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此処に眠る。

視点:I デート(公園)

恋は浸透する



1.

俺は最低限の遠慮しかしない。
何かを欲しいと望む時には、手を出さなければ貰えない。良い子で膝の上に手をやったまま行儀良く座っていても、求めるものは空からは降って来ない。それどころか自分の前をあっけなく通り過ぎて往って終う。そしてそれは物でも愛でもそうなのだという事を、知ったからだ。
だから俺は手を伸ばす、その先に有るものを得る為には遠慮無く。たとえ配分者から嫌われて空を掴む回があったとしても、反省材料として其を次に活かせばいい。何もせずに見送った後に起こる後悔を、俺は引き受けたくないのだ。余りに馬鹿げた虚しさは苦しい。





2.

自分の生活圏から少し出た所に、広域の森林公園がある。山に囲まれた此の里では一際特色のある地区ということでもなく園内の道は一度や二度訪れた位では周り切れない距離と数が方々に伸び、途中途中に古い池や芝生の広場が見られる老若男女の憩いの場だ。南に小さな池が三つ四つ。丘陵の方角が東で、その奥には深い森。里の人間に慣れた鹿が一面に広がる芝生の上をうろうろしていることもある。奈良という家の分家がこの緑地を管理している。ちなみに、本家が管轄している方の森は立ち入り禁止だ。
其所にある一番小さな池の畔が、待ち合わせの場所だった。土曜日。約束の時刻。到着すると、何処からともなく俺の名を呼ぶ微かな声が風に運ばれてきた。
「イルカ先生、イルカ先生。」
きょろきょろ辺りを見回して声の出所を特定しようとした矢先、
「前を向いて。」
と指示が出された。前方で顔を止めても其らしい姿はない。どうやら眼前に居るという意味ではなかったらしい。

「振り向かないで、聞いて下さい。」
その言葉に素直に従う俺は、正面に誰もいないのに一人で喋る奇妙な男になる。相手の名前を口にしそうになるがそれが許される事態か否かも判からない。それで、当たり障りのない台詞を用いて声の主と自身の置かれた状況を探ることにした。
「何が起きているんです。」
「あのお、実はですねえ、」
本人からは緊張感の欠片も伝わってこない。と云うより、それは不注意で窓硝子を割った生徒が教員室におずおずと這入って来る風な話し方だった。
「こないだ御話しした任務から、帰って来たのは良いのですが……。」
何だかもじもじしている調子は緊迫感とは無縁のものだった。そこまでを聞いて日常範囲内の、緊急を要しない問題であると判断した俺は腰に手を当てて、姿も見せずに一方的な立場を取っている相手の態度と歯切れの悪さに思わず仁王立ちになる。


声の主と忍者学校の廊下でばったり会った先日、確かに其の人は里外での任務を近々こなすと話していた。何某という名家の子どもの子守だったか。依頼内容の難易度が最下級であった点だけはっきりと覚えている。
その際に、帰ったら又会おうと予め次の日取りを相談していた。事が予定通りに運んでいれば彼は一昨日に里へ戻っていた筈で、会おうと決めた日が本日だったから、俺は今、此所に居る。
「そのお……、へまをやって……怪我、しちゃったんですよねえ。」
「あー……、と、そうなんですか。」
のんびりと告げている場合かと心配になったが違うなら今頃は病院の寝台の上だと思い直した。大した負傷ではないのだろう。
(……いや、どうかな。)
声の主は自分を一番に可愛がる人か、自分に関心の有る人か。丁寧に自身に包帯を巻くよりも誤魔化す薬で自己を欺き現場を仕切る画の方が容易く目に浮かぶ。

