単発text02_2
此処に眠る。

sideK 酒の肴

<1.〜3.
蓼喰う虫の休日



4.

引っ張り出してきた網で大雑把に肴を炙る姿が似合う独身男に、カカシが思い出したように話し掛けた。
「そうそう、イルカ先生。俺の班に入った三人についてなんですが。」
「はい!」
いかにも嬉しそうに元気良く振り返ったイルカは、瞬く間に捨てられた子犬のような眼差しになった。
「アンタに話して聞かせる気はこれっぽっちもありませんから。」
「……、……。」
「そんな目で見ても駄目です。」
「駄目か、ちぇ。」
「よくそれに効力を見出しましたね、美人でも若い女でもない、むさ苦しい野郎の分際で。」
「ぬう。なかなか手厳しい。」
「……。」
我ながら言葉を上手く選べていないと思う彼はイルカの後ろ姿を見詰め、こいつの堪忍袋は一体どうなっているのかと呆れた。

(この男――。)
一方の足の裏を片足立ちの脛に擦り付けている下半身。摘んだスルメをひらひらとさせる上半身。この、締りのない雰囲気といったらない。後頭部で一つにひっつめたトレードマークの黒髪も、カカシには伸ばしているのではなくほったらかした結果伸びたのだと思われる。今日は休日とはいえ、仲良くもなんともないうえに性格も悪い上忍を招いている最中なのにこの有り様なのである。
(アカデミー教師――。)
普段の日中は、どんな顔で忍の卵を育成しているのであろう。
「ねえアンタ、普段から怒らないの? それとも、怒れないの?」
「はい? なんです、聞こえない。」
「……。」

よくよく思い返してみれば、この男が受け持っていた生徒は対応の難しいのが多い。イルカの担当クラスは特殊であった。
(今更ながらに里側の思惑が窺えるな。)
扱いの難しい生徒らがこの教師に集中している編成は意図的なのである。
改めて見ると、醤油を片手に戻ってきたイルカは胡坐を掻き、何食わぬ顔で炙りたてのスルメを割き始めた。
自身の付き合い難さは相当なものだが飄飄としてそれと渡り合っているこいつは一体何なのかと、カカシはますます気になった。
「アンタ喰わせ者だね、イルカ先生。」
「何をおっしゃいますか。突然ですね。私はただの、明日のより良き忍社会を夢見る凡庸な一中忍教師ですよ。」
スルメを顔の横でひらひらさせて言う様がどこか挑発的で、それがカカシにはとても扇情的に映ってしまった。ちらちらと奇妙な近い将来が脳内に映ってしまった彼はそれ以上の深入りは禁物だと、狼狽える視界を筑前煮の大皿に落とした。そうしてスプーンを手に取り、現実に触れた。
「おや、食べるんですか。いいんですよ、無理しないで下さい。」
「してません。」
「優しいんですね、カカシ先生って。」
生まれてこのかた誰かから優しいと言われたこともなければ己の残虐性も重々わきまえているカカシは、自他共に認める歴とした優しくない人間であった。

予期せぬところで思わぬ人から、しかも我が身とは無縁の評価を受けた彼はちょっとした混乱に陥ってしまった。
「や、優しくなんてないんですよ。」
人はこの態度を照れと表現するかもしれない。だが、本人にその感覚は全くない。
「ふは、可愛いですね。」
「泣かすぞ。」
「それじゃあ、悲しいですね。」
ふっと真面目な眼になったかと思うと、ぼうっとした笑みをイルカは浮かべた。それは、とても柔らかい印象を与えるものであった。
「ああ、もう!」
彼は、何が何だか分からないにも拘らずイルカの創った迷宮に見事に嵌り込んだ実感だけはあって苛々した。苛々しながら、不可解なことに、その優しい声音を世界で自分一人のものにしたいと思ってしまった。すると、血迷ったかと心の深淵が間髪を容れず叫ぶからそこで葛藤が起こり、カカシは若干疲れてきた。
「生意気だわ、うるさいわ、一体何なの? 何が心の交流だ、アホらしい。」
今度は豚キムチの大皿を引き寄せたカカシに、その生意気な男は小皿を差し出して言う。
「あ、俺の分も。」
「っは、ふざけるな、俺を使おうなんて百万年早いわ。」
「カカシ先生の、けち。」

