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此処に眠る。
| - | 掃除 |
| 3.〜4.> |
| 蜜しるべ |
―― (告白の後) ―― 1. 薄墨色の西天に一番星が光る。目を落とせば、打ち水を吸った土がちらほらと黒い。 「カカシさん、なんか美味いもん食わせて下さいよ。」 「うむ、何でも好きな物を注文むが良い。俺がたらふく食わせて遣る。」 七月の路を、背丈の違わぬ二人が連れ立ち歩く。 「良し!」 イルカは平生、目上の人間に奢られる際には遠慮もせずにぺこりと頭をさげて厚意を受けている。木ノ葉の里の同業者であれば高給取りの部門はどこかくらい知っている筈であるにもかかわらず、これが天真爛漫で通るのは、ひとえに天性の人たらしに磨きをかけた彼の人柄による。その代わり、新婚早々尻に敷かれた哀れな同僚であったり、金欠に喘ぐ新卒の若年であったりを気に掛けては飯に誘い、勘定の場を自腹で済まして彼は、上の世代から与えられて助かったと思うことは横にも回すか、下へと渡すようにしていた。 従って、年上の層からは幾つになっても所帯を持つ甲斐性のない若造と斟酌されている此の男は、一方では、身も固めず仕事仕事の毎日で貢げる女にも恵まれないうちに貯まっていった小銭を散財している先輩などと思われているのである。 熱気を孕む宵の口、忍の隠れ里にも明かりは灯る。 悪びれる様子もなく甘えられた頭には、餌付けという一語が浮かんでいた。 「矢っ張り肉が好いですか。」 「肉が好いですね。」 「そう。なら、握りはどう。火を通さない肉、食べられる?」 「おお、そりゃ一度食べてみたいです、生肉もいけますよ。俺の体って臓腑ともどもどうやら無敵っぽくて。」 「そ。ま、どんな店だかは知らないんですけどね。」 「おや、然様ですか。では是非、行ってみましょうよ。」 そうした流れでカカシは、牛肉の握り寿司をウリにしている料理屋を目指すことにした。そこの暖簾は彼自身も潜ったことがない。手の空いた小閑を潰しがてら方々の飲食店を調べていた折にパッと目に留まった情報が珍しく、有るのだか無いのだか分からない食欲で且つ偏食家の食指を動かしていたのである。若しもイルカが魚を好むなら、事前の彼は同じ過程で別な店を探していた。 「地図じゃ此の辺りだったと記憶しているんですが……。」 「出どころがぼやっとしてますね。どっかに看板ねえかな。」 横手の筋を窺うと、行く先を絞り込ませる様にあかあかとした提灯が目を引いた。安酒を手軽に引っ掛けるのにもってこいの立ち呑み屋の提灯である。隣の炉端焼きの看板は、店主が殴り書きした自作であろうか。猥雑の観はあるが進路を固めたイルカはその界隈へ折れて、きょろきょろとする。ピンキリで飯屋が集まって在るのかもしれない。おや、と思うところに木戸が開かれていて、人一人が通れる細さの石畳を奥へ奥へと入っていくと、創業云年を掲げる老舗料亭があったりするのだ。 悠長な瞬きの毎、視点を順次なめらかに蛇行させてゆくカカシはいつの間にやら先導される形になって、腹ぺこ探索員の後ろにいた。 「行き当たりばったりで済みませんねえ。」 「俺が行き成り貴方の詰所を訪ねたんですから、謝らなきゃ不可ない理由が其なら此方が悪いことになる。俺、悪かったですか。」 「いや。う……。」 「そうだ、あの売店で道を尋ねましょう。」 嬉しかった、という感情があやふやで口籠った相手を尻目にイルカが、最寄りの狭い間口の片戸を指さした。そこは高級感とは無縁の、風雨に傷んだ古い外観をしていた。白い明かりが玻璃から洩れてはいたものの、扉は中からも外からも開けられることなく今日の一日を終えようかという寂れた雰囲気を醸し出している。「じゃんけんで負けた方が。」 「ええ、俺、見ず知らずの人と気軽に話すのは苦手です。」 カカシはあの、ぴたりと閉じた商売気のない戸を引く役目を負いたくなかった。 