単発text04_3
此処に眠る。

視点切替 係留

<3.〜4.
嫉妬と懺悔と執着を君に



5.-イルカ-

カカシさんは俺を嘘吐きと詰る。その、曇った声が震えた。
馬乗りの彼は首を垂れて、真下になるこちらから顔を隠す。銀色の、跳ねる癖っ毛が揺れた。泣いている。
泣いているのか。
(俺が、泣かせた。)
俄かには信じられなくて覗き込むように更に下へと身体を捩り、そぼつ頬を探そうとしたが近付けた手は彼の手の甲ですいと払い除けられ、肩の動きも制せられた上に一瞥の上目遣いで睨まれた。隻眼でも十分に鋭い。そして、その縁は涙こそ零れていないとはいえ真っ赤に充血していた。
美形の泣き顔はもっとぞくぞくするものと思っていたのに、この人の泣き顔は余りそそられないということを発見した。しかし、こんな感じであるなら彼が声を立てて腹から笑っている時の方が、愛が横溢する。

それから、この人でも泣くことがあるんだなと思った。余っ程のことなんじゃないかと思った。その原因は、明らかに俺だった。傷付けていると認めている分、尚のこと申し訳ない。こうなることは目に見えていたのに、彼の懐に潜り込んだのだ。
惚れたという自らの心を、彼の心よりも優先させて可愛がった結果だった。でも、当の俺の心は生憎さほど痛まない。今まではそれで平気だった。ところが、実は近頃、そんな己に対して一方から、とても大きな問題が提起されていた。

  こんな心を後生大事に取っておくことが、一体何になるというのか?

己の地平線からせり上がってきたそれは、漸進的に確実な光線で俺の宙を覆してゆく。


彼の背中で腕を組んで、この身との隙間をなくしてやった。俺とくっ付いた彼は胸に顔を押し当てて、この上服で涙を拭くように頭を振る。グリグリと彼の頬が胸板に擦り付く。小刻みに震えているのは泣くのを我慢している所為だった。その泣き方はとても静かで嗚咽は聞こえず、鼻を啜る音の一つもしない。ただ、布地を越してくる吐息が熱い。沁みてくる涙が熱い。この人から熱っぽさを感じることは相当珍しい。
「どこにも、いきませんよ。」
「……。」
解かっている。十の物を処分しても特定の一を捨てられなければ意味がない。俺が軽くなるのに他の何を切り離したって駄目だ。その、一から、脱却する以外に法はなくて、それは目に見えるものではない。
どうやらカカシさんには、俺が持ち越しているこの、目に見えないものが見えているらしい。そのことも解かっているから、俺の中で大きな迷いが生まれてしまった。
「カカシさん。俺ね、アンタに、新しい人が出来るまで、傍にいるよ。」
「……。」
「アンタの用済みになるまで、いるよ。俺からはアンタを捨てないって、約束する。」
「……、……んで……。」
「うん?」
「なんで……そういうこと、言うの。」
「……。」
「来ないよ、そんな日。なんでそういうことばっかり言うの。」
「ばっかりって……、俺、一遍も言ったこと、」
「バレてるんだよ。言わなくっても、全部出てるんだよ! 態度に。」
彼には笑っていて欲しい。どうか泣かないでくれ。背中をさすりながら謝った。
「御免なさい。でも、何処にも往かないから。」
彼はぎゅうと強く俺を抱いた。それだけの不安があったということだ。思っていた以上に、繊細な人だ。

本当はカカシさんの言う通り、自分には、帰るつもりはなかったのかもしれない。元々彼の居住空間に転がり込んで、追い出されないのをいいことに居付いていたに過ぎなかったから。一緒にやろうと決めて始めた二人の生活ではなかったから。そう俺が思っていることさえも、見透かされていたことを悟った。
それでも、合っているのは半分だ。俺は断じて居なくならないし、彼のことは慕わしい。
「泣かないで。」
「……泣いてない。」
「泣いてるじゃないですか。」
「俺は泣きません。」
きっぱりした声は早くも既に震えておらず、感情も籠っておらず、すっかり元の調子だった。立て直しを図る理性の働きっぷりが尋常ではない。
「……そうみたいですね。」
「ふん。」
彼に似合いの気位も早速復活したようだ。

(しかしまさか、此処にも迎えに来るとはなあ。)
さながら心配で居ても立ってもいられずに迷子を探す飼い主だと冗談で、そんなことをされたら俺は愈愈逃げられないと本気で、思った。
(恩義には、報いちまうよなあ。)
沈みそうな身をカカシさんに引っ張り上げてもらったのは、これが初めてではないのだ。
(躰も見せた。)
塒も見せた。
(後はもう……。)
心の一欠片。それしか俺には残っていない。

痛まない心など、後生大事に取っておいて、それが一体何になるというのか。
(何に……なるんだろうなあ。)