面白い、餓鬼臭い、優しい、可愛い、けち。どれも一度も言われたことがなかったし自分でも当て嵌まっていないと思うカカシは、なかなか抜け出せない迷路に疲労感を募らせて見付からない出口にむかついた。
「お前はスルメでもしがんでろ!」
「な……。」
「フン。」
「なんで意地悪ばっかりするんだよ、アンタがしがんでろ! 大体、俺は元々飯も普通に食いながら酒を飲むタイプなんだよ。締めに飯とか言ってる奴は一生シメシメ言ってろ! つうか、無理して食わなくていいから、マジで!」
動く大皿の縁を、イルカがきゅっと掴んで止める。カカシはむきになった。
「ちょ、俺の豚キムチに触るな!」
「はあ?! 俺が作った豚キムチなんですけど! 作った本人に触るなってどういうことだよ、我が儘も大概にしろ、終いにゃ怒るぞ!」
「へえ、怒るんだ、そんな度胸がアンタにあんの?」
「……帰るか?」
「ハ?」
「もう……帰ったらどうですか、七班のことだってどうせ何も聞けねえんだし!」
(この俺を、お払い箱扱いか?!)
カカシは我知らず奥歯に力を入れた。頬が引き攣ったのは、自分でも分かった。





5.

心臓のあたりがひんやりとしたカカシは、遂に相手の顔面を両手で挟むと左右で別々に、上下に動かすという直接攻撃にうって出た。
「この口か、ええ? 腹立たしいことばっかり言ってくる口は!」
頬をぐにぐにされて不細工な面になり、喋りにくそうなイルカはそれでもなお口を閉じようとしなかった。
「うるしぇえ、クショじょおにゅん!」
魔の手から逃れようと暫くは両腕で抗っていたがそれではいつまで経っても体勢を覆せそうにないので、そのうちイルカは両足も使い出した。
「どぉけぇよぉ!」
足まで出てきたとなるとカカシの方でもそれらを避けて制せねばならず、結果、双方の動きは次第に大きくなっていった。
「この野郎、俺と交流する気なんか最初から更々無かったことをまず詫びろ! しつこく誘い続けてきやがって。」
「く……、」
「第七班の情報は、死んでもこれっぱかしも教えてやらんからな!」
「……ぐ!」
とうとうイルカは全力で抵抗していて、カカシは余裕無くそれを押さえ込もうとしていた。

擦った揉んだの末、徐々に体が後ろへ後ろへとずれていったイルカは、がんと柱に肘をぶつけて痛がっている隙に、完全にマウントポジションを取ったカカシに腕で喉元を圧迫されていた。
「く。」
「……ああ。」
(なんて征服し甲斐のある――。)
「く、る……しい……っ、て……。」
呼吸が辛くなり、やっと戦意を喪失してイルカは何とか二、三回床を叩きその意を伝えた。
カカシは息も掛かる程の間近で見詰めていた。見下ろす角度でイルカをじっと見詰めていた。
キスがしたいと思いながら見詰めていた。

イルカの息遣いが変質的なカカシの鼓膜には堪らなく淫猥に響いた。
「は、……、は、……。」
カカシは純粋にイルカに好感を持っていた。但し、剥き身にしたそれは不機嫌であり、凶暴であり、彼の純粋な気持ちはとても厄介な形をしているのであった。誰にどう主張しても信じてはもらえなかろうが彼なりに、イルカに、それも随分と心を開いているのが今のこの状態なのである。要するに、カカシに好かれたらそれはもう災難という他ない。
もしも両想いになどなってしまったらその人間は命に関わる危険を丸ごと一個背負って生きることになる。慰藉の抱擁を期待するよりも拳で愛を語り合う覚悟をしなければならない。受け入れているばかりでは遅かれ早かれ滅ぼされて終う。飴を与えられる希望は捨ててなおかつ鞭に抗う気骨がなければ到底共には生きられないのである。
そんな自分の愛の形を承知しているカカシは、ゆえに幾つになっても独り身でいた。人の見たままの感情、隠している本心がないというのが分かる時、その人は泣き、困り、怯えていたし、自分が甘えると人は傷付き、負傷した。そうこうするうち他人との距離は縮まるどころか遠のいて断絶する。
だが、しかし、見付けてしまったのである、一粒の可能性を。
「分か、り……ました……っ、休、戦しま……しょう。」
「何?」
腕の力を緩めて少し楽にしてやる。イルカの口からは予想の付かないことばかり飛び出す。この時もぱっとは理解できなかった、その間がカカシの気の高まりを強制的にクールダウンさせた。
「はあ、はあ……、ここは一つ、休戦といこうじゃないですか……。はあ……、二時間。どうです。」
「何が。」
「二時間のあいだは、……はあ、いざこざを忘れて、仲良く酒を飲みましょうよ。それでもまだ収まりが付かないようなら、そのときに再開しましょう。」
「……フン、いいだろう。」
カカシはイルカの上から退いた。
出逢ってしまったのである。
「ったくもう、力差を考えて下さいよ。ていうか、気道は駄目でしょ。普通あそこまでやるか。」
漸く解放されたので起き上がり左右に首を振ってごき、ごきと鳴らしたイルカは元の位置まで這い戻ると、喉をさすり「アー……」と声を出しながらビールを掴んだ。それを机上に置かれたカカシの缶にこつんと当てて、
「ハイ、改めましてー、乾杯。」
と仕切り直しの台詞を言い、それからまた何事も無かったかのように飲み始める。
ちょっとやそっとのことでは動じないふてぶてしい相手に、カカシは出逢ってしまったのである。イルカの頑丈な体と心が魅力的であった。





