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此処に眠る。

- 告白

此の身散るとて底無しの慕情は地を這い君を呼ぶ覧



1.

放課後になったばかりの忍者学校の廊下を、注意を受けるかどうかの際どい早足でパタパタと帰って行く生徒らに混じり、最終時限の講義で広げた巻物二、三巻を大きな手の平と骨張った関節で鷲掴みにしてイルカが歩いていると階段の所でいきなり誰かに、空手である方の肘をグイと掴まれ左方へグンと引っ張られた。
「うわ! だ……れだ、と、思ったら……カカシ先生。」
「どーも。」
「どうも、今日は。」

忍者学校で教鞭を執るイルカはそれと並行して、副人員ではあるが任務受付所の窓口に座っていることがある。カカシも己の作成した報告書を提出しに行くと、丁度その場に受理係をする彼が座っているという日を何度か経験していた。それでも矢張りイルカの主な役職は教育現場にあるので、彼に会おうとするならば忍者学校を訪れるのが定石である。
ところが、教員室がイルカを除いてがらんとするというのは先ず有り得ない。
他人の冗舌な目遣いで鑑定されることからしてカカシは好きではなかったが、覗き趣味的な所以を隠し切れていないそうした人間と口を利くのは尚嫌であった。百歩譲って注目丈なら未だましであり、此方もしたい様に振る舞うのであるから、彼方だって勝手に見ていれば良い。しかし、一旦関わりを持つと、幼少時代には既に見飽きていたあの皮膚へ纏わり付いてくるような、体中から滲み出ている相手の情動を過敏に読み取ってしまい、一言話すだけでもうカカシはうんざりするのである。
彼にしてみればイルカを除く教員室の全員に用が無い。それならば、全員からも路傍の小石を見る無関心さで自分と接してもらいたい。事情に無関係の者から多かれ少なかれ醸し出される、澄ました顔でこっそりゴシップ欄を開く様な空気に直面する機会を、避けて通れるものならば成る可くそうして済ませたいというのが彼の本意である。ともあれ今の場合は、カカシの側が部外者となる。ゆえに、然様な考えでおる彼自身が教員室へは近寄らないのが正しい。
そうかと云って休憩時間や昼休みに見慣れぬ顔が教室を訪れれば、活発で好奇心旺盛な生き物達が騒ぎ出して部屋の収拾は容易につかなくなる。
人の目だらけの忍者学校という環境内でなるべく目立たず教師を呼び停めるには、時間としては放課後の始まった瞬間こそ最適である。人の目と云っても大半を占めているのは子ども等であり、子ども等の目は放課後になった途端、外界に向かうからである。
場所としては廊下が良い。最早校内になど見向きもしない生徒の大群は正門へ一目散に駆けて行く。そんな時には目の端に留まる教師が知らない大人と立ち話をしていたところで、外から来た客と先生、位にしか思わない。大人同士の面談なんどに気を取られている暇のない彼等は、立ち止まることなく「先生左様なら」を口々に言っては昇降口から次々排出されて行くのである。

カカシは、廊下から上下の階段へ入る空間の壁際に立ち、其処からぬっと腕を伸ばして用の有る人物を己の側へ引き寄せた。同じやり方でイルカに会いに来て、もう何度目かになる。
通り過ぎる生徒と挨拶を交わしながらイルカは話す。
「左様なら!」
「コラ危ねえな、廊下は走るな、左様なら! 如何して何時も待ち伏せるんです。職員室にいらっしゃれば良いのに。」
「嫌だね。」
「先生、左様なら!」
「はい左様なら。俺に御用ですか。」
雛からの通りすがりの挨拶を受けつつカカシも話す。
「あし……」
「今日は!」
「ハイどーもー。明日、何処かで会おうよ。」
「明日、は、済みませんが無理です。」
春先に初対面という名の再会を余儀無くされたカカシは爾来こうして、私的な時間を使いその相手と会うことを重ねていた。もっとも、彼が自分から約束を取り付けに来る内の半分は今日の様に、誘いの段階で断られている。けれど、何時もであれば顎をクイと上げ宙に向けた黒い眼をキョロ、キョロと右左に動かし脳裡に開いた予定表を確認する態度を示してその理由を述べてくれるイルカが、今日は何が不都合であるのかを教えてくれない。

