単発text11_6
此処に眠る。

- 既往

<9.〜10.
宙の音色で這う蝸牛



11.

これから行こう、行こうとドンドン騒ぐ心臓に、理性が常識を説いた。その翌日、任務受付所にカカシが並んでいた。
自分の番がきて、「任務を遂行してきました」と手ぶらで告げる。
「一夏ひっぱってしまったやつ。」
「……。」
アカデミーの振替休日を返上して窓口に入っていたイルカは、険しい眼差しを上げた。
「刈り取り終わったんですか。」
「ええ。」
「……。」
口頭で手続きを済ます気なのか上忍が、提出書類の一枚も持たないでポケットに両手を突っ込んだままでいる。その場に居合わせた者には、この姿が大層かったるそうに見えていた。
「そうですか。では、場所を変えてのちほど、改めて詳細を伺います。」
「一考願います。」
「こちらで待機していて下さい」と走り書きした紙切れを渡したイルカは、やはりぶすっとしていた。



「こんばんは。」
夕刻、話し合いの如何によっては別れることになるかもしれないと腹を据えていたイルカは深刻な面持ちで相手の宅へやってきた。

畳に着座して向き合い、カカシを見るまでは、確かに毛孔という毛孔から暗鬱の気を漂わせ、口調も沈んでいた。
一秒前は、間違いなくそうだった。
そうであったが、互いを包む空気のあまりの張り詰めように、一秒後、あろうことかイルカは「ぶは」と吹きだしてしまった。


みずから切望していた真剣な話し合いの場をまっさきに台無しにした、その瞬間の自分に彼は毒気を抜かれた。それで、ぴりぴりした緊張感はあっけなく破られた。
「もう。カカシ先生。ずりぃわ。はは。」
「なんで、笑ってるの。」
カカシが不可解がるのも至極当然だ。イルカは、自身の経験に鑑みてもここまで見事に、瞬く間に感情が入れ替わったことはなかった。いまのこの時に別れ話をきり出していたかもしれないのだ。それなのに現実の彼はすっかりふっきれていた。
「ああ、もう。俺、真面目に話し合おうと思ってたのに。今日という今日は、場合によっちゃア……って思ってたのに。なんだよこれ。」
「こっちの台詞です。何がどうしたんですか一体。」
「……俺が怒ってたってえのは、分かってくれましたか。」
「ええ。怒っていることは分かってました。」
だからなんとかしようと努めてくれた。ということは、こちらの本気が今度こそ、正真正銘伝わったのだ。そしてそれは自分と居たいという、カカシの意思表示でもある。なによりいつも気怠い雰囲気のカカシが真顔できっちり正座しているのが堪らなく可笑しい。頑張っている。そう思うと同時にイルカは、すがすがしく白旗を揚げていたのだった。

「機嫌、直ったんですか。」
「しょうがないでしょう。」
そう返すと、ちらっとカカシに安堵の表情がうかがえた。が、それまでのことだった。仲直りの抱擁も、照れ笑いの一つもない。顔をふいっと逸らして足を崩した。早くも本を読もうとしている。
その様子に溜め息を吐いてから、イルカは言った。
「貴方は人に優しくしすぎです。」
「俺は、別に……。」
「そう、それだ。その無自覚さに、頭を抱えてんです。けどしょうがない。それがカカシ先生の良いところだって俺は思います。過小評価してるよ、自分を。貴方は誤解されやすいタチなんだ。」
そうだとしても、だからといって一人の人が持つ優しさを、周りの人間の都合でばっさり否定することなんてできない。影響力を考えて貴方は冷たく接せよ、親切心は出し惜しめ。そんな無理強いは、傲慢がすぎやしないか。各々の色眼鏡をかけた周囲が誤解するからといって、その人が性格を改悪しなけりゃいけないなんてうすら寒い世の中はご免だ。会わなかったイルカの時間はまったく、この考えに頭だけでなく心ごと着地できるかどうかに費やされていた。

