text06_1
此処に眠る。
| side K | +Y | 相談 |
| 賽は投げられた |
1. ここのところ連日秋晴れである木ノ葉の里は、この日も好い天気であった。 「やあ、俺の可愛い後輩。」 「……先輩。」 良い匂いが立ち込める町のパン屋でトレイを左手、トングを右手に持ち、これから食べる昼食をうきうきと選んでいたヤマトは暗殺戦術特殊部隊、通称暗部の先輩であったカカシに捕まった。ちなみに現在はどちらも表の部隊に配属されており縦線上で関係することは無くなっていたが、そうなってからもヤマトにとってカカシが先輩であることは不変であり、またカカシの方でもヤマトを後輩として見ることは変わらないのである。 (お昼時で、今日はこんなにも好い日和、そして目の前には焼きたてのパン。) 不憫な後輩は、そういう平和な小片に囲まれ束の間の至福を味わっていたところであった。しかも、音もなく突然隣に現れた怪しい風体の先輩から繰り出された心にもない世辞を聞いた途端、ヤマトには早くも碌でもない用件であることが知れる。彼は、すっと右に立った覆面の男に肩をばっちり抱かれていた。 「お、お久しぶりです。まさかこんな所でお会いするなんてネ〜。先輩もパンを買いに? そうですよね、そうであるに決まっている。いやあ珍しいなあ、先輩が進んで中食を摂ろうとするなんて。結構な御心掛けですネ〜。」 カカシの現れ方からして良からぬことに巻き込まれる予感しかしなかった後輩は、それでも上ずった声でただ単にばったり会っただけであれという願いを込めて挨拶する。何食わぬ顔で相手の身柄をがっちりと拘束し、平時ならばヤマトが土下座して頼んでも吐かないような御愛想を猫撫で声でするりと口にしてくる先輩は厄介事を携えた紛れもない黒であったが、ここで一言、嘘でも良いから「なに、特にこれといった用も無いよ」と本人が言ってくれさえすれば限りなく黒に近い灰色の内にひょっとしたら逃げおおせるかもしれないという一縷の望みを捨てたくなかったからである。 「テンゾウ……、」 と、声を一段低くしヤマトの耳元で裏方時代の通り名を呼んだカカシは相手の肩に回していた腕をするりと外して、トングを掴む後輩の手の上へ左手を載せた。ヤマトが幾ら嫌そうに横目で睨んでも、ずり下がらせた額当てとマスクによって全く隠されている半面からは何を考えているのだか、その思惑は微塵も読み解くことが出来ない。 「俺はね、」 優しい手つきでトングを奪うと、カカシは目の前に並ぶ色んな種類のパンから一つを器用に取ってそれを後輩のトレイの上へ丁寧に置き、まるで胸に秘めた愛を囁くような話し方でこう続けた。 「……このパンが美味いと思う。」 「何なんですか、気色の悪い!」 何故そんなトーンで御勧めのパンを載せてくるのかと堪らず叫び掛けたヤマトは、体中を掻き毟りたくなったが店内で騒ぎ立てる訳にもゆかずに極力抑えた声で抵抗を伝えた。 それでもカカシはあくまでマイペースにひょい、ひょいとめぼしいパンを立て続けに選び取ってゆく。 「これと、これも美味そうだな。」 「ち、ちょっと止めて下さいよ、何勝手に人のトレイに載せてるんですか。僕そんなの食べる気分じゃないんですから。」 ヤマトは迷惑そうな顔をしたが、カカシは力強くコクリと頷いた。 「任せろ。」 「ええええ、おかしい、おかしい! 何を任せるんですか、別に何も任せやしませんよ。まさか、自分が食べるつもり?! 買いませんからね、先輩の分なんて。自分で買って下さいよ。何なんですかもう。悪魔だよ、この人は。」 久しぶりに顔を合わせた後輩に物の数分で悪魔呼ばわりされた男は唯一出ている右目からふっと生気を消して相手へ向き直った。元々眠たそうな目が、さらに虚ろになる。それから、トングを縦にしてヤマトの目線の高さにその先を合わせると顔の前でパシン、パシン、と硬質な金属音を出して本来物を掴む部分であるところを閉じたり開いたりしてみせながらゆっくりと聞き返した。 「うん? 良く……聞こえなかった。『誰が』『何だ』って?」 