text06_2
此処に眠る。
| side K | +Y | 相談 |
| <1.〜3. |
| 賽は投げられた |
4. 一寸待っていろと言うなりすいと立ち上がり、ふらふらと何処かへ姿を消してしまったカカシは、間も無く両手に紙カップを持って帰って来た。何かをしていたがる先輩の傾向を熟知しているヤマトは、行き先も掛かる時間も気にせずにそのうち帰って来るのだろうと思って日向のベンチで寛ぎ、正午の明るさと清らかな秋風を満喫していた。それに彼は彼で待つという感覚ではおらぬから、自分もそろそろ動き出すかという頃合いになって先輩が戻っていない際には何の気兼ねもなく合流を果たさないで解散するつもりであった。 「遣る。」 「ああ、飲み物を買いに行ってたんですか、頂きます。」 差し出された湯気の立っている方を受け取ると、一口飲んでほっと息を吐く。 再び地面に足を付けずベンチの座面上で胡坐を掻く様に座ったカカシは、空に向かい薄い白煙をハーと口から出している後輩の横顔を見詰め、思いもよらぬことを頼んだ。 「テンゾウ、もっかいさっきの頬袋を作って見せて呉れないか。」 「え、急に何を、さっき馬鹿にしてたじゃないですか、嫌ですよ。」 「大丈夫だ、自信を持て。面白かったよ。」 「や、それ誉めてないですし。そんなこと言われて、やる奴いないでしょう。」 「仕方の無い奴だな、文句ばかり言って。」 「ええ、酷いな。こんなに親身になって相談に乗っているというのに。」 「分かったよ、可愛かったって、白いキノコの次に。」 「ええええ、キ、キノコ?! ……て、何が分かったんですか、何も分かってないじゃないですか! キノコと同じ括りって、どういう系列に組み込まれたんですか僕は。ていうか『次に』ってこたぁ白キノコに負けちゃってるじゃないですか、ちょっと! あ、それで良い、のか?」 「どうなの、やるの、やらないの。」 「何故この期に及んで未だやるかもしれないという可能性が残されているんですか、やりませんよ。」 そんなことより、と早々にヤマトは話を本題へと戻す。放っておくと、カカシは自分から振ってきた相談事をそっちのけにして今からその白いキノコを見に行こうなどと言い出しかねない奇天烈な人間だからである。大方自動販売機とベンチの間の、どこかその辺で見付けでもしたのであろう。片想いの醍醐味に完全に飽きてしまっているこの困ったエリート忍者を、後輩は解決の糸口を掴むところまで是非とも導かねばならんと思った。 「先輩、もっと本気で取り組んだ方が良いですよ。その、モヤモヤとやらに。」 「え、ああ、うん……なんだか考えるのが面倒臭くなっちまって。無価値なものには時間を費やしたくないしね。」 「もう、そんな態度で放置してるもんだから何の決着も付かずに、三年でしたっけ、も経っちゃうんですよ。大体、モヤモヤし続けている方が余っ程無駄な時間じゃないですか。」 「そうなんだよねえ、自然消滅の見込みがない恐れが出てきて最近そう思ったよ。でも、行き詰まるんだもの。」 「なら、こうしましょう。本丸の理由の方は一旦措いておくとして、外堀の、その人とどうなりたいかというところから攻略していきましょうよ。あるでしょう、何かしら。」 「『と』? 俺の中のこのモヤモヤが解消すればそれでいいよ。何となく気になるというのを、無くしてしまえれば済む話だろう。」 慌ただしい生活サイクルになるところっと忘れ、任務受付所なんかで出会した時には避け通し、それなのに視界に入ったり名前を耳にしたりすると気になってしょうがなくなる。カカシはこの、偶に起こる発作をどうにかしたかった。イルカとどうにかなるという視点は、そんな彼にとっては青天の霹靂であった。 「相手とどうこうなる気なんか、特にないなあ。」 「そんな……、せめて話し掛けるとか。してみりゃいいのに。」 「俺から?」 「はい。」 「何でさ。」 「何でって。」 「何を?」 「そりゃ、適当に。」 「話す題目が何もなーいよ。」 「ええい、間怠っこしい! 現に気になってるんだから色々あるでしょうが、聞きたい事くらい。気になるなら気になるって言えば良いじゃないですか、気になる事があるならそれを聞けば良いじゃないですか、大概にして下さいよ、全くもう。何なんですか、さっきから聞いてりゃあいい歳してその甘酸っぱい初恋のような堂々めぐ…………あ。」 「ん?」 「――つかぬ事を御伺いしますが……、先輩、初恋なんていう薄ぼんやりしたもんは、とっくに終わってます、よね?」 