本人ととことん話し合えとイビキに諭されていたイルカは、どうしてそれをしないのかを自分でよく承知していた。カカシに言いたい科白は総じて、煎じつめれば押しつけがましい、一種の圧力になるものだからだ。こちらの苛付く点をそのまま相手の短所と決めるのは独善ではないか。
(本当にカカシ先生が悪いのか。)
真夏にこの家を飛び出したイルカは頭を冷やしてから、繰り返し考えていた。


「俺に会えなくて、さぞかし寂しかったでしょう。」
「ええ。」
臆面もない即答にどきっとさせられる。
「俺のことが、好きだからなんじゃありませんか。」
「……好きなのかもしれない。でも、その言葉はよく分からない。とにかく貴方が居ないと、俺は、困るんです。」
イルカは、やみくもに腹を割っても腐ったものしか出てこない気がした。すると、当たり散らす己の無様が恥ずかしくなった。
理想を手放さずにいられる精神が教育者には必要だ。幸い現在の自分にはそれがある。関わり方を試行錯誤するのも性に合っている。その内省を掘り下げていったら、枯れていない根気があった。
「貴方が俺を好きかどうかということを置いておいても、俺は貴方に助けられています。貴方のことが好きかどうか分からないけれど、俺は、貴方の役に立ちたいとは、思っているんです。」
ここまで言葉を絞りださせておいて、なおも既存の容器にとらわれるのは頑迷だ。





―― (三) ――

12.

イルカは、カカシの家で夜を越すことが多くなった。今朝もまなこを擦り擦り、まにあわせの廉価な綿布団から這いでたところだ。
一足先に着替えを済ましていた家の主は顔を洗っていたようで洗面所から、それが、なぜかトボトボと現れた。しきりに頭を撫でている。かと思うと、ぐっと髪を押さえ付けた。その手をぱっと離すとヒヨコの尻みたいな毛束がピョコンと跳ねあがった。しつこく撫でつけてから浮かしてもまた同じ形に跳ねている。
「それだけ全体が爆発してりゃ、この際そこがどうでも支障ないでしょう。」
「ここは、いつもは跳ねないんです。」
腕組みして大容量の冷蔵庫に寄りかかり、恋人を見守っていた男はからから笑った。

「先生の髪はいいよね、どう寝たって起きればすとんと真っ直ぐなんだから。」
「そう、髪質にしても結い方にしても、俺ァ寝癖とは無縁なんでね。さ、もう発つ刻限でしょう。どら、大丈夫、さほど変じゃないですよ。」
いつもそんなもんだからという末尾は喉へ押し込めて、イルカはぐずぐずしているカカシを玄関へと追いたてた。
「そうでしょうか。」
「とっとと行ってらっしゃい。」
寝癖というのは一部分が跳ねるから目立つのだ。どこもかしこも奔放に伸びる逆髪は、他人が見たところでいつもと違うなんて、違和もへったくれもありようがない。それでも不本意そうに毛先を摘まんでいる恋人のこだわりがイルカの庇護欲を掻きたてた。





13.

七曜表が一枚はがされ、暦は十月に入った。
平たい岩の上にしゃがみ込むカカシは針金で工作している。ごつごつした石の河原では、イルカがストローに切り込みを入れていた。いい歳をした大人が揃いも揃って休日に、シャボン玉を飛ばそうというのだ。シャボン液は子供の時分に配合を試して遊んだというイルカが、朝っぱらから薬局に寄って原料を調達し、迎えにあがった宅で相手が仕度を整えているあいだに調合した。

あまたの泡がいっせいにふわふわと空へ舞いあがる。連れだされたカカシはこの日、ひょんな流れでイルカに「最初から好きだった」と言われた。最初からの最初とは、全体どの時点を指しているのか。饒舌なイルカははぐらかして話を転がし、彼のもたついた一節へは立ち返らなかった。