「任務?」
カカシがそう訊ねると、イルカは何でもない風に笑って言葉を暈かした。
「いいえ、一寸。」
根っからの意地っ張りが作り出す笑顔は完璧な仕上がり具合である。
「……。」
完璧さは、時として人に違和感を抱かせる。
「では又。」
「一寸、何。」
「え。」
「一寸と言った、その先を聞いている。一寸何があるの、明日。」
「……。」
イルカは、本当に自分の事を知りたがる人であるなと思ってカカシを見、抱えている予定を打ち明けようか止しておこうかを稍迷った。再会したのち、二人切の時間を過ごすなかで彼は、この人には話しても良いかしらんと思う程カカシに、可也惹き付けられていたからである。
一方、答えを待つカカシは出方を決め兼ねている相手の事が気になって仕方が無い。心許無い感のする伏し目や、言の僅かな空隙や、陰を一切感じさせない出来映えの笑顔なぞを己が看過すると、裏で自棄酒を呷ったイルカは挙句の果て何処の馬の骨とも知れぬ輩と裸で朝を迎えているという気がしてしまう。その可能性が、カカシには辛抱できない。現に過去、泥酔したイルカを介抱し何処の馬の骨をやらかしたのは他でもないカカシ自身であり、深酒したイルカの強烈な魔力を、身を以て痛感している彼なのである。それからというものカカシは己の、眼前の男に向かう飽くなき関心や強い執着心と、人知れず死闘を繰り広げる毎日を送っている。

「……この話、長引きますか。」
切り上げたそうに、顔を背けてイルカが言った。
「それは、そっち次第だあよ。」
「今日はー、先生左様ならー!」
「ハイどーもー。」
「おう、気を付けてなー! ……テラスへ出ますか。職員室はお嫌のようですし。」
両の手をズボンのポケットに突っ込んで立つ男は猫背でのそのそと、さっさと移動し始めた教師に従った。





2.

梅雨が明けて濃さを増した空の青をイルカは眩しそうに眺めた。廂が無いため降り注ぐ午後の光が目に刺さる、その眉間にはクッと皺が寄った。柵の向こうに展望する里の、景色ではなく足元に目を落として彼は口を開いた。相手の知りたがる線まで教えて遣る気になっている。
「明日は、野暮用があるんです。」
「いつ。」
「昼、ですがその一日は、誰かと会う気も何かをする気も起こらんです。」
是が彼との遣り取りでさえ無ければ、ここまで食い下がって他人の明日を根掘り葉掘りと聞く俺ではない。そう自身を分析出来ているカカシは些か自己嫌悪に陥りながらも、納得の一言をなかなか出せずにいた。
「……如何して。」
その小声を、家で留守番するようにとだけ一方的に言い付けられた子どもの不機嫌さに似ていると可笑しく思ったイルカは、困った様に笑って振り返る。
「病院に行くんです。」
なんで、と、不貞腐れた右目が更に訊いていた。左の目は、ずらされた額当てで普段は見えない。

「俺、半年程前に背中にでっかい切っ先がブッ刺さって割と大きな創をこさえちまったんですよ。まあ、それの定期検診というか……その予定が入ってるんです。」
「帰りの刻限は。」
「さて、十四時前後ですかね。」
「そんなら、その頃に行っても良いかな。」
「え……。……病院に、ですか。」
「ウン。」
「はあ、病院に……そうですか。……構いませんが、診療時間の終わりなんぞ当てにゃなりませんよ。」
「いーよ。」
「……。」
「待ってる。……どっか、その辺で。」
待っている、という言葉にイルカは少し泣きそうになった。元来の涙脆い性分を差っ引いても、背の創が絡むと心持が非常に不安定になる。だから、自発的に彼がこの話題を口にする事は今迄なかったし、周囲にも極力見付からぬよう内証で通院を続けていた。実のところ、彼が趣味と公言している湯治もその背に深い外傷を負った時期に始まっているのである。
それに、待っていると言う男の、一所で凝っとしていることを嫌う性分をイルカは知っていた。

