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此処に眠る。

side I デート(飲み)

<1.〜5.
恋は存在して



6.

飲屋が軒を連ねる界隈に到着したイルカとカカシは、適当な店の暖簾を潜った。調度晩飯の時間帯とあって、表も内も賑やかである。
壁に作り付けられた長机に案内される。覆面のカカシに席の右側を取られると、イルカからは一切の表情が判らなくなる。椅子は二人掛けの長椅子であった。窮屈そうに外側に向けて組まれた、其の脚が均整のとれた造形をしている事をイルカは服越しに想像した。
麦酒が二杯運ばれてきた。
二人は交互に、或いは一緒に他愛の無い小間切れの話を積み上げた。緩やかな時間の経過のなかで時折気安い沈黙を挟みながらイルカは、当てもなく野道を往くのに似た充足を感じた。無国籍料理が一つ、又一つとそう広くない机上に増えてゆく。一枚板の天板を各席の照明が限定的に照らしている。箸を持つカカシの指先が際立つ。節榑立ってずんぐりしたイルカの手とは違う、骨張ったところや広げると大きいところは男っぽいが気品のある色白で長方形した爪が並び、よく見るとそこかしこに残っている傷跡は手甲の下にも散らばって有るのであろうがどの指もすらりとしており肌理細かで、それは中性的な色気を放っていた。

カカシの杯は、視界に入る度に何時の間にかちびりちびりと減っていて、彼の小皿に乗せられた料理は何回かに一度の割合でふいと消えていた。何だ彼んだと話すうちに、彼がナルトの名を口にした。ナルトは、此の春までイルカの生徒であり、此の春からカカシの率いる班の班員になった少年である。
「『お色気の術』ですって。俺にも試してきましたが、あの女体変化を食らってイルカ先生は多量の鼻血を噴いたそうですね。」
「ぐう、お、俺のいない所でそんな事が暴露されていたんですか! ナルトの奴、他言するとは……許すまじ!」
「あれの一体、どこにそんな要素が有ったんだかねえ。」
イルカから悪癖の一つである舌打ちが出た。
「チッ。もっとこう、あーんな術が出来るようになっただとか、こーんな任務を達成しただとかいう知らせを……――期待した俺が馬鹿だった!」
「どこにやられたのさ。」
「カカシ先生も、何時迄も下らねえ事ばかり続けてんじゃねえって時にはガツンと叱って遣って下さいね。」
「ウン。」
「ね。」
「で、どこだい。」
「……。」
イルカが子ども騙しの術に大袈裟に付き合って遣ったのは事実である。
「ハハ、カカシ先生ったら。」
「ハハ、どこでしょうか。」
「……。」
顔面から迸る赤い液体を、如何にも鼻血が大量に出た様に見せ掛けるなど安い手品の一つに過ぎないこと位、木ノ葉切っての忍相手に種明かしする必要もない筈である。
「どこにどこにと五月蠅いですね。」
「では、教える気になりましたか。」
「内緒ですよ!」
「そうかい。」
「やれやれ。」
「で、どこ?」
にこりと笑ったカカシは覗き込む様に頭を傾げた。そうでないと片寄った視界では隣の顔色を拾えないのである。からかわれている方にはその仕種が大層意地悪く映る。

「カカシ先生って、淡泊そうに見えて意外としつこいんですね。」
「ふふ、ナルトにも言われました。之からは長所欄にそう書こうかな。」
「短所欄に書いたらどうです。」
「短所か、そんなら止めとこう。」
「尋問を?」
「いいええ、記入するのをですよ。」
がっかりした気持ちを如実に表わす溜め息を吐いて残りの炒め物を自分の小皿に移し切ったイルカは、店員を呼んで芋焼酎の御替わりを頼んだ。其の耳や頸には赤みが差している。

