単発text09_2
此処に眠る。

- 既往

<1.〜2.
灰を撒け



3.

「お先に失礼します。」
その日の講義を終えて残業にも一区切りが付いたところでイルカは、ガラガラと教員室の戸を引いた。めっきり短くなった夕方を過ぎ既に暗い、十一月のしんとした廊下へ、隣の部屋から明かりが洩れていた。
保健室でも仕事をしているのか。そう思ったのとほぼ同時に、そこの出入り口がガラガラ鳴った。
「え。」
内から出て来た朧な人相を認識してはっとなり、見間違いでないことが俄かには信じられなくて彼は戸惑いの声を上げた。
それに反応して前を向き、伸びる廊下を背景にして立つ人影の正体に気付いた青年も驚いた顔をしている。
「え……、あ……。」
「……びっくりした。……テイユさん。」
「……、ジブン、ここで、何してんの?」
親しい当時もそうだった。見開いた目でイルカを確認しつつ事の把握をしようとしているテイユは、二人称にジブンという語を使う。今でもそれは直っていないらしい。ただでさえ込み入った状況に輪を掛けてそれぞれの立場をややこしくする独特の喋り方は、イルカの懐旧の情を呼び起こした。

降って湧いた再会に衝撃を受けて固まった足が、一歩ずつ進んで来る。両の手を広げて歓迎の意向を表わし、イルカは距離が縮まるのを待った。昔なら気安く抱き付いていたところだが現在の彼はここまででおく。笑顔は残して、腕を下ろした。それは、カカシの過保護みたいな指導の賜物と言えた。
「なんで、ここに?」
「久しぶりですね、凄く。俺、教師です。」
「……ジブンが?」
「はは。言っときますが嘘じゃありませんよ。テイユさんは、どうしてここに?」
「へえ、教師……。ああ。俺は、後輩に会ってたんだ。保健室に詰めることになったはいいけど、なにせ不慣れな環境だから、そいつを慰めに。」
「あー、新しい、保健室の先生。」
「そう。……で、……教師?」
このあたりで、立ち話では尽きそうにない互いへの関心を感じ取った二人は夜の予定を前後して訊ね、どこかで腰を落ち着けて近況を語り合うことに決めてその場をまとめた。

「日を追って寒くなりますねえ。」
「そうだな。」
「……。」
「……。」
通用門を抜ける時、散った銀杏の葉がかさかさと足元で音を立てた。
「今晩、月は満月ですよ。」
「そうなんだ。」
「……。」
「……。」
「なんだか余所余所しいじゃありませんか。」
「ええ、そんなことは、ないよ。」
「俺が御喋り野郎みたいになるでしょう。」
テイユの笑った息遣いで空気が小さく揺れる。ハアーと唇の隙間から息を吐くと、街灯は白い煙をイルカに見せた。
「ユタヤ先生、で合ってましたっけ、名前。」
「ああ、あいつの、うん。」
「前任の産休を埋めるので赴任されたんですよね。」
「あくまで臨時だって言ってたよ。」
「あの人、テイユさんの後輩だったんですか。」
「そう。……ジブンより、まだ三つくらい下になるよな、あいつ。」
「さあ。俺は今年で二十五ですよ。」
「じゃあ、五つか。」
「知らねえ。」
とっぷり暮れた道をぽつぽつある灯りに導かれて二人は繁華街へ歩いてゆく。

「後輩って、衛生班での縦関係?」
「ユタヤは第一種乙部での後輩になるよ。だから俺も里にはあんまり帰れてなかったんだけど、今回の野営の規模縮小でうちの天幕が解体されてさ。次の編成が決まるまで時間が出来たんだ。それなのに休暇も貰えずに引っこ抜かれていったのが、あいつ。」
「ついてねえ。」
「可哀想だよ。」
「それで、貴方は。衛生班に就いたっきり、移動なし?」
「そうだよ。会ってた最後の方でもうすぐ里を出るって話を俺がしたこと、覚えてる? あの後からずっと、衛生班。……ジブンと会うのは、えっと、十年振りくらい?」
「そうですよねえ。あの頃、何歳でしたっけ。テイユさん、俺の一つ上か、二つ上でした? 今日まで会わなかったのは、そっちがこれまでちっとも里に居なかったからですか。」
「休暇もあるにはあったんだけどね。ほら、基本的に俺は家に引き籠ってるから。」
「はははは。暗ぇ。」
「すみませんね。」
「ふははは。外に出てチヤホヤされればいいじゃん。」
「もう一通り遊んだよ。」
「へええ、ふううん。」
やけに打ち解けた雰囲気の彼らがある板塀を過ぎ去った。すると、その一部が上からぺりぺりと捲れて下がり、中からは気配を殺した銀髪の忍が、ぬうっと不気味に滑り出した。
「……、…………。」
通りの暗がりを向こうからやって来る二人組の、片方が自分の恋人だと見切った瞬間に考えるよりさき体が動いて、職業病の反射速度で我が身を隠してしまったカカシは、静かな道端で一人激しく動揺していた。



