企画text09
此処に眠る。

- 現役火影

2.>
別れ話



1.

身の丈ほどもある大きな筆でバッとしぶきを散らしたような梅の花が紅白に咲く春先に、その年度の卒業生の門出を祝った。中でも手の掛かった生徒について、新しい生活が気に掛かる。順調にいっているのか。
それを担当の上忍師から聞き出すことができればと、イルカはカカシに声を掛けていた。二度、三度。断られても懲りずに誘い、ようやく約束を取り付けたのは、里の木々が日ごとに青々と繁りゆく季節であった。
差しで飲む段取りをつけ、当日初めて本格的に話をした。そしてイルカは、カカシに首を絞められた。

彼は、下忍として世に出た元生徒の、新米にありがちな失敗談や溌剌とした活躍ぶりを聞けるか聞けないかという身近な段差の足場から、そんな一段などちっぽけに見下ろす、または見上げる窮地の段に連れ去られた。ちょっとした言い合いの末に、喉元を押さえ付けられたのである。自宅に招いてのことであるし、しかも二人きりであったため、目撃者はいなかった。
だが、聞き手を困惑させる展開はそれ一つではなかった。変事は間を置かず、さらにがらりと様相を変えた。
身体的に肉迫した距離の急変は勢いよく捻じれて、何人も予見し得ぬ未来へ、ピョンと跳ねた。実際に何が起きたのかといえば、不味い空気がイルカの機転で丸く収まった時、「好きだ」と彼は告白されていたのである。


まず、からっと晴れた初夏の昼間、彼らは初めてまともに会話を交わした。そしてその数時間後に、片や馬乗りになって相手を息も絶え絶えにさせており、片や畳をバシバシ叩いてどうにか解放されていた。
そこからして早くも十分におかしな話である。にも関わらず、聞くところによれば、とんだ災難に見舞われた男は直前の出来事を引き摺らず、怯えもしないで酒杯を手に取り、中途であった飲酒を再開させたという。
そんな奇人の磊落ぶりに柄にもなく動揺したカカシが「付き合って」と支離滅裂なことを言い出し、そうすることによって彼は、こいつは何者だ、というモヤモヤへの結論を保留にしたのであったが、この話には、初めから終いまで聞き手の腑に落ちるところがどこにもない。
なぜなら、首絞め男の無茶苦茶な申し出にさえ、あっけらかんとしてイルカは、「俺でよければ、どうぞ」とその場で了承してしまっていたからである。



イルカは、同じ一日のうちに起こった一連の流れを、それもなるたけ奇抜な印象を与えてしまわぬよう努力を払って、ごく親しい仲間に説明した。が、そんな努力の甲斐も虚しく、交際するに至ったなりゆきを一通り聞き終わった面々は、辺りに正当なクエスチョンマークを乱舞させつつ口を揃えて、
「意味が解からない。」
と、そう返した。


カカシは、程なくしてイルカの、近況を知らせあう一同に引き合わされた。なかには子をあやす若夫婦もいて、彼らの頭数で貸し切り状態になる小さな飯屋に集まった。会が始まると店の亭主も板場から話に参加した。そこで、
「これの相手をしてて、疲れませんか」と恋人の旧友に訊ねられたカカシは、
「疲れるよ」と、迷わず答えた。
「あっはっは、ですよねえ。」
「ああ。俺、変な生き物が好きなんだよね。」
「い、生き物、ですか。」
「そう、なんでそんなふうに進化しちゃったのっていうやつ。」
「進化……?」
真横でその遣り取りをもろに聞かされていた当の人は店の表で皆と手を振り合ったあと、恋人と並んで歩く夜の道で、
「本心ですか」と蒸し返した。どこか力のない声はすぐ足元にボトッと落ちた。

「ハ?」
「あの、疲れるって……言ってたの。」
「ああ、あれね。それがどうかした。」
「俺と居るの……疲れるなら……、……別れ、ますか。」
「何それ。」
「……。」
カカシのむっとしたのが、俯きながら感じ取れた。
「別れたいの?」
「……。」
自分はどうしたいのかを聞き返されて、イルカのトボトボとした足取りは、道端の防火用水に差し掛かったところで止まってしまった。四角い石造りの水槽に赤い金魚が泳いでいたが、それを知るのは近所の子らばかりである。

豆粒くらいの鈴を転がしたような、ヒーリリリリ、ジジリ、ジジリ、という虫の音がさかんにする。生温かい風にカカシは眉を曇らせた。
「あのさ、そのつもりもないのに交渉の手口として、その言葉を使わないでくれる。今度言ったら俺はそれこそ本心と見なして、本気の話し合いとして扱うから。覚えておいて。」
「……。」
「で。その上で聞くけど、なんの話だったっけ。」
「……カカシさんが……、……。」
望むなら、と言い掛けて、しかし、相手を主語に置いた出だしでは駄目だと、イルカは残りの言葉を口の中で噛み潰した。

