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此処に眠る。
| 視点:K | デート(映画) |
| 芽吹いて根付いた君への思慕は |
1. 目的不詳の飲み会に顔を出し、中座した彼を追い掛けたというのがイルカ先生と言葉を交わした記憶のなかで一番古い。三年前のことになる。悪酔いを笑顔で隠して参加者に気遣いをみせる、あの人は幹事をしていた。 「飲まれてますか。」 「あー、マァ。」 「む、あまり飲まれていませんね? お好きじゃないんですか。」 「んー、いや、そういうこともなく……普通です。」 我が身の像と縁遠い単語だとは思ったものの答えを丁寧に選定するほどの話題でもないと面倒臭がって、主観的な返答をした。 「普通! 俺もフツーです。」 聞いた言葉を愉快そうに繰り返した彼はいとも容易く、自身と同一の円の内へと相手を抱き込んでしまった。そんなふうに、尋常とは懸け離れた潰れ方を目撃された直後であるにも関わらずあっさりとそう言い切ってあの人は、俺に不思議な連帯感を味わわせたのだった。 そして、この遣り取りは時間とともに思い出の残滓になった。 捨てられずにいたその出来事に、俺は心を揺さぶられることになる。 それは、彼とまともに話すようになった今春のことだった。 「今度、お互い里に居て空いている晩に酒でも飲みませんか。俺が嫌な上忍師でなければ。」 「ええ、私で好ければ。大して強くはないんですがね。」 「俺もです。」 「普通ですか。」 イルカ先生は奇しくも酒に纏わる話の中で、それもこの俺を相手に、普通、という表現を当ててきたのだった。 はたけカカシという男からは連想し難いこの言葉が、何の布石も無しにするりと口から出てくる人間は稀有だ。とは云え、あの飲み会からは随分と時間が経過していたし、当時の彼は既に度を越して吐くくらいの状態にあった。俺との過去をどの行為まで覚えているかは怪しいものだ。それで、この台詞が故意か偶然かを看破することは出来なかった。 それでも、〈はたけカカシ〉に〈普通〉の二文字を造作無く当て嵌めてくる人間はそうそういないのだ。 人の持ち得ない卓越した技量を手にしているらしい〈はたけカカシ〉は、この事について、つまり凡庸でないという事について何の実感も抱いていなかった。身に付いた実力と自分自身は等しい一つであって他の何物でもないのだから、それも当たり前だろう。自然を改めて不自然と見ることは、自己の存在自体を疑い出す病的な不安の視線と変わらない。 俺は只、物心が付く頃から一日一日、昨日の自分よりも強かであることを目指して成長してきた。克己心ならある。自戒の目もある。自律に必要なそれらと、自身の実力に対する客観的な評価を実感として抱くのとは、出自を異にする。平たく云えば、自分の持ち物である砂時計の砂粒がサラサラと下の膨らみに溜まっていくのを見ていたら、さすが、そんな使い方をしているの、だけど本来はこっちが下だよと言って無断で上下を変えられるような感覚だ。ここで俺の主観が認められることはなく、人の物を御破算にした其の手は裁かれない特権を持っている。そうして其迄に落ちていた砂粒の数は誰も気にしない。それが世の理なのだ。 そうしたことがある度に開いて見るこの手の中は何時でも空っぽで、俺からすればむしろ誰しもが持つと思われる極ありふれたものを悉く持っていないように感じていた。この有るべき何かが無いという子どもの頃からの心細さは、孤立感になっていった。 実生活に於いては、周りが〈はたけカカシ〉を羨むことは許されるのに、此方が他者の持っているものを羨むと人は目くじらを立ててそれを贅沢と撥ね付けた。誰かが俺を褒めそやすことは当然の如く罷り通り、又それを受け取ることのみが素直であるとされ、此方の感覚でいう当然はいつも思ったようには伝わらずによく分からない解釈をされた。 ――「羨ましい」と率直な感想を述べても、「嫌味か」と僻まれる。 ・〈天才〉が羨むのは嫌味になる。以後、禁止。 ――見聞きした事柄を話の種に上げれば、「それって自慢?」と言われて相手の心証を損ねてしまう。 ・〈エリート忍者〉の話は自慢と見做される。以後、禁止。 ――食い違いが生じた場合に正しいとされるのは常に聞き手の方であり、それが覆されることはない。 ・意思の疎通が難解な沢山の変人共こそが〈普通の人〉であると知れ。 以下、略。 俺が口を開いた先に待っていたのは否定と論駁の嵐だ。その内に「へえ、そうなんだ」という何でもない一言を期待する気持ちさえも薄らいでいき、段段と思っていることは胸の焼却炉に投げ込み塵灰として風に放すようになっていった。 概して向こうは思い込みの理由で一方的に、此方側に受け入れる余裕を要求してくる。そして此方側には強制的に設けられた制限が終始付いて回り、質問者の期待する模範的解答が事前に用意されている話にしか聞く耳を持たれない。己と彼等が五分五分の土俵に上がる日は来ないのだ。 終いには「やってられるか」と思った。数ある性質の中でも素直と真面目は、大多数の波に耐えきれずに自滅するだろう。周りには好都合でも本人が持たない。俺は、手前の地で行った〈普通〉と皆が指し示す〈普通〉とは永久的に相容れないということを学んだ。実際、自分に纏わる何かに対して普通と評されたことも今迄の人生で殆どない。 そんな訳で、 (ひょっとして貴方も覚えているんですか、俺と交わした何年も前の、塵に等しい何てことない会話を。) こんな気持ちが起こるのも無理からぬこととひっそり自己弁護していた、虫のいい希望を正当な推測に変身させるのに忙しかった俺は、振り返ってみれば、嬉しかったのだ。此の人は少なくとも自分に添った観点に立つことを試みてくれるのだという気がしていた。曖昧に頷いていたのは、その感情の強烈さに戸惑っていた所為だった。 2. ずばり彼のことが好きかと聞かれても、即答することが出来ない。その代わり、どう思うかという問いに対してなら明確な答えがいまの俺にはある。 「誰のものにもなって欲しくない。」 この一言に尽きる。ところがあの人のことを認識した時点から、生憎なことに耳にする情報のなかには色恋沙汰のものも混じっていて、彼は俺にとっては最初から、誰かのイルカ先生だった。 その時に聞いた相手は戦地の前線に立った宿営の、焚き火のそばで俺も話をしたことのある年嵩の上忍だった。また、気が多いのか、一方の誤報か、全く別件の浮き名を掴んだ時期がそれへと被さっていた。しかも筋立ては其の儘に名詞の部分をコロコロ変えてこの手の続報は途絶えず、未だに更新され続けている。そのどれもが飛言かもしれない。いずれにしろ真偽不明という大前提が崩れるような不手際もなく、彼はなかなか尻尾を出さないでいる。 あの人は、薄情だ。懐の深さを反転させたのとそっくり同じ形の、切り捨てられる心を持っている。温かい半面、同じ分だけつれない。その表裏の片面で、俺のことを篩い分けているのだ。 ぼやぼやしていたらとんでもない処へ堕とされて終うだろう。それでいて、仮に其奴の成れの果てを見たとしたって恐らく彼は傷付かない。見苦しい立ち回りを演じる様な奴とは初めから遊んでいないからそんな機会自体が形成されないというのもある。幾つかの噂を入手した段階でそれらを並べ、比べた俺は、恋人と云っても名ばかりではないのかという憶測もした。とまれそうした放恣の真相など気にならない、そんなスキャンダルは俺には関係無いと本気で思っていた。 (競合の数なんて。) 俺が歯噛みするのは、此の身の扱われ方に前進がみられない点にこそあった。 (彼との距離を他の誰よりも縮めることが出来ればいい。) そうして一番を取ることを目標に、その一が他を排するか否かという疑義は吟味の埒外に置いた。 それが彼と会ううち次第に、この人が誰のものでもなければ好いのにという方向に転換していき、その考えは回を重ねる毎に強くなっていったのだった。 3. 再会してから間を置かずに俺から誘って、二人で晩飯を食いに行った。雨の降る四月だった。くるくると表情を変えて気兼ねなく喋り、寛ぐ様に沈黙を作る彼が横に居ると、楽しかった。 