単発text11_7
此処に眠る。
| - | 既往 |
| <11.〜14. |
| 宙の音色で這う蝸牛 |
15. 朝夕ぐっと冷えこむ今年は、紅葉の当たり年だという。街頭を行き交う人々の装いに襟巻きや手袋が多くみられる週末、イルカは受付の部署で企画された研修に付随した飲み会に出席していた。 そこで見知らぬ人物に、会話を持ちかけられた。細い銀縁の眼鏡を掛けている。歳は三十に近いか。短髪で、がっしりした体格、爽やかな風貌の忍だった。 「お疲れ様でした。」 「あ、どうも、お疲れ様です。初めまして、えっと。」 「前から、ちょっと話してみたいなと思ってたんだ。」 「ああ、そうだったんですか、私と、はは。」 「カカシと、親しくしてるんだってね。」 「あー…………と……ハイ……。」 「イルカ君だよね。俺は、キオ。」 「キオ、さん。」 「俺さ、カカシと長いこと同じ部隊にいたんだよ。俺というか、俺たちって言ったほうがいいのかな。あそこにいる彼女、あいつも。」 他聞を憚り指し示されたところに溌剌とした美女がいた。ピッチャーで乾杯をし、場の中心になって盛り上がっている。これも眼鏡の男と同年に見えた。 「俺たちのこと、カカシから何か聞いたこと、ある?」 「いいえ。」 思い当たる節は全くなかった。 「キオとか、青って名前もない?」 キオにもアオにも聞いた覚えがない。首を振る。 「そっか。カカシは、本当になんとも思ってないのかもしれないな。」 「あの、すみません、話がよく見えないのですが。」 「そうだよね、ごめん。うんと、事情が白紙のところへ俺が話すと、どうしてもそれは偏った言い分になっちゃうんだけど。」 イルカは依然よく分からないまま「はあ」と相槌を打った。 「昔さ、カカシと付き合ってたあいつの、青の恋愛相談にのってたんだ。でも、なんていうか、そのうちにさ、俺と……その、付き合うことになっちゃってさ。」 「……。」 「それ以来長く、カカシが誰かと付き合ってるっていう噂も耳にしないし、相当傷つけちゃったのかなあとか思ってて。」 「……。」 「ずっと気になってたんだよ。」 「……。」 「俺のせいで、新しい恋に踏みだせなくなったとか、そういうんじゃないのかなって。ほら、恋に臆病になったっていうか、させちゃったというか。」 「……。」 「いや、ぶっちゃけさ、そのうち、独り身でいることで復讐されてるのかなとさえ思えてきて……。」 「……あー……。」 「そんななかで、ちょっと前から君が仲良くしてるって知って。」 「……ええ。」 (なんだ、この人は。) イルカはこれまでに会ったことのない人種に出くわした。聞いたところで無益な過去の三角関係を暴露されて、ほろ酔いだった気分はめっきり醒めた。 「ほら、やっぱさ、俺からはなかなか、カカシに話しかけづらくなって。申し訳ない気持ちも燻ぶってあったし。彼女を、結果的にカカシからすれば奪うって、形になっちゃったからさ。」 「……。」 「で、本題ね。」 「アー、ハイ。」 「そんなことしておいて、勝手な話なんだけどさ。……カカシには、幸せになって欲しいなと思ってるんだ。」 イルカは、絶句した。 「あいつって、良い奴だけどなに考えてるか、謎じゃない。意欲的に人と関わろうとしないし。とっつきにくくない? 青のときの相談でもそんな感じの悩みを聞いてたんだけど……触れ合いに乏しいっていうか、血が通ってなさそうっていうか。そういうのと付き合えるって人、そうはいないと思うんだ。」 「……。」 「だからさ。イルカ君。」 「……。」 「あいつを、幸せにしてやってくれ。」 おびただしい情報の洪水にあっぷあっぷしていたイルカは、カカシのいないところで知らない人から、そう言われたのだった。 イルカはその場で二の句が継げなかった。ただただ胸糞が悪かった。こんな身勝手な論法があってたまるかと思った。 もうどうにも腹が立って、帰宅後、合い鍵で先に寛いでいた厄運な人と顔を合わせると開口一番そのできごとを吐きだした。 「なんなんですか、あの人は!」 「おかえり。どうしたの。」 「貴方、彼女を寝取られたんですか。」 「は?」 「今日、キオって人に、なんか、話しかけられて。」 「……アー……そう。キオ。何年かぶりに聞いた、その名前。元気でした?」 「くっそ。」 蛇口をめいっぱいひらいて水しぶきを飛ばし、なみなみと注いだ水をびしょびしょの手も構わずにごくごく飲んで、粗っぽく流し台にコップの底を付けた。あつかましい頼みごとの件は口にしたくもなかった。 その様子にカカシは、大事な人がちょっかいを掛けられたのかとやきもきした。 「イルカ先生に、どんな用だったんですか。」 「別に。」 「なら、どうして話しかけられるのよ。」 「俺のこたァどうでもいいんですよ!」 