text05_2
此処に眠る。
| - | 告白 |
| <1.〜3. |
| 此の身散るとて底無しの慕情は地を這い君を呼ぶ覧 |
4. 森の奥まった土地に祀られた小さな祠の前で、イルカは漸く止まった。態と疲れる走り方で此処までやって来た所為で呼吸は乱れ切っている。肩口に顔を擦り付けて噴き出る汗をゴシゴシと拭く。 カカシも、全体何が楽しくてこんな狂態に付き合わねばならんのだと思いながら胸の辺りの忍者服をハタハタと動かし地肌へ風を送った。 「俺、機嫌悪いって言ったでしょう。如何して来たんです。」 「……。」 「それで、如何して何処までも付いて来るんです。誰にも会いたくないと言ったでしょう。」 「……。」 イルカは其処でトツと地面に両膝を付き、両の手も地べたに付けてくずおれた。やがて息が整うと、三角に折り曲げた足を抱えて坐り直し、頭もそこへ引っ込めてギュウと縮まった。 カカシは彼の背中を、希代な生物を生態観察するかの如き面持ちで見た。 「帰れと一言、言えば良い。そうしたら俺はそこで帰ったよ。逃げたら、追うさ。」 沈黙を守っていたカカシが久々に口を利いた。 「……。」 今度はイルカが押し黙る番となった。 「アンタ、目が合う前からあすこに突っ立ってこっちを見てたろう。何故俺に気付かれる前に去らなかった。そうすりゃ今日は、誰とも会わずに帰れたんじゃないかい。」 「……。」 「なんで…………、…………、…………、…………なんで泣くの。」 その声を余りに優しく聞いたイルカは、閉じ籠った自分の世界の中で嗚咽した。 カカシは腕を伸ばしても届かない距離を彼との間に設けて、その辺にゴロリとある岩に腰を下ろした。それから、二の腕辺りの袖を力一杯鷲掴んでいるイルカの大きな両手の小さな震えを、已まない慕情と共に眺めた。 「…………、……背中にブッ刺さった馬鹿でかい手裏剣が……、ナルトに直撃しなくて、良かったと思いました。」 三角に折った足が作る菱形した、腕と頭で塞いだ狭くて暗い地面を凝視するイルカがたどたどしく話し始めた。「直撃はしなかった。……直接の外傷はなかったけど、俺は、どれだけあいつの心に傷を付けてしまったかしれない!」 己がもっとしっかりしていれば、あんな形で封印の事を聞かされずに済んだ。己がもっと強ければ、「自分を庇って呉れた先生が自分の所為で目の前で死にかける」などという事態を招かずに済んだ、と彼は自責する。見開く眼から涙がパタパタと落ちる。 「この手の届く範囲の内で……身内の飛道具があの小せえ的を目掛けて放たれる状況を許しちまうなんて……俺は大馬鹿だ! そりゃ、忍になったら、里の外ではどうなるかなんて分からない。けど、……俺の手の届くところに、……居たんだ……。」 イルカは、それの起こったのが里の中であるという事実と、件の騒ぎを未然に防げなかった自分に対する内憤を消せずにいた。 カカシは、上位層に属する現在の地位とその表舞台に出るまで身を置いていた裏方の世界で張った繋がりから得ていた、当該事件の情報に思い当っていた。確か、半年程前にナルトの絡んだ事件が一つ極秘で処理されていた。そして、中忍としか洩れ出さなかったあの時の負傷者がイルカであることを今の本人の告白により知ったのである。 「なんで、……なんで里に居てそんな目に遭わなきゃなんねえんだよ……此処は拠り所だろうが、畜生! 人が恐れず外に出てゆけるのは、寄る辺があって其処から出発するからだ。」 忍になり里外の任務から還った時に何処にも安らぐ場所がなければ、そいつは休まなくなる、止まることをしなくなる。無意味な場所と没交渉の世界との、行ったり来たりを只繰り返して動き続けるしかなくなってしまう、と震える声でイルカは吐き出す。ずっと一人限で聞いていた、呪縛の歌劇の様なもう一人の自分の声を初めて外に出している。「そんなことを続けていたら、ぶっ壊れっちまう!」 心の中のダ・カーポ記号は、何回転も何回転も彼を振り出しに連れて行く。 カカシは、懸命に涙を堪えようとし、それでも止まらぬ涙を流して途切れ途切れに話すイルカから足元の雑草へと視点を移した。そして暇そうに片足をブン、ブンと振っては履物の裏で夏草をサッ、サッと掠めてみたりして時間を潰しだした。 イルカは独り限、通院によって創痕と向き合う度に、そしてそこに痛みが走る度に悲愴な無力感に苛まれていた。仮令ナルトがあっけらかんとしていても、イルカ自身が己を糾弾し続けているのである。 (この人はそこを超えられない人なのかな。) 