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此処に眠る。

- 告白

<4.〜5.
此の身散るとて底無しの慕情は地を這い君を呼ぶ覧



6.

次の日には、イルカは昨日まで付き合っていた相手とすんなり切れていた。此方が別れ話を切り出すと、彼方も体裁を保つ為に上辺では一切の見苦しさを見せずにあっさりと承諾してみせたからである。これ迄の彼が選り好みしてきた関係性の、雛形のような別れ方であった。彼は、個別の別れではなくその全体の終幕を噛み締めた。
呆気なくて他者とは平行の儘終わる世界との訣別であった。





そうして身ぎれいになった彼は、カカシに会う手立てを考えた。彼から働き掛けるのはこれが初めての事である。一筆したためるか。言伝をするか。あれこれ出て来た選択肢から、上忍待機所を訪れるという第一の思い付きを当て込んでイルカは計画することにした。真昼の教員室で、煙玉みたいな自作の握り飯を頬張り、さて如何するかと算段を巡らせる。
中忍である彼は未だ嘗て公の用件を持たぬ身でその施設へ赴いた事がない。加えて、この段階で使えそうな材料を手元に何も持ち合わせていなかった。そこで、そうした現状を打破すべく、イルカは塩の付いた手で握った丈の、具も何も入っていない握り飯の二つ目を口一杯に詰め込んで、先ずは古書店へ足を運ぶ事に決めた。

忍者学校からの帰り道、白い布鞄を肩から斜交いに掛けたイルカは早速目当ての店へ立ち寄った。独特の匂いのする狭い通路の其処此処に積み上げられた書籍を蹴っ飛ばさぬよう足元に注意を払い、蟹歩きで奥へと進む。色取り取りの背表紙が並ぶ棚から、一軒目にして早くも探していた題名をまんまと見付けだし、有った、とほくそ笑んだ時の彼の顔を三代火影が見ていたら、きっと頭を抱え込んだに相違無い。





前日に古書店で『いちゃパラ』の上巻一冊を買ったイルカは、この日の仕事が完遂するや否や、緊張した面持ちで上忍待機所を目指した。カカシが自分を迎えに来てくれた日からは三日が過ぎている。イルカにはそれが長いのか短いのか判らなかったが、一秒でも早く、引き延ばした形でいるこの無礼な時間を止めにして了いたかった。そして、カカシの告白をなおざりにして遣り過ごす積りなど更更無い事を伝えたいと思うと心が急いた。

待機室に到着したイルカは戸を叩き、中から開けたくノ一にカカシの在不在を尋ねた。ざっと室内を見渡してから彼に顔を戻すと居るわよと答えて呉れた彼女に古本を見せて、
「カカシ上忍が任務受付所に忘れ物をされたので、届けに上がりました。」
とイルカは言った。すると、彼女は細い指をした白い手の平を彼へ見せて、
「渡しておくわ。」
と請け合った。本人に渡したい旨を述べてその好意を辞退した見知らぬ男の返事にも、彼女はサバサバした応対で頷くとそれじゃ呼んであげると行って戸口から引っ込んで行った。
間を置いて、胡散臭げな目付きのカカシが戸口に現われた。イルカは、申し訳なさそうな笑顔を浮かべて挨拶する。
「今日は、怪しい者ではありません。」
「おや、イルカ先生。今晩は。」
カカシは意外そうに片目を瞬いた。
「直ぐに片付きますから、ちょっと廊下に出て来られますか。」
唯一読み取れる表情と云える右の眼をスッと細め、相手の来訪に疑問符を浮かべながらもカカシはイルカに付いて幅の広い通路へ進み出た。