「アンタさあ。人の気持ちを妄想することばっかりしてないで、自分の気持ちをもっと口に出しなよ。」
パンパンに膨らんだ風船を針で突き刺すように、まだあと一言、二言はけしかけてやろうとカカシは思っていた。けれど、割れるに決まっているものを割ったところで一時の退屈凌ぎにもなりはしない。イルカとは時間を掛けて、もっと他のことをしたいと思い直した。そうして頭をガシガシと掻いたところへ、考え付きもしなかった台詞が飛んできた。
「俺、カカシさんが……、口付けしてくれるまでここを動かない。」
「は……?」
イルカを直視した心臓が、ビリリと痺れた。消沈の翳りは既に払われ、思い詰めた顔付きの代わりに挑戦的な黒い瞳が冴えていた。どうだとでも言わんばかりである。その切り換えの早さが、魅力的に映る。


二歩半引き返したカカシは覆面を下ろし、イルカの唇に唇を合わせた。
「な……、ほ……。」
本当にする奴があるかと文句を言い切ってしまえないくらい、イルカの胸は早鐘を打っていた。てっきり言い負かしてやったとばかり思っていたからである。カカシは路上でそんな振る舞いをする男ではない筈で、今頃は一泡吹かせることに成功している筈であった。
誤算した頬の紅潮していることは、街燈のはざまの薄闇に包まれてなお容易に知れた。
「アンタがしろって言ったんでしょ。」
カカシは、その気になれば何十手でも引き延ばせる事態を収束させる、最少の手数を選んだ。効率と合理性はともに、人間関係を考える際にはむしろそこからどんどん離れていくことになる言葉だとイルカに教わっていたので、「手間を省いて」という率直な答えは口にせずにおいた。なにより、張り合いのない対局に着くより、裏をかいた気でいる奴の鼻を明かしてやるほうが面白い。

停まっていた足をどちらからともなく開きだす。と、すっかり虫の居所が直ったのか、大人しく引き下がれない性分なのか、ほんの三分前には落ち込んで、別れるとか別れないとか愚図っていた男が、御得意の悪戯を仕掛けてきた。
「じゃあ俺からは、手を繋いであげますね。」
「駄目だって。」
「遠慮なさらず。」
「してない。誰が見てるか分からないって言ってるの。」
「口付けはしたのに。」
「さっきはさっき。人目がないことは確認してたし。」
「ヘェヘェ、不用心でスンマセン。分かりましたよ、ま、今日のところは、そうだな、あの坂道に出たら放します。」
「アァ、もう、暑い、歩きにくい。そうやって纏わり付いてて、俺に突き飛ばされても知らないよ。」
つれなくブンとカカシが手を振り解いた。そして両手をポケットに隠す。
「ぬ。」
イルカはその肘に腕を絡めて余計に彼との距離を縮めた。
「腕を組むほうがよかったですか。これは気が付きませんで。」
「俺に触れるなと言っている。」
「にっははは。」
嫌がりつつも密着を許しているカカシは、似たようなこまごました攻防を重ねたある日、〈動物の血と熱〉を〈肌の温もり〉と初めて感じている己を認めた。
彼はイルカを例外として受け入れた。同時に、その〈ぬくもり〉という感覚はおそらくイルカを相手にしか抱かないだろうと、他人事めいた不干渉を保って自分自身に予言した。



さて、誰にも信じてもらえないきっかけで、ふっと恋人同士になったカカシとイルカは、周りからしてみればどうして未だに嫌気が差さないのだか知れないが、全人類規模の動乱を越えて十年が経っても別れていなかった。どうして、というその疑問は、冷酷無比に任務を遂行する上忍に人当たりのいいイルカが長年耐えられていることと、反対に、常々白眼視していた忍者学校教師という任を務める中忍に人間嫌いのカカシが耐えられていることの、双方に投げ掛けられていた。傍目には水と油のようにも思われていたのである。
ともあれ歳月の層が十年厚くなるあいだに、全世界の忍が動員された大戦が終結した。それから、新時代へ向かう里を、何をおいても再建するという役目を負った六代火影の座に、これまでの功績が大きかったカカシが就いた。イルカは、忍者学校という現場を離れはしたが、相変わらず教育に携わる仕事に日々どっぷりと漬かっていた。


