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此処に眠る。

side K 再会

<1.〜3.
蛍火スパーク



4.

イルカを見附けたのとほぼ同時に、向こうの目も此方に気が付いた。それで、その場で足を停めたカカシは残りの廊下を省略し、身体を反転させて、いま遣って来た計りの分を引き返す。二、三歩目で軽く首を捻り、相手が大人しく付いて来ているのを一度確かめてからは後方に気遣いの無い早足で事務棟を出、近くにある小ぢんまりした公園のベンチを目指して一直線にずんずん進んでいった。公園といっても花壇と時計塔と、後はベンチしかない種類のものだ。遊具の無い代わりにもの静かで、風に戦ぐ草木の音が快い。深い森に築かれた木ノ葉は里全体が緑と調和して在り、斯うした空間を多く持つ。
今を盛りと咲く桜の下にあるベンチに、前を歩いていた方はどかりと落ち着いたが、数歩遅れて立ち止まった方は突っ立ったまんま座ろうとする意思を見せないので、カカシは漸く口を開いた。
「座ったら如何ですか。」
「では失礼します。」
イルカは険悪な調子で答えると、感じの悪い上忍師とはなるべく間を取ってベンチの端へと腰を下ろした。

「いきなりですが本題に入りますよ。」
両の踵を腰掛けの縁へ上げ、折り畳まれた膝にそれぞれ肘を乗せた体勢に目をやったイルカの口が動きかける。カカシは、
「私とは『初めまして』なんですってね。」
と、機先を制した。肩先がぴくりと跳ねたのを、左方をカバーしている彼の感覚は逃さない。
「私とは、『初めまして』なんですか、イルカ先生。」
再度訊かれて要点を察した者は言い難そうに返事した。
「厳密に言えば、違いますね。」

(捕捉した。)
手応えを感じたカカシは、違うとはっきり本人の口から認められたことに何となく嬉しくなった。此れ迄のイルカの素っ惚けた態度は態とだったことが判明したのだ。が、モヤモヤが薄らいだのも束の間、まるで遠回りする駒の動きの様な次の台詞を聞いて、一進一退を味わわされている話の進捗具合にまたしても歯痒さを感じさせられた。
「カカシ先生からの報告書を何度か、私が受理しています。」

「ああ、其もありますね。」
棒読みで頷く彼には表情も伴っていなかったが、どのみち覆面を見ている者にとってそれは、余り意味をなさない要素でもあった。現に辛うじて片目は表へ出ているもののイルカの座った側から見た半面は、ずれた額当てとマスクによって眼共々頬も口も隠されていて真っ黒だ。
「はい。報告書の受け渡しを含めれば、厳密には何度かお会いしています。」
「その通りです。というか、私のことを固有名詞的に捉えていたんですね、驚きました。」
この切り返しに狼狽したのか、驚いたと言う割にフラットな声でいるカカシよりも左側の空気の方が、揺らいで微妙に変化した。揺れた弾みで纏っていた刺刺しい空気から棘が抜け落ちはしたものの、今度は気まずそうに、イルカは尚も遠回りに動く駒を持ち上げそれをことりと一桝進める様な部分を喋る。
「そうですね、里でも最高峰の実力者ですから、御高名と御尊顔くらいは。」
「ああ、分かりました、質問が悪かったですね。」


受付所では何故自分が突っ慳貪な態度を取る上忍から急な呼び出しを食らわねばならんのだと向かっ腹を立てていたが、今では相手の憤懣を至極正当のものと認め、示唆されている内容についても薄薄承知し始めているといってよさそうなイルカの内心は、徐徐に核心に迫ってくるカカシにぐらぐらしていたろうが、そんな心情を透かして見れないカカシには藪をつつく勇気が必要だった。
「貴方……、」と、そこで休符を打つ。それから顔を上げた。すると相手が、明らかに沈黙に追い詰められていた。
地面に足を下ろし、正面にイルカを捉える角度に直ってカカシは受付所でしたのと全く同じ質問をもう一度投げ掛ける。その隻眼に最早睨んでいる積りはなく、視線の強さは切迫さの表れだった。
「何にも覚えてないんですか。」
イルカの動揺の気色は愈愈濃くなった。
「あの……、覚えていないとは、一体何を指してらっしゃるんでしょうか。」

上手く話を転がしてゆけないカカシは前のめりになり頭を抱え込んで、終いにはハーと深い溜め息を吐いた。
もうこんな穿鑿がましい行為は切り上げて是からも変わらず、一生ずっと今の距離感を保っておれば良いものを、結局それでも彼は引き返せずに自分の口から切り出した。何せもう二年間と九ヵ月も気になり続けて暮らしてきたのだ。自然消滅の見込みが無いモヤモヤを払う良い機会として前向きに、此の真っ向からの再会を捉えることにした。
(此の人にはいい迷惑でも、それは俺の関知するところではない。)
鬼だろうが蛇だろうが受けて立つ。カカシは腹を決めた。
「貴方、二年前に私に介抱されているでしょう。泥酔した夜に。」





5.

