単発text07_2
此処に眠る。
| 視点I | 雨;裏 |
| <1.〜3. |
| 貴方の愛に打たれて泣きたい。 |
4. 硝子越しの里は、雨に煙っている。 「雨ですねえ。」 「ええ。」 「この時期より、もっと先の季節に降る雨ですよね。」 「妙な降り方です。」 こういう何でもない話をぽつり、ぽつりと延々していたくなる。そして、例えばそのぽつりぽつりの粒たちが、やがて一本の流れを作るとしたらその一筋が人生なのかしらんと思った。思ってすぐに、限定的な事柄を突き破り先へと伸びてゆく思考の線を急いで切断した。差当たって彼を相手に、俺は手近の現実を一つ一つ、作業のように了解していけばいい。 「雨雲が、蠢いてる。運動場に、川が出来てる。アカデミーにお越しになるなんて、珍しいですね。」 「そうね。」 てっきり図鑑の件を持ち出されるかと早合点していたので、簡単に終わった彼の反応に肩透かしを食らった気分になった。だって、個人にではなく建物に用があると言うのなら再びここへ顔を出す必要性がないだろう。 「これから済ますんですか。」 「ん、や、マア、済んだっちゃア済んだよ、もう。」 「ふうん。上忍師としての用?」 「ちょっとした野暮用で。」 「野暮用で……。」 「そう。野暮用。」 「そう、ですか。」 きっぱりした答え方の割に中身は不明瞭だった。 詳しく教えてくれないのは構わない。そんなことよりも、明確な用事があって俺を訪ねた訳ではないらしいことに軽く落胆した。喋った前回自体をもう覚えていないのかもしれない。しかし、仮にそうだとしても、それは心を痛める程のことでもない。まだ、彼にそこまで入れ込んではいないのだから。 稲妻が空を走る。 「光りましたね。」 触れずにおけば傷は深まらない。貴方は遠い。この星は毎日、二十四時間で決まっただけ回る。貴方を勝手に修飾してはいけない。宇宙には定律がある。宇宙には定律がある。俺の世界は軋んでもこれまで通り、まだまだ一定速度で回れるのだ。光った直後にドン、ゴロゴロゴロと音がする。 「ああ。そう遠くない」と隣で好きな人が頷いた。カカシ先生が。 特別な会話を一つするより、無数の他愛無い会話を繰り返したい。瞬間的にドクリと大きく、そんな気持ちが膨らむ。 そこまで入れ込んではいけない、と俺は気を逸らす。塵埃を無差別に洗い落とす雨を恵みと今はただ、眺めていればいい。 ぐちゃぐちゃに泥濘む土を見下ろしていたら、彼が不意に妙なことを言い出した。 「雨の情景ってね、こうして二人していると、閉じ込められた気分を催すものらしいですよ。」 「誰が言ってたんですか。」 「色んな話。こうして雨に包まれていると、世界から隔離されたというんですかね、そんな感じになるんですって。」 「ふうん。」 「そんな感じ、しますか。」 「お、俺ですか、……済みません、……正直……しない、です……。」 四季折々の情緒だとかを楽しめる人が好みなのかなと密かに思う。俺は、はっきり言って無風流だ。 閃光。また間を置かずに、硝子が振動するほどの轟き。雷は真上にいる。 「俺は、どちらかというと睡魔に襲われます。」 「ふ。色気がないですね。」 気の利いた台詞一つも捻り出せない男で申し訳ないが、この身に直接降りかからない天候はどれだけ荒れ狂おうとも例の眠気を催す景色でしかない。女性であれば雷鳴に怯える様子が可愛かったりするかもしれないと後から思い付いたけれど、それは俺には出来ない芸当だ。 「カカシ先生は、疎外感を抱くんですか、こうしていると。」 「ううん、ちょっと違うんじゃないかなあ。そういうんじゃなくて。」 「ふむ。」 「二人っきりが強調されるというか。ここには君と僕しかいないよ――、」 俺はどきりとさせられた。 「――みたいな? 