単発text03_1
此処に眠る。
| -(+Y) | 痴話喧嘩 |
| 喧嘩してます |
1. イルカは昼飯を食っていた。彼はよくこのA食堂に入る。客の多くが中忍である。木ノ葉の里では里内にあるどこの食堂でも、誰が利用しても構わない。が、各店の利用層は立地条件によって自ずと変わる。例えば上忍待機所を出て直ぐの場所にあるC食堂の客を分類すると上忍の占める率が高くなり、中枢地区から離れれば離れるほど忍の数は減って一般人の割合が増す。彼を含む客の大半が中忍のこのA食堂は、アカデミーとは目と鼻の先にあった。職員室に出前を届けているのはほぼこの食堂である。本日は午前のコマにしか講義が入っていなかったイルカは教師の仕事を終えると、長いこと愛用している白い布鞄を肩から斜交いに掛けてここへ立ち寄った。 「見つけた。」 有名な上忍であるカカシが入って来た時点で食堂内の雰囲気はざわつく段階をすっ飛ばし、ピンと張り詰めた。 「まだ無視を続ける気?」 「……。」 黒髪を頭のてっぺんで引っ詰めた男の前まで躊躇なくツカツカと進み、立ち停まった彼が口を開くと、皆は不自然にならないように調節しながらほんの少し慎んで、喧騒は束の間いちだん小さくなった。探し出された方は顔色一つ変えず、黙々と丼飯を咀嚼している。顔を上げて声の主を見ることもしない。 両手をズボンのポケットに突っ込み猫背でクタリと立つ男の白髪が逆立っているのは傷み切っているからなのか、それとも怒りのあまりであろうか。右目の辺りが僅かに見える覆面のためにその感情は非常に察しにくかった。 「あっそう。言っとくけど、この一回だけだからね、俺の方から働きかけるのは。」 「……。」 「もう知らないよ。後は、勝手にすればって思うだけだからね。俺、そういうのには付き合わないから。」 「……。」 「黙ってるってことは、それでいいってことか?」 上忍から垂れ流されている冷気が凄まじいものとなった。気のせいではない。語気を乱さずにいるカカシは、間違いなくブチギレていた。イルカのそばで飯を食っていたうちの二名はそっと尻を浮かせて、音を立てず去ることに成功していた。逃げ遅れ、取り残された者達は無関係にも拘らず食事の手を止め、己が責められているかの如く俯いてしまっている。 「……いんじゃないですか。」 「もっとはっきり言いなよ、何?」 パシ、と箸を擱いた中忍は上目を遣って上忍を睨みつけ叫んだ。 「カカシさんが悪いんじゃないですか! 俺は絶対に謝らないし、怒られる筋合いはないし、怒っているのは俺なんだから謝られて然るべきなのはこっちの方です!」 「謝る? 俺が?」 カカシも密かなる恋人に、見下ろす角度で鋭い視線を冷ややかに送っていた。 「なぜ。」 「なぜ?! 理由は明白のはずですが。それとも素っ惚ける気なんですか。」 「俺がアンタに何をしたっていうのさ。」 「……。」 彼等は、朝から痴話喧嘩をしていた。今日のイルカは起きてからこの会話を交わすまで、目の前の彼に対して、たったの一言も返事をせずに過ごしていた。「おはよう」の「お」の字も言わずに顔を洗い、服を着替えて無言のうちに恋人の家から出勤していたのである。一つ二つ投げ掛けられた言葉は悉く無視をした。 「自分の胸に聞いてみたらどうです。」 「潔白でした。」 「アァ?! んなはずね……んじゃーないのでしょうかァ!」 (しまった、ここは家じゃない、最低限の敬意は表さねば。) 腸を煮え繰り返らせながらイルカは無理矢理、最後に敬語をくっ付けた。突き付けたい怒りの源をここで発表することも出来ない。外でぶちまけると一緒に暮らしていることが周囲にバレてしまう。ムカムカを叩き潰すように、彼は体の正面でパシンと両手を合わせた。 「御馳走様でした」とは素直に言ってトレーを返却しに立ったイルカの背後を、不穏なカカシが付いて歩く。それを見守る全員が、前を行く者の命を心配していた。