単発text09_1
此処に眠る。
| - | 既往 |
| 灰を撒け |
1. 彼を見たのは、カカシが十七の歳だった。 それは気乗りしない花見会場へと顔を出した休日のことで、出不精のカカシに参加を呼び掛けた連中は若齢ながら隊長格を表わす草色のベストを着こなしていた。当時別動隊に所属していた彼は一人、装束が異なっていたものの、みな同年代で、志を一にする忍仲間であることには変わりない。ところが、晴天の水色をけぶらせるように地上でモコモコと開く桜の下に集っていた、残りの半数が、遅刻して土手へ着いた彼にとってはそれこそ異様だった。 あちらには這い這いをする女の子。こちらにはふくよかな胸で眠る赤ん坊。そして、そこらを元気に駆け回る男の子。小さき愛し子らを見守り、あやしながらお喋りに花を咲かせる女性の面面。忍の里といえども無論この私服の一団は非戦闘要員だ。 どうやら若い忍集団が、母子会と茣蓙を合わせて仲良くなっているらしい。その二組の間を繋げた人物こそが、イルカだった。 「可笑しいでしょ。近所の茣蓙と育児談義で盛り上がったなんて、十六の男子の口から出てくるかしら。」 思い返してみれば初めから、素通り出来ない人間だったのだ。 「ついこないだまで、テメェもちびの世話をしてたからな。」 「失敗したの?」 その際どい質問を引き取れなかった紅は、細い眉を上げて顎を引いた。 「だから、餓鬼が餓鬼を産んだのかって。」 男同士の下卑た猥談の経験から明け透けな表現で言わんとするところを察して、 「任務だ、任務」と教えたアスマは、厄介そうに先に誤解の芽も摘んだ。「年単位で、長期保育の任務に就いてたんだよ、あいつは。」 「大体ねえ、餓鬼じゃなくってイルカって名がちゃんとあるの。」 「あ、そ。」 じゃれ付く子供の両脇を抱き上げてぐるぐると回す、よく通る声の主は、満開の薄紅に包まれ、色んな人間の中に居た。ぽかぽかした陽気。舞う花弁。横手に流れる川面の反射。どっしりと張る太い根。息衝く大地。親と子供。女と男。光景はぴっちりと埋まり、離れて見るカカシが入る穴は、どこにも空いてなさそうだった。 「紅の知り合い?」 「まあ私も、そうね。」 「あいつは顔が広いんだ。俺だって顔見知りの仲だからな。」 遊学と称して木ノ葉の里に不在がちなアスマですら面識があると聞いたカカシは軽く自省した。 「俺って余っ程世間から外れてるのか。」 「あら、気付くの遅いのね。そんなの周知の事実だわ。」 「クク。今に始まったことじゃあねえな。」 「けれど今日はあの子を、元々呼んでいた訳じゃなかったの。」 「いざ捕まえようと思ったら難しいくせに、ひょっこり現れやがるんだよな。」 そこでクスッと美人の口元が綻んだ。 「ええ。初めは通り掛かった茣蓙で、御母さん方が簡易日避けを組み立てていたんですって。で、手間取っているのを手伝って、それからこっちに合流してきたのよ。」 「成程、全然分からん。」 「だろうよ、オメェにゃ分かるめえ。」 和やかな春の空に、こんもりした淡い色彩が前後に伸びる川堤の方々で賑賑しい大人数の声がグワン、グワンと響く。 「なんか人が多いから、俺、やっぱり帰るわ。」 引き留めては断られる毎度の手数を省いてアスマが首を振ると、顔を見合わせた紅も肩を竦めて茣蓙に重箱をつつきに戻った。 それから三年が経ち、自身も草色の隊服で表立った活動をするようになっていた頃、カカシに、あの時の少年と口を利く機会が訪れた。場所は、任務受付所の廊下だった。 そこには横長の巨大な掲示板が設置されていて、夥しい数の紙が所狭しと貼り出されてある。そのうちの掲示物の一箇所が、前に垂れていた。行方不明となった画鋲の角があるのを見落とせなかった彼は、木枠を全体として見た時にその一点が均衡を台無しにしてしまっているという状態がどうにも気になった。すわりの悪い心持ちで掲示板の前まで進み、歩を停める。 一角を、本来あるべき位置へすいと指で伸ばした。画鋲なら板の端っこにでも余っているかと思ったが、一つもない。今しがたのこの発見をなかったことにして立ち去っても構わないのに彼は押さえた指を離すに離せず、ひょっとすると足元に転がっていやしまいかと、望み薄なところを探しつつ次の一手を考え始めた。その時だった。 「わあ。それ、俺も気になってたんですよ。」 右の後背から、イルカが現れた。手首の動きに合わせて、載せられた金属画鋲がころころと踊っている。 「俺なんかわざわざ調達しに行っちまいました、ふは。」 「……、ああ。」 