単発text09_3
此処に眠る。

- 既往

<3.
灰を撒け



4.

閉て切った襖の一室に、ばきっと割り箸の折れる音が響いた。
「失礼、少々平常心の戻りが鈍くて。」
「怒っている、と言うのだろう、そういうのは。」
「ハ? イルカセンセーが俺の居ないあいだに俺の知らない男とべたべた歩いてたからって、怒るのは筋違いってもんでしょ、只の知り合いかもしれないし。」
「なら、何故その場で挨拶しなかったのだ。」
「いま思えばね。だって……あれを見た瞬間に、体が勝手に動いたんだよ。」
熱燗を手酌で呷る濃い顔の男は太い眉の下で目をしばたたき、成程と返した。長い睫毛がよく目立つ。
「俺の見立てによると、修羅場素人だな。」
「有段者気取りかな? 肋骨押すよ?」
御猪口を擱いた旧友はそこで、真面目ぶって襟を正した。
「詳しく聞こう。」

「俺の帰還予定日って、実は明日だったんだよね。それが思いの外とんとん拍子に事が運んでさ、計画してたより早く任務遂行しちゃった訳よ。それで、多数決を取るじゃない。したら全会一致でだらだら泊まってないで引き揚げようって意見だったもんだから、強行軍で今日のうちに帰って来ちゃったのよ。」
「若い、若い。青春だな。」
「ああ、第七班じゃないよ。もっと大人の仕事に行ってたの。そいで、報告書を出した帰り道で、緊急事態の発生だあよ。」
小さな鍋の湯気に視点を定めてぼんやりとしている風なカカシの話し振りから、感情を押し殺しているのを察したガイは、これは面倒臭いことになったぞ、と溜め息を吐いた。
「要するに、現時点でイルカは目撃されているどころか御前が帰って来ているとさえ思っていないのだな。」

「恰好からして忍稼業に違いないだろうけど、ガイ、御前その……元……彼、というか……知ってるか。そういう、イルカ先生と昵懇な人物に心当たりが、あるっていうか。」
「さあなあ。俺がイルカとさほど交流がないからな。だが、ほんの知り合いなだけかもしれんのだろう。俺と御前とだって、現にこうして二人で仲良く同じ釜の飯をだな、」
「止めろ、気色悪い。」
「そう叫ぶ権利はイルカにもあって然るべきじゃないのか。一緒に歩いていたなんて、そんな括りで関係を決め付けていたら世の中えらいことになると言っているんだ。」
「だって、俺に内緒で、不在のあいだに会ってるってどういうことなの。あんな至近距離で、並んで、楽しそうに、……もうどう考えても親密じゃん!」
「カカシよ……。」
「分かってる、嫉妬に狂った俺の勘繰りだって言いたいんでしょ、でもこれ事実無根じゃないからね、的確な判断だからね、だって俺と歩くときはいつも半歩退がって斜め後ろを行く癖にさあ!」
「お、おう……。」
「だいたいあの人、御前等が思ってるよりも大分その場のノリで生きてるんだからね! そうだよ、全ッ然執着しようとしないし、なに考えてんのか読めないしイルカの癖に!」
「あの……。」
「俺と、この葉っぱの区別が付いているのかどうかも怪しいよ!」
カカシは手近な八寸を、力を入れて指さしながら柊のあしらいに八つ当たりしている。
「そ、そうだな。取り敢えず、呑むか。」
「要らない。」
「なんだ、今日は一滴もやらんのか。」
素面で目が据わっている正面の男は、通念でもって裁ける次元にいない。一方で、風変わりでもその倫理観は腐敗してはいないと信じていたので、ガイは数奇な人生を送っている友の恋路をとやかく批判しないでいた。それに愛弟子との修行に明け暮れている彼はいい歳をした変人の、発作みたいな言動にまでいちいち目を配ってなどいられないのだった。それでも、ぶすっとした竹馬の友に上忍待機室で首根っ子を押さえられ、ここまで連行されてきた任侠肌の人は、田楽を頬張りつつ主張の強い目をパチパチさして次の言葉を探した。

「そうだ、カカシよ。よくあるだろう、ほれ、二人きりでの食事なら許せるだとか、腕を組んで歩くのは許せないだとかいう、線引きとでも言うのか、あれだな、浮気についての基準みたいなものを、予め摺り合わせていないのか、イルカと。」
「人の股のことまで面倒見てらんない。」
「物の言い方が最低なときがあるよな、御前って奴は……。と、それはこの際措いておいて。嫌なものは嫌だと吐き出したらどうだ。ここで俺に言っていないで、直接本人に聞いて貰え。正当性も客観性も抜きにして、お前の気持ちを口に出すんだよ。そして聞いて貰ったら同じだけ相手の気持ちに耳を貸してみろ。」
「だから別に嫌とは言ってないでしょ。報告することがあるなら、向こうから自主的にしてくるべきではないかしら。」
「報告を怠るなって、軍隊か。あのなあ、世の中には肩の力を抜いてする話というものがあることを知らんのか、御前は。」
「た、嗜む程度には。」
「ないだろうが。やれやれ。それで、結局だな、今日の話の中身は、イルカの身持ちが悪いという愚痴なのか、浮気の嫌疑を掛けているのか、焼き餅を焼いているのか、何なのだ。」
「イルカ先生は俺に飼われて以来もう野良ではないのであって確かに躾けの真っ最中ではあるかもしれないけれどもしかし元来ふしだらな人だという訳では断じてないのだよ恐らくきっといや絶対に間違いはない。」
「一言いいか。」
「どうぞ。」
「質問に答えよ。」
「……感情の赴くままに生きていたら死ぬさ。」
「素直になるのはいいことだ」という返事と重なり、
「へましてじゃない、苦しくて死ぬんだ」と、カカシの言葉は続いた。
さては答えないのではなくて、答えられないのか。
「相も変わらず辛気臭い野郎よ。」
恋の闇を目の当たりにした気がしたガイは、沈鬱な伏し目になった彼を暫し打ち守った。