火影に就任したカカシは、じかに仕事の出来不出来を見られることのない遠巻きの、例えば事務棟に座る一窓口員にとっては、比較的無害であった。追従笑いが通じないくらいである。ところが直接の仕事に当たる忍にとってはそんな程度では済まなかった。彼らは酷薄に成果を問われた。
火影が口を開けば理詰めの弁舌が、水責めの息継ぎみたいな苦しさをもたらした。睥睨された対立派は、背筋が凍る怖気に襲われた。眼光が人の心のフワフワと柔らかい部分を抉ってくる。あるいは、水面下で綿密に整えられる手筈、時機がきたら表立ってとことん追い詰める情け容赦の無さ、それに、表情が見て取れない覆面も加わった、つまるところ六代火影のあらゆる要素が対面する者に緊張を強いた。冷静過ぎるほど冷静な指示や、時に意図的に垂れ流される氷柱のような気といった彼の、ぴったりと閉じた冷厳さを体験した者は震え上がり、「絶対に敵に回したくない」と洩らすのである。
だからイルカは、よく似たり寄ったりの質問をされた。
「家ではどうなの。」
と。
一口に「怖い」と専らの評判であるその人となりがそのまま変わらないのであれば、あんな血も涙もない男とよく付き合えるなと思うし、内と外とでコロッと態度が一変するというのであれば、どんなふうに人間味を帯びるのだか是非とも聞き出したい。どちらにしろ、人は暴きたいのである。そうして良心の目を盗んでは餌を与え、興味本位という欲をブクブクと肥大させている。

これにまつわるイルカの返答は、的確に有り体を表現していた。
「わりと酷い目に遭っています。」
恋人の飄飄とした見かけによらない冷徹さは、木ノ葉の忍を統べるという役割上の性格ではなく、それは、彼の持ち前の無感動さそのものなのであった。具体的な小話など日常茶飯事が過ぎて、挙げればきりがない。
ある時は、恋人の肩を抱き寄せようと試みた腕は目にも留まらぬ早業で腕ひしぎを掛けられていた。カカシがやめない場合、ざっくりといえば肘が折られる。イルカは自宅にいながら、山奥の野生動物の捕獲に挑んで牙を剥かれた気分を味わった。
またある時は、遊んでくれよと足の裏をゴンゴン当てて読書中の胡坐にちょっかいをかけていると、素早く足4の字固めを決められていた。イルカはまんまと罠に嵌った獲物よろしく動けなかった。縦一本の骨に横から耐え切れない力が掛かる為、カカシに脛を砕く気があれば、後はいわずもがなである。
休日に奈良一族が管理する丘陵公園へ出掛けたりなんかして、鹿の親子連れを遠目に「好い天気だなあ」なんてイルカが芝生でのんびりしていても、油断しきった身から出た錆かしらん、両脚を掬い取られたところからぶん回され、遠心力に任せて投げ飛ばされたこともあった。頭に血は上るわ、目は回るわ、そのクラクラするまでの一部始終をちょっと離れて弁当を広げていたよその家族に見られてしまったわ、目と鼻の先に鹿の糞は転がっているわ、もう散々な思い出である。
そのせいでとは言わないが日常生活で拵えた打ち身や掠り傷を見付かりでもしたなら、そんなときに限って、向こうから手が伸びてきた。当然のことといわんばかりの顔をして、負傷個所に指を当てようとするのである。
数数のそうした奇行に及ぶ理由をイルカが問い質した時、カカシは、
「やるとアンタがワアワアはしゃぐ」と答えていた。

いくら説いても誤解の糸はこんがらがり続けた。それでも、なんだかんだとありながら年数を経るうちに、イルカのほうで大胆な可能性が見出されていた。その可能性とは、仮に、される側の感覚に即して言って背後を取られたとする、しかしひょっとしてそれは独特な抱き締められ方をしているのではないか、という新しい解釈である。
後ろから胴伝いに回されたカカシの両腕は、一応臍の辺りにくるにはくる。
ところが、さながら地中に埋まる大きな蕪を引っこ抜こうとするがごとき力の込め具合でもって、それがグイとイルカを斜め後ろに持ち上げる。けれどもイルカは土に深く埋まる蕪ではなく、下ろしたての石鹸を手に鼻歌交じりで洗面台に立つ人間なので、不意に内蔵が圧迫されて「オエ」と鳴く。力の加減とくっ付いた後の動作を、彼の恋人は全く間違えているのである。カカシの上体は前へ覆いかぶさらない。勿論イルカの体も若干反って、足が浮き上がる。いい体格の男の重量を思い付きで持ち上げる変人の目的と腰がイルカには心配された。
ついこの間はそのままグルグルと回転されて、下ろせと注意していた半ばで手を離されたものだから勢いの付いたイルカの体はズザッと台所の床に打ち捨てられた。彼の恋人はといえば、「ギャア」と上がった声に背を向け、スタスタと脱衣所に移動してしまった。その場を取りなす「ごめん」、「ちょっとした遊びだよ」といった肝心の一言がない。聞こえてきたのは、ザーというシャワーの激しい水音であった。
イルカは閃いた解釈を、事実に自己を無理矢理合わせる後退的な誤認でないかという批判に晒し、判断に慎重を課した。