階段口に立てられた看板の、天火で焼いた牛肉という一品にイルカが釣られて上がった二階は、黒い壁紙と鮮やかな赤い椅子が粋な店だった。
「いやあ、ね。まさか会うなんて。」
「誰と。」
「……イルカ君。」
「ふっふ。」
注文をする横顔に意地の悪い視線を固定して己の名を引き摺り出したイルカは満足気に背凭れを使った。「こっちの台詞ですよ。こんなことってあるんですね。」
「ないって。ない、ない。会うなんて全く思ってもなかったから、この、今の状況にうっかりするとまた混乱してしまうっていうか、俺、未だに驚きを引き摺ってるよ。」
「俺だって。貴方が忍者学校の廊下に居るなんて、予想の範疇にねえもんなあ。それに今日は、本当なら休みだったんですよ。それが急遽代講することになって。」
「爆工部隊にでも配属されてんのかなあとか色々思ってたけど、教師は思い付かなかったなあ。」
「もう会うこともないと思ってたしね。」
「……ああ。そうだな。本当に久しぶり。」
「お久しぶりです。改めまして。」
再会の場面でも交わした言葉を落ち着いた席でもう一度送り合い、二人は運ばれてきたビアグラスをこつんと当てた。


「会った時さ。」
「いつ、さっき?」
「そう。昔だったら、あの儘がばっと抱擁をしに、突撃かましてただろ。」
校内でのイルカを思い返して、戯談めかすテイユの表情は優しくなった。「大人になったの?」
その評価の原因に心当たりのあるイルカは内心照れ臭かった。
「え、へ、へ。俺は生まれてくる座標を間違えたんです、それでいて、合っていたのかもしれない今日この頃。」
「はは、何だよそれ。意味不明。そうそう、そうだった。」
「た。」
「相変わらずなんだなあ、掴めないところ。生まれる時代を、ならまだしも、座標って、聞いたことないよ。やっぱりいいなあ、……イルカ君。」
「はい。」
「はは。」
そうして形のいい唇を楽しそうに上げても眉尻が下がるから、笑っているのに困り顔になる。それが絵になる彼は、すっと通った鼻筋と切れ長の一重瞼が涼しい美男子の一人に相違なかった。
「相変わらず男前ですね。」
「あー、ううん。」
世辞なら聞き流し慣れている彼が短い髪を掻く。「そこそこ……かな。」
色素の薄い髪と肌に、面長の顎の線や、端正な目鼻立ちが、襟足を刈り上げた、額も耳も露わな男らしい髪型の過度な野性味を抑えていた。
濁された言葉と仕草に今度はイルカが笑ったが、次の一言ですぐに、誰かさんと比べてした返事だったということを覚った。
「カカシ上忍と、同棲してるんだってな。」

「よく知ってるなあ。一年経ってないですよ。まあ、入り浸ってるっていう言い回しにも限度があるか。」
「付き合ってるんだろ?」
「同棲っつうか寄宿生っぽい生活ですけどね。そうだな、あの人は厳しい舎監って感じ。」
「舎監って。カカシ上忍、怖いの?」
「怒ると。」
一口ビールを飲んでから、イルカは恋人の評価が損なわれないようにとそれへ弁護を付け加えた。「でも許容範囲はむちゃくちゃ広いですよ。」
「気難しそうだけど、やっていけてんの。」
「近寄り難い気を発してる時もあるけど、俺は平気だよ。」
「そういうのを気にしないで突破するもんな。」
「誰が。」
「ジブン……イルカ君。」
「ふっふっふ。なんつうかね、カカシ上忍は、ううん、規律厳守系なんですよ。服装の乱れは心の乱れ、とか、門限破りは鉄拳制裁、とかさ。」
「何それ、制約だらけじゃん。そっちにしたら監獄の域じゃないか。」
「いやいや、普通の人には常識ってことが殆どなんですよ。脅されてるんじゃないかとか、瞳術で催眠に掛けられてるんじゃないかとか、なんで皆、カカシ上忍のことをそんなに疑うかな。」
「そりゃジブンが急に、百八十度転向したからだろう。それに、粗捜しに遭うのは宿命だね、抜きん出た奴の。」
「ふうん、まあ何でもいいや。ああ、門限ってのもだから、一応注釈を入れておくと冗談半分ですよ。事の発端は俺の真夜中無断外出だったりするんですから。」
「生活態度に口出しされるの、疎んじてたろ。あと、一途になるのも、なられるのも。」
「アー……、……心配してる振りをして支配したがるか、大概自分の感情を押し付けるかなんだもん。」
それより手前の次元で独り勝手に七転八倒しているカカシの魅力を人に説くのは難しい。ぐいぐいとビールを飲み干し、空いたグラスと二杯目が入れ替わるあいだにイルカは思案した。
「あの人は、規則とか法則とかが大好きなんです、多分。そこに、安心感があるんじゃないかな。」
兎に角カカシの側に身を置くことは窮屈以上に面白かった。