顔付きや体格は成長していたが、黒髪を高く結ぶ髪型や特徴的な鼻の傷、そして何より初対面だからといった制限を掛けないで振り撒かれる、けれども薄っぺらな笑い方は、まさしくあの桜の季節に見たものだった。そして、 「もしかして貴方も気付かれましたか。」 この慮外の問い掛けに、カカシの眠そうな隻眼はぱっと開かれた。 長い掲示板には案内、広告、警告、急告の紙が次から次と、古い物の上へ重なったり逆に大きく間を取ったりして貼り足され、貼り変えられていく。そこを通る大抵の人が注目するのは、それぞれの内容つまりは文字だろう。それらを留める画鋲の散らばりは、一見まとまりがないどころか意識にも上らないで終わる。しかし、夜空に煌めく星星からいつしか星座が生まれたように、ある画鋲から画鋲へと五回、線を引くと、掲示板上には五芒星が描けたのだった。そして、その一点を担っているのが、カカシの指先で押さえられている場所に他ならなかった。彼が発見したのは、画鋲が抜けて紙がめくれているというすぼまった単一の事柄ではなかったのだ。 彼は、自分以外にも透明の図形を見出したその人と、しかも同時刻に居合わせているというこの決定的瞬間にどきりとした。 「気付くって、五芒星のこと?」 「そうそう、そうです。」 イルカは嬉しそうに唇を曲げた。かつての少年は、数段男らしくなっていた。 「誰もそんなものを作ろうだなんて、計算して刺していったのではなかったんでしょうけれど。だからこそ余計に高揚しますよね。意図せずしてこのくるくるする形が、陰で作り出されていたなんてね。」 画鋲を線で結ぶと浮かぶ形は五角形でも良い。それを星型と言う点について否定しなかったばかりかイルカは大胆に、くるくるすると表現したのだった。 心で星形の線を引いていたとしても、単にそれだけであるならば多くの者はとげとげしたとでも形容するだろう。 「この掲示板、今、最高に面白い状態ですよね。」 「普通は文面に注目するとおもーよ。」 「んは、それはそうかも。でも、よりによって五芒星なんですもん。」 「好きなの?」 「だって……、まあいいや。」 俯いてイルカが口元を隠した。図形の話に好き嫌いを持ち込む人を、愉快がっていた。 「じゃ、刺しますね。」 「待て、……いや、どうぞ。」 カカシは「だって」の続きが気になって仕方なかった。相手は今にも、黄金に輝いていると答えてくれそうだった。 「それっと。よし、完璧。」 「ね」と促されて、こくりと頷くと、だしぬけに彼が手を差し出してきた。状況を飲み込めないながらもカカシは真似をして自らも片手をおずおずと上げた。すると、向こうは相好を崩してその手をぎゅっと握り、二、三度振った。 「それでは。」 そうして握手をするだけしていつかの印象を濃くした人は、さっさと居なくなってしまったのだった。 手甲を嵌めた黒い手の平に視線を落としたカカシは結局、彼とたくさん話は出来なかった。 次の年には、イルカは忍者学校の教師に採用された。心に垣根を作らないで誰彼なしに愛想の好い彼は、ますます愛を平等に分配する人になっていた。ごく一般の感性を育み損ねたカカシの目はそれを、悪化していると捉えた。あるいはこちらの頭の方が、年を重ねるにつれ捻じれていっているのかとも思った。そう思うと、未来は決して明るく拓けていなかった。 2. 月日はさらに五箇年流れた。カカシは二十六になっていた。単独でいる姿は稀なイルカを見付ける度に、世界はぴったり詰まっているようで、脳味噌が沸き立つみたいにぐらぐらと揺れた。 眼球は確かに現在を映しているのに、並行して脳内に下りた幕では幼少期の上映が始められる。全く異なる二つの映像が同時に進行するから、過去と揺らめき混ざる現実の動きにすり潰されて気分が悪くなる。そうなるとカカシは急いで家に帰って洗面台の鏡に向かい、心の嵐が鎮まるまで、映る己と話し合った。 他人とする会話が得意でない代わりに彼は長年この、もう一人の自分と見詰め合う形になって何度も何度も話をしてきた。そうするうち、こちらから目を離さない鏡の中にいる奴は、次第に別な大人として映るようになっていった。大人のカカシは、鏡面から見詰めてきた。段段それを、鏡を見ている自分だとして実感できなくなってくる。鏡を見るカカシが鏡の中にいる大人のカカシに話を聞いて貰う時もあった。鏡の中の大人のカカシが、疲れた顔で相談してくることもあった。 (あの人を見ていると、どうしてあの人が出てくるんだ。) (イルカ。見た。……サクモ上忍に、似てるの。) (似ても似つかない。) (でも、似ている何かがあるでしょ。