「済みません、つい。」
「つい何です。」
注文を終えた直後であったイルカは、今度は謝る声のする方へ、振り返るといっても過言ではない程に大きく首を回した。
「むきになられると、もっとやりたくなる性分で。」
「ああ……。」
「こう、追い込み漁というか、」
「ア? 何か言いました、今?」
「いいえ。」
「チッ。」
「舌打ちしました、今?」
「いーえー。」
イルカは開けた唇に杯を付け、空と分かっていながら顎を上げて呷る振りをした。ぽとりと垂れた酒の雫は、舌の上で僅か一箇所をぴりりと刺激し虚しく消えた。
「あのね、カカシ先生。」
「何でしょう。」
「往往にして煙たがられるもんなんですよ、しつこい男ってえのは。」
「おや、忍としては評価出来ます。」
「ふむ、一理ある。」
「……。アンタが煙たがるなら、控える。」
「ふふ、俺は楽しいから平気。」
「……イルカ先生、俺は――……総じて淡泊だけど局所的にしつこいんです、多分。」
「ふはは。」
其の台詞はイルカの脳内で、つい最近目にした計りのカカシと繋がった。其の時に矢鱈なされた事実の確認作業は、しつこいと云うよりもどこか切羽詰まった感じであった。だが、其を引き合いには出してこずに胸の戸棚へ仕舞い込むと微酔いの彼は、いま、この場を、満喫する為にさも機嫌が好さそうににんまりとして毒舌を吐いた。
「それじゃなんだか変態みたいですね。」
彼は、誰に嫌われたっていいという心を装備して生きている。
「心外だあね。」
そう思うのならせめて気分を害されたように喋ればよいものを、自分を奔放にさせるカカシの放任主義が憎らしかった。若しくは、情感の無さが哀しかった。
「普段からあんな、破廉恥極まりない書物を何処ででも、大っぴらに開けてしれっとしている人が、ですか。」
「……酔ってますね。」
「大丈夫です!」
紅潮した頬に潤んだ眸のイルカは、親指を立てて快活に答えてみせた。カカシは首を横に振った。酔いが回っている彼は、其の雰囲気を単に苦笑いされたのだと思っていた。





7.

柱みたいに立つ焦げ茶の重厚な振り子時計の針が三周する前に店を出た。
イルカは空を見上げる。
今晩、星は無い。
「ねえ……、もう、帰るの。」
カカシの全身からは、無自覚に洩らしていると思しき好意を感じ取ることが出来た。
――貴方のことがずっと気になっていたのです――、呼び出された公園のベンチで落ち着いて話してみた再会の時にそう打ち明けられたという直近の出来事が、好かれていると察し得る根拠の一つとして挙げられる。こうした機微に際しては手にした証拠を並べ立てるだけ野暮であるが兎に角、彼から想いを寄せられているという仮説はイルカによって極自然に立てられた。それなのにカカシの、例えば温度の無い眼がその自信を揺さ振るのである。
夜道は二人が進む度にぴしゃぴしゃと音を立てる。底意を何ら察せない人間の取る態度でイルカは答える。
「はい。」
彼は自分の足音を聴くのが好きであった。雨が降ると、それがぴしゃ、ぴしゃ、ぴしゃ、ときれいな音色になる。斯様な感性がまた、イルカの雨の日好きを構成していた。
「カカシ先生は?」
聞き返された方の足元は比較的静かである。

「これから二軒目ですか。」
「いや……。」
訊ねたっきり、カカシがこの後どんな夜を過ごすかにはさしたる関心も示さぬ気色でイルカは帰路を行く。
水溜りでも避けずに踏むものだから、サンダル履きの爪先が跳ねた水と土でひいやりしてきた。家に着く頃にはすっかり汚れているであろう。其の儘で上がる訳にもゆかず、玄関を開けたら先ずは風呂場まで膝を使って進まなければならない。一連の流れは、彼の生活においてままあることであった。