時刻は夕飯時に差し掛かっているが夏の夕べは長く、明るくそして黄色い。待機室からも余所からも丸見えの場所ではあるが真横を行き交う人間が居ない為に人気が無いとも云える窓辺で、イルカはクルリとカカシに向き直る。
カカシは未だ、事態を良く呑み込んでいなかった。
「……どういう事です。」
「ああ、忘れ物の件ですか。それは是です。」
首尾よく目的の人物を呼び出した男は、相手の愛読書と同じ題名の古びた本を彼の前へ差し出した。
「要りますか、だったら貰って下さい。俺はどうせ読みませんから。」
「如何したの、是。」
ズボンのポケットから手を片方出すと、不審物に対する手付きでカカシは本の角を摘まんだ。
「俺が加竜堂で適当に選んで買ったんです、此処に来る口実に。」
「ええ、態態……何故嘘なんか用意したんです。」
「貴方が、他人の興味本位な視線を嫌うから。」
そう返されて、カカシはまじまじとイルカを見た。
肩を竦めたイルカは、人からの注目にうんざりしながらも萎縮しないで思った通りに行動する結果として人からの注目を浴び続けている彼を面白く思い、また、それなのに一緒になって町を走り抜けて呉れた目の前の人に深い感謝と敬愛の念を抱いていた。病院からの帰り道、イルカは行動に緩急を付けて相手が自分を見限り奇行から落伍する機会を何遍か作ったが、カカシはあの日、最後の最後までそんな阿呆らしい己に付き合い続けて居て呉れたのである。


「俺、カカシ先生に聞いて欲しい事があるんです。」
カカシの手には手甲が装備されていたが、聞き覚えのある文句を耳にした途端にその手の平からはジワリと汗が滲み出た。思わずもう片方もポケットから出すと体の重心が移り、彼の背筋は珍しく少し真っ直ぐになった。端正に立つと、カカシの男振りは非常に増す。
「……なんでしょう。」
「俺、カカシ先生の事が好きです。若し未だ俺の事を好いて下さっているのなら、俺と付き合って下さい。」


カカシは今ほど己の顔面の筋肉が制御不能に緩んだことは無いと思った。だが、幸か不幸か覆面の彼は表情が殆ど表へ出ない。傍目ではその感情の変化が分かり辛い彼は、
(俺は今、とても嬉しい。)
という自分自身を感じていて、いつも薄い膜の様にある他人事みたいな感覚の隔たりがこの時の彼の中には無かった。入り日の強い光が窓から差し込んで金色になっている銀髪をワシワシと掻き、そんなカカシが返事する。
「はい。」
それから、下ろした手をイルカの方へスイと出してきた。
「え、」
「……ま、宜しく。」
「ああ、はい、」
ペコリとお辞儀をしてイルカはその手を取り、黄色い廊下に長い影を二つ伸ばして二人は握手を交わした。
「宜しくお願いします。」
イルカには、そんな事は初めての経験であった。告白の現場で誰かと握手をした事など彼の人生に於いて一度もない。イルカは楽しそうにフハと笑い、この時の中に尊い仕合わせを感じた。

笑われた理由が今一つ読み切れなかったカカシは、握手を解くと小首を傾げた流れで顔を窓へ向け、逆らえぬ力に引っ張られる太陽とその下方にある黄金色の山の端を、ある情緒を以て眺めた。
こんな時、愛読書が展開させる虚構の世界では、恋人が浮き上がる程きつい抱擁に続き熱い接吻が交わされる。しかし、そんな事は矢張り現実では有り得ないとの再認識を深めた彼は、自分とそう変わらぬタッパの男に顔を戻して相手の意見を聞いた。
「それで、今から如何するの。」
「は、アー……そうですね、ええと、俺は……もう帰りますが。」
「そう。俺は未だもう少し、待機室に居るよ。」
飯に誘うくらいしたいという気持ちはあったものの、此の日は昼過ぎに待機所に出てきた丈であったカカシは誰に頼まれたというでもないが率先して、後暫くは居残ろうと考えていたのである。
「そうですか、じゃ又。失礼します。」
「うん、それじゃあ、左様なら。」
そう挨拶するとカカシは大して名残惜しそうな様子も見せず、手にした古い『いちゃパラ』をペラペラと捲りながら下目を遣い、のらりくらりとした足取りで待機室へと引き返して行った。
その後ろ姿がパタリと閉じた戸に消えたのを見届けるとイルカも動き出そうとした、将にその時である、カカシを吸い込んだところであった戸がガチャリと大きな音を立てて、やにわにその彼を勢いよく吐き出した。
「イルカ先生!」


