単発text07_3
此処に眠る。
| 視点I | 雨;裏 |
| <4. |
| 貴方の愛に打たれて泣きたい。 |
5. うとうとして目を開けたらその人が真っ先に視界一杯に映るのではないか、と思うことがある。その人は覗き込むようにしてこちらを見詰め、困惑と遠慮の混ざった表情で銀色のボールペンを差し出してくれるのだ。 一瞬、声の出せない人なのかなと思った。彼の風貌は全体的に布地に覆われ鼻先も唇も、そのうえ片目までもがずり下がった額当てで隠されていた。逆立ち跳ねる、ボールペンに似た色彩の髪が印象的だった。 当時十五の俺は、任務受付所の廊下にある長い腰掛けで、壁に凭れて眠ってしまっていた。ちょうどカカシ先生に図鑑を薦めた四日前と同じように。 彼は十年前の一場面など覚えていないだろうけれど。小隊長が事務手続きを済ませるあいだ、構成員の一人だった俺は待ち時間に育児書を開いていた。この任務に加えて、赤ん坊の保育という長期任務に当たっていた為だが、いつもの如くそのうち途中で寝てしまった。その際、読み掛けの頁に挟んでおいたボールペンが滑り落ちてコロコロと転がったらしい。 それが傍らに立っていた、当時は十六の少年だったカカシ先生の履物に当たって止まった。辺りを見回せども落し物を探す人間はいない。代わりに、物でも落としそうな脱力具合の奴なら一名いた。それで目線を低くして、カカシ先生は首を垂れる小僧の様子を窺い、声を掛けようとした。その時、俄かに俺が起きた。そんなところだろうと思う。兎に角、寝起き早々の目には、俺をじっと見詰めるカカシ先生が映っていた。 彼は互いの顔と顔の間に拾った筆記用具を立てて、「お前のか?」と聞くように首を傾げる。一目でそれを父の形見と見て取った俺は頷いた。がやがやした廊下のどこかで、居なくなったカカシ先生を呼び戻す声がした。そちらに注意を向けた彼はこの掌に、使い捨てにはない質量感を有する銀色のボールペンをあっさり渡すと、そのまま何も言わずにさっさと立ち去ってしまったのだった。結局、俺の礼は間に合わず、行き交う忍達に掻き消された。 それからだ。次に眠りから醒めるとあの銀髪がまた目の前にあるのではないかという想いが消えなくなったのは。 一先ず教員室へ降りると、胡麻塩頭の先生が残業されていた。 「おっと、いけない。」 年配の先生は俺の顔を見て仕事の手を止め、机の上を片付け始める。 「大降りですねえ。」 「異常気象ですなあ。そうそう、イルカ先生、お客がありましたでしょう。」 「ああ、先生がカカシ先生に俺の組を案内して下すったんですか。ええ、会えました、御蔭様で。お茶でも淹れましょうか。」 「いいえ、結構。もう帰って、私が今日は夕飯の支度をしなきゃならんのです。鍵は、イルカ先生が?」 「はい、それは俺がしておきます。この空の下へ出るのは大変ですねえ。それじゃ、お気を付けて。」 「ハハ、そうだね、私も腹を空かせる子がいなけりゃおさまるのを待ちもするが……せいぜい気を付けて帰るさ。では、お先。」 「お疲れ様でした。」 これで校舎に一人きりとなった俺は、裏に落書きのある小試験にクルクルと赤い輪っかを載せ終わると、再び自分の学級へと上がった。 誰も居ない。ここにカカシ先生のいたことが嘘みたいだ。 「待っている」と彼には言ったが、カカシ先生が来なきゃ来ないで片が付く。だけど、来ないと踏んでいるなら「考えてくれ」だなんて唆さずに黙っていれば良かったのだ。普段は生徒らの座る椅子に腰を下ろし、本日この空間で起こった出来事を反芻する。確かに俺達は、揃って稲妻を見た。 割り切れなくなってきた心情を抱えて、俺は目を瞑った。 暗くなった教室で仮眠を終えると、すぐ傍にカカシ先生がいた。この世界が夢なのか現実なのかに迷って、俺の頭はクラクラする。息が止まりそうだった。 彼がアカデミーを飛び出したのが夕方の五時前後、目を凝らして黒板上に掛かる時計の針を読むとそれから二時間が経っていた。 