だから彼が引っ掛かるんだよ。) (……分からない……。) (何が分からないの。なんで、泣くの?) (俺は、泣かない。) (じゃあそんな顔しなーい。) (御前が泣くから、俺の目から涙が出るんだ。) (……あれ……? 泣いてるの……、どっち……。) (泣いたってどうにもならない。) (うん。) (泣いて変わるものなんて何もない。) (うん。けれど……悲しいよ。) 大人になれば受け入れることも可能かと思っていた父の心は、いくら客観的な擁護の切り口が増えたところで理解できなかった。喪服のひそひそ声に勝る蝉時雨。もくもくと興る入道雲。ぎらつく太陽に、くっきりした木陰の黒。水田を走る風。引っ繰り返ったシオカラトンボに蟻が行列を作っていた。夏の盛りの、昼下がりだった。 自らの意思でこの世に別れを告げた唯一の近親者に抱いた、とうとう捨てられたという気持ちは少しも薄れることがない。捨てられてしまわぬよう積み重ねてきた努力は、認められる機会を永久に失った。但し不幸中の幸いとでもいおうか、その件で相応の打撃は被ったものの、褒められる期待は捨ててもこつこつと事に当たり、励めば励んだ分は身になってきた経験上、元から親子の関係が希薄だったこともあって、目標達成への粘り強い姿勢は彼の性格に定着して残った。 何にせよカカシは一番近しかった人の、好物も趣味も知らなかった。 はたけサクモは父というより、ただただ強い一人の忍だった。 至急の呼び出しがあれば迅速に家を出て行った。また、幼子が彼の元へ歩み寄るよりも先に、たいてい他の忍がその人と何やら真剣な様子で忍法や戦略といった難しい話をしていた。家に居ても忍施設にいても入れ替わり立ち替わり、諸隊長やら部下やらが、白い牙の異名をとる忍の元を訪れた。子にとっては顔も名前も覚えきれない者達だった。弱音や不平不満を吐かないサクモは冗談を口にすることもなく、見知らぬ大人と口頭での打ち合わせを済ませ、時には方向性を助言し、指示を出していた。が、絶えず忙しかったにも関わらず交流のあった面々は漏れなく忍であって、そこから突出して懇意になった特定の人は終生なかった。 つまりカカシの父は、相手が誰でも一様に、一定の距離を置いて人付き合いをする男だった。というよりか、他人を決まりきった距離でしか見られなかった。サクモを円の中心とすれば、彼から見た他人は皆、ぐるりと描かれた円周上に並んだ。誰に対して冷たいのでも、誰に対して温かいのでもなかった。円の欠けを防ぐように、全体の一個として一人を大切にすることは出来ても、特別な一人として個人に注がれる私的な愛情は持ち合わせていないらしく思われた。何時でも緊張した空気を纏い、険しい目付きでいてにこりともしない。均一で機械的な接し方は乏しい表情と相俟って、さながら生まれつき胸に好悪や愛憎などないかの如く乾燥していた。そして、何人にも自分を愛させない男だった。隙が、なさ過ぎた。 戦乱の只中で後続する負傷者の悲鳴が耳に届こうが、任務地へ発つ朝に玄関先で幼い息子が不安な顔を上げようが、彼の心の中は常に同じ模様だった。そこに愛情深さや慈しみの成分はない。もっと淡淡とした感情で、公私の使い分けがなく、日日の出来事はどれも起こる事象の一つとして捉えられていた。何かが欠落しているとも、何物をも超越してしまった物凄い心境は最早出会える味方を失くしたとも言い得た。 カカシは二歳を俟たずして泣いても変わらぬ現実の、圧倒的重量感を思い知った。 作業机で巻き物を点検していた父は背後から来るのが五歳児であっても手厳しく、「近付く時には声を掛けろ。遵守すべき守秘義務というものがある。身内だからとて大目に見てもよいという法はない。向こうへ行っていろ」と鋭い眼光で退がらせた。始終温もりのない空気に肌身を曝す息子はそこから、拒絶の感しか受け取れなかった。 どれだけ確固たる繋がりを希望しても、相手は心の中に自分を取り込んではくれない。そうした、究極的には人を生身の人間として見ていない感じ、周りからの影響を一切受け付けない感じが、イルカを見ると何故か、茶色い濁流のようにカカシの記憶をぐちゃぐちゃにした。どんどん流れる時間の順調だった川に未整理の禍根が乱れを生じさせ、岩で分かれた水流がぶつかると右から流れてきた水も左から流れてきた水もなくなる如く、区別されていた場面をまぜこぜにしてしまっていることは分かっていた。だが、それを独力で片付けるには気力と確証とが不足していた。 