驚いたのは呼ばれた本人ばかりではない。開かれた戸口の向こうからも似た表情が覗いている。廊下に居合わせた者も何事かと、大慌ての上忍と馴染みのない中忍とを交互に見る。イルカの仕組んだ工作が失敗し、今迄のカカシの待ち伏せが水泡に帰した歴史的な瞬間であった。
「イルカ先生!」
古本を片手に掲げて走って来る上忍に、何時までも埋まらない空欄にようやっと解答を書き込んだ藁半紙を持って教卓へ駆け寄る生徒が重なり、イルカは、焦らずとも此処に居るよという構えをみせた。
「カカ……、」
「先生!」
同じ様に飛びついて来るにしても、ナルトの体格ならばまだ可愛らしいと言い得る域にある。しかし、良い体躯をした男が勢いを緩めず人にぶつかるというのはそれとは似て非なるものであり、相手にとっては迷惑千万な行為でしかない。
「ぐ!」
一歩下がった片足で何とか踏ん張り、イルカはカカシからの衝撃を受け止めた。

「俺、一生大事にするよ!」
イルカを掻き抱いた両腕にギュウギュウと思うさま力を入れて、興奮するカカシは大声で気持ちを口にしている。「有難う、心底嬉しいよ、イルカ先生!」
肺が潰れるか、はたまた肋骨が折れるかと思いながらこれでもかという程の力で抱き締められているイルカは、本気でカカシに拳を入れたくなった。さもなければやられるという生命の危機を薄っすらと感じたのである。
「ぐ、苦しい! お、れる……アバラ、が……折れる!」
「これ初版本だよ! おれ初めて見たよ初版本! 凄い、本当に凄いよイルカ先生!」
「……!」
「……おっと。」
殺気を洩らした相手の様子で我に返ったカカシが力を抜き、両者の間に隙間を作ると、イルカはすかさずそこに手を差し込んで嬉々とする自来也作品愛読者をドンと思い切り突き飛ばし真っ向から睨みつけて叫んだ。
「初版本とか、そんなもん俺が知るか! 加減をしろよ、加減を!」
何とか肺に一杯の空気を入れることが出来、一喝して正気に戻ったイルカははっとしたが時既に遅しで、此の時から二人は公認の、仲良し元担任と上忍師という一括りになったのであった。





7.

済みませんと言って追い縋るイルカに別に良いですと答えて、カカシが待機室の戸に消え三十分が経った。その間に部屋を出入りする何人もの上忍から戸の外で待つ中忍に纏わる情報が逐一届けられ、カカシはその者達の談話に揉みくちゃにされていた。
「おい、どこの戯けじゃ、待機室の前で人を待機させとるのは。」
「カカシよ。」
「あいつ未だ待ってるのか、カカシに謝らないといけないんですって、こう、超従順そうな感じで言ってたぞ。」
イルカは、頗る苦しかったとはいえ寄って来た相手を全力で突き放すという己の非情な動きを反省し、どうしてもカカシの顔をもう一度見るまでは帰らない気になっていた。そして、一連の出来事によりいまや注目の的となってしまっていた彼はその時点で開き直り、当初は人目を憚るものであった自分の策を見事に突き崩してくれた張本人を堂々と待っているのであった。
「私も見たよ、健気だよねえ。好いなあ、私もああいう忠誠心のある男を捕まえたいよ。」
「げに律儀な奴じゃ。」
「殊勝なこって。もっかい喋り掛けてこようかな。」
「あら、頑固そうだったわよ。」

