対象が、風を切って青線区域を越えてしまったのである。行方の候補は二地区に絞られた。そこでシカクは里長に、カカシの動きを伝えた。
「あのチビが、チビではなくなっただと? いつの話だ。」
「遅くとも朝の八時には。自宅に一時間ほど籠ったのち、一条をさらに北上。」
「さらに?」
「はい、赤線もしくは旧町において活動中かと。」
「ふん。いただけないね。とっ捕まえるか。分身を追尾に回しているんだろう。陽の高いうちから忠を忘れて、何をしに行ったんだか。」
「さて。」
そうこうして談じていたところへ、カカシの体が運び入れられたのであった。



救急搬送されたと午過ぎに聞いていたイルカは夕方になって、木ノ葉病院の特別棟に駆けつけた。こちらは、木ノ葉病院といってもその広い敷地内にはなく、大病院の一端ではあるが、術に罹った者や特殊体質の忍などを一般の医療空間から離して診察、看護する一画である。
「無事ですか。」
「何しに来たの。」
「遅くなって、すみませんでした。」
個室の一枚扉が無音のうちにゆっくりと閉まる。体を繋ぐ管の一本もないことに安堵したイルカは、へたり込んだ。それを見て、寝台のカカシは決まり悪そうに頭を掻いた。
「大丈夫。」
「心配しました。」
「大袈裟だね。」
「そんなことない。」
「一気にでかくなった体になかなか馴染めなくて、ちょっとよろめいたってだけなんだから。」
「本当なんですか。」
「ホント。それよりアンタ、仕事ほっぽりだして来たんじゃないだろうね。」
「いえ、大した手当ては受けていないと報されていて。だからこんな時間になってしまいました。」
「そ。ならいい。じゃあ、ここには用がないし、もう帰ろ。」
「……はい?」
「こんな所に居たくない。なんともないのに。ぴんぴんしてるから、帰る。」
「何、言ってるんですか。今後のことは、火影様にも診てもらって、よく相談しないと。」
「なら相談してきて。」
「は?」
「そういう役でしょ。あ。イルカ、朝は意地悪しちゃって、ごめーんね。」
そしてカカシは、目をぱちくりさせている彼を「早く、早く」と急き立てた。

なんだか朝とは感じが違うと思いながらイルカが本部への渡り廊下を踏んだ時である。俄かに後背の病棟が騒がしくなった。
「きゃあ、窓から人影が!」
「なんだ、どうした!」
「二階、二階です!」
「脱走です、患者がいません!」
イルカは即座に(やられた)と思った。が、引き返すより一刻も早く騒動を告げるべく火影室へと足を速めた。

「やってくれたな、あのわっぱ。」
綱手は、物の怪の恨み節みたいな低い声でとてつもなく深い溜め息を吐き、腰に手を当てた。
「あの人、いま幾つなんですか。」
「お前も掴んでいないんだね。それが、口を割らないでいる。」
「シカクさんには。」
「誰の問い掛けだろうが、うんともすんとも言わない。それどころか処置の間じゅう人形なみに無反応だったよ。手の焼ける。」
そこで、外見から推測して十代半ばを念頭において公的記録が調べられた。これはシズネの進言である。
結果、十七歳時の懲罰履歴が一件、カカシの過去から炙り出された。記されていた内容は、色街で三日三晩の放蕩と、出頭要請の無視、刑は五日間の蟄居謹慎というものであった。
それにもう一つ、彼の所持していたカルテについても調べる必要があった。これは綱手自らが目を通した。
無論、廃屋の詳細も調査された。

まず、九年前のことだといって記録にあった店にさっそく質してみたところ、そんなに経っているならいいだろうと、遊郭側は回顧しつつあっさり新情報を提供した。女将の話によれば、銀髪の若い客は女に手を付けず、旧町で人探しをするために近場のここ、花町に逗留していたというのである。取り調べを受けた折、カカシは一貫してその真の理由を白状しなかった。遊蕩していたと口裏を合わせた店の者も、ぬかりなく買収済みであったと推測された。
需要のなさゆえに健全な宿屋という商いが洛外に、表向きは存在しない。看板と店の実態が一致していないことの多い旧町は閉鎖的でもあり、時間の惜しいカカシは寝所として遊郭を使い連泊していたのである。
また、廃屋の住人は医者であったらしい。それも所謂闇医者であったが、数年前に他界しており、空き家に顧客を洗えそうな代物は落ちていなかった。
加えて、カカシの懐にあったカルテの側面からは、彼の父親についての記述も見られることから同一人物が診ていたと推定された。
手分けして持ち帰られた以上の成果と、彼の背景を分析し、全体像が導かれた。

正式な休暇の申請は、述べたところで通らない理由であることが分かりきっていたために断念した。そこで、あらゆるものを捨てて十七歳は、無断欠勤という強硬手段を取った。そうまでして闇医者を探し出した。二年後に彼はカルテを作られている。そこから、彼が父親と同じものを発病している可能性が生じてきたのであった。
「体に変化が起きたというのに、しかるべき行動を放棄して北区へ走った。奴を突き動かしているのはかつての、この時期の感情と類似したものではないかということだ。まだ正確な年齢は判明していないけどね。」
「……鵜呑みにするのはいけないのかもしれませんが、今朝、まだ二十歳になってないんですかと訊ねたら、まあね、と。認めたくないけどそうだという意味で、彼は使います。」
「ほう。ならば奴は十七、八、九のいずれか、か。」
「あの人に、何が起きているんです。」
「身柄を確保された時には、解離を起こしていた。状況からみて、この要素以外に奴の抱える問題が他にあるとは考えにくいが、何しろ本人から話を聞けなければ周りからの支援は何も進められない。」
「命に、関わるようなことは起こらないんですよね。」
綱手の顔色は優れなかった。
「確かに私はお前にそう言った。けれど、そう楽観していられなくなったかもしれない。」
「どういうことなんです。」
「うむ……。」
「また、守秘義務ですか。」
イルカは震える声で訴えた。「なら、俺じゃなくてもいいんです。誰か、他に事情を打ち明けられる人に……。頼みます。俺じゃなくていいから……。」
自分の発言に傷付きながら、膝に置いた拳を強く握って首を垂れた。「誰か、あの人の力になってあげられる人を教えて下さい。俺が頭を下げに行きます。しゃしゃり出るなと言うなら俺は……身を退いても……。だから、他の人……、他に……。」
「早まるな。そんなせっかちの性分でよくあいつと渡り合えているな。あれの相手が務まる人間なんてのが他にいたら、とっくに呼んでるよ。そうだろう。」
綱手はそれから、今後の話を切り出した。
「倒れた際の目撃証言から考えて、本当なら二日間は入院させて様子を見たいってのに。イルカ、お前、大人しく入院するようあいつを説得してみてくれないか。」
「……俺で、いいんでしょうか。」
「イルカ」と、里長の眼光が鋭くなった。
「は。」
男の乾いた喉がぎゅっと上下する。
「お前も忍を育て上げる機関で一単位を任されているなら、その見識を見せろ。それとも、先生の冠はお飾りか。無能なのか、貴様は。」
「……。」
「いいか、イルカ。説得だ。」
「は、はい。説得……。では、ああ、そうだ、まず探さないと……。」
「奴の行きそうな場所かい。そんなもの。探すも何も、お前んちに逃げ込むのが関の山さ。」
そうでしょうかと半信半疑で自宅に帰ってみると、予言が的中していたからイルカは、やっぱり火影になる人ってすごいんだと思った。










-続-
>7-別.〜8-別.(あるいは別の終わり方)
>目次