俺はよく飲むなと思いながら、向こうへ首を回して店員にまた御替わりを頼むあの人の、赤みが差した耳の縁とハイネックに隠された頸部を盗み見た。黒髪を健康的に束ね上げている、殊に項が色っぽかった。 「酔ってますね。」 「大丈夫です!」 俺の指摘に、紅潮した頬と潤んだ眸で親指を立てる彼は何時ぞやを髣髴させる元気さで答えていた。昔の彼も乱酒を暗に注意したら、親指を立ててまだ素面だと胸を張って初対面同然の俺に絡んできていたっけ。こんなところはあの頃と変わっていないのだと思った。 すると立て続けに、無理矢理の力で乗り切った朝や、晦冥に包まれた一部始終を否が応でも思い出す。飲み会の帰り道から介抱という名目の下イルカ先生を攫って帰った晩のことだ。どう考えても最初に持ったその接点が衝撃的で、尚且つ大きすぎる。 酒杯を手にしてからのイルカ先生の返事には信用の無いことを知っている。俺はマスクの下で、この複雑な心境を嘲った。彼に色気を感じ、あまつさえ其に当てられて混乱しそうになる感情の、縺れてゆく動きが懐かしかった。 イルカ先生は色んな顔を持っている。その正体の一つは、策士だった。 此方の発する信号を迅速に細かく取捨選択し、何も気付いていない顔で巧みにはぐらかす。店を出てからも彼の取る態度は一貫していた。 「ねえ……、もう、帰るの。」 「はい。カカシ先生は? これから二軒目ですか。」 「いや……。」 今は一緒に居るというに過ぎない相手が例えばこのあと更に某と落ち合おうが、どんな場所で夜を明かそうが不干渉らしい。 (素っ気ないね。) そんな主義で俺を近付かせない彼を、独りにするのが危なっかしかった。 上機嫌そうにフラフラしている彼の躯の内側を思い描く。妄想した其が襤褸襤褸なのは毎度の事だ。 立ち止まらせる為の言葉を探す眼界で、半歩先をずんずん進む相手の足取りと振られる指先がちらちらしていた。 (俺の中には、アンタがいるのに。) 雨上がりの美しい夜道に忍らしからぬ足音を響かせて、一人遊びのイルカ先生は頑なに心を開かない。この局面に待ったを掛けて十年考え続けたところで巧い台詞を見付けられないと認めた俺は、結極その手首を掴んで直接的に引き留めた。上腕よりも、手首を。 こんな距離の時には同性というのが有利に働く。何故なら、双方の間で友情は成立するかという命題の関門を通らずに済むからだ。 (唯一緒に居る丈。) 俺は、そうして彼を引き付けた。 (分かれ道で、立ち話をしている丈。) この純情が相手の脳裏に焼き付いたなら此方の作戦も成功している。俺は割を食ってもニコニコしているような、御伽の国の理想的な王子様ではない。 本当は其の儘何処かに連れ込みたかった。この人と抱き合って眠ってみたかった――抱き付いて眠った情けない過去が霞む位に。 そりゃ俺以外にも言い寄ってくる人間は跡を絶たないだろう。けれど、大勢いたとしても何人よりも近しい存在になりたかった。 その実現のためにも、自分からは手を出さないと決めていた。今度は軽々しく一線を越えたりはしない。過ちも一度目で学べば、二度目は起こらない。 (何も仕掛けない俺を、しっかり覚えて帰ってよ。) 懐柔など朝飯前だと見誤らせる彼の親しみ易さはまやかしだ。それは規定した境界から先へは踏み込ませない、不可視の有刺鉄線なのだ。その証拠に、別れ際にはまるで一仕事を終えたみたいに、 「御疲れ様でした。」 という挨拶を繰り出してきた。そうして手強いイルカ先生は後ろ髪を引かれることもなく階段を駆け上がり、夜に消えた。 追い縋る情念を鈍く切って其の場にそっと置き去りにする、彼が最後に残して帰った「お休みなさい」の一言の甘ったるさは残酷だった。 「お休み」と返した俺の胸では、嘗て眠りに落ちる彼に向かって「お休み」と囁いた時に味わった苦味が薄れることなく再生された。同時に、久しぶりにその科白を口にしたと気付く。最後の相手も、彼だったかもしれない。 あの時と同じ季節の三巡目が、もうそこまできていた。 -続- |
| 4.〜5.> |