イルカは舌打ちをした。ぱっと見には爽やかで理知的にみえた先方の、鉄面皮と愚にもつかぬ目的に憤っていた。女も女だ。 (羊の皮を被りやがって、狗の肉じゃねえか。) 「俺は、アンタへの仕打ちにむかついてんだ。……キオさんだかアオさんだか知りませんけど、どちらもいらっしゃいましたよ。女性のほうとは挨拶の機会もなかったですが。」 「ああ。へえ。」 さらさら気にしていないのか、昔の苦い名前を積まれても、カカシはただ久しぶりという感じだった。イルカにはそれが信じられなかった。 「未練とか、ないんですか。」 ほかの誰でもなくイルカにこの嫌疑をかけられて、初めてカカシは不愉快そうに首元をさすった。 「自分の股も管理できない人間だとは思ってやりたくないので。よそへ行ったのはその女の自由意思でしょう。彼女のことを未練が募るほど好きだったのかどうかなんてことを貴方に答えてなんの意味があるんですか。ハイとイイエで、伝聞の中身が変わるだけでしょう。」 「も、揉めなかったんですか、その……事が露顕した時に。」 「じょじょに仲良くなっていってるの、知ってたから。それに彼女があっちにいってからも、何年も同じ中隊に属していたし、軍評定で毎回顔を合わせていましたよ、三人ともね。」 「なんだよ、それ。」 「しかし随分と古い話を振られたもんですね、貴方も。」 「そんな……。」 一切傷つかなかったというのか。どうして本人はけろっとしていて、自分がこんなにもむかっ腹を立てているのだ。なんの遺恨もないというのか。あの二人からそれぞれ少しずつカカシがないがしろにされたようで、義憤まがいの私憤が湧いた。釈然としないイルカの頭はぐるぐる渦巻く。それでも、情けないとか男としての体面がとか、みみっちいまとめかたをしないところに、彼はカカシという男の真価をみた。 「……嫌な思いを、しましたか。」 当時を慮るイルカの言ではない。目の前の曇る眉に向かい、カカシが口にした。 見かけ上の恋愛遍歴は泥沼や修羅場を通ってきているのに、彼が身近になって、彼を理解しようとすればするほどイルカには、無垢な五歳児がなにも知らされないうちに愛憎劇の舞台にあげられ、乱痴気騒ぎに巻き込まれた末に白の照明がやたらと熱い板張りでぽつんと独り、彼だけが捌けそこなっているように思われた。それは、純粋な無頓着だった。大人になってもかほどの純度でそれを保ち続けられているのは特異だ。 「ほっとけないよ、カカシ先生。」 「お、俺? ここで、俺の話になるんですか。」 他人から幸せにしてやってくれなんて願われるまでもない。ふさわしい誰かが彼を幸せにするという人頼みもいよいよあてにはならない。たとえこの身が傷だらけになってもこの人と一緒に居たい。彼の身が傷ついても、自分と一緒に居て欲しい。 「アンタの鈍麻。悪気のない、無反応だ。」 カカシはまばたきの回数を増やして、それから、控えめな声を出した。 「俺って、迷惑かな。」 彼は彼自身が思っているような異端者なのではなく、正しくは一握りの羨まれる人間なのだ。しかし、彼は一生、自分が羨まれる存在であることについては首をかしげて過ごすだろう。イルカはカカシをしっかり抱きしめた。 「嫌な思いなんかしてねえよ。迷惑って、そんなこといったら俺だってカカシ先生にいっぱい迷惑かけてるでしょう、馬鹿。」 「別段俺は、迷惑をかけられた覚えは……ないですが。馬鹿って言った。」 「わからず屋って意味に愛おしさを加味してるんです。悪口じゃありません。」 「そっか。イルカの馬鹿。」 「それは単なる悪口だろ、やめろ。」 この恋が死ぬのが先か、命の尽きるのが先か。どちらが先にくるとは言えないけれど、そのどちらかの最後の時に、カカシを運命の人だったと言いたいイルカは、これからも模索しつづければいいのだと思った。 二人は海図のない航海をしている。 「ウイィ、離さないぞォ。」 「虎になってるんですか。」 「なってもいいかな」と、色白な首筋に彼が歯を立てるふりをした。「けどおあいにくさま、俺ァいま心臓と直接しゃべってんです。カカシ先生が仲介すると、ややこしくなるんでね。」 「イルカ先生は、俺よりも俺の心臓を取るんですね。いいですよ、なら、俺は俺で好きにします。」 ここのところ夜のしじまをゆらゆら彷徨うカカシの魂は、手を繋いで眠りに就いてくれるイルカの温もりを命綱のように感じていた。 「……ちょっと。手付きがいかがわしい。」 「無欲じゃないんでね。俺だって、下心っていう隠し球くらい持ってるんですよ、お馬鹿さん。」 二人とカカシの心臓は、海図のない航海をしている。極楽と欺かれた奈落でもない、地獄という名の天国でもない、まだ見ぬ新しい大陸を目指して。 終. |
| (2015.08) |