日を追う毎にどんどん高くなってゆく夏空の鮮やかさを、森の底から淡淡とした気持ちでカカシは見上げた。祠の辺りの上空は自然の加減で木々の枝葉が伸びずにぽっかりと空いており、二人の場所は陽だまりである。緑陰で涼みたいなと思いながら彼は、少し行けば入れる周囲の木下闇を羨ましそうな目付きで眺めた。 まるで人のない静けさと、三十八億年のスケエルに包まれて、固く自分自身を抱くイルカは遂に我慢を諦め、泣きたいだけ泣きだした。彼は己の体の下で如何してという顔をしたナルトの瞳孔が忘れられない。青い円の真ん中にある純粋な黒の点が彼の脳裏にこびり付き、背の疼痛と共に何度でも、悲し過ぎる「如何して」を生々しく甦らせるのである。 「同胞が仲間を護るのは当たり前だ、先生が生徒を護るのは当たり前だ、あんな時にナルトの体は護られて当たり前なのに、一体俺はそれまで何をしていたのかと思うんです。」 カカシはこれがイルカでなかったら、この吐露を契機に自分とは合わないと判じてその後は下降線を描き相手とは疎遠になってゆくような男である。俺の神経を逆撫でして終わる愚痴は余所で遣ってくれの一言に尽きるからであるが、もしもいま打ち明けている内容にイルカが今後も拘泥し続けるのであれば、自分は如何するかという切り口にもっていって沈思した。その結果、そんな彼にも付き合う気でいる己を発見した。カカシは、よくよく彼に惚れているらしいと、他人の事を思う遊離感で自分を思った。 そんなカカシに丸々放置されていたイルカは、一頻り泣いて気が済んだのか徐徐に平静を取り戻し、静かに呼吸するようになった。比較的正確なカカシの時間感覚で読んで一時間経った頃、スンと鼻をすすり、にゅっと首も伸ばして体で作っていた窖からやっと出てくるとイルカは、如何にも男らしい大雑把な動きで胡坐になった。 「……、……アー……。」 「済んだの。」 「ズッ……。」 憑き物が落ちたようなケロリとした顔でイルカが、苔生す石に腰掛け手持無沙汰でいるカカシに振り向く。 「ところで、カカシ先生。」 声は鼻声そのものであった。少し、可愛いと思いカカシが自分を呼んだ男を見返すと、水分が溜まりユラユラした双眸は普段よりも大きく映った。その縁は真っ赤である。両頬は一面涙に濡れていてそれへ日光が当たり、てらてらしている。鼻水然りである。カカシは、声は良かったよと思いつつもう一つの正直な感想を伝えた。 「不細工だねえ。」 「ふへ。」 「ああ、笑うと一段と……。」 「スン。」 「酷いな。」 「アー……。そうですか……マアそんなこたあ、如何だって良いですが。ところで、カカシ先生ったら。」 「何さ。」 「此処は、何処でしょう。」 「ハア?!」 「……冗談ですよ。」 ふっと笑うと、目といい鼻といい顔中を両の掌でゴシゴシとこすって立ち上がり、イルカは本格的に通常の彼に戻った。 5. 倒木を跨ぎ、獣道を抜けて小径へ復帰する。進路を選ぶイルカの足取りには迷いがない。 カカシは、あの祠の周辺が彼の泣き場所であるかと思った。それから、隣を歩く男の死に様を秘密裡に想像した。彼はその己の想像上では穴だらけであるイルカの体内が、想像をする度に少しずつ安らかさで埋まっていき、人には言えない想像を重ねる毎に段々に変わってゆくことを願った。そうして、そんな彼の骸が世界の何処かに残っている時には自分が直接其処へ行って回収したいと至極まともな心で思った。 「……カカシ先生。」 「ん。」 「結極ずっと居ましたね、貴方。」 「ああ、マア。」 夕方の森を拾い歩きする二人はポツリポツリと会話を交わす。 「ずっと居るなら、本でも読んでりゃ良かったのに。」 そう言われた彼は間が空くと直ぐに開く本を、イルカがワンワンやっている最中一度も取り出さないでいた。 「カカシ先生。」 「何。」 この季節、空はまだまだ黄昏ない。 カカシは極暑にも極寒にも弱かったが、直射日光が当たらない場所としては、空調管理された屋内よりも多少気温が高い程度であるなら屋外の木の影にいる方が好きであった。概して森の中は終日涼しい。だから今、こうして木々の葉の下をゆっくり歩いているのは心地が良かった。先程まで太陽のジリジリの中で凝っとしているのを我慢していた分、余計にそう感じていた。 「……如何して、迎えに来て呉れたんですか。」 「…………。」 不意に歩くのを止めたカカシはズボンのポケットに両手を突っ込んだ儘、数歩先で見返ったイルカを眠そうな片目で見た。 「それを訊くんですか。」 「……え。」 「アンタが俺に、それを訊くんですか。」 