なんら生み出すことのない手を、きれいでない手を、教わったとおりに泳がすと、そこからつやつやと赤や紫や、瑠璃にも翡翠にも揺れる七色のきれいな球が生まれる。光の干渉につやめき、手ずから為したシャボン玉は風に運ばれてゆく。
イルカは屈託ない。
衆目なんぞは気に病むに値しない。
刹那的な情景を片目に映し、カカシは、実証好きの教師をかけがえのない人だと思っていた。





泊り泊らせをしょっちゅうする間柄になって、イルカはあることを発見した。それは、束の間のカカシの生態に関する発見だった。
時間帯は朝も夜も選ばないが、仮眠よりは本格的な睡眠のあとが好機だろう。目を覚ました彼は、ほんの短いあいだ、この世の善を凡て授けられた者のごとく芸術的な完璧さを見せるのだ。
千年の眠りが解けたみたいに茫として、真新しく生まれてきたあどけなさで、その頭をもたげる。纏綿たる情緒にあふれた眼差しがイルカをとらえる。邪とは無縁だ。ゆるゆると腕を伸ばし、力なく抱きついてくる。甘えてくる。
それは、乾いた寒々しい殻から脱皮した個体のようでもあった。音もなく、あるとすれば宙の音色を奏でて、麗しい恋人が朝に羽化する。
惜しむらくはその親愛なるやわらかな潤いはものの数分で振るい落とされ、余熱の幻影は露と消えてしまうのだった。

シャボン玉の晩も、イルカは気兼ねなく泊った。午を過ぎて二度寝からのそのそと起きた彼は、連休を持て余していたカカシを台所に立たせて湯を沸かした。
「お待たせ致しました。さあさあ、掛けて。ほいじゃ、始めたいと思います。」
手伝い終わったほうは観客となって席に着いた。
「いざやお立ち会い〜、これに取りいだしたるは工芸茶」と大道芸人になりきり口上を述べる人に手の平をさしだすよう催促される。好奇心に満ちた顔つきで、乞われるがまま片手を広げた。
そこへ毬のかたちに閉じた茶葉を手品師の勿体ぶり方でコロンと載せたイルカは、つづいて食卓に中の様子がよく見える耐熱ガラスのポットを用意した。
「ではカカシ先生。それを、ここへ入れて下さい。」
「これ何。」
「工芸茶っていうんです。今から湯を注ぎますから、ご注目〜。」
ポットが熱湯で満ちると、ひたされた茶葉の塊は、ゆっくりと開いていった。
「わああ、何これ。」
二分経ち、三分経ちして水中によみがえったのは奇麗な花の細工だった。淡黄のジャスミンが二本立ち上がり、あいだに千日紅がぽんと咲く。これはもう、一個の小品といえた。
「どうです、いかにもカカシ先生好みでしょう。」
「うん、面白い。」
やっとのこと発表にこぎつけたこの座興は、先月あったカカシの誕生日に合わせて考えられていたものだった。
「種類はさまざまあるんですが、これは一見鐘情ってえ品名。意味は、一目惚れだって。」
俺とおんなじ、と言ったイルカが、こっちが俺でこっちがカカシ先生、逆でもいいですが、で、真ん中に恋心と説明を加えたものだから、透明なポットに一心に熱視線を送っていたカカシは面喰って上目を遣った。





14.

とうとう降りだした秋雨が肌寒さに輪を掛ける日没に、二人して外出していた彼らは弁当屋へ立ち寄った。
「そうだ、今月は雑誌の別冊が出ているんだった!」
特大の揚げ物弁当の片側を白飯にするか炒飯にするかでぶつぶつ言っていたイルカは、にわかに独り言の質を変えた。そして、カカシがまだびっくりしているさなかに「ちょっと行ってきます」と言い終わらないうちから、二町ばかり過ぎていた本屋への逆走を開始している。
「貴方が帰ってくるより先にこっちが早くできあがったらどうすんの」と投げ掛けられているあいだにもその背はぐんぐん遠ざかる。宵の闇とそぼふる雨に溶け込んでゆく人からなにかしら声が返ってきたが、急ぎ足と早口で聞き取れない。
また聞き取れないと思ったほうでも早々に連絡を取ろうとする気を失くしてしまった。それには、イルカの家の近所まで帰ってきていたことが大きい。落ち合うまでもない距離だ。それぞれ家を目指せばいいかと決めて、弁当の受け取りを担当することになったカカシは猫の額ほどの店頭で、豚カツと海老フライが揚がるのを待った。