「ハァ?」 「ですよね〜、はは。」 「そんなものは、俺の中には無い。」 「そ……、…………はあ?!」 「恋をした事は一度もない。」 カカシには、自分とは無関係な遠いところで爆発する砲弾のような性欲はあっても誰かを好きなるという心の働きが起こった経験は一度もなかったのである。 ヤマトは、よもや迷える子羊が欲の絡まぬ仄かな初恋すらも知らないというずぶの未経験者であるなどという可能性を今の今まで考えに入れていなかった。 「え? ちょ、じゃあ、え?」 大人になるに従って次第に鈍くなってしまったとか気付き難いという次元の話ではなく、カカシはヤマトが思っていたよりも遥か大本の部分をうろつき迷子になっていたのである。忘れているに過ぎず一度くらいは通ったことがあるその道の景色を思い起こすという作業ではなく、カカシに必要なのは初めて降り立った見た事もない地形をした土地の名前を誰かに教えて貰うことであるらしい。 「じゃあ、じゃあそうなんじゃないですか!」 「は?」 「それ、はつ、初恋じゃ……っぷ! ……は、初恋って、ぶは! あ〜、久しぶりに言ったよ、この単語! あは〜っはっはっは、言う度に笑いが襲う、ハ〜。初恋じゃないですかあっはははは、駄目だはははは、矢っ張りツボに入っちゃってプククク……痛い痛い痛い痛い!」 可能ならば顎関節を押さえて黙らせたかったがプロテクターに阻まれ断念し、やむなく摘んだヤマトの口の端を顔色一つ変えずに無言で、もぎ取れるかと思うほどの強い力を入れて容赦無くカカシが抓っていた。 「今度茶化したら形状が変わるまで鼻フックしてやる。」 手ぶらである右手の人差し指と中指をクの字に曲げてそう宣言した先輩の目は真剣そのものであった。そして、後輩はやると言ったら必ず遂行してみせるのが己の先輩であることを十二分に弁えていたから一旦自重し、五つ目のパンを茶色の紙袋から取り出すと丁寧に千切りもそもそと大人しい様子で食べ始めた。ほっぺたが、じんじんと痛んだ。 長年無自覚な恋患いに冒されているカカシにとっては笑える問題ではないらしく、彼は神妙な雰囲気で後輩の指摘をブツブツと反芻し、 「恋……、俺が? まさかそんな……、これがか? だって、全然違うじゃない……、だって……胸の高鳴りがない!」 身体ごとぐるりと相手の方を向くと、大小のパンを其々に持つヤマトの手を勢い良く己の両手で束ねて握り締め、かなりの近距離になった顔に深刻そうな瞳を一つだけ見せてそう愁訴した。 この男の感情調節器はもうずっと若い頃から調子がおかしく、例えば上がって然るべき時には一定を保っている癖に、傍からしたら何もそこまでと思う妙な場面に限って突如過剰にぐんと跳ね上がったりする、そうした強弱の問題に収まっているなら未だしも種類からして状況とはちぐはぐの色を醸し出したりして、今みたいに相手に対して気を遣わずに居る時の彼の心は万遍なくいつでも変調しっ放しなのである。 「又ときめき論ですか。」 それでもヤマトはカカシに対し、崇拝に近い尊敬の念を抱いていた。忍としてや人としてという面に於いても人並みには憧憬を抱いていたが、何よりこんなに捩じ切れているにも拘らず標準値を見失わずにいて一般人に扮することが可能であるという強靭さの一点に於いて尊敬していた。 5. カカシは自身の感性が、中心点からグルリと描かれる一般的という名の円からどれだけ離れているのかをいつも測っていた。もしくは、世間の指す普通という名の座標と自分の主観で打った点とがどのくらい開いているのかを観ていた。 そもそも何も考えずにすっと出した答えが大多数の回答と一致する、あるいは近似値やバリエイションと認められる範囲内の値を取る人間は物差しを一つ持っていればそれで済む。自分の持つ物差しは、そのまま世間が使う規格だからである。ところが、カカシやヤマトのような人間は己の真っ直ぐな物差しと、それとは異なる奇怪な形状にしか見えない物差しの二本を持ち、尚且つそれらを同時に使いこなせなければ周囲に溶け込むことは出来ない。 つまり、所謂普通とされる答えは、自分から普通に出てきた答えとはあまりに毛色が違い過ぎていてしかも自動的にこちらの方が分が悪いとされる、先ずそのことを了承し、異質であるという捉えられ方に屈服しなければならないのである。さらにそこから、二点の距離や角度を正確に捉えることが出来なければ外れた側から平均圏内へと近付くことには成功し得ない。 