「勝てば良いんです。」 「そんな。」 「ふふ。それじゃ、やりますよ。」 「待って下さい。」 「一発勝負。」 「イルカ先生。」 「ハイ、出さなきゃ負けよ、じゃん、けん、ぽん。」 ずるいと抗議しても止まらない掛け声にまんまと乗せられ、慌ててカカシも手を出した。 「唯今。」 「収穫は。」 「じゃあん! カカシ先生もお一ついかがです。」 やろうと言い出した方が物の見事に負けて帰って来た、イルカの手には、何も買わずに立ち去るという振舞いはばつが悪かったのかして、飴玉五つが一連に包装された駄菓子があった。 「結構です。あ、イルカ先生も。駄目ですよ、開けたりなんかしちゃ。食事の前なんだから。」 「ちぇ、厳しいな。」 斜交いに掛けていた布鞄の口を開けて仕舞い込み乍ら、空きっ腹の彼は鼻をくんくんとさせる。赤提灯の長屋から夕闇の空へもくもくと、炭火に当てられた鶏串の煙が上がっている。食い気をそそるたれの匂いが彼らの元まで流れてきていた。 「それにしてもカカシ先生の口から、食事前だからってえ注意が飛び出すとはね」と、再び歩きだしたイルカはめざとく着目し、つらまえていた言葉の端の意外性を明かした。 「大して食う事に興味が無さそうなのに、思いの外そういう心掛けはしっかりしてるんですね。」 「よく耳にする台詞だから、そう在るべきなんでしょう。」 「……ああ。」 束の間の誤解はあっさりと納得に翻る。 「貴方は、ちゃんとしてて呉れなきゃ。」 教師なんだから――長年の教師生活に鑑みるに十中八九はそう続く。通常ここで聞き捨てにして会話を替えると共に内内人をも鞍替えし、切り捨てて了うイルカはしかし、いま同伴するのは独自な回答を持っていそうな人であると其の個性が気になったものだから、口を尖らせつつも真意を質した。 「なんでですか。」 「俺がちゃんとしてないからに決まってるでしょ。」 「……カカシ先生が?」 「他に誰がいるんです。」 己の一言を受けて厚い唇が肚に一物有り気ににゅっと曲がった、その癖を右眼に入れてカカシは、また勝手に人で遊んでいるなと思った。 「マァ、だからといって、必ずしもさっきの結論が唯一の帰結ではないんじゃないですかね。」 「だって、どっちかがちゃんとしてなきゃ困るじゃない。」 「俺も大概いい加減な性格なんですけど。」 「俺よりか貴方の方が、素地が有る。ところで店の場所は判ったの。」 「そうそう、一本西でしたよ。もう一本裏手の筋ですって。」 二人は、こうして他愛の無い諸事を語り合ってきた。自炊はするのか、しないのか。恋人とは手を繋ぎたいか、べたべたしたくないか。小説を最後の頁から捲るのは省けない手順か、はたまた断じて認められない暴挙であるのか。好きな色は、何色か。 イルカは、実際を離れて賽子を振るという仮定に入ったくだりから熱を帯び始めるカカシの授業を大雑把に聞いているのが好きであった。だからいつも、自分の前では口数の多い男になればいいというささやかな狙いを伏せて入れる適当な合いの手で以て、碌に吟味しない数字だらけの談義の進行に一役買っていた。 そしてカカシは、うとうとした眠気を誘う語り口で玉石混淆ひらりひらりと転換してゆくイルカの、話の奔放さが嫌いではない。更に、其の彼を見失わずに掴んでいられる器は、誰よりも自分にあると自信していた。 さっきの飴玉、一粒ずつ口に放り込んじまいませんか。 それ、もう食後まで没収します、出しなさい。 冗談ですよ、ホラ、カカシ先生、進んで進んで。 怪しい、没収。 前進、前進。 手甲を嵌めた黒い手の平を見せるカカシをイルカが押してあれやこれやと言い合ううちに歩調がもたつくこともなく、教えられた通りの番地で目当ての屋号を見つけだした。黒塀の、旧屋敷を改装して造られた店構えにはどっしりとした風格が漂っていた。 ガラガラと重い格子戸を引いて先に身を入れ、給仕係と口をきく手間はイルカが引き受けた。店内に入ると天井が高くとられていて、架かる梁は煤けていても立派なものであった。