相手との心的距離が近づくんですかね。」 首を捻っている彼に罪の意識は当然ない。 「そうなんですか。俺、小説はろくすっぽ……、いっそ読んだことがないと言ってしまった方がいいくらいで。」 普通なら男二人の状況下で選ばない話題だぞ。そぐわないと感性が訴えなかったのか。俺は、その問いに対する答えに気付いてしまったかもしれない。これが彼の得意なミスリードか。 「恋愛物の手法ですか。」 「……。的確ですね。盲点でした。」 気付いていないのか、貴方は。それとも得意の、ミスリードなのか? 「いえ、ええと、あの、何せ無粋なものですから、済みません。二人がいる時の描写なんですね。」 「多分ね。俺も、よく解らないんだけどね。」 客観的に見てもどうやらそのようだと同意せざるを得ない。ぐんぐん縮まっていく、カカシ先生曰く心的距離が恐ろしくて教卓の方へ引っ込んだ。 「それじゃカカシ先生も同志なんじゃないですか。」 「でも、俺は極度の夢想家だから、解らなくても、浪漫的なものを見聞きするのは好きなんだあよ。」 彼の静穏で誠実な声を聴いていると切なさがみるみる濃度を増して、十年保たれていた色は呆気なく塗り替えられてゆく。 「それでね、素晴らしいものに違いないと、真価の分からぬものをただ集めているんです。」 どうか、背中を向けて語らないでくれ、そんな悲しい話を。それじゃ好きになってしまう。俺が仕合わせを感じさせてやりたいなんて、身の丈に合わない気概が湧いてしまうだろう。 「いつか、埋もれたいです、それに。」 熱を帯びない口調は却って俺に、頭の中を上書きしなきゃアやっていられないと血眼になって汚れのない物を掻き集めている彼を想像させた。 俺の恋心を動揺させないでくれ。一生濃淡も増減もなく、ただそこにあり続ける筈だったものを、そっとしておいて欲しいよ。 躍起になって探し回らなくても、貴方ならきっともっと容易に、その身を充足に浸せる方法が幾らもある。大丈夫だ、貴方は自分を信じて、人に優しくされればいい。甘えさせてくれる人なら、周りを見れば沢山いるから。誰かがきっと赦してくれる、清めてくれる、包んでくれる。 目が合うと、恥ずかしそうに頭を掻いて「今の話は忘れて」なんて言う。放っておけるか。放っておけない。どれだけの魅力が彼自身に備わっているのかを丸っきり分かっていない。 仕合わせにしてやりたい。仕合わせになってくれ。 「誰にも洩らさないなら俺一人の胸にあるぐらいはいいでしょう。」 俺の恋は、この人が仕合わせな人生を送れることを願う恋だ。この人の人生が安らかならば、俺は遠くからそれを見ていればいい。彼の愛した人が彼を愛してくれることを願っている。二人の間に生まれた子は可愛いに違いない。彼と急接近したからといってその考えが変わることはない――その考えについては、変わっていないのだ。 「さ、カカシ先生も、もうちっと奥へ寄った方がいいですよ。落雷するかもしれない。」 「はあ。」 「いまいちピンとこないってぇ顔。俺は子供時分にそう教わったんです。雷が鳴ったら臍を隠して居間の真ん中に集合って。」 父さん、母さん。 俺は今、絶望の崖を目指して全力疾走し掛けています。この先、もしもスタートを切ってしまったら止まれません。それでも、十年という刻の層が俺を土壇場でじたばたさせないでしょう。 その時は、ごめん。 「……イルカ先生。」 同時に彼の後ろがぴかっと光り、バリバリバリと一際大きな轟音が呼び掛けと重なった。 「……何でもないです。」 そうして彼はまた、隠す。 「カカシ先生。」 覚悟を決めた。俺は走り出す。 「それは、本心ですか。」 彼の要求に応じて質問の仕方も変える。だから、気付け。 「何も、無かったんでしょうか、本当に。」 「はあ。