「俺は、イルカ先生を信用していない訳じゃないのよ。」
「うむ。」
「ただ、何て言うか。」
「おう。」
「だってさ。」
「聞いているぞ。」
「イルカ先生にその気がなくても、相手は分からないじゃない。」
「ふむ?」
「変な薬飲まされちゃって意識失っちゃって、」
「……。」
「気が付くと手足を縛られ自由を奪われ、そこへ暗幕からバサッと怪しいモブがわらわら出てきたらどうすんのさ!」
「くっそみてえな心配だな!」
親身な相槌から一転、太い声とこれ以上ないという顔で腹の底から馬鹿にされた、カカシが手近にあった御絞りを全力で投げ付けると間一髪で直撃を避けたガイは「ごほん」と咳払いを一つした。首の角度を戻すと乱れた艶やかな黒髪もさっと直る。
「禿げろ。」
「いや、すまんすまん、つい、な。うちの家系は禿げない。」
「業火のもと滅却されろ家系という概念なんぞ。……、……皆、あいつのこと知ってるのかな。知らないのは俺ばかりでさ。」
それから、あの男は、イルカのどんな顔を知っているのだろうと思うと頭痛が始まった。そんなときはいつも右耳の上の辺りがずきずきと痛む。


家を空ける朝、つまりカカシが最後に接した二日前のイルカは普段通りに、頭の螺子がぶっ飛んでいた。
「カあシさう。」
「なに言ってるか分かんない。こら、歯を磨きながらうろうろするんじゃなーいよ。」
「……。」
一旦引っ込んだ洗面所でぺっと泡を出すと歯ブラシを口に突っ込んだイルカは又、ぼちぼち出立しようとしていたカカシのいる居間へ戻ってきた。
「ったく、懲りないねえ。拳骨食らうよ、俺に。」
「ホタルとカエルの鳴き方って違うんだって知ってました?」
「…………は?」
「同相と逆相の違いがあるんですって、ところでどうして原人って滅びたんでしょうね。」
「……。」
話と話に脈絡はないし、前置きがないことにカカシは慣れていた。自由な御喋りは放置気味に、イルカに顔を向けて見ると、黒い忍服の左胸には白い塊がべとりと付いていた。
「歯磨き粉。付いてる。」
そろそろと立ち上がり、手甲を嵌めながら注意してやる。
「あれ、ほんとだ。」
しっかりした教師だと思われている彼のこういう部分にも、カカシは慣れていた。
「どんくさ。」
「うう、カカシ先生ぇ〜。」
「うわ、おい、寄るな。付く。」
命令通りにぴたりと止まるかに思われた動きは、勢いを取り戻して止まらなかった。
「待て。イルカ、待て。」
「犬じゃないんだからそんな言い方ってありますかあ。」
カカシに意地でも貼り付こうとする。明らかにふざけている。
「俺もう出なきゃいけないんだって。遊んでる場合じゃないの。汚れるでしょ、待て待て、分かった、奇麗にしてから来なさい。うわ……、……ああ……。」
譲歩の案も間に合わず、イルカにぎゅうと抱き付かれたカカシの胸元にも、練られていて落とすのに手間取る白色がべとりと移った。
「こら、遅刻するでしょうが。」
「もうしてるのを、人のせいにしないで下さいよ。」
「駄目って言ってんのに、さっぱり言うこと聞かないねえ!」
時計を気にして、タオルでごしごしと汚れを拭き取り、イルカを睨み付けてバタバタと出発した、慌ただしい朝だったが、カカシは充実し過ぎる程に満たされていた。


「あれ俺のなのに。」
新たな割り箸で挟んでいた湯豆腐がぐしゃりと潰れる。
「恐ろしい束縛男だな。よく耐えられるな、イルカは御前に。」
「なんでどいつもこいつもあっちの味方に付くんだよ。そもそもお前等の怠慢で見過ごされてきたあの野放図を、俺がどれだけ苦労して……、はあ、……。」
自分の殻に頑なに閉じ籠る姿は幾度となく見てきたが、落ち込むカカシを見て珍しいなと思いながら、ガイはカカシの嫌う天ぷらを無遠慮に籠から奪っては口へ放り込んでいった。










-続-
5.〜7.>