同じ子どもを教育、監督している二人はせいぜい仲のいい元担任と現担当だと思われているくらいで、まさか付き合っているとまで思っている人間はここにはまだいない。とはいえ、いくら仲が良くてもイルカの喧嘩相手はあの、はたけカカシなのだ。巷で血液型の次に気軽に白熱するSM論議となると、尋問能力に特化した森乃イビキ氏と並んで必ずS側で名前が上がる、それがはたけカカシ氏であった。 イビキは間違いなくそうでも、カカシの場合は具体的に何かをされたことがあるという体験談も浮上してこないのに毎回なぜか、「絶対そう」との意見が圧倒的支持を得てまとめられてしまうのである。流石は忍といったところか、なかなかどうして、その洞察は侮れない。そしてイルカは、その真実を知っていた。まさに彼等はそのことが原因で今朝から揉めているのである。 「俺、家出しますから。」 「ハ?」 「帰りませんから。」 「……アンタんち、もうないでしょ。泊る所なんてなーいよね。」 「ありますよ俺にだって、泊めてくれる友達の一人や二人や三人や四人!」 言うが早いかイルカは猛ダッシュで出て行った。カカシは一歩も追いかけない。両のポケットに手を突っ込んだまま目だけをスウと細めて、従順さの欠片もない恋人の背中をじっと見送った。コメカミ辺りの血管がバスンと音を立てて切れて今にも血が噴出するのではなかろうかという憤りを、静かに息を吸って、吐きながら感じていた。 2. 「帰って下さいよお……。もう〜、ホントやだ……。」 「冷たいなあ、俺とお前の仲だろ!」 「や、やめてよ、なんの仲でもないんだからさ。ああ〜、なんで今日に限って任務入ってなかったんだろ僕。泣きたい。」 「文句なら自分の先輩に言えよ。何なんだよ、あの人!」 「何で喧嘩なんかしてるんですか……ハァ……。」 ヤマトはお人好しである。カカシの後輩であり、紹介されたイルカとは同い年ですぐに打ち解けて今では両者の間でよく板挟みになっている。 「よくぞ聞いてくれました! 他の奴には付き合ってるのがバレるからこんな話できっこないし、すげえストレス溜まってさあ! 爆発寸前だよ、ドオン!」 「効果音まで付けなくていいから。ていうか爆発しちゃってるから、その音。」 「聞いてくれる?」 「聞きたくない。」 「よし、じゃあ話すな!」 「聞きたくないって言ってるでしょうがァ! あ、ねえ、夕ご飯、素麺でいい? 具とか何もないけど。」 「マジかよ、麺つゆのみ?」 「のみ。」 「オンリーイベント?」 「オンリーイベント。」 「買い物行こうぜ……ヤマト。」 「先輩と遭ったら僕、殺されますけど?」 「骨は拾ってやる。」 「なんで僕にだけ被害が出ちゃってるんだよ、おかしいでしょ! せめて応戦の姿勢をみせてよ!」 「分かった分かった、ははは。すまんすまん。せめて葱は欲しいぜ。」 「……ねえ、なんで喧嘩したの? 葱ね。でも僕は命が惜しいぜ。」 「それがさ、ひどいんだよ、カカシさん。」 「聞いてるから、そこでそうやって続けてて。」 よっこらせ、という掛け声とともに立ち上がったヤマトはノソノソと動き回り、出掛ける仕度を始めた。 イルカは寝起きが頗る悪い。眼を覚ますのが大の苦手である。起き上がるのも遅い。そうして寝床の中で何時までもグズグズしては、けたたましく何度も鳴る目覚まし時計の鐘に毎朝毎朝腹を立てている。世界の全てが腹立たしい。昇る朝日にも腹が立つ。流れる時間にも腹が立つ。誰に起こされても腹が立つ。どれだけ愛しい人に起こされても腹が立つのである。目覚めた瞬間はこの世の何もかもが疎ましい。 (それでも。) 彼はそのどす黒い気分に頑張って余地を作る。世界で一番愛しい人が自分を起すというなら百歩譲ろうではないか、と。だから、せめて少しでも寝覚めがマシな方法で接してくれることを望むのである。 「例えば、優しい声で『朝ですよ』って声を掛けるとかさ。」 「ああ、いいですねえ。それ最高。」 洗った顔を拭くヤマトが洗面所から茶の間にひょっこりと顔だけ出した。不貞腐れて頬杖をつくイルカは窓の外の茜雲を見ていた。 