ほどなくして客が一人増えた。若い男性だ。独身かと当てずっぽうに思う。雨をよけるように駆けてきて注文してから、空いていた小形の腰掛けに座を占めた。反対の壁にくっついて立っていたカカシは目の置き場所に窮した。
左手は注文台と厨房だ。油がばちばち鳴っている。青年の足元に視線を落とす。箱の本棚に漫画が詰まっていた。右手の入口に首を捻ると、簡単な骨組のチラシ置きがあった。地域の情報誌が三段に並ぶ。一番上は、賃貸住宅の宣伝だった。


ほかほかの弁当を受け取っても、結局イルカは帰ってこなかった。カカシは霧雨のなかへ踏み出した。雨避けに、ぱらぱらとめくっていた冊子を翳した。五分ばかり経ったところで案の定さっさと家路に就いていたイルカの後ろ姿に追いついた。





満腹になったところで、イルカはふと手元の広告に目をとめた。住宅情報の冊子だった。
何気なく頁を繰る。最初の見出しは単身者用、下宿先だった。そこを越えると、くくりが新婚向きになった。一人で住むには広く、子のいる家庭にとっては手狭となる間取りだ。残りは、一戸建てと土地だった。地区や番地に目を通しながら頭に地図を描き、へえ、あんなところに新築が、あの田んぼが更地に、などと思っていた。
そうしたら、
「あ、ち、違うんです、これは、暇潰しで。」
と、折れた頁の角をぴらぴら触る指先に気づいたカカシが、大慌てで彼の手からそれを取り上げた。「別に、そういうのではなくって……その……。」
顔から火が出るとはよくいったもので上気した顔はみるみる真っ赤になっていき、ぼっと発火するのじゃないかと思われた。
「何が違うんです。そういうんじゃないって、どういうんじゃないんです。」
頭が真っ白になったカカシの激しい鼓動が、そこいらの気配にまで波動を作りだしそうだ。角が折れ曲がったのは偶然でないことを確信してしまったイルカまで照れくさくなり、釣られてどきどきした。正方形の空気までぐらぐら煮立つ気がした。
「雨で、たまたま手にしていたのを持って帰ってしまって、だから、なんでもないんです。捨てます。」
「……カカシ先生……。」
「本当に、なんでもないんです。」
「またなんでもないなんて言う。アンタ、自分の中にあるものをなんでそうやって扱うんだよ!」
結論は破棄するとしても、なかったことにするまでの過程を疎かにはしたくないと訴える胸で、一閃の雷光をしょった影を想起していた。そのときの彼も、「なんでもない」と言った。地を這う轟きの合間だった。忘れたくても忘れられない。そのときに、イルカはふらついたカカシを背理の深淵に突き落としたのだ。

「俺は、カカシ先生の言葉をちゃんと聴きたい。」
イルカは彼を逃さない。そして、彼から逃げないことにした。
「俺はそそっかしいところがあるから、早合点してしまうこともあると思います。でもカカシ先生、そんな時には、間違ってるって言って下さい。ちゃんと教えて下さい。そうやって、貴方と共に在りたいんです。……俺は、貴方の世界には、招かれませんか。」
「……、…………、……、……俺の、イルカ先生になってくれませんか。」
感覚に則って生きられるのに、それを感情として表現するすべがない。感性なら鋭いくらいなのだ――イルカはそのことを痛切に受け止めた。










-続-
15.>