6.-カカシ-

「カカシさん、貴方って、何度でも迎えに来てくれるんですか。」
「いいや。勘違いするなよ。」
「はあ。」
「自分で戻って来い、俺は元来厳しいんだ。」
「アァ。」
「甘えは許されないって覚えとけ。」
「そりゃ、どうも。」
締りのない返事に、俺は思わず溜め息を吐く。
「でも、仕方無いじゃない。」
イルカ先生の肉厚の唇が、にゅっと曲がった。これに口を付けると気持ちが好い。
「優しいね。」
弄ばれているようで癪に障る。唇がこの動きを見せたら要注意だ。
「優しくはないんだけど、野良に誘惑と危険は付き物だからさ。」
「また人のことを動物扱いする。」
「違うんですか。」
「はは、まあ動物にゃ違いねえ。」
「……。」
「は……、」
「……。」
「アー……の?」
「このまま、一回襲ってもいい?」
「……。はは、やっぱり貴方の家の方が快適ですね。俺ん家は硬いや。」
「ねえ、いい?」
「察せよ。無理。」
「無理って何よ。やってみる前からそんな決め付け」
「決め付けじゃねえから。」
「あっそ。」
「ええ。」
「まーいーよ。」
「何様なんですか。」
「俺、様、です。」
「やっぱりそうか。」
「……。」
立ち直ったと思ったら、途端にしおらしさが微塵も感じられなくなった。

「そんなら俺は、帰ります。けど……、イルカ先生。」
「はい。」
「ホラ、夜道って、物騒じゃないですか。」
「あ、はあ。」
俺は彼の手首を取って引っ張り起こしながら聞いた。
「送って下さいます?」
「っぶ! カカシさんを?!」
その笑い方が失礼だったから、手は放す。ゴッと彼が強か後頭部を床に打ち付けた音がした。
「いってぇ! 馬鹿になったらどうしてくれるんだ!」
「大丈夫ですよそれ以上、おっと危ない口が滑りそうに。」
「残念ながら大分手遅れですよ、腹が立つ。」
「ハハ。」
ぶつぶつ文句を垂れる彼が自力で身を起こしたから、俺もその上から退いて立ち上がった。
「カカシさん。ちょっと確認しますが、それは暗殺の警戒ですか。」
「馬鹿な。暴漢の心配ですよ。」
「アンタが馬鹿だろ……痛い!」
「おかしいな。聞こえてくる筈の台詞が違う。」
「俺の爪先が、足の下にありますよ!」
「踏んでますから。」
「……『馬鹿って言って御免なさい』、つい口が滑って本当のことを、」
「お前……。」
「なんてね。」
図に乗った彼の相手をまともにしていると、こうしていつまでも埒が明かない。だから必要以上には遊んでやらない。


なにはともあれ出向いた甲斐は、あったとしよう。だが、俺の涙腺を刺激した罪は重い、悲しくて泣いた訳ではないにせよ。あくまでも強がりの主張ではなく、別段悲しい気は本当にしていなかった。恐らくは感情が不如意に昂ぶったからなのだ。分類するなら、悔し涙が近いと思う。この件に関しては、追い追い俺の好きな形できっちり償って貰う。彼の極限を見るのが楽しみだ。
「ああ、カカシさん、ちょっと待って。送ります。」
「……。」
俺が玄関に向かうと、彼は大急ぎでバサバサと崩れた紙の塔を漁り出した。
(よもや本気で暴漢対策に取り組むと言うのではあるまいな?)
「待ちますから、慌てないで下さい。騒々しい。」
「……。」
鞄に何かの本を突っ込んでから暖房を切った彼は、小さく点っていた明かりに手を掛けた。
「……、……カカシさん。」
ところで何時頃かしらんと、ざっくり計算し始めていたところを呼び掛けられる。
此処には夜分遅くに着いた。自分の家を出た時点で十時に差し掛かっていたと記憶している。此処の番地を調べるのに加担した奴には、「良い思いをさせてやる」と言い含めてしまっていた。そいつに握らせる袖の下についても考えなければ不味い。

「俺、あの家の近所になったら……、……また、言いますよ、」
同行の目的は一先ず横に措いておき、彼が大人しく付いて来ることは決定事項らしい。
「多分。」
という呟きと、唯一の明かりがふっと消されるのが重なった。
言われる内容の察しは、大方付いている。この男が頑なに守ってきた紋切り型の問答だ。
「ああ。」
つくづく世話の焼ける生命だと思う。次にまた性懲りもなく窖に籠ったら問答無用で引き摺り出して、許さない。
「泊ってけば? 何千泊でも。」
それで自身が保てるならば、好きに表現すればいい。
兎に角、こいつに与える課題は一つ。

俺の愛を疑うな。










終.
(2012.11)