動かない彼は、寝ている。神経質そうに見えていたので、人前でも休むことがあるのだという発見は意外だった。それとも、日々の疲労がよっぽど蓄積していたのだろうか。十年前と似た距離にある銀髪を、思わず撫でたくなってしまった。そうして労いたくなってくる。 こんな様にして、毎日家の布団で彼の寝顔を独占できる人がどこかにいるのかと思うと胸がつまる。その地位は俺には高望みであり地獄だから、今だけ、静かに見詰めてみたい。見守らせて欲しい。 近寄らないから微かな恋は原形を留めていられた。憧れの延長上にあると誤魔化せていた。見込みのない片想いだからこそ長いこと取って置けた。俺の見付けた答えを本人に突き付けるのは悪魔的な所業かしらん。 無断で触れてはいけないという葛藤の末、俺は欲望に打ち勝てずになるたけそっと髪に触れた。酷く傷んだ銀髪は、ビニールっぽくてバサバサしていた。 感情の波に攫われる前に一旦彼から体を離した。細く開けた窓からは、覚醒に打って付けの冷たい空気が入ってきた。耳を澄まし、手の平を伸ばす。雨は止んだようだった。 カカシ先生がすっと目を覚ました時には、分厚い雲の向こう側で日は沈み、世界が夜になりだしていた。 「起きましたね。」 彼は何の応答も示さない。気まずくて、俺は先程のことを白状した。 「カカシ先生の髪って、ザラザラしてるんですね。」 「……………………、…………は?」 「や、あの、済みません。悪口のつもりはなくて。」 「触っ、たんですか。」 「え、ええ、……はい。」 「俺に、触れた、って、言うんですか。」 「ご、御免なさい。」 「謝る、必要はないんですよ。その、参考になる事例がなくて。……貴方、俺を殺せますね。」 「ふ、憤死ですか?! 謝ります。御免なさい。カカシ先生にはもう絶対に触らない。約束します。無断で触って、御免なさい。」 「怒ってなーいよ。」 余計なことを言うんじゃなかったと後悔したものの相手の機嫌を損ねてはいないようで俺は一安心する。 一列前のカカシ先生は横向きに座り、暮れた町並みを眺めている。彼と差し向かう形になるよう逆に爪先を教室の内へ向けたが、部屋は浅い段差を設けた階段教室で、どこからもまともにぶつからない、これが、何かに絶好の二点、そんなふうに思われた。 「戻って来ちまったんですね。」 からかわれているのかと、今日の夕方には飲み込んだその台詞を、俺は遂に口にした。心の天秤が左右に大きく揺れる。片方は、貴方は俺のことが好きなのではないですかと誘導したい、そうすりゃ両想いじゃないかという気持ち。もう片方は、彼自身が掬い取らない気持ちを出しゃばって集め、これ見よがしにそれらを掲げて恋と告知するのはおこがましいという気持ちだ。 カカシ先生は、逸らした目を合わさないまま自分の行動を不思議がった。 「俺も、ほとほと弱ってるんです。気紛れで立ち寄ったり、後先なしに飛び出してしまったり、そうかと思ったら、ほら。また、戻って来てしまって。」 「畢竟俺のことが好きなんじゃないか」と喉まで出かかって、しかし、 「疲れました」という彼なりの帰着が俺の言葉を押し止めた。 「ねえ。」 「はい。」 「俺の中には、やっぱり何もなかったよ。」 「ああ、探して下さったんですね。」 「うん。何も、残ってはなかったんだ。」 「そうですか。」 疲れさせていたのは他でもない、労ってやりたい俺自身だった。そろそろ彼を悩ますのは止めにしようか。 「我が儘を聞いて下さって、有難うございました。」 「同時に出てたんです。」 「……。」 ほら、不用意で率直なその一言ごとに、激しく揺れる。両想いへの道は開かれているのに、俺は相手を解放できるか? 「音に乗せて、外に出ていたよ。」 どの道を往くのが彼にとっての仕合わせなのか、正解が霞む、俺は泣きそうだ。 「イルカ先生。