「アー……。」
白を切り通す事が出来ないと悟ったのか、本題の核を明確にされたイルカは武装解除をするかの如く、口調も雰囲気もがらりと変えてしまった。
「…………その節は……。」
やっとのことで「その節は」を聞いたカカシは思わず目を見開いてイルカに詰め寄った。
「ほら! 覚えてるんじゃないですか!」
「どうも……大変お世話になりました。」
「矢っ張り、覚えていましたね!」
「済みませんでした。介抱して頂いて、それから御礼も言わず、あと、無視し続ける形になっていて。」
カカシの心はどんどん解れてゆく。と同時に、イルカの砕けた話し方や表情の一つ一つが、長いこと払拭し切れなかった原因不明の靄を段段に晴らしていった。

「如何して何時会っても知らん顔するんです?! 貴方、二年半ですよ! 二年半も……よく知らん顔して過ごせましたね?!」
「ち、違うんです、次に会ったら御礼は言おう、とは思っていたんですよ。」
「ハア?!」
「でも、……カカシ先生、覚えておいでですか、あの日の朝の貴方が、私を腹の底から忌々しく思ってらっしゃる感じだったのを。」
「ぐ、……そ、れは……。」
カカシには、否定をする事が出来なかった。
「そりゃ御迷惑をお掛けした私が悪いんですから、御尤もなんですがね。只、其方にしてみりゃそんな奴から後日に声を掛けられるのも嫌なもんかなと、二度目にお会いするより前にふっと思い直したんです。それでも、嫌がられても一言礼を述べるのが筋ってもんだという考えも持っていたんですよ。けど、実際あれ以来お会いしても毎回、カカシ先生も何だかそういう、赤の他人というか、御前なんか知らないよといった雰囲気でしたし。」
「ああ、ええ……マァ……。」
「ずっと、合わせた方が良いのかなと思っていました。」
(だって、それでも、そこを乗り越えて話し掛けてきて欲しかった。)
などという至極勝手な反論が浮かんだことにカカシは自分で驚いた。


(待て、待て、止まれ。『話し掛けてきて欲しかった』? 何なんだ、其は。)
瞬時にカカシの脳内では只今の内容と半年前の記憶とが結び付き、後輩がした提案とそれに対する過去の己の答えが再生される。
――その人とどうなりたいかというところから攻略していきましょうよ。有るでしょう、何かしら。
――相手とどうこうなる気なんか、特に無いなあ。
(特に無いと許り思っていたのに……話し掛けてきて欲しかったのか、俺は?)


一方、高速回転するカカシの頭の中を覗けないイルカは自分のテンポで弁解を続ける。
「何て言うか、無かった事にしたいっていうか、あの時は特別なんだからこんな公衆の面前で調子に乗って俺に話し掛けてくるんじゃねえぞ、みたいな空気でしたから。」
「その言い草はあんまり酷いじゃありませんか。私はそこまできつい空気ではなかった筈ですよ、ねえ。何だか曲解が入っていやしませんか。」
「長い間御礼も言わずにいて、本当に済みませんでした。有難う御座いました。」
「礼は如何だって良いんです。」
「良かァないですよ。」
「で?」
「へ。」
「それ丈ですか。」
「え。」
「いや……。」
イルカの言う「無かった事にしたい」だとか「特別」だとかが一体何を指しているのか、カカシにはその点こそが最も重要だった。
「実は今日も、カカシ先生が一晩泊めた丈の野郎の顔なんか何時迄も覚えていないとして、あると言う話とやらが若し万が一全然別の用件だったら自分の方から余計な事を言い出すことでぎくしゃくして、拗れなくていい話が拗れて仕舞うかと思うと迷ってしまって。」
「余計な事とは。」
「だから、鬱陶しい酔っ払いの介抱をさせられたというカカシ先生にとっては苦苦しい一件についてです。さっき迄失礼をしていて済みませんでした。」
「いいえ、」
「私、未だ何か失礼な事を他にも?」
「いやいや、いい、違う。いいんです、無い、何も無い。以上です。」
(覚えていないなら、其で良い。)
少なくとも、イルカにはあの晩のカカシの失敗を引っ張り出してくる気の更更無い事がはっきりした。慌ただしく部屋から追い出し、逃げる様に彼の前から姿を消して二年九ヵ月。漸くお互い素面の状態でまともに話をする機会が持てたと、カカシは感無量になって、薄い青色の空に棚引く雲を眺めた。何処か遠くでは雲雀が囀っている。





6.