「大丈夫なんですか。」
「はい。全然、全く、命に関わる類のものではないんです……が。」
「が?」
「行き成りお見せするには、恥ずかしい有り様になっちまってるもんですから……。」
「どうなっちまったんです。」
恥ずかしさの勝負なら、誰の目にも見えない誰かと着実に会話を進めている当方にも分は有る。何せ斥力でも働いているのかと疑いたくなる程、俺の周りにのみ人の流れがないという現状なのだ。
「そろそろ出て来て下さいよ。あと、彼奴等に大事はないですか。」
「その心配は無用です。」
俺の教え子三人を、現在は彼が率いていた。
「……済みません。」
「アー……、何奴も此奴もぴんぴんしていますよ。」
「左様ですか。有難う御座います、教えて下さって。」
彼は差し出がましい一言にも親切心を払って呉れた。一安心した俺は、再び説得に戻る。
「さあ、もう、ねえ、カカシ先生ったら。貴方が言う通りの恰好なのかどうかを、この目に見せて下さいよ。」
「ではその前に、笑わないと約束して下さい。」
本当に、一体どんな怪我人になったのだろう。彼はどこまでも慎重に、影の儘で此方の様子を観察しているらしい。そこで、簡単につつく積りで、
「そんなに面白く仕上がっているんですか」と投げ掛けてみたところが、
「はあ、マア」などと認められて仕舞った。これでは絶対に笑わないなんて安請け合いも出来やしない。
「じゃ極力笑わないようにします。」
「いいえ。笑わない、と言って下さい。」
「ははあ、難しいですね。しかし押問答で日が暮れちゃ詰まらないので、言いましょう。笑いません。」
「……、……、うう……。」
「カカシ先生。」


「……今日は。」
耳の直ぐ裏ではっきりとした地声が生まれた。振り向くとカカシさんが真後ろに立っていた。驚いて、弾かれた様に二、三歩退がり間を取る。やあ、と軽く片手を挙げる彼は想像したより滑稽ではなく、只、見るからに字義通り負傷をしていた。
露わになっている彼の地肌など知れていて、右目の周りと両腕の手首近くの僅かな部分しかないのだが、未だ生々しい擦り傷の赤と激しい打撲の紫が特に顔面に酷く出ていた。相当腫れているらしく、目元は歪み、マスク越しにも輪郭の変わっていることが分かる。
「派手にやっちまいましたね。病院では異常無しと?」
「行きませんよお、折れてませんから。」
「……貴方を覆っている、布地の下はどうなっているんです。実はバックリ割けているだとか、内臓を心配するような怪我を拵えているんじゃないでしょうね。」
「それより脳の方を心配したけど、ま、問題無いです。」
「行きなさい、病院へ。今直ぐに。」
「嫌ですよ、折角恥を忍んで家から出て来たというのに。」
「折角恥を忍んで家を出たのであるならば至急病院に向かいなさいよ!」
「五月蠅いなあ。」
「聞こえない、何ですって?」
顔を背けて呟かれると声が籠って聞き取れなくなる。普段は覆面の所為でも、今は上手く口を開けない可能性が考えられた。
「行くかもしれないし行かないかもしれないけど、今は行かないんだよ。」

呆れた。腕組みをして目を瞑る。眉間の皺に深さが増したと自分でも分かった。
(如何して此の人は。)
「……。」
(さっぱり言う事を聞かない。)
俺だって、いい歳をした大人なのだ。約束の時間を過ぎて暫く待っても相手が来なければ帰る。常習者と見做されない回数の内は、すっぽかされてもその辺の融通は利く積りだ。引き籠っていたい恰好を押してまで此所へ来ることはないというのに、律儀と云おうか、それだけ俺が想われているのだと云おうか。
「それにしても、其の顔……くふ。」
改めてまじまじと見た。
ここは一旦、頑固者に折れるとしよう。この人もいい歳をした大人なのだ。それに、これでも卓越した技量を誇る一級の忍なのだ。取り敢えずはその彼の下した自己診断を信じることにした。別れ際になったら木ノ葉病院の門へ放り込んでやる。
「これっぽっちしか見えてないのに」と顔の前で親指と人差指で輪を作り、譲歩する代わりに俺はそれを右目に当てて上忍を調戯った。
「えらい事になってるのが分かる。くひひひ。」
「笑わないって言ったのに!」
「はは、御免なさい。」
「傷付きました。」
「御免なさいって、カカシ先生。」
ぷいと外方を向いた彼の肩をぽんと叩いたら、
「いった! 痛いから触らないで下さい!」
と怒られて仕舞った。





3.

