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此処に眠る。

side I +Y 余談

<4.〜6.
無視してさしつかえない話



7.

イルカが任務に就いてから二十一日目。箒を片手に頬をピクピク引き攣らせた彼は、この日も切り株の根元で足を停めていた。周囲に異常がないことを確認してから、
「ちょっといいですか」と呟く。
「……何か?」
「あいつ、むかつく。」
「……はい?」
「俺、あの似非紳士と、一戦交えちまいそう。」
「ええええ、恐ろしいこと言い出さないで。」
息の根を止めてから「人違いでした」では洒落にならないので、本人の特定には時間を掛ける。こつこつと慎重に調査を重ねてきていたテンゾウは焦った。
「困るよ、何ヵ月追跡したと思ってんの。それに、危ないよ。」
ただの商人でないことを承知している彼は、それとなく警告を発しておく。
「だってさ。仲間は帰ってこねえし。俺が何かやったのか、不興を買ったらしいのに、それでも俺のことは手元に置いておきてえみたいだし。それがまた、気持ち悪い訳なんだけど。」
「はあ。」

切り株にぺたりと腰を下ろしたイルカは、針葉樹林の暗がりを見詰める。すると、面と防具が仄かに白く垣間見えた。
「暗部は出ても賊は出ないわ、依頼人の金の貯め方はいけ好かないわで、もう踏んだり蹴ったりな気分。」
皐月の空に、雲がゆっくり流れていた。
「ふう。」
どこから見てもぼうっとしているようにしか思われない案配で肩の力を抜いた彼は、独り言みたいに喋った。「暗部さん、暗部さん。ちなみに、俺ね、昨日十五になったんです。どこでだと思います? 売春宿。しかも、当然だけどこっちは一時間待ってるだけ! もう最悪の誕生日でした。」
「へえ、同い年だ。僕も今年、十五になる。」
「おお! 地獄で仏とはまさにこのこと!」
「どのことだよ?! 絶対にそのことではないと思うよ!」


イルカの任務期間がいよいよ残すところあと三日となったこの日、館を出た彼は箒を携えてはおらず、平然と門からも踏み出して、てくてくと街へ向かった。いつの間にか専任の係にされていたテンゾウは仕方なく尾行を開始する。その両人の間には、クルの使用人もといアサカの手下が一人挟まっていた。
付けられていることに気付いていたイルカは街の噴水広場に着くと、人混みの中を機敏な身のこなしで擦り抜けて、立ち並ぶ市場のテントとテントの切れ目にさっと身を入れた。あっけなく撒かれた手下の不手際を見届けて、テンゾウは問題児との距離を詰める。
角を何度かすっと曲がり、人気のない狭い路地に身を潜めたイルカはやっと声を出すことが出来た。
「暗部さァん。お話しましょー。」
空中には故郷と違う方式で洗濯物が大量に干されてあった。窓という窓から物干し竿が壁面と垂直に突き出されている。地上に目を戻してふと振り返ったら、どこからともなく現れた動物面の暗部が一人、黴臭い壁に貼り付くように、影の中に立っていた。
「あ、いた、いた。」
「一応聞くけど、何の用。」
そう言って親指を忙しなく動かし、中指の爪をこする。これは彼の、思考している時に出る癖だった。暗部の特殊な鉤爪型の手甲がカッ、カッと乾いた音を小さく鳴らしていた。
「同い年だと思ったら、尚更親近感が湧いちまってさ。」
「勝手に湧かさないで。」
イルカは肩を竦める。
テンゾウは溜め息を吐いた。
「君ねえ。」
「息抜きだよ、息抜き。」
「こっちの空気がどれだけぴりぴりしてるか知らないでしょ。別荘組にも、もう出来るだけ期間終了間近までそこでじっとしててって、君ンとこの隊長に話を付けてるんだよ?」
「すぐに屋敷に戻るって。」
「どういう口実を使ったら外出が可能になるの。」
「雷の国土産を買いたい、って。」
「堂々と任務をないがしろにしちゃったの?!」