「……マア、好きにすりゃ良いけど。」
トン、と鷲掴みの巻物を肩に、左手は腰に当ててイルカは、無意識の虚勢を張った。
「俺、すごい機嫌悪いと思いますよ。」
「ふうん。」
「親切心で今から言っておきますけど、明日は顔を合わせたとしても一言も喋らねえかも。ひょっとしたら、カカシ先生が帰るまで無視するかもしれませんよ。こんな顔で。」
イルカが眉間に寄せた皺をグッと深くし、腰から離した無骨な手の人差指をそこに持っていった。
カカシは、頭を振って薄く笑った。
(それって、要するにいつも通りの顔じゃない。)
「いーよ。」
「……そうですか、変な人ですね。」
「よく言われる。」
「でしょうね。安心しました、俺の感性がまとものようで。」
「どう転んでも可愛くなーいね。」
「良かったよ、うっかり斬新な転び方して可愛くならなくて。」
木ノ葉の精鋭の中でも群を抜く技量を誇る上忍を屁とも思わぬ口振りでイルカは擦れ違い、屋内へ引き返して行く。
自分を通過して行く男が旋毛の辺りで一つに結わえている、そのいつもの髪型に目を遣りながらカカシは言い添えた。
「こっそり裏口から帰ったりしたら、見付け次第その尻尾を思いっきり引っ張るからね。」
戸の取手に手を掛けた儘、動物扱いされた男はあからさまな反発の表情をチョイと向けた。
「尻尾って、何です。」
すぐ後ろまで間を詰めていた忍犬使いは、片手をズボンのポケットから出して直ぐ前にある黒い髪の束を軽く掴んだ。
「これ。」
「ぐ、尻尾って言うな、俺は犬じゃねえ。放して下さいよ。」
すんなり放した手をヒラヒラと振ってイルカより先に屋内へ身を入れたカカシは、
「似た様なもんでしょう。」
と答えた。「いや、でも犬の方が余っ程従順だあね。俺も奴等の尻尾を掴むなんて非道な真似はしないし……犬というより一種の珍獣かな、ハッハッハッ。」
「殴って可いですか。」
「ま、倍返しが基本ですが良ければどうぞ。」
「今日のところは勘弁しといて遣ります。」
階段を降り始めていた上忍を上から見下ろし、イルカは不遜な口を利いた。彼は其処から教員室へ帰るので階段へは降りて行かない。
「何様なんだろうねえ、イルカ先生は。」
独り言の様にそう呟くと彼を軽く見上げただけで、カカシは肩を竦めて去って行く。覆面の下の表情は親和に裏打ちされた笑顔であった。





3.

翌日、錠剤の小袋と何度でも陥る重たい気分を貰い、イルカが木ノ葉病院を出たのは昼の三時であった。門を出た所で足を留め、周囲を見渡す。人待ちの顔は何処にも無かった。昨日の態度が効いたのかと思い、こうなることを心の片隅で願ってもいた彼は落ち込む様子も見せないで、寧ろホッとした気持ちで歩き出した。
ところが、広大な敷地を有する病院の、長く伸びた壁沿いの道が十字路になった時に彼の足が思わず止まった。角を折れた通りの向かいには大店の横っ腹が続いている、その脇に生える立派な木々の根元に在った、読書に耽る男の姿に怯んだからである。

片足は胡坐を掻く様に折り、片足は膝を立てて坐っている。その立てた膝を抱え込む按配に背中を丸め足元の草でも毟っているのかと思う酷い前傾姿勢になった手元で頁を繰っている。その恰好は傍目を忘れ熱心に本を読み進めている風にも、大変詰まらなそうにも見えた。
夏の初めの風が、銀髪を揺らす。永い歳月を掛けて作った涼蔭へ男を入れる深い緑もそよぐ。それを見ているイルカの全身をも等しく撫でて風は去る。彼は、此の時吹いた風を運命と感じた。生涯きっと、自分は今の風に撫でられた肌の感覚を忘れないであろう。この風の、己の心とは真逆の爽快さを忘れることはないであろうと、そう思った。思いながら、呼び掛ければ面を上げる距離にいる、カカシを見詰めた。