気になるからって、何にでも首を突っ込んで答えを欲しがっていたらきりがないですよ。」 「……そうですね。」 俺は唯、物事の本質を知りたかった。それを知れば己の恋心が是か非か判然すると考えた。巧妙に塗り固められた上辺を余すところなく取っ払って最後に残る物を見付けられたらそれに縋って生きたかった。だのに、手に入れる度に理の骨は撥ね返り、さながら鋭い剣のようにこの身に突き刺さった。おっしゃる通りきりがないし、所詮は傷付くばかりなのだ。 一人で浮き沈みしているのが滑稽で、居た堪れなくって腰を上げた。 「あの、」 「そろそろ、門も施錠しないと。もう俺が最後なんです。」 出し抜けの行動に対して掛けられた思い遣りの声には、聞き逃した振りをした。 「あ、済みません、そうだったの。俺が、来たから。」 「いいえ、カカシ先生が二度目に来て下さるより前からですよ。」 さも自分が悪いような口振りで謝ってしまう彼の自然体が愛おしい。どうか仕合わせになって欲しい。きれいなものを集める貴方。疲れ切っている貴方。それでも止まらず、夢想家であり続ける貴方。 「雨上がりの空気は清澄ですねえ。」 夜風が直に当たるのは寒いと思い、窓は通路を二段下がって開けていた。そこから真っ暗な空を仰ぐ。すると、左の後方から気配を感じた。驚く間もなく体が当たるほど傍に来た彼は、マスクを下ろしてその頤をも露わにしていた。そして俺の真似をして、ゆっくり深呼吸する。動機を辿ればそれは多分、原始の作用だ。 視線が絡む。この恋にとっちゃあ宇宙の定律なんぞは糞の役にも立ちゃしない。貴方が、好きだ。色事には興味がない人と油断していたら、カカシ先生は絶妙の間合いで俺に接吻した。 何を考えているのか、彼の真意が汲み取れない。俺で遊んでいるのか? 「不躾な質問を、してもいいですか。」 「なあに。」 相手は一切動じていない。俺も落ち着き払って対応している。世間が自分を変だと評判するのはあながち間違っていないと、こういう時に思う。 さて、遊ぶのはお終いにして、互いの未来を真面目に話そう。俺は最後の大地を蹴った。後はどう転んでも絶望のどん底へ真っ逆様に落ちるのみ。 「カカシ先生は、俺のことが、好きなんですか。」 「いいえ。」 実に困った人だ。どう攻略するのが相応しいだろう。好きでなければ一体何だというのだ。俺にどうして欲しいのか。 「じゃあ、今のは、どう処理するのが、最良でしょうか。」 「俺は別に、好きでも何でもありませんよ。」 それじゃ左様ならと一思いに手を振り笑えば、喜ばれるか。それともこの手を――。 「ただ、心臓が五月蠅いんです。」 「……それは、貴方では?」 好きなんですよ、貴方は、俺のことが。 元担任と、上忍師として自己紹介をした時だったのか、もしくはそれ以外の過去の所為か、切っ掛けは本人にしか分からない。 「俺の意志とは関係なく、動くでしょう、心臓って。つまり、好きとか、どうとか関係……、……あるんですか。」 「……。ちょっと、猶予を頂いてもいいですか。参ったな。……、ああ、俺も頭がこんがらかってきました。」 「ええ、大変難しい問題です。心底扱いあぐねているのです。」 解った。良し、解った。俺は悪の権化となる。死なば諸共、いざ両義性の氾濫する淵へ、カカシ先生も同伴願おう。この手は貴方を捕えます。吾にも難し過ぎたのだ、左様なら、複雑怪奇の宇宙。好きなだけ回れ、俺の世界。軸から外れて保てなければ爆発してしまえ。やるからにはとことん付き合う。カカシ先生流の恋でいこう。 人間が二人いて、必ずしも両者の土俵が共通しているという保証はないのだ。俺はその段階をすっ飛ばしていた。が、彼風に表現を変えて、彼の世界の様式に倣える自信が俺にはある。 「……一緒に、考えましょうか?」 「それは心強い。是非ご助成願います。」 「尽力します。」 ほら見ろ、面白いように噛み合った。 6. 半年後、カカシ先生は相変わらず覚束無いことを言う。 