「ゆさゆさ優しく揺すって『さあ、何時まで寝てるんですか』なんて言ったりしてさ。」 「いい、いい。素晴らしい。」 「鬱陶しいことに変わりはないにしても、だ。オハヨウのチュウをしてくれるとかさ。」 「いいじゃないですか! 鬱陶しいって、イルカさん……。チュウは例外でしょう。」 「いや何をされても朝は鬱陶しいんだよ、朝だけは。朝以外ならどんと来いだよ、大歓迎。それこそ全力で愛してやるよ。海のように広く、深い心意気を遺憾なく発揮しちゃる。けど、寝起きだけは本ッ当に無理なの。こればっかりはもう、しょうがないんだよ。」 「完膚無きまでに駄目ですね。」 「でもさ、その、力になってあげたいと思う心っつうの? とか、何事にも意欲的に取り組む姿勢? そういうの。こっちとしても、そういうのを汲む努力は極力するじゃねえか。応えたい気持ちはあるよ、朝以外の時は常にあるんだよ。それが、目が覚めてから暫くの間ゼロになってしまうだけ。」 「はあ。」 「そこで、だよ。俺はそれくらい朝が嫌いなんだって言っているのに、だよ。いや、それどころか実際に毎朝見てるんだから重々承知の筈だろう? なのに、だよ。」 「はあ。」 離れたところから気の無い相槌は返ってくるものの本体はなかなか戻って来ない。 「あの人ときたら。」 イルカは思い返して、握った拳を震わせた。 今朝のことである。眠っていた彼は、何者かに突然ガシッと足首を掴まれた。意識が戻る。そうして驚いて眼が覚めると〈足首を掴まれた〉という事態を把握するより先に、今度は非人情な力でグンッと下方へ引っ張られた。頭が安物の枕から引き摺り下ろされ、訳も分からぬまま掛け布団のトンネルを足元の方へ抜ける。 結わえ上げられる程ある長髪もぐちゃぐちゃに逆立った。戸惑いで詰まった呼吸は乱れて息苦しかった。心臓がバクバクと動く。勿論、背中も足首も別々に痛い。頭の中は何が起こったのかと混乱している。と、物でも打ち捨てるようにぞんざいに、それまで物凄い力で掴み上げられていた足首はポイッと床へ落とされた。踵を打って痛い箇所が更に増える。 その一部始終が終わってから犯人は初めて声を出した。そして吐いた台詞が、これだった。 「起きた?」 「『起きた?』じゃねえよ!」 「……。」 憤懣が再び沸き上ったイルカは手近なクッションに思いっ切り拳を入れた。が、ふにゃふにゃな手応えに彼の苛立ちは余計増す。買ったばかりの己の持ち物が殴られている様を目の当たりにしてしまった部屋の主は、洗面所から半裸になって帰って来ていた。 「今までで一番、最低最悪な寝覚めだったわ、ふざけんなよ、クソが! 常人でさえ気分を害するだろうさ、俺なんて言わずもがな、あそこまで人の気を悪くさせる起こし方があるか! 世界で最も悪辣な起こし方を味わったわ!」 「イルカさん、落ち着いて。」 罪の無いクッションは畳にバシバシと叩き付けられている。 「普通そこは、最低にしたってさ、まだ『おはよう』やら何やらの挨拶がくるだろ?! 絶対に許さないとしても、最低限の、あるだろ、許容範囲内の台詞が。『朝だよ』とか『起きて』とか! それが、何? 全部終わってから、言うに事欠いて『起きた?』って。」 「……。」 ヤマトは、ギュウギュウ抱き締められているクッションはもういきり立つ男に与えて好きにさせておくことにして箪笥に手を掛けた。 「何、あの淡淡とした確認作業のような聞き方。見りゃ分かんだろ、オメェに突然引っ張り出されて目ぇ覚めたんだよ! だから目ぇ合ってんだろ! くっそ、あの外道! 絶対に許さねえ!」 「……なんか……大変だったね。」 「そう! 大変だったの! 泊めて!」 「勢いで最後にお願いを捻じ込んできた!」 とか何とか言い合いながらイルカは気の置けない友人宅で憂さを晴らしていた。その時である。 ドン、ドン、と玄関のドアを叩く音がした。 -続- |
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