「普段の加虐嗜好を矯めたらどうです」と彼が詰ったら、
「俺にそんな趣味はなーいよ」と否定して、カカシは言い足した。
「……ま、イルカをやっつけるのは楽しいけどね。」
「待て、待て、待て、なぜイルカをやっつける。いいですかカカシさん、恋人はやっつけるもんじゃない、ヨシヨシするもんなんです。」
「……。」
「なんだその目は。さあ来い、存分に愛でるがいい。」
「いや、うちのイルカを舐めてもらっちゃ困る。」
「あン?」
「イルカさんはそんなことで満足するような子じゃないんで。」
「するから、満足! イルカさん、意外と普通の子だから! 何回言わせるんだ! なんでこの誤解、一向に解けねえんだ!」
「うちのイルカさんを喜ばそうと思ったら貴方、そんじょそこらの生温い遊戯ではとてもとても……。」
「イルカさん自身が喜ぶっつってんだからそれをしろよォ!」
「……『しろ』?」
「……すれば……いいじゃ、ない……スか。」
「ヤダ。」
「腹立つわあ! この野郎、腹立つわあ!」
布団に寝そべったカカシは白い天井を白紙に架空の鉛筆をクルクル回しながらぼんやりと思考を巡らした。そもそも加虐性愛なんてものがあるのか。互いに合意の上でなされている行為の場合、そこに居るのはもれなく被虐性愛者の気がする。行為が一方的である場合、そこに見えるのは被害と暴虐の外観であるように思う。そして性的な高まりは副次的なものであるように思う。彼はゴロンと、ぶつぶつ言いながら目覚まし時計の摘まみを上げるイルカを向いた。
「イルカは俺に構ってもらえて、嬉しいんだもんね。良かったねえ、カカシさんが遊んでくれて。」
「脳味噌になんか湧いてんじゃねえの。」
「なんだ、口が悪いな。遊び足りないか。」
「お休みなさい、カカシさん。」
イルカは〈例外〉である。カカシがそう表現した時、彼の恋人は、それなら〈特別〉のほうが好ましい、と修正を希望した。カカシはいつしか、確かにそちらのほうが適っていると思うようになっていった。


毎度毎度のすったもんだから、イルカは、解釈の仕方以外にもカカシに対応する際の有用な戦法を編み出していた。それは、一般にごく当たり前の前提であるがゆえに見過ごしていた、基本的な約束事の確認であった。
「痛いことしないで下さいね。」
接触するより先にこの一言をずばりと言っておくのである。
そうするとカカシの選択肢の幅は、不思議なくらいうんと限定された。おかげでイルカは思いのほか自在に甘えることが可能となった。
試しにカカシの肩につむじを押し当ててグリグリグリグリとしてみた。
反撃はない。
効力は、抜群であった。

意外な攻略方法を発見してからというもの、暗にそのフレーズがイルカの誘いの合図になった。

秘めやかな意外は他にもあって、ちょっとした生傷なら指の腹で弄ろうとしてくるくせに、彼の恋人は、背中に残る大きな傷の痕にはちっとも触らなかった。それどころか、ツルッとした赤っぽい皮膚にイルカ自身の体重が掛かることにすら神経を割いて庇っていた。
思い切って抱かれる側に回ったイルカが、俺が本当に嫌がることはしないのだと、カカシの理を悟った時、誰かに身を委ねた経験などなかったけれど、その誰かがカカシに定まったことの正しさを体感した。
施される優しさがたとえ湧き出たものでなく作り出されたものであろうとも、大切に扱われたのは本当である。そうした彼の線引きを感じると心を満たした激しい情念が溢れて、熱っぽい涙を生んだ。
彼の正体は複雑怪奇で、解かりにくい。解かりにくいから、他者と解かり合える機会も少なく、孤独の寒さがその心拍に染み付いている。イルカは、自分ばかりが火照った心を開いて終わるのが淋しかった。叶うならば、彼の手で高められたその熱を半分、彼の懐へ返したかった。
カカシは、
「後悔してるの」と静かに問うた。
イルカが懸命に首を振った。
「カカシさんのこと……、この世で一番理解したい……」と泣いた彼の髪を、カカシはそっと撫でた。
「もうしてると思いますよ。」










-続-
2.>
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