案内に付いて進み、通り土間からは障子の前で履物を脱いで上がる。割り方部屋数もあって、個室同士は襖で仕切られていた。通された四畳半の畳敷きは、年代物の円い卓袱台と座布団がある計りの簡素な仕様であった。漆喰壁には窓も掛け軸もない。卓上に、一輪挿しの小花と品書の用意があった。 2. 「心から美味しいんだっていう顔をするよね。」 笑っても泣いても寄る眉間の皺を作り、イルカが食べるときにしか見せない顔をする。つまりは大層仕合わせそうなのである。さっと炙ってあるだの、使っている部位が違うだのという握りの盛り合わせから薬味の上品にのった霜降りを一貫、言い当てられたそばから大きな口に放り込む。感涙の玉をほろりと零し兼ねない目で、口角を上げて、もぐもぐと食う。 生きる喜びを噛み締める御満悦を片目に映し、当分脂っこい料理は要らないと思うカカシは湯飲みに手を掛けた。 「ねえ。次に会えるの、何時?」 「え、ああ。そうですね、ええと。」 聞かれて、一人ではなかったと我に返ったイルカが其方を向くと、滅多に露わにされない薄い唇があった。 人前では覆面をしているこちらの忍の皿は毎度のこと、同席者の注意が逸れる度に空になっている。 「帰って、予定表を突き合わせてみないことには何とも。来月になりますかねえ。」 これは、忍者学校と任務受付所の二部署に配属されている自らの二枚の予定表のことである。「カカシ先生には有りますか、行きたい所や、やりたい事の希望。」 「んー……、最近は、斯うして食事をするなら、本当は部屋で緩っくりしたいと思ってたんだけどねえ。」 そうして彼らは落ち合う次回について、相談するともなく談じ始めた。 こう見えて両人は、小一時間前から付き合うこととなったばかりの恋人同士である。だのに、挙動なり口吻なりにそれらしい初初しさや艶やかさが見受けられないのは通俗な問題よりか、照れ合う気配やときめく素振りが相互に無いところからきていた。 「生憎俺の部屋は、人を招ける状態じゃないんですよねえ。」 「それは、散らかっているということですか。」 「散らかっているなんてもんじゃない、目も当てられない有り様です。」 「片付ければ良いじゃないですか。」 「簡単に言ってくれますね。いや、何分その……、多分イルカ先生が思っている様な段階の……ごちゃつき方ではないものですから。」 「ふうむ。じゃ、一日掛かりで大掃除、みたいな?」 「ハハ、当日中になんてとてもとても……。第一、座布団一枚分の四角形以外の床が確認不能という基本を想定出来てますか。」 「ええ、いやあ、流石に其は大袈裟でしょう。」 「収納扉も当然、中から雪崩れた物で閉まらず其の儘になっています。飛び越えなければ進めない難所もあります。兎に角凄まじくぐちゃぐちゃになってるんだよねえ。アレ、もう限界間近だなあ、と、思ってはいるんですがね。」 張本人が他人事の口振りである。そんな惰性を目にしたら、日々教壇に立つ者はつい、やれば出来ると発破を掛けたくなるのであった。 「片付けましょう。」 「まあ、気が向けば。」 「やるんですね。」 「可能性は否定しなーいよ。あ、けど、今は平地が出現しているのでましと言えばましですよ。倒れた本棚の背が、良い具合に。」 そこで空を水平に切った腕の動きが、ザザッと音を立てて落ちる何物かの影を連想させた。 「間近と云うか、すでに限界を突破していませんか。倒れた本棚って、全体何があったんです。」 「幻滅したかい。」 「それはしませんが、カカシさんは片付けるに越したこたアないですよ。時間のあるときに、小分けにしてやりましょう。」 「ハア」と丸で生返事のカカシに、成る可くさりげなく聞こえる様にイルカが続けた。 「それじゃ、俺んちに来ますか、今度。」 「イルカ先生の家? そうねえ、ううん、……遠い?」 -続- |
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