平静を保って常軌を逸しているこの先輩が持つと、彼と十年以上に渡り暗部生活を共にしたヤマトには町のパン屋にある何の変哲もないトングだって立派な拷問器具か武器に見えてしまう。 「『僕は』『素晴らしい先輩に恵まれたな』って!」 「ああ、そうだろうとも。さあテンゾウ、そんな素敵な先輩と、そろそろ行こうか、ねえ。」 最後に縋った希望も空しく真っ黒な人にこれから連行されるらしい不運な身の上を、ヤマトは自分で憐れんだ。 「行くって、一体何処に行くんですか。任務の緊急召集でもなさそうだし。あと、今はヤマトでお願いします。」 「何処って、こんな時には人気の無い所、と相場は決まっているんだよ。」 「ええええ、怖い、怖い! 僕の知らない間にどんな時になっちゃってるんですか、今?!」 「いいから、早く会計して来い。」 「ヤダ、人気の無い所に僕を誘い込んでどうする、ギ!」 先輩は無造作に、トングの根元部分を握りしめていた拳を後輩の頭部にぐっと当てた。包む手の縁から地味に出ていた金属の硬さが巧みな力制御によって頭蓋骨にこつんと響き、正に是こそがそこそこであるという痛さを味わったヤマトは無念の表情を浮かべ勘定場へ向かうのであった。 2. 町の一画にある、噴水を中心に点々とベンチが置かれただけの円い公園でカカシはその一基に、地べたにしゃがむのと同じような姿勢でぺたりと尻を付け、縁に両踵を乗せて座っている。 ヤマトはそれが自分の先輩の見慣れた座り方であるから特に何も思わない、それより、不気味に簡素な椅子がぽつんと用意された薄暗い地下室などでなくて良かったと思っていた。俺を何だと思っているのよと聞かれると困るからそんなことは口に出しては言わない、別に何だとも思っていないのだから。唯、暗部時代のカカシを知っている人間の頭に自然と浮かんだ舞台がそんなだったというだけであり、一つの無理からぬ想像が生まれ、それが杞憂に終わって消えたということに過ぎない。 「よし、それじゃあテンゾウ、忌憚のない意見を聞かせてくれ。」 「え、え?」 「かれこれ三年半、何だか知らないけど何となく気になり続けている人がいて困っているんだが如何したらいいと思う。」 「…………、…………は?」 茶色い紙袋を開けて覗き込み、どのパンから食べようかと中を掻き回していたヤマトはぽかんとした顔を隣に向けた。数秒後、自分が何の前置きもなく唐突に本題を切り出されたことを理解した彼は、そこで一時停止していた瞬きをパチパチと再開させる。表情を隠している相手を見たところで、どんな気持ちでそんなことを言い出しているのだかさっぱり分からない。もじもじする風でもなく、面の角度は前方の噴水に固定されている。ヤマトの側の左半面は悉く布地に覆われているが、多分右の目には低い水柱がぼんやり映っているのであろうと思われた。 「先輩が色恋の話なんて……。するんですね、先輩も。」 「客観的に話を聞くとそれで片が付くだろう、だけど違うんだ、これが。」 背中を丸め、立てた膝の上に乗せた両腕をだらりとさせて怠そうに座っている男は、確かに誰かとそんな話をする習慣を持っていない為に今回の相手を一人も思い付かず、結極なんだかんだと任務上での付き合いなら長く、一時は里外の駐屯地で寝食を共にする共同生活の日々を送っていたこともあるこの後輩をわざわざ探して訪れたのである。パン屋で会ったのは偶然でも何でもなかった。 「そういうのではないから如何したらいいかって、意見を求めてんじゃない。」 「え〜、そういうんじゃないって……よく何でもない人を、そんな長期間……。」 ゆったりとした時間の流れを感じる秋の公園でパンを一口大に千切って食べながらヤマトは真っ昼間の空を見上げて、なんだか平和な雰囲気だなあと思っていた。自分がカカシと居るということは多くの場合が小隊を組んでいるということであり、即ち殺すか殺されるかをしている時であったものだから、正直なところ彼はこの奇異な現状をすんなりとは飲み込めずにいた。それでも、律儀な後輩はそれなりに考えたことを述べる。 「いや、矢っ張りそれは無いですよ、先輩。