「……、……。」 溜め息を浅く吐くと、カカシは傷んだ銀髪をガシガシ掻いた。その手を又ズボンのポケットに仕舞うから、ユラリと揺れた猫背の彼の立ち姿は自然にクタリと崩れてしまう。 「イルカ先生、聞いて欲しい事があります。」 「……はい。」 何の緊張感もない話し方の割に、彼の纏う空気だけがピンと張り詰めるから全体の雰囲気は異様であった。 「俺は、貴方が好きです。若し貴方に好きな人がいないのなら、俺と付き合って下さい。」 「……、……。」 イルカは、とうとう正面切って言われてしまったと思った。 カカシは、自分が人生でこんな台詞を吐く日が来るなど夢にも思っていなかったので、どちらかと云うとイルカの反応よりも己自身の今この瞬間を非常に興味深く捉え、頭の全然違うところで一人密かに感動を覚えていた。 「……、……あ、の……。そう言ってもらえて、嬉しいんです、本当に……、けど、」 ぼんやりと小説の世界そのものだ等と思っている告白者に、された方は苦渋の答えを返した。 「付き合っている人がいるんです。」 「知ってます。」 「へ。」 自分のことは棚に上げて場面に不釣り合いであると思う間の抜けたイルカの反応に、心なしか苛立ちを滲ませた声でカカシは、一句一句を先程より明瞭に発音して繰り返した。 「俺は、貴方に好きな人がいないのなら付き合ってくれ、と言いました。」 「……、……。」 言葉の主眼を理解したイルカは、泣きそうになった。 「…………カカシさん…………。」 そこに姿勢悪くクタリと立つ男の、きらきらした青葉の木陰で自分を待っていた姿が心に浮かぶ。自分なんぞに待ち惚けを食っていた姿が浮かぶ。来なくていいと言ったのに、迎えに来てくれたカカシが浮かぶ。青い光の粉をまぶしたような夏の空と、目の覚めるような緑と澄んだ陰翳を、吹き渡る風が一つにまとめ上げる風景に溶け込んで、変な前傾姿勢でうずくまるようにして坐り文庫の頁を捲っていた、目の前の人に応えたいと彼は思った。 「今は、無理なんです。」 「今は。」 ある感情が胸から指の先や足の裏にまで充満していることを実感しながらカカシは、泣き虫だなと思ってイルカをその目に映した。とは云うものの、他や外を鋭敏に捉えられるこの男は、内から湧き起こるものに対しては常に後手に回り、己が何かしら一つの感情に支配されていることは実感できていてもそれが何と定義されたものに当て嵌まるのかは良く分かっていない事が多い。だから彼は、この場面でも相手に手を伸ばしたいという希求の輪郭だけを掴んでいてそれを捩じ伏せている状態なのであるが、中身に何が詰まっているのかに関しては昔っから鈍感なのである。 一方のイルカは、身辺を片付けない立場で彼に応えるのは失礼だと思った。 「……カカシ先生。」 誓約書に署名するまでは惚れた腫れたのお祭り騒ぎも、取った取られたの乱痴気騒ぎも、皆思うままにすれば良いというスタンスで生きてきた彼は、来る者拒まず、去る者追わずで、極親しい人生の先達には御前そのうち刺されるぞと言わしめたこともある遍歴の持ち主なのである。それでも、本気で想いを打ち明けられた場合にはその時点で断った。自分が適当な人間であるから相手も適当な人間でなければ不均衡であるという持論から、純然たる恋心に対しては好転の余地を与えない断り方をし、彼は浮世を漂っていたのである。 「カカシ先生、俺も、貴方に聞いて欲しい事があるんです。」 恐怖心が先に立つことに変わりはないが、イルカは今、初めて真摯な態度で人と付き合いたいという思いに駆られていた。それはとても苦しく、辛くて、自分にとって生の足枷となるのは分かっているのに、それでも、この人と共に在ることで起こる因果ならば受けてもいいと彼には思えた。 「なんだろうね。」 「今は、未だ言えないんです。」 「そうなの。」 「はい。けど、今度は俺から言いますから、その時は聞いて貰えますか。」 「……分かった。」 カカシとイルカは、それから後も、町に戻り幾らか行った先の岐路で別れる迄、変わらずポツリポツリと他愛無い会話を交わして帰った。 「これから、何処かへ行きますか。」 と、イルカが聞いた。 「一緒に居て欲しいなら居てあげます。」 と、カカシが答えた。 「……俺は、帰って寝たいです。」 「そんなら今日は解散だあね。」 それじゃ又、と挨拶をして別個の帰路に就いた。その頃になってからカカシの茫漠とした胸に、ふわりと結論が浮かび上がった。 「とどのつまり、俺は……振られたの?」 -続- |
| 6.〜7.> |