齢が十になる前から俗世とは違う法則の下で生き残り続けて大きくなった者が大きな輪の中で生きる人々と接するには、それを常に、そして意識的に行う手間が課せられるのである。要するに、ずれを認識し修正するという不断の努力が必要となる。 だから、調整次第ではぴったり合わせればど真ん中であり、敢えて少しずれた地点に照準を定めて置くことも可能で、自分の点から動かずに居れば当然ながらすっかり孤立した状態をも保ち得るといった具合なのである。一見すると自在に動ける幅があり大変勝手がいい様にも思われるが、往々にしてその振れ幅は是認されることがない。 最初の立ち位置や中途な圏外に居ても他からの圧力がかかって自分が苦しいだけであり、否定されることはあっても肯定されることは殆どない度外れな場所が彼等の感性でいう普通の在り処であるから、方法が分からず留まっているにしろ敢えてその位置を貫いているにしろ、そんな所で実るものなど何もない。それでも、何もなくて構わないというのがそこにいる人間の意見であるのに、押付けがましい周りの価値観こそがそのことに満足しないのである。 この、さながら深海にあるような自分にとっての普通を曲げて、言うなれば海面の標準域まで敗北感の伴う苦しい浮上を繰り返す壮絶さは、いつの間にか持っていたという浮き輪を付けて遊泳する人々に共感することが出来るという精々素潜り程度の深度にしか外れておらぬ者にはちょっと解らないとヤマトは思う。 彼等に出来るのは、共感でも理解でもなくその振りをする努力である。カカシはそれを一日も放棄せずに、毎日毎日たゆまぬ努力をし続け世間と対峙している。変人くらいの感想で周囲との溝を抑えておけていることは奇跡ではなくて、偏に彼の頑張りの賜物であることをこの後輩は解かっていた。 彼等が属し、成長してきた世界は、冷厳ではあるが曖昧模糊としていない分踏み外してはいけない線が幾らもよく見える。ヤマトは、暗部から表部隊へと配属されて以来何度か、新しい別世界と己との間に走る亀裂の絶望的な深さにめげた。そしてその度、自分が普通でいられる住み慣れた環境へ戻されたがった。 その彼は、大衆の意識のうねりに吐き気を覚えながらも数の論理が世界の機序になっているとして、己のような側の勢力の拡充を主張することはなく疎斥されないことをささやかに望むのである。それにも拘らず、人々はあろうことか親切という名の面を付けて彼等に恭順と改宗を要求してくる。ヤマトにしてみれば、血腥さが付き纏う暗部の動物面よりそちらの方が余っ程身の毛がよだつ代物であった。 さらに彼は、当初の日常生活の端々で解読班の出動を願いたくなり、あるものならば公式な手引書が欲しいと、明確なものを切望した。未だに彼の手元にあるのは、自力で作り上げた非常に不案内で私的な指針だけである。世の中は、してはいけないことだらけで、しなければならないことばかりであるとヤマトは思う。 そうして世論との軋轢が重なれば遅かれ早かれ折衝に疲弊することは自明の理である。折れずに立つ者の尊厳は、烈風吹き荒ぶ荒野に突き刺された小枝の如く傷付けられることしかない。けれどその都度、表で逞しく生き続けているカカシに敬服し、彼はその先輩の姿を見ては自分も頑張ろうと奮起することが出来たのであった。 また、ヤマトが思うカカシの偉大さは、その頑張りをちっともひけらかさない点にもある。人が平凡であることを凄いでしょうとわざわざ威張らないように、カカシも一々どれくらい自分が意識的に、本当は行きたくも何ともない標準圏へ自身を移動させるという努力を払っているのかを自慢しない。知らず知らずのうちにそうなったとでもいう様な顔で世の中に馴染み、暮らしていると見せ掛け続けているのである。 6. そんな人間が世間一般の恋と同じ型の恋をする筈がない。それでも色んな物と照らし合わせては相違点や類似点を見付け、ときめきが無いという論拠に進路を阻まれ、だから恋ではないという憐れな方程式を掲げる先輩の、役に立つことが出来るものならば少しでも立ちたいとヤマトは思った。 後輩の目からすればカカシはどう見ても重篤な無自覚であるに過ぎなかったが、もしかすると本人の訴え通り本当にときめいてはいないのかもしれない、しかし、だから恋ではないなどと誰が言い切れるというのであるか。 「先輩、僕思うんですけど、あるべき所見が見当たらないとしてもそれは先輩が見過ごしているだけなんじゃないですか。鈍いというかね。