6.

「これ、もうちょっと炙ってこようっと。」
けろっとしているイルカに感心しつつカカシは聞いた。
「美味しいの、それ?」
「ああ、これは旨いですね。俺、大好きなんです、イカ系のおつまみ。でもカカシ先生にはあげませんよ。ふふふ、これは俺が貰ったやつですから。」
「いやいや、半分こでしょ。」
「ぶは、何を言い出すんですか、さっきの貴方の台詞を今の貴方に聞かせてやりたい。しょうがないですねえ、俺は心が広いから、じゃあカカシ先生にも半分あげます。隠しきれない器の違いっていうのかなあ、どうしても滲み出る俺のこの、」
「この豚キムチすごい美味しいですね。」
「人の話を聞け……って、そうですか? 旨い? もっと誉めて下さって構いませんよ。」
「いや必要以上には誉めません。」
「チッ。」
「いま舌打ちした? この俺に向かって。」
「してませんよ。」
イルカはヨイショと言って立ち上がる。
「嘘吐きは舌を引っこ抜かれるよ。」
「閻魔様にでしょうか、それとも、貴方にでしょうか。」
「……。」

カカシは、のんびりとした口調で台所の方へ声を出した。
「アンタのことが好いって言う奴の気が知れなーいね。……いないな、そんなの。」
イルカはコンロの前に立ち、振り向かない分声量を上げて答えた。
「やあ、唐突ですね。しかし俺も、カカシ先生なんかのどこが好いんだかさっぱり分かりませんよ。今までいました、そんな人? いなかったでしょ、そんな奇特な方。同じですねえ、ひひゃ。」
どうやらイルカは、カカシの素に触れても平気なようである。それどころか皮肉を加味してみてもさっぱり効かず、むしろ撥ね返してくる鏡のように感じられた。だから、つい、では、少し丁寧に接してみようかなどという気持ちが湧き起る。
(これは、研究心か?)
憎まれ口を叩くと憎まれ口で返してくるのなら、なるべく柔らかい関心をあげたらどうなるか。優しい声音を返してくれるのであろうか。そうして彼の気を引きたくなっている自分自身を、カカシは見た。
「イルカ先生、その変な笑い方をするの、直した方がいいですよ。」
「あー……良い所に気付きましたね。自分でも薄々勘付いてはいたんですが、俺がもてないのはこれが原因なんです、つまるところ。」
「いいえ、違うと思います。」
「絶対そうです。」
「……。」
カカシはやっぱりこれを誰にも取られたくないという纏めに至った。考えが固まると即座に、それに適った方法から一番手っ取り早いのを選択した。
「イルカ先生、好きです。」
「うん? はあ、どうも。」
そんなことを言う奴の気が知れないとこき下ろしたところでは、と思ったイルカは、これがひっかけか、それとも気持ちの変化であるのかを読み取ろうとしていた。
「付き合って下さい。」
「カカシ先生、それ、俺が断るのを前提で言ってるでしょう。」
「え?」
「俺が断らなかったらどうするんですか。」
「どうって、成功じゃないですか?」
「せ、性交?!」
「ええ。」
「オトコらしい肯定ぶり……、前衛的な告白ですね!」
「……、……アンタ、何について話してる?」
「俺とカカシ先生が、ヤることを含めて恋人同士になるかどうかって話じゃないんですか?」
「ぶっ!」
カカシは咽た弾みで口からビールを吹き出した。畳に突っ伏し激しく咳き込み涙目になりながらどんどん現実感というものを見失っていった。
(未だ嘗てこの俺がこんな無様な姿にさせられたことがあったろうか、いや、ない。)
「うわ、やっちまいましたね」と言いつつさほど慌てる気色も見せないイルカは、その割には素早く手にしたティッシュで辺りの始末をしていた。