いつも人々に囲まれていたという点では、少年時代のカカシを気に掛けた四代目火影も当て嵌まっていた。けれども四代目は、一人一人と絆を結んでいこうとする性質が顕著だった。だからか、カカシが奇妙な捻じれに囚われることもなかった。最近では、個人ではなく職務柄に魅かれているのかと考えて女教師との飲み会も試みた。ところが、めぼしい収穫はなく、その推測も空振りに終わった。そうして、何故イルカでなければならないのか、そもそもイルカでなければならないのかという分析が暗礁に乗り上げたままに混迷の片想いは何年間も続いたのだった。 一度目や二度目や、若い時分は、会うことがあっても暫く意識に上っている程度だった。それが、ここのところ三、四年は明らかに汚れた欲望を絡めていたからカカシは確かに好きと自認するしかなくなって、片想いと呼称していた。手を貸してと囁いて触れる彼の手の平の熱を想像すると体の芯が火照ってずきずきした。彼の首筋に歯を立てたり、指の腹で押したりする皮膚の張りに妄想が及ぶと、「『彼』とは誰だ」と頭が混乱した。彼とは、イルカのことなのか、それとも彼等と置くべきか。カカシの思考は多重にぶれて、情緒を蝕んだ。 普段からまともな露出は片目くらいである覆面のカカシは、慢性の錯乱ごと隠して平平凡凡を演じていた。それでも、溜まった疲れを露呈させる夜もある。上忍師に就いていた彼は、初級の任務を監督した一日の終わりに、深酒をした。そして、何の因果かそこへ来店した想い人が横の椅子に腰を下ろすから、酒を交えてじっくり話した。 その時に何となく、彼はイルカを好きな理由に思い至った。例えば明日、もしもイルカの恋人がこの世から消えたとしても、一番近い存在であった筈のこの男はそれまでの二人の関係になんら未練を感じず、平坦な明後日と明々後日を過ごしてのけるだろう。カカシを襲うこの感覚こそが、答えに思われたのだった。 それからうだうだと愚痴をこぼした挙句アルコールに負けてイルカの家に担ぎ込まれ、一泊したのをきっかけに、独占出来るかもしれないという光明を見出したカカシは、囲い込みを画策した。 ものにする為なら騙すような手口でも裏工作でも選択する腹積もりで挑んだ。 相手には、奪うと言えるほど深い結び付きを持った関係者はいなかった。カカシは、付き合うとある利点を主張して自身を売り込んだ。最終的には「つべこべ言わずに身を預けろ」と畳み掛けて押し切った。更には、信じ難いことに、俗に言う同棲生活をも彼はまんまと手に入れたのだった。 さて、では隙だらけだった当のイルカはというと、こちらは長期合宿でもやっている気でいた。カカシの諭す理屈に関しては大筋の合意と好感を寄せて、特別という概念の学習と実践に勤しむ毎日を送っていたのだった。 心配だとか淋しいだとかいうこれまでのぴんとこない主張に対しては、適当に返すと、はぐらかされた恋人が不満を水に流して済ますか、衝突はすなわち関係性の消滅を意味していたのだが、カカシとの問答はそうあっさりと単純に落着しなかった。解釈の余地といった所謂遊びがある了承は余り好きではないらしく、灰色よりも白か黒の世界が好きなのだと思わせる彼との会話は往往にして真面目な議論の様相を呈した。そしてそれは時に白熱した。納得するまで折れないイルカに苛付かないカカシが懇切に根拠と具体例を示してゆくからであり、イルカは理解することを、カカシは伝えることを努めたからであり、二人の態度はあくまで建設的であって、感情に駆られた喧嘩に発展することがそうそうないからだった。 カカシが提出してくるきっちりした決め事は、同感しかねる主観の塊ではなく、説明は理に適っていた。よくよく話し合えば守られるべき正論に思えたし、またカカシに対してはなるべく気持ちを尊重してやりたいという了見がイルカに起こった。それに、カカシの提供する着実な暮らしは慣れると楽で、イルカは健やかささえ感じていた。畢竟ずるに放縦を矯正させる関わり方は口煩いどころか彼には有効で、且つ必要な方策だったのだ。 出逢うべくして出逢い、出逢わずにはおかない存在だった定めは、どちらにとっても言えることだった。 「俺だけのものになって」とカカシが願うと、 「俺を嫉妬させたらね」と当初のイルカは答えた。命を燃やす程の拘りを持たず、自分の気持ちに正直で感覚を優先するような生き方には、太陽の温かさも明るさもなく、豪快な笑顔に付き纏っているのは薄く差す影だった。素直で気さくで人当たりの良いイルカは、カカシには薄情で人を不安に陥れる闇の怪物だった。 -続- |
| 3.〜4.> |