「これ、多分、付き合ってますね、俺達。」 体を繋げ、色々なことを語り合っておいて今更と失望する人もいるかもしれない。二人のこれまでがちっとも認められていないと激するか涙した相手との、破局さえ迎えかねない意見だ。 十五の頃に交流を持とうとしても恐らく不通に終わっていた。二十の頃でもまだ渡り合えなかった。二十五で彼と関係することが出来たのは良い巡り合わせだと思う。俺は、めげずにマシュマロ一個を挟んだ感じの同意をする。 「ええ、これは俗に言う恋人同士でしょう。」 晴れた秋の真昼。里の河原で、カカシ先生は針金の輪を慎重に泳がせる手付きをしてシャボン玉を空へ送る。こうして、俺が思い付きで言い出すことに彼はいつも付き合ってくれるのだ。 俺は、鋏で細工してあるストローを吹いてシャボン玉の出来具合を見る。朝から作ったシャボン液は、昔にその調合を研究した自作のものだった。 「失念していましたが、貴方、大丈夫なんですか。その、他に好きな人がいたりだとか……、もう半年も経っているけれど。」 「今ごろ気付いたんですか。」 しみじみと彼を見て、そして実感した。俺の発信した事項がこの人の中心に届くには、呆れるくらいの時間を要するのだ。カカシ先生からの返信は、半年後にこちらの手元に着く。 今回は半年だったが、三年掛かることもあるだろう。肝心なのは、気を揉んでせっつかない心構えだ。例えば、遠くの戦地にいる恋人と送り出した故郷の恋人同士だって、どれだけ想い合っていようが交信には時間が掛かる。こんな例え話をしても、物理的に近くにいるのにと肩を落とす人の方が多いだろうか。俺は、それよりは近くにいる分ましだと思う。 親密になっても分かり合えないもどかしさや擦れ違いはある。人付き合いなんて多かれ少なかれそんなものだろう。但し、俺は諦めない。だから、ささやかな意趣返しを見舞う。 「しかし、そんなことを聞いたところでどうするんです、それで、貴方は。」 「どう……。」 「俺が、それでは本命の元へ戻ります、と言い出したら?」 「……、……そう、……と、言います。」 「それで?」 「…………それが貴方の出した答えなら、俺はそれを支持します。」 言い方があからさまに支持してないのに、どの口が言うのだろう。世話が焼けるけど、そんなカカシ先生のことが好きだ。 根気強さも人一倍ある。元来の性分と教育の実践経験を併せ持つ俺に、彼の恋人という立ち位置はぴったりだと自負してもみる。 彼がきれいなもので癒されたいのなら、汚いものを根こそぎ引き受け、この身でその悉くを濾過してやりたい。カカシ先生は、俺に安眠をくれた。 「飽きた。」 「え。」 「もうシャボン玉は飽きました。ついでにご心配には及びません、俺は最初からカカシ先生のことが好きなんですよ。それより水切り対決しませんか。俺、すげえ飛ばせるんですよね。」 「貴方、今、なんて。」 「俺に惚れると火傷するぜ、フ。」 勝利を目指して練習の腕振りをしながら、昼飯は何を食おうか考える。 「そんなことはどうでもいいから、言われた通りに己の発言内容をそのまま復唱しなさいよ。」 「俺を本気にさせたこと、後悔させてやる。目に物見せてやりますよ。」 俺は、淡い恋と諸共消滅してゆくまでと決めていた心と、生きているあいだに向き合うことに宗旨変えした。これは単なる決断ではない。触った神に祟られる。それでもこの人を好きだと主張し続け、数多の審判を死ぬまで下され続けなければならない。そしてそれを甘受しなければならない。でも、最初から好きなのだ。天上でもなく、奈落でもなく、違ってくる地で貴方と逢いたい。 突然落ちた恋の雷の衝撃を、忘れることは出来ない。恋の雷鳴は、撃たれた俺の胸でずっと鳴りやまない。どうせ泣くなら、無数の雨粒のように降り注ぐ愛の中で泣きたい。涙は紛れてしまえばいい。俺は、泣くなら貴方の愛に打たれて泣きたいのです。 終. |
| (2013.05) |