テンゾウの尖った指先は左右それぞれ、人差指の腹が紙縒りでも作るように親指の爪を、痒がるように人差指と薬指が中指の脇をこすり合わせている。何をしているのか気になったものの間を置かずに苛々しているのかと思い至り、どうやら無意識的な仕草らしいと察したイルカは、路地の先の細長い景色を指し示して全然関係のない話をした。
「ほら、あそこ。煙突から煙がもくもく上がってんだろ。けど、同じような煙突の煙もあの屋敷じゃユラユラ、何だか違って見えるんだよ。けど、頼もしいぜ。こんなところまで付いて来てくれるんだな。」
「買い物なんてしてる場合じゃないんじゃない? 護衛対象と離れちゃってどうするの。」
「うん、そこは大丈夫、ばっちり対策を立ててきた。ちゃんとクルさんにも提案して、それならいいって許可を貰ってあっから。まあ、付けられてたけど。撒いてやったしな。屋敷には影分身を置いてきた。」
「ほ、本体が出て来ちゃったの?! 普通、せめて本人の方が依頼人の側に残っておくでしょ?!」
「なんで分身の方が息抜きに出掛けるんだよ、おかしいじゃねえか。」
「ああ、もう。そもそも任務遂行中に息抜きって何なのさ。用がないなら呼ばないで。」
「あいよー。まあ、クルさんもあっちを本体だと思い込んでるから問題ねえって。どうせ身の危険なんて嘘っぱちなんだ。」





8.

「ご免で済んだら暗部は要らないからねえ。」
あっさりとした口吻で元暗部は昔話の結末を言い当てた。現今は表の舞台で活躍している、その男持ちで買い込んだ食材をイルカが抱えて運び、ヤマトは手土産に選んだ酒を提げ、三人はカカシ宅に次々上がり込む。
「二人が十五ってことは、俺が十六の時か。そんな頃にイルカ先生と出逢わなくて良かったあ。」
「そうですか?」
「“身内”からも怖いって言われてましたもんね、先輩。」
「ハ?」
「身内って?」
イルカは振り返って質問した直後、前の背中をめがけては「手洗い、嗽」と声を張った。
「ハイハイハイハイ。お前もするんだよ。」
引き返すついでに後輩も巻き込んで、家の主は渋々洗面所に向かった。

腕まくりをしたイルカは手際良く野菜をそれぞれ切ってゆく。
その彼にコン、コンと足を使って指示された流し台の下を、ヤマトが探して土鍋を引っ張り出す。
カカシは、居間で炬燵に手足を入れて丸くなった。
「なあ、身内って暗部のこと? 暗部仲間からも怖がられてたってことか?」
「いえ……。」
「もっと大きな声で! カカシさんなんか臆することねえって!」
「おいコラ。」
居間の男はぬくぬくとした炬燵から台所の会話に参加した。
「可愛い後輩は俺のことが大好きなんだから、虐めてあげないで。さっきは口を滑らせただけで、敬意を払わず暴露しろなんてそんなの返答に窮するに決まってるでしょう。あと、俺に失礼だったことを謝っとこうか、イルカ先生。」
「これが圧政的為政者による言論弾圧か。」
「テンゾウ、一から十までそれの相手しなくていいからね。」
「ちょ、ちょ、二人とも、喧嘩しないで下さいよね。ね? 駄目ですよ。仲良く、仲良く。」
夕食の仕度を手伝うヤマトが、立ち働いているイルカと動かないカカシのあいだを往復した。
「何言ってんだ、ヤマト。俺とカカシさんは超、マジ、最強、熱々すぎて世界の中心で雄叫びを上げかねない勢いだから。」
棒読みのその声に、カカシも全く感情の籠っていない喋り方で応えた。
「そうね、ウン、勝手に吠えてりゃいーよ。心配しなくてもテンゾウの前で反省会に突入することはないから。安心しな。」
「は、はは、はははは!」
カカシが転属してから数年後、自らも本隊に配置換えになったテンゾウは里から新しい名を一緒に渡され、以降はヤマトと名乗っていた。反省会ってなんだろうと思った途端、乾いた笑い声を上げて彼がその不可解な単語を吹き飛ばすと、イルカはまるで勇者の挑戦を受けて立つ魔界を統べる者のような笑い方をした。
「フハハハハハ!」
カカシは何を考えているのか分からない眼をしてじっと、鍋肌にぼつぼつと気泡をつくり沸きはじめる出汁を見ていた。