「ねえ。」
もう一度カカシは呼び掛けた。
「はい。」
返事は返すイルカに、歩を緩める素振りは聊かも無い。



街灯を反射してきらきらしている地面とすれすれ平行に、片足を前へ出す。爪先をぴんと天へ向ける。両手を広げ、下手糞な綱渡りの不安定さで一歩を出す。酔っ払いが興に乗ってお道化ているのと違う。人目を憚らぬイルカは素面でも、一人でもそんな事をするのである。それに臆すどころか面白がって集まってくるのが無邪気な生物の特性であり、教育機関に配属されている彼の周りでは年歯のゆかぬ生徒らが、ちょろちょろしたりその胴周りにくっ付いて居たりした。
「待ちなよ、一寸。」
自由に歩く男の手首をカカシは掴んだ。
立ち停まり、意外そうな顔で次の展開を待つイルカは、確かに相手が取った行動に驚かされていた。それでも、事前に予想していたこの後の展開を頭の中で、早口言葉を唱えるみたいに一度も噛まずに読み返していた。
(有耶無耶な状態で初めて一緒に飯を食った丈で告白も無しに飲んだ流れに任せて朝まで共寝を御所望か?)

若しも此の後、粘膜接触に及ぶことになったとしても、朝が来てそれが一晩限りのものであることが露顕しても、薄っぺらな徒心で口説きに掛かられてもイルカには異存がなかった。カカシのことは好きな部類に入るが、彼だってカカシを特別に思う気持ちは無いからである。相手が本気ならば丁寧な対応を考えなければ不味く、イルカにとってはそちらの方が寧ろ厄介な事態であるといえた。
それに、彼は自分自身を何人にも奪われたくはなかった。
(愛なら幾らでも注いでやる。俺から出せる産物ならば、幾らでも。だが、他はあげない。)
彼は相手が誰であれ、己をそっくり捧げるのは嫌だという強固な考えに骨の髄まで侵されているのである。
(俺の情緒そのもの、安心感や信頼や価値観の采配、無意義な時間、日々の生活、命の有る限りは来る明日は、総ての根源は、――俺自身は――、誰にもあげない。)


二人は道の分岐へ差し掛かった。人の通りは疎らである。イルカは右に上がる幅広の階段を上がって帰る。カカシは、本道を未だ真っ直ぐ進むらしい。其所で暫く、明日の予定や此処から自宅までどの位掛かるのかといった世間話を二、三喋った。いつ場所を移そうと言い出すのであろうと思いながら半ば見守る様にその一時に付き合っていたイルカの待機に反して、塀に寄り掛かったカカシは別れの場所で唯、立ち話をした。離れ難い雰囲気に同調して自身も傍らに背を付けた、イルカは会話を繋いだ。
(俺はこの人に好かれている。)
確信を持った彼は、触れそうに近い隣でカカシは今、何を考えているのかを想った。
(この人ともそれなりに仲良くなって、)
そうして、まるで払われた蜘蛛の糸が空気にふっと溶けて見失って了うのに似た、音も無い閉幕を迎えるのであろうか。
(上辺だけで事足りて終わる。)
何となく肌寒いのは雨上がりの夜だからか。それとも、間近の男の寂然たる色調に誘発された感傷の所為か。

双方手持ちの話を粗方出し終わり、とうとう本格的な沈黙が訪れた。
お開きにする為の声を出したのは、カカシの方であった。
「……アー……、……それじゃあ。」
「ああ、はい。それじゃ又、近いうちに。」
彼らは、来ると言っていた友達を二人して待ってみたものの、何時まで経ってもそいつが現れないので今日のところはもう家へ帰ろうかと待ち惚けを食わされた垣根から仕方なく離れて去ってゆく子らと同じ散り方をした。
「御疲れ様でした。」
「……ハイ、オツカレサマでした。」
「失礼します。カカシ先生、」
「ん。」
「お休みなさい。」
「お休み。」
イルカは上滑りする別れの挨拶丈を並べて階段を駆け上がり、一人になった。










終.
(2012.03)