何だか気になるって、何なんですか。ドキドキする類のやつでしょう。」 「それが恋ならね。でも、ドキドキはしないんだから違うだろう。世の中の人がする恋愛話だとか小説に出てくるお決まりの独白だとか、そういうのが皆目当て嵌らないんだよねえ、一つも。」 はあ、と相槌を打ち、一つ目の丸いパンをもぐもぐと食べる後輩はこの先輩の相談事を聞くというのも初めてであったし、又その内容も意外過ぎて、どこかふわふわとした感覚を直ぐには拭い切れずにいる。同じ様に、食べている焼きたてのパンもふわふわしていた。 「他人に心を奪われるなんてことが無さそうですもんね〜、先輩は。しかし三年半も執心してるって……、あ。逆に物凄く目障りだとか。」 恋慕に懊悩する姿よりも人間嫌いに拍車を掛けている姿の方が自分の中のカカシ像にしっくり合った彼には、それが答えであるように思われた。 「いや、自分の感情に負の要素が無いことは分かってるの。」 「ええ、そうなんですか。」 即時解決したと思いきやどうやら違ったらしいことに長丁場の予感がしてがっかりした後輩は、具が沢山乗った二つ目のパンをごそごそと取り出してかぶり付いた。 「何て言うかなあ……こう、見て苛苛はするんだけどね。嫌いではないんだよねえ。」 「へえ、苛苛はするのにドキドキはしないんですね。」 「そう、だからずっとモヤモヤしているんだよ、原因が不明で。」 このパン美味いなと思うかたわら、ヤマトも一応一緒になって何なんだその現象はと頭を悩ませる。嫌いでなければ好きであるとしか考えられなかったものの、先輩思いの後輩はもう少し相談者の話に付き合うことにしたのである。 「うーん、気になるっていうのは、具体的にどうなるんですか。」 「だから……こう、視界に入るところに居ると見てしまうだとか、逆に向こうは何を見ているんだろうって気になるだとか。雑音に紛れているその人の名前を不思議と耳が拾ってしまうだとか。……何となく、不図した拍子にその人が思い浮かぶだとか――あ、でも、任務中とか会わずにいる間は全然気にならない。むしろ忘れているくらいに、どうでもいいっていうか。」 症状を思い返しながら話すカカシを見詰めつつ、ヤマトはパンの残り半分を一気に口に放り込んだ。ほっぺたをリスの様に膨らませ、抱えた縦長の紙袋から突っ込んだ指の感触を頼りにがさごそと三つ目のパンを物色する。 「ひょっこわっか……、」 「アァ? て、御前、そりゃ詰め込みすぎでしょうが。引くわ。」 口をもごもごと忙しなく動かし、ごきゅっと喉を鳴らして嚥下するとヤマトは問い掛け直した。 「一寸待って下さい、一つ聞いてもいいですか。て、引くこたぁないでしょうよ、すげないな。」 「いや引くよ、普通に。何。」 「ああ、その――相手とは、一体どういった御関係で?」 「え……!」 カカシは言葉に詰まったが狼狽した目が彼の左側に座っているヤマトには見えなかったので、単純に聞き返されたと受け取った方は話を進めた。 「だって、遠くから見掛けるだの名前一つで浮かれるだの、相手との直接の遣り取りが一つも混じってないじゃないですか。」 「……。」 実のところ、カカシは二年ほど前に一度だけ、何と言い表すのが妥当であるか分からない夜をイルカと過ごしていた。しかしそれは、彼にとっては非常にデリケートな記憶なのである。 「浮かれちゃいないよ。」 「……先輩、まさか『名前も知らないんだけど街で見かける娘なんだ』とか言い出すんじゃないでしょうね。一目惚れとか、勘弁して下さいよ。」 「違う、違う。全部が違う。」 何故だか何となく気になり続けているイルカについては、名前も知っているし、彼は一瞬で目を奪われるような美形でもないし、第一イルカは娘ではなく野郎なのであり、そもそもすっかり忘れて生活している期間だってあるのだから惚れている訳がないというのがカカシの見方なのであった。 3. 「なら、まあ、知り合いでも何でも構いませんけど。兎に角それは片想いと言うしかないでしょう。」 「でもさ、」 「不服ですか。」 「余りに懸け離れているじゃない、サンプルと実態が。