そう思います。」 気付けよ、これまでの要素を組み立てて。 俺は既にカカシ先生を追い抜いた。 「ああ、申し訳ない。用もないのに……その、呼んでしまって。」 本気で否定していたのか。見落としているのはそれより前にある部分だ。 「いいえ、真実無かったなら、無いでも構わないんですがね。」 「はあ。……これで、大団円ですか。」 これは、待っていても駄目そうだ。ひょっとしたら感情と上手く連絡していないのか。理解の到達度を適宜測りながら根気強く目的地へ導くことにかけては幸か不幸かこちらの方が専門だ。 「俺は、有ったと思うんです。」 気のない相槌を繰り返し、一拍遅れて「ハ?」と聞き直す、ある種の超然的態度を崩さない彼への愛おしさが音もなく増してゆく。耳に入るザアザア降りが最早雑音と成り下がるくらいに、教室も、彼の話し方も静かだった。 「さっきのカカシ先生の中には、何かが有ったと思うんです。例えば、俺に言いたいこと。でなけりゃ、呼ばないんじゃないでしょうか。」 「ううん、そう言われてもねえ。」 「気になる点ははっきりさせたい性分なものですから。どうか気を悪くなさらないで下さい。」 「別段害してなーいよ。」 「ところで、カカシ先生は、今日はお忙しいんでしたっけ。」 「ん、いいや。」 「じゃあ、俺、そうですね、後二時間位、ここに居ます。だからそのあいだに、考えてもらえますか。勿論ここで一緒に缶詰めになっていなくて結構です。御気になさらず、いま直ぐ帰ってそれっきりでも構いません。それなら俺も、ああ、やっぱり特に何も無かったんだと答えをまとめて帰宅しますから。その代わり、万が一言おうとしたことやなんかがひょっこり顔を出したら、俺に伝えに来てもらえませんか。」 「わざわざ? ここに、報告に戻れって言うんですか。」 「だから、はなから期待はしていません。」 そもそもこちらは十五の頃から、期待をしたことは一遍もないのだ。どうせ一生伝えないと思っていたし、俺の想いは叶わない方があらゆる方面から見て丸く納まっていると思っている。今日の一日を特に切り取って、がっかりする行為は今更だ。俺にとっては、カカシ先生は永遠に来ない人なのだ。 「直ちに帰って、もう戻って来なくても結構なんですってば。どうせ俺はまだアカデミーに居ますから、気が向いたら寄って帰って下さいってことです。」 「面倒臭い人ですね、貴方。」 望みを持たないことと思慕する相手に嫌われたくない本音とは違う。短所を刺されて流石にチクリと痛みを感じた。が、へこたれる暇があるなら出来ることをして終えたい、そんな気持ちが止められない。せめて見付けた俺の答えが合っているかどうかを委ねるところまでは投げ掛けて別れたかった。 「憚り乍ら気に掛かるのを放置しておくのは心持ちがすっきりしなくて嫌なんです。せめて解明の場を設けたい。その間に貴方が来なきゃ、それはそれで片が付きます。要するに、結果には拘らないんです。」 だから、と言い募るのを、手を上げる仕草で遮られた。 「分かりましたよ。そちらの言い分は飲み込みました。しかし俺はこれで帰ります。そして貴方が何時間待っていても、ここへは戻りません、面倒臭いので。それから、二時間後の答えを一応お渡ししておくと、俺の中には何もありませんでした。言った通りですよ。待つだけ無意味。止めておくのが賢明です。まさか名前を呼んだだけでここまで絡まれるとは思いませんでしたよ。これからは迂闊に口を開かないよう精々留意します。では、ごきげんよう。」 苛苛しながら早口で文面を諳んじる如く述べ切ったカカシ先生は、この大雨の中へ飛び出して行った。咲いた弱弱しい雨傘と、運動場に流れる川をバシャバシャ踏み付けて走る背中を俺は二階から見送った。 -続- |
| 5.〜6.> |