話はするより聞く方が性に合っているテイユは軟骨の唐揚げをつまみながら、適度に低く潤いのあるイルカの声に聞き惚れていた。
「ああ、カカシ上忍って神経質で潔癖だと思われるみたいで、俺もてっきり綺麗好きなんだと思ってたんだけど実際はそうでもないらしくってさ。最初は家の中がきっちり片付いてたのに、近頃じゃ何故か俺がいない隙を衝いて散らかすんですよ。」
「それは……。」
「三日間出張があった時なんて大変だったよ、ごみだらけで。」
「どっちが掃除したか当てようか。そっちでしょ。」
「なんで分かんの。」
「味を占めたな。と、言ったら無礼か?」
「俺に、な訳ないか、カカシ上忍に対してね。まあ、嫌がらせに味を占めてるとしたら性格は悪いですよね。」
「……、懐かしいな、……その、敬ってるんだか打ち解けてるんだか分からない喋り方。」
名前も滅多に呼ばず、オマエという語も使わない。相手を指す言葉の手前で悩む分、少し言い淀む。その遅れの間が、イルカも懐かしかった。
今も昔も素敵な目の前の人を勝ち取った男の、君が居ないと僕は駄目になるという趣意を汲んだ聞き手は、燻ぶる悋気をそっと仕舞い込みはしたもののわざと話題を深追いしなかった。

「あ、思い違いしないで下さいよ、性根の腐った人じゃ全然ないんです。」
「はいはい。」
「ここだけの話、というかテイユさんだから正直に打ち明けると、俺なんかには勿体無い。なんで俺なんかに……。自立が早かったから当たり前だって指摘されると答えに詰まっちまうけど家事は全般こなすし、作ってくれる飯の美味さが尋常じゃないんです。それがまた、食事は舌だけで味わうものではない、とか何とかのたまって、盛り付ける皿も込みで計算され尽くしてる感じで、……。」
教本さえあればそこに載っている料理を大方再現してくれる。カカシによると、食材を手順の通りに従って調理してゆけば自ずと完成するものらしい。但し、何人前になるかの量を調節するのは苦手のようで、昼に食えと言って昨晩のおかずの一品がぎっしり詰まった保存容器を翌日に渡されたこともあった。米は平らげたから通勤路の途中で買い足せともイルカは言い付かった。家には弁当箱という物がなくて、実情は残飯処理だったにしろ、愛妻弁当と自慢したくなるようなそれを受け取った時に彼は、この人を仕合わせにしてあげなくてはいけないという使命を感じたのだった。

他には、イルカを住人として招く際にカカシは、手狭だったら引っ越すと言い放ったけれども郊外に建つ平屋は裏庭付きで十分に広く、しかも、そこは彼の生家だった。イルカは下見がてら御邪魔した時、手放してもいいなんて言うカカシに一体どんな屋敷に住むつもりだと大反対した。
そして玄関右手の応接間には、調律された輸入物のピヤノがあった。勿論弾く人間は決まっている。
近寄り難い気を発していると話していたイルカの頭の中にあったのは、苛苛してこれを弾くカカシの姿だった。派手な曲を速く弾いている日は、まるで鍵盤を強く殴り付けているようだった。激しく指を動かして単調な旋律をずっと繰り返しているから何の曲ですかと訊くと、指の準備運動の譜面だった時もあった。
自分で自分を慰めるように、ゆっくりした曲に体を揺らしている日もある。あの大きな楽器の構造がどうなっているのかなど知らないが、そういう曲は足元がぴょこぴょこ跳ねて、ペダルを踏む回数が多いらしくイルカには思われた。ぽろぽろと音が聴こえると、イルカは私室として宛がわれた床の間付きからのっそり出て来て、向かいの応接間の柔らかい長椅子に移った。南に面した出窓の下にあって、ふかふかしたそこへ寝転がり、古代文明の特集雑誌を開く。演奏者は接触が憚られる背中のときもあったが、途中で移動してきても邪魔だと摘まみ出されたことはなかった。そうして空間を共有してぎすぎすしない自然な一時の心地良さは夢のようで、カカシ以外の相手では到底創り出され得ないことを、彼は実感するのだった。

気が済むまで恋人は無言で鍵盤を鳴らし続ける。知る者の限られていそうなその特技を、迂闊に広める真似をするのはどうかと彼は迷った。
仮に誰にも知られたくないのであれば、カカシがイルカの在宅時にピヤノの蓋を開けることはないのではないか。本人から口止めをされた覚えもない。
それでも、矢っ張り人の素顔は安売りしないで知られざる秘密にしようと結論したイルカは口外するのをよした。
「まあ、変な人なんですけどね。変人に変と言われることは正しいと御墨付きを得たようなもので逆に光栄だ、なんて言い返してくるんですよ。」
「好きなんだ?」
「どうかな。」
「とめなきゃずっとその惚気が続くんだろ。」
「惚気って、そんなに仲良いのかな、俺達。」










-続-
4.>