どんどん飛び出すイルカの評判に居た堪れなくなったカカシは、遂に腰を上げた。実際は全然懐いてこないという生態を誰かに知られるより前に、イルカを此処から追い出したくなったのである。
「ああ、もう、ごちゃごちゃと五月蠅いねえ! 俺、もう帰って可い?!」
「どうぞ、どうぞ。」
満場一致でカカシの早上がりは容認される。
「何かあったら召集かけてよ。」
「あはは、頼まれなくても、そっちが岩にしがみ付いてたって要請が出りゃあ連れてかれんのよ。」
「大体、用向きのある奴が詰めてんなよ。」
「時間割があるわけでなし。」
「アンタが自分で勝手に決めた上がり時間でしょう。誰の許可が要るってのよ、変な奴ね。」


カカシが待機室からひょっこりと顔を出すと、戸口にしゃがんでいたイルカがそれを見上げてすっくと立った。
目を合わせたカカシは、その所作を犬っぽいと思った。
「そんな所に居ちゃ、皆の迷惑でしょう。」
スタスタ歩き出す彼に、イルカは従った。
「だって、カカシさんが、」
「俺は、別に気にしていないと言ったよ。」
「でも、」
「言い訳無用。」
「う……済みません。」
「ウン。」
一つ頷いてから、カカシは上忍仲間が口々にイルカの性質に言及していた事をはたと思い出し、併せて、この三日の間に最悪の場合もう二度と言葉を交わす事もないのかもしれないと途方に暮れていた相手との交流が復活したどころか両想いになるという劇的な進展を遂げた己の立場をも思い出して、あと二、三言、言い足す努力をした。「……や、あのね……、今度から俺も意思の疎通に励むから、もうあんな邪魔になる所に居ないで頂戴。」
「分かりました。」

二人は上忍待機所から外へ出た。
しゅんとなったイルカにチラリと目を遣ったカカシは、この儘自宅まで連れて帰りたいという気持ちになる。
(ああ、でも家の中は今……。)
足の踏み場も無いまでに散らかり、とても人を招ける状態にない部屋を思い出して内心がっかりした彼は腹癒せに、萎れる相手の頭をガシリと掴んだ。
「カ、カカシさん?」
返事をしない代わりにカカシは、唐突にイルカの頭を撫で回し出した。
首がグイングインと揺れる強さであるから、イルカはよたよたした足取りになる。
「え、何ですか、これ。あの……、目が、回ります。」
「ウンウン。」
カカシは満足そうに頷くが、手を止める気配は一向になかった。
「三半、規管が……つうか、……ちょ……止めて、下さい。」
「ウンウン。」
聞き入れられないことを悟ると、頭に載せられた手を操っているカカシの腕をイルカは両腕でガシリと掴み、押さえ付けて抗議した。
「いや、ウンウンじゃない、そのうちこけちまう!」

カカシは漠然と、この素直であるのかじゃじゃ馬であるのか判然しない奴がヒョイと誰かにいとも容易く操縦されてしまったりしたら己は嫉妬に狂うのではないかという考えに到った。そんな知りたくもない未知なる自身の片鱗は指の腹からその真っ黒な髪へ埋め込んで隠してしまう様に、ワシワシと指先を動かして彼はイルカの髪型を崩しに掛かる。
「うわ、何てことすんだこの野郎、止めろって言ってんだろうが!」
ボサボサになった髪を見て破顔したカカシは、猫背を深くし横から覗き込む様にしてイルカの顔色を窺った。
「さっきの反省が全然活きてなあいね。」
からかわれた耳には声の主が底抜けな仕合わせの中にいる様に、その科白が丸く響いた。イルカはこの人を成る丈大切にしようと思った。
カカシは、イルカがずっと傍に居ればいいと思っていた。

世界は誰そ彼時になっている。里に灯りがパ、パ、パと点りゆく。
「カカシさん、なんか美味いもん食わせて下さいよ。」
イルカが悪びれずにそう言った。カカシの頭には餌付けという一語が浮かぶ。
「うむ、何でも好きな物を注文むが良い。俺が鱈腹食わせて遣る。」
「良し!」
二人は、宵の町中へと溶けていった。










終.
(2011.08)