イルカは、木漏れ日と図らずも調和をなす人を見詰める。幾重にもある心の皮を玉葱の要領で最後の一枚まで剥き切った芯のところを表白すれば淡い期待をしていた、正にその人物が居る。
そんな情景を映す、己で痛めつけて襤褸襤褸にした心がトツと、地面に両膝を付いた音をイルカは聞いた。弱っている今には、見たくない世界であった。どういう理由でそんな道の端に留まっているのか、目的不明の男を見掛けても通行人ははてなと思って終いかもしれない。しかし、イルカにとっては視界に広がるその時の全てが崇高な美しさを有していた。

透き通った真っ青な空がきれいであった。下辺を担当している雲の白もきれいであった。世界を包む眩しい日光が、大きく繁って薫る緑の一葉一葉が、きれいであった。その枝葉の隙間が宝石の様にキラキラしていた。どっしりとした幹も、根を支える大地も、余分な熱気を含まない陰も落ち着き払って其処に在った。その崇高と厳然の中に坐る、カカシがきれいであった。

広い夏空の下、青々と繁る葉の樹陰で己を待つ、男の姿に心を打たれてしまった。とても不恰好な姿勢で丸まっている彼を、イルカは途轍もなく格好良いという目で以て映した。すると、心臓の辺がギュウと痛んだ。其処に居るというその存在感が、この上なく頼もしかった。白昼、涙腺が次第に緩んでくる。来なくて良いとあれだけ伝えたのに、優しい人だなと思った。そう思い、下を向いて視線を外す。イルカは泣いてしまわぬよう無理して苦笑した。気紛れであそこに坐っているのではないことが解る。一つ深呼吸をして顔を上げる。何時間でもそうして居そうな雰囲気で、カカシはイルカを待っていた。


その儘、声を掛けずに帰ろうかとイルカは思った。
その時、不図カカシが倒していた首を起こした。身体を解そうとしていたその眼が指顧の間に立つ男を捉える。
気付かれたと思った方は咄嗟に身を翻すと、元来た道をズンズン引き返し出した。当然幾らも戻らぬ処で、素早く立ち上がり通りを渡って来た小走りのカカシに追い付かれる。
「遅かったね。」
「……、……ずっとあすこに居たんですか。」
「逃げたな。」
「……、……あんな所じゃ、会えず仕舞いですよ。」
並んで歩くカカシは相手の顔を大袈裟に、横から覗き込むようにして見た。右目以外を覆面している彼は視界が其方へ偏る為に、大抵イルカの左に位置を取る。
「どっかその辺で待つと言ったでしょう、一周位グルリと周って探しなさいよ。」
「……、……。」
いつもなら憎まれ口を叩いてくる筈のイルカは、昨日本人が言っていた通りの芳しくない様子であった。それ切、カカシは何も喋り掛けないでいた。
木ノ葉病院の正門迄、二人は無言の裡に歩いた。イルカには、スッと素敵に大人になるカカシの雰囲気が耐えられなかった。

耐えられないと思ったイルカは、俄かにあらぬ方向へ走り出した。
カカシは流石に驚いたが、タッタという小走り程度であったから、ズボンのポケットに突っ込んでいた両手は出したもののそれで相手の腕を取るでもなく、また何かを言うでもなく、自分も軽く大股の足取りになり直ぐに元の位置に付けた。
追い付かれた方は小走りを止めて俯き、テクテクと歩く。
カカシは何だったんだと思いながらも矢っ張り黙って、テクテク進んだ。
そうして歩いていると、イルカは再び出し抜けに走り出す。さっきよりも速い。又かと思うカカシも、追い抜くでもなく遅れるでもなく彼の横に付いて走った。歩いたり走ったりを繰り返すイルカは、どうやら町の外れに向かっているようである。そのまま進み続けると、鬱蒼と繁る森へ出てしまう。走り出す毎に、その速度は前より速くなっていった。それでいて、忍の形で疾走する気はないらしい。
上半身を敢えて起こし足音を響かせ無駄な抵抗を沢山受けて一心不乱に、イルカは走った。
カカシは、行く先々で眼を丸くして珍事を見る人々の視線に晒され舌打ちしたい心境になったが、それでも町を抜けて森へ入る迄、一言も喋らず横に倣って並んで駆けた。










-続-
4.〜5.>