合流を果たした俺達は当ても作らぬうちに漂う足取りで池を離れ、そして、近くに広がる芝生の中のベンチに腰掛けた。
遠くの黄緑の上に小鹿達の明るい茶が点点と在った。何気無く辿り着いたこの場所は遊歩道の端にもなく、木陰を作る幹の下にもない。緩やかに膨らむ草の絨毯の直中に置かれたベンチは、夢で出てくる様な風景を創っていた。
寝転がりたくなる其処で、二人寄ったからといって何かをしようという目的も定めずに斯うして徒らに過ぎてゆく今日是からの時間を思うと、俺には其が有意義でも、相手にとってはつくづく無聊ではないかという感がした。
視点をぐっと近くに戻して、横に移す。そこには、美形が台無しになる怪我をしたにも係わらず態態外に出て来た人が居る。
「カカシ先生……。家で安静にして居たら良かったのに。」
「会うって約束したでしょ。それに、平気ですから。」
「今日は、これで解散にしましょうか。顔が見られて良かったですよ。」
「平気だって。笑われるのが嫌だった丈です。」
「はあ、そうですか。」
若しも朝の段階で鏡に映る顔面が普段の形よりも曲がっていたら、自分だったら今日の待ち合わせには現れていないかもしれない。見て呉れを棄てて恋しい人に逢いに行くという行為は、元が良ければ良いだけ至難の業となるのではなかろうか。それでなくとも、忍としての矜持を持ち合わせていれば起こる自己との鬩ぎ合いも、さぞ激しかったろう。容易に登場出来ない筈だ。
してみると彼に想われている人は、仕合わせだ。行こうか行くまいかと揺れた末に、彼は其の人物に会う方を選んで家を出たのだから。
果たして俺は、此の人の隣に並んでいられる人間なのか。

「如何してそんな事になったんです。差し支えなければ、話して聞かせて欲しいです。」
「アンタ、笑うから言わない。」
「ふ、笑いませんよ、多分。」
「もう既に今、笑ってるじゃないですか、にやにやしやがって。」
「そりゃ仕方ない、見れば見る程、怪我してるんですもの。」
「ああ、してるさ、してるとも。悪いか!」
「い、いいえ、些とも。」
「……。」
「カカシ先生でもささくれ立ってること有るんですねえ。」
「……。」
「しかし経緯が気になりますね。」
何も困らせようというのではない、説明を期待している訳でもない、所詮は間を埋めた丈の音だ。それでも、結極は事の次第を語ってくれる彼を、本当に純な人だと思う。
「うう、……笑うなよ?」
「はい。」


「イルカ先生、自力二輪車って乗り物を知っていますか。」
「二輪車? ええと、腕車とは違うんですか。」
「あれは人が引くでしょう。板を踏んで、自分で動かすんだあよ。車輪も縦一列の前後に付いていて、その間に座る部分があってね。」
「へえ、一度実物を見てみたいですね。頭の中で完成図を組み立てられずにいるんですが、其って安定して進むんでしょうか。」
「コツを掴めばね。三人とも大体同時に乗りこなせるようになっていたよ。俺はもう一生乗りたくないですが。」
「ふふふ、ほうほう。」
「マア兎に角、餓鬼同士で遊ばせていれば良いと思って受けた任務だったけど、甘かったです。」
「そりゃまた如何して。」
「屋敷の裏山で遊ぶというから楽が出来ると思っていたのに、餓鬼がその二輪車ってやつを出してきた訳ですよ。それから、それで山肌を勢い良く下って誰が一番早いか競走しようと言い出した。急斜面を物凄い勢いで滑走するあれは、危険ですよ。」
「急な山道って、危ないじゃないですか。」
「ええ、驚くほど命懸けの行為だったです。俺自身も未知の体験だったから、サクラとナルトとサスケには取り敢えず後から来いって言ったんです。言っておいて正解だったよ。考えれば減速も出来たんですが、何しろ初っ端から走る道がそんなだったし、しかももうその速さに乗って下り続けているものだから、余裕の無い頭で其の時は地面が平坦になったらこんな物なんぞ大破しても乗り捨ててやると思っていました。その、猛烈な勢いで回っていた車輪に、ですよ。」
「ええ。」
「餓鬼が、手に持っていた玩具らしき金属棒を、ぶっ差しやがったんです。何の前触れもなく、並走していた横から、前輪にね。自分が一等になりたかったんですかね。まさかそんな妨害行為が繰り出されるなんて、そんな意味の無い、俺にしてみればね、無意味な事をされるとは思ってもみなくってさ。物の見事に吹っ飛ばされて、顔面から地面に叩き落とされたんです。」