それに、仮に無かったとしても千差万別で好いと思いますよ、そういうのは。まあ、先輩のも普通に片想いだと思いますけど……一度初恋という疑いの目をもって、問診で終わらず精密検査をするというくらいの気合いで自分と相手とを捉えてみたら如何ですか。」 「御前が気合いとか言い出すのは珍しいねえ。……気合い、そうだねえ……――あ!」 ぼやぼやしていると思ったら、はっとしたカカシは神の啓示でも受けたと言わんばかりの仰仰しさで頭を押さえて一人で感動気味にウンウンと頷き、傾倒している小説について語り始めた。 「そうか、分かった。下巻の最終章の真ん中ら辺で主人公が独白していたあの科白……そういうことだったんだ! そう……そうだ……嗚呼、その通りだわ、矢っ張り……さすが俺の聖書……深すぎる……。何度読み返したところで、時機が来る迄は真の読解など不可能――よし、俺はもう少し文献に当たってみよう!」 「か、格好良い! 恋愛小説を読み耽ることを真顔でそんな風に言ってのける先輩が格好良いです! でも、文献に当たるよりターゲットに当たってみましょうよ。」 「それは……、時機尚早だ。」 「え〜、何で。」 急に尻込みしたカカシを見てヤマトは勘違いをした。 「意外と奥手なんですか? ……引く。」 「鼻の穴を貸せ。」 「済みません、済みません、本当に御免なさい、引いてないです鼻フックは本当に嫌だ、勘弁して下さい、絶対に嫌です!」 ハアと溜め息を吐いたカカシの脳裏には、悪夢のような忌まわしい思い出がちら付いていた。それがあるために、彼はどうしても自分からはおいそれと相手に話し掛けることも出来ないのである。 辛うじて鼻の穴を死守したヤマトは身動きした弾みにガサガサ鳴った音で、あることを不図思い出した。 「あれ、そういや先輩、ご飯は? 何時になったら食べる気ですか。」 彼の膝の上にある茶色い紙袋に入っているパンの残りは、カカシの分である。 「ん、御前に遣るよ。」 「もう、駄目ですよ。持って帰ってでもちゃんと食べて下さい。」 「……なんかパンの気分じゃなくなったから、要らない。」 「そんな馬鹿な。」 「そいつら美味そうだったから、きっと美味いって。ま、騙されたと思って食べなさい、選り好みは駄目だあよ。そして大きくなるがいいさ。以上、解散。」 「あ、もう行くんですか。」 「忙しいんだよ、こちとら寝る間も惜しんで文献に当たらないといけないんだから!」 「いや、そこは寝ましょうよ。夢中で読書しちゃってうっかり夜更かししてるだけじゃないですか、それ。」 「黙れ。」 「アギャアア!」 最後に華麗な動きで鼻フックを決められ、血管でも切れたのではと思いながらヤマトが形状を気にして自分の鼻をさすっている間にカカシは今度こそ本当に何処かへ立ち去った。 「うううう、痛かった〜……。流石だよ……やると言ったらやる人だ……、……鬼畜。」 ぽろりと本音を零したヤマトは直ぐに口元を押さえ、手裏剣の集中攻撃でも来やしないかときょろきょろしたが、辺りには色付き始めた木々に噴水という平穏な公園の風景が広がるのみであった。 「……ハア。」 溜め息を吐いて空を見上げると、鱗雲がぽこぽこと浮かんでいた。 「成就しないっていうのが、初恋のセオリーなんだよねえ。――御武運を祈ってますよ、先輩。」 賽は投げられた。 こうしてカカシのモヤモヤは恋心と仮定され、以降半年を掛けて、と云っても彼は毎日イルカと会うような立場にはいないからその間に任務受付所で一度顔を見ただけであったが、兎にも角にもそれは半信半疑の域にまで達した。 里に帰っては荷造りを整えて折り返し阿吽の大門から任務に出立するという忙しい生活の中では時間などあっという間に過ぎてゆく。ひょっとすると恋をしたのかもしれないけれど、だからといって特別何か行動を起こすでもなく今迄通りの生活を続けていたら半年が経ち、季節は冬を越えて春になっていたとも云える。 ともあれ、カカシがイルカを一方的に知った時から数えて四年目、正面切って相手と挨拶を交わした彼は、それ迄の間に降り積もり限界間近に達していたらしい鬱積した気持ちを爆発させた。 黙ってはおけぬという気になったものの、そうした自身の思いの丈を相手に伝える直截な表現がぱっと出て来ず、その時の勢いに任せてちょうど手近にあった言葉を引っ掴み投げ付けるような乱暴さでそれを恋と呼び、その瞬間から、彼は自分の感情を暫定的にそう表現することにしたのであった。 終. |
| (2011.09) |