「大丈夫ですか。すみません、誤解でしたか。」
「はー……、……、……。」
(イルカ、侮りがたし――!)
むくりと元の姿勢に戻る告白者から訂正を受けなかった、イルカは話す。
「えっと……、……俺の今までの恋人たちは全員、根を上げて俺から去っていきましたよ。俺はいつも振られる側で……、理解不能なんだそうです。そう、カカシ先生のおっしゃる通り、いないんですよ、こんなのが好いなんて人。……そんな俺で良ければ、どうぞ。」
「……どうぞ? ……いーの?」
「はあ。」
「馬鹿じゃないの。」
「ああん?」
「何その緊張感に欠ける答え。」
「駄目出しされる謂れはねえよ!」
「俺の、今までの態度のどこに付き合ってもいいと思える要素があったのさ。アンタもさっぱり分からないって言ってたでしょ。」
「そりゃ人の好みはね。俺は、正直だし、すげえ聡明だし、捻くれ方は可愛いし、超弩級の強さを誇っているし、んー……何十年と一緒に居られる確信を瞬時に抱きました。直観です。あ、あと顔も良い。俺ってば面食いなんですよねえ。」
「そ、そう。……アンタ……俺がそんな風に見えてるの……可哀想だね……。」
「え、何その心の底からの表情。俺は別に可哀想ではありませんよ。」
「そうでしょうとも、言ったのは俺の方ですから。」
「……ねえカカシ先生。よく、分からないんですけど……とりあえず竹輪と蒟蒻、取ってもらえます?」
「んあ。」
どういうわけだか彼の体は相手のテンポにすんなりと乗せられて、机の角に手を伸ばし鍋に突っ込まれていたオタマを動かした。
「それに人間、不変ではいられません、……俺はきっと、良い作用をする、貴方にはね。多分。」
「ふうん。」
蒟蒻はすぐ見付かったのに竹輪だと思って掬ったら穴の部分にゴボウが詰まっている棒状の別物で、竹輪探しに意識を持っていかれていたカカシの耳にはイルカの話が殆ど入っていなかった。

兎にも角にもこうして、ひん曲がったカカシはおかしなイルカの世界に見事に飲み込まれ、さらには不思議と難無く順応してしまったのであった。
「あ、スルメ、もう一回炙ってきて。」
「ん、了解です。」

ひょっとしたら借りてきた猫って奴もこんなように外界が見えているのかしらんと想像する、任務と任務の間にある時間は、音も色も感触も、自分自身すらもどこか遠く、いつも薄ぼんやりとした生活感しかなかった。休みのうちにやっておきたいことも特になく、私生活という時間帯の必要性を感じたことすらなかった。そんな味気ない時間が、介入してきたイルカに染め上げられてゆく。カカシは初めて、空き時間も悪くないという気がした。
それから程無くして、イルカといる時間に潜む、ささやかな幸せと呼ばれているものの威力を知り、カカシは驚嘆することになる。



ちなみに、イルカと付き合いだしてから、優しくなったと評判になり彼はもてるようになった。それでも根本は人間嫌いのままであるから事あるごとにイルカを連れ出し、側へ置いて盾にした。すると、ほいほい付いて来たにすぎない部外者のくせに誰とでもあっという間に打ち解けて場に溶け込んでしまうイルカはどこでも人気者になった。それが面白くなくて、カカシの方がよく焼き餅を焼いた。不貞腐れた男の態度を見て周りが気兼ねするようなことがあったときは、イルカは家に帰ってから遠慮なくその額にチョップを入れて反省を促した。カカシの私的な時間は、自省を拒否してイルカと揉めているうちにどんどん減っていった。
ある晩、次の休日を待ち遠しく感じると彼が言うと、イルカは笑った。










終.
(2012.06)
原案:過去設置アンケート回答
『お互い持ち寄った肴(土産)について語る2人(※相手の拘りには理解が出来ないが、「イルカ先生だから」「カカシさんだから」で自己完結してしまう』