「……顔面から、落ちたんですか。」
「うん。幸運が重なってこの程度で済んだけど、俺は戦の最中や隠密活動の果てに死ぬのではなく何も考えていない餓鬼によって、へんてこりんな乗り物から美しい放物線を描いて投げ出され顔面を強打し或いは後続の部下の車輪に轢き殺されて死亡するところだったんですよ。」
「ひゃっははははは!」
「それなのに彼奴等ときたら、誰の手で培われた処世術なのか知りませんけど気なんぞ遣ってさ、帰路での会話の中でも俺の容態については一切触れてこなかったんですよ。変じゃありませんか、怪我の具合を聞いてくる位しそうなものなのに。」
「や、止め、カカシせんせ……!」
「特にサクラの目の合わせ無さったら。あれは間違いなく、D級任務の子守であわや命を落とすところだった上忍師を直視したら吹き出して仕舞うからですよ。」
「ひぃ……腹痛ぇ。カカシ先生ずるい、何でそんな面白いんです!」
「……。」
「っぶ、」
「……嘘吐き。」
「ははははははは!」
「笑わないって言ったのに。」
「ははは、淡淡と話すのは反則だよ!」
「本当に死に掛けたんだぞ。」
「あはははは、だから面白いんじゃないですか。死に掛けたって、カカシさんが、カカシ上忍が、あのはたけカカシが! 怪我をして現れて、聞いてみたらそんな傑作な理由で死に掛けたんだって、落ち込んだ薄暗い雰囲気を引き摺って自分の真横で淡淡と呟いていて御覧なさいよ、誰だって腹抱えて笑っちまうって!」
「そんな状況下で何処の何奴が笑えるか。アンタしか笑わないね。普通は心配するしね。」
「え、したじゃないですか。」
「何か……違う。してない。べらぼうに笑ってるし。」
僅かに出ている右目の周辺だけでも生傷と腫れが目立つのだから布地に覆われた他とて推して知る可し、動く度にぎしぎしと音がしそうな彼の身のこなしからも割かし酷い大怪我だということは察せられた。それでも、何はともあれ命があったからこそ今、隣に居る。それが俺から見える事実だ。彼が生きて、話して呉れているからこそ、笑って、その声を聞けているのだ。





4.

ところで、それはそうと彼がまた頂けない姿勢を取っている。椅子に腰を下ろした時からそうだったのだが、どうやら一時的なものではなく其の格好ですっかり寛いでいる様なのだ。それに、これは屹度今回の怪我が理由による臨時の座り方ではない。
「カカシ先生。足を。」
「はい?」
首を傾け、彼は履物の裏を見た。
「足を地面に下ろしてください。」
「斯うですか。」
「ええ、然うです。」
俺はずっと気になっていた点を言えてすっきりした。初めて彼の座り方を見た時も注意したかったものの其の時はそんなことを言い出せる空気ではとてもなかったのだ。
(今日は、言えて良かった。)

「……、……で?」
「え?」
彼の口振りは、更なる何かを待っていた。しかし俺には其が何なのか、この時点では解からなかった。
「あ。終わり、ですか。」
「そうですけど、如何いう意味ですか。」
「いいえ。」
俺の言い方のどこかに伝わり切っていない箇所があったのか、どこが伝わっていなかったのか、咄嗟にはその答えを見出せなかった。そうして、交わした計りの会話を頭の中でなぞる俺と、喋り終わった彼との間には沈黙が流れた。其を破ったのはカカシさんによる、
「飽きましたね」の一言だった。

「え、何に。俺と居ることに、ですか。」
「此所に。」
「は?」
「同じ所で凝っとしているのが嫌いなんです。飽きるでしょ。何もしないで居るのは退屈ではありませんか。時間が勿体無い。人生を無駄にしていますよ。」
「やあ、それは解かっていませんねえ。そこを敢えてこういう時間に充てるという贅沢なんです。無駄に費やすことを有意義とする贅沢を堪能する、至福の一時なんですよ、今が正に。」
「はあ。」
気の無い相槌を打って、座面に投げ置かれた上着みたようにだらしなく座る彼は暇そうに、大らかに流れる昼下がりの雲を眺めていた。風薫る皐月、頭の後ろで腕を組み背凭れに体を預けた俺は同じ空を見詰め乍ら陶然たる心持ちを口にした。
「今日はこんなにも御天気で。好い気温で。新緑が眩しい。休日の御昼に斯うしていると――、」
充たされて。
「――……何処かへ出掛けたくなりますね。」
「そうだね。」
死にたくなる程の陽気に、包まれていた。










-続-
5.〜6.>