「あの、勢い余って呼び出してしまって済みません。恩着せがましく何年も前の介抱をどうのこうのと言う積りではないのです。唯、――」
唯、何だというのだろうかと、苛立ちも興奮も一通り収めて冷静さを取り戻したカカシは取り繕うに相応しい理由を考えた。
ここ半年くらいは、恋をしているのではないかという嫌疑を自身にかけていたが確かにそうだと言い切るには抵抗感が有り、結極彼は有り体に自分の状態を口にした。貴方の事が好きなのですとは、実感が湧かないから言えなかった。
「ずっと気になっていたのです。」
「はあ、そうですか。」
「ええ、そうです。」
「……。」
「……。」
「ええと、何がです。」


彼に報告書を出す度に何かの面接審査にでも臨むような心持になり、何にも無く終わる度に振られた気分になっていた。


「貴方の事がです。」
次に話をする切っ掛けは相手からの「その節は」だと信じて疑わなかった。その契機がどうやら何時まで経っても訪れないらしいことを知り、若しも話したい気持ちが有るなら自分から声を掛けなければいけないのかという段階に理解が繰り上がった時にはもう、「あの時は」と言っても「どの時です」と返される次元にまで時間が経って了っていた。カカシはブランクの顛末をそう纏めた。
「そ、そうですか。」
イルカは困ったような笑顔になってから、少しのフランクさを附け加えた。
「それならもっと早くに御礼を伝えていれば良かったですね。なんて、そりゃ些と図々しいですかね、はは。」
「それは……俺は嫌われていない、という理解で良いんですか。」
瞬きを二回、ぱちぱちとしてからイルカは微笑んだ。
「はい。好きですよ。」
「…………、……ハ?」
「如何してカカシ先生が俺に嫌われるんです、逆なら解かりますが。」
「そうなんですか。」
「は、……はあ、多分。」
「……イルカ先生の言ったのは、ドキドキする類のやつですか。」
「は?」
名前を逆転させて〈イルカが自分に嫌われる〉という文章を拵えてみたはいいが、その理由がカカシにはパッとは浮かばなかった。しかし、無い可能性について考察するのも無意味だからとそこから更には話を伸ばさずに、それよりも一つ前の引っ掛かった点について踏み込んで訊いた。結果的に何となく妙な形になった相槌に次いでなされた、カカシの前後する話の運び方に、慣れないイルカはまごついた。

「好きというのは、ドキドキする類のやつですか。」
「あ、ああ。」
カカシは、以前相談に乗って呉れた後輩が言った表現をその儘イルカに使った。本人は気付いていないがその声は、余りに純粋で真面目に響いた。
快闊にハハと笑い、「さあ、どうでしょう」と言って自分の胸に手を当て、三つ数えた位の誠実な間を置いてからイルカも、
「残念乍ら早く脈打ってはいないようですね。」
と答えを出した。カカシには何が原因でイルカが可笑しそうにしているのか分からなかったものの、馬鹿にされたり敵愾心を抱かれたりしていない事は分かった。
「そうですか。」
「ははは。」
「よく笑う人ですね。」
「あ、済みません。」
また謝って地面に視線を落とす今の彼ではなく、あの時の此の人にもう一遍会いたいとカカシは思った。

(しこたま飲ませて酔わせれば、見ることが出来るのだろうか。)
遠い日の夜のイルカを、いたく懐かしく感じた。
(或いは真っ暗闇にならないと出て来ないのかしらん。)
カカシは距離を置いて座っている隣のイルカを凝っと見た。
(思うに、あの彼は大分深層に居る。)
ちょっとやそっと化けの皮を剥いだ位では会えそうにない。
「今度、お互い里に居て空いている晩に酒でも飲みませんか。俺が嫌な上忍師でなければ。」
「ええ、私で好ければ。大して強くはないんですがね。」
「俺もです。」
「普通ですか。」


何気無く言った一言なのか、自分との会話を覚えていて使っているのか判然としなかったが、カカシ自身は忘れられずにいた。イルカと初めて口を利いた時に、酒は好きかと聞かれて「普通です」と返した自分の言葉を。


春霞の空を眺め、カカシはもっと沢山、私的なイルカを知りたいという欲求が己の中に有るのを発見した。
――話す題目が何もなーいよ。
半年前にはそう思っていた。
――気になってるんだから色々あるでしょうが、聞きたい事くらい。
この、後輩の指摘は正しかった。

自分の気持ちは恋をしているのとは違うというのが本音だが、そう仮定しないと話が前へ進まない。と云うか、その仮定の上でなら話は先へ進み易くなるように今のカカシには思われた。だから、取り敢えず是からはイルカに向かう自分の気持ちを「好き」だとすることにした。
「イルカ先生、是からは、まともに話し掛けても可いですか。」
「あ、俺も、ちゃんと挨拶します。」
莞爾としたイルカに向かい、カカシは片目を細めて笑顔を表現してみせた。










終.
(2011.10)