俺には思い出して眠れない夜なんてないし、片時も忘れられなくて胸が焦がれるなんて事だってないもの。そもそもときめかないし、それに――、」 それに、恋慕う相手の死に様を、しかも襤褸襤褸の中身を想像してしまうなど聞いたことがない。 それで興奮するというのであればまだ歪んだ恋心と類推できなくもないとはカカシも考えた。だが、無論それで気持ちの昂ぶりを覚えたことは一度もなく、寧ろ想像される度に気分はアンニュイになるのである。出会った人間の死に様を片っ端から思い描く癖でもあるならまた話は別であるがカカシにはそんな悪趣味もないから余計、イルカに向かう気持ちの正体は能く分からなかった。 それでも、縦令自分としては至ってまともな心でなされている物事であっても、人が思う尋常の範囲にはこれが位置していないという齟齬も把握しているだけに、彼は先を続けることを憚った。その間にも本日急遽聞き役を割り当てられた後輩は三つ目を平らげ、粒粒した実の練り込まれた四つ目のパンを千切っていた。 「それに、何ですか。」 「何でもなーいよ。」 「え〜。まあ良いですけど。」 今回の会合自体を全体的にどうでも良いと思っているヤマトはそう返すと、続けて、次の休みには床屋にでも行ってきたら如何ですかと言うのに似た調子でざっくばらんに、猶も一定方面からの提案をした。 「先輩、いっそ告白しちゃったらいいんじゃないですか。」 「は?」 一人で考えていたら永久に出てこなかった発想にやや驚きを示してから、興味無さそうに俯いてごわごわの銀髪を掻き毟るカカシは、ぶっきら棒に聞いた。 「何をさ。」 その彼が少し前から細かく姿勢を変えて、離れた通りを見たり、自身の開いた手の平を見たり、何だかそわそわし出していることに気付いていた後輩は心中参った。 (あ〜あ、自分から持ってきた自分の話なのに……僕以上に飽きてきちゃってるな、この人。) 「いや、だから、好きだということを。」 「いや、好きとかではないんだよ、だから。俺の話を聞いていたか?」 「……何なんですかそれは。」 「そう、そうなるだろう? 気持ち悪いだろう、こう、この辺が。」 胸の辺りで手の平を回してさする様な仕草をするカカシは、なるほど本人が先程訴えていた通りどことなく苛立った風になっていた。だが、当人はそう否定しているもののヤマトにしてみれば結論は誰かに懸想している以外にない。 「じゃあね、聞きますけど。恋じゃないとしたら、なら、例えばその人に好きな人が居ても平気なんですか、先輩は。」 「ええ、その人の事情なんか知らないよ。…………そうさねえ、でも、人の事をとやかくは言えないでしょう、俺も操を立てている訳でなし。」 言葉の前半は、思った通りと事実である。後半については、カカシは実際、イルカに操立てしているつもりはなかった。但しその言は、元々三大欲求と称されるうちの食に対する欲をさほど感じない彼は睡眠欲に関しても薄く、残りの欲さえ同じ様な淡白さをしていて人間味のない半ば仙人のような暮らし振りであったのに加えて、二年前に一晩中イルカと一緒にいて起こった大惨事をシクシク痛む、目には見えない傷として抱えているものだから、尚更そういった事からは縁遠くなっていたという真相を孕んでいる。それで、そうした触れたくない過去の事情と、嘘ではないにせよ無意味には違いない見栄をしかし男として張っておきたい気持ちとが相まってなされた返事は、不誠実の極みのような色を帯びた。 そんな経緯を知る由もない後輩は言葉を額面通りに受け取り、爛れているという目で先輩を見ながらも乗り掛かった船である上、 (この人、下手したら芽吹きかけている恋心を素通りするか、さもなきゃ無理矢理「謎」という一言に帰結させて一生を終えるな。) と思うと、そこに此の季節特有の風を何だか寒々しく感じるような哀愁を見出し、こうして相談されてしまった以上はその萌芽に気付かせてやりたくなった。 -続- |
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