鍋は囲んで食った方が美味い。
「そう言うわけ、イルカ先生が。」
「すみません、お邪魔しちゃって。」
「なんで謝るの。お前、知ってた?」
「え?」
「だから、鍋をするのには頭数が要るっていう、鍋の食べ方を、だよ。俺は、初めて知った。」
「ああ。ええ、それなら僕も聞いたことはありますよ。一人鍋は虚しくて出来ない、とかね。」
「ヤマトー」と声が掛かり、立ち上がろうとしたところへ次の指令が流し台のイルカから下された。
「カカシさんがそのへん散らかさないように、そこで目を光らせていてくれ。」
「……先輩……。」
「何よ、その生温い眼差しは。」
「アー、摘まみ食いも。やったら罰金ですからねー、カカシさァん。」
「何やってるんですか、先輩。」
「まだ何もしてないでしょうが。お前達、基本的に俺に失礼だよね。」
ふくれっ面になったカカシは億劫そうに炬燵から手だけを伸ばし、壁に寄せて積まれていた雑誌を一冊、崩れるに任せて引き抜いた。
「ああ、イルカさん、大変です。先輩が……、先輩が!」
「阻止しろって! カァカシさァん、片付けたばかりなんだからやめて下さいよねー!」
お目当ての号ではなかったので、引き続きいいかげんな手捌きでなだれた雑誌類をあさり始めたカカシは、うんともすんとも返事をしなかった。
ヤマトは、先輩の幼稚っぽい雰囲気を心底意外そうに眼に映す。
「……。」
「む、お前いま心の中で『ぷっ』って笑っただろ!」
「読心術ですか?!」
「笑ったのかよ!」
手に取っていた雑誌を床に叩きつけるや否や、カカシはヤマトに掴み掛かった。
「暴力反対!」
「プロテクタを外した今のお前が生き残れる可能性はゼロだ!」
「あれが僕の防御力の全てみたいな言い方しないで下さい! 僕だって強いんだぞ!」
「あっそ! だから?!」
「痛い、痛い、痛い、痛い! ちょ、この人頭おかしいって、……フン!」
顔面に伸びる手を払うと、その腕を今度は捻じり上げようとしてくる先輩から、体全体を回して大きく逃げながらあわよくば下へ押さえ込んでやろうと後輩が逆襲の一手に打って出る。どちらともなくドンとぶつかった炬燵机で配膳された皿がカチャンと鳴り、コロンと箸置きから箸が転げた。
「っく、本気出していいならこっちも容赦しないよ!」
「は? 全然これ本気なんかじゃないですし! ていうか、先にやってきたのは先輩でしょ?!」
そこで、盆を片手に居間へ来たイルカの雷が落ちた。
「オメェら、暴れるんなら表でやってこい!」
その後の、「頂きます」の合掌は実に厳かに行われた。

本日の鍋は鰤しゃぶだ。牛や豚の肉ではなく、寒鰤を薄く下ろした切身を泳がせる。献立を決める段になって、美味い物が食いたいと主張した一人に対して二人が別に何でもいいと同音に答えた結果、買い物は意慾の高いイルカ任せになったのだった。
空いた笊を持って彼が席を外した時、後輩と先輩は短い会話をした。
「焼き餅、焼かないでくださいね。」
「何もかもを恣には出来ないさ。」
「……?」
「テンゾウ、お前、やっていいことと悪いことが分かる?」
「え、は……い、分かってるつもりで生きてますけど。」
「なら大丈夫でしょ。それに、先着順で売り切れる赤色の糸は量産型なの。俺が拾ったのは、早い者勝ちじゃないやつ。」










終.
(2013.04)