text18_2
此処に眠る。
| - | 掃除 |
| <1.〜2. | 5.〜6.> |
| 蜜しるべ | |
―― (イルカの家) ―― 3. 昨日も一昨日も汗ばむ熱帯夜であった。昼は昼で、ジイジイとがなり立てる蝉が午睡の邪魔をする。ぎらつく晴天に湧き起こる入道雲の白が寝不足気味の目にまぼしい。 前もって渡されていた住所を頼りに到着した、イルカの住む町は遠かった。カカシの区から出発すると当日内に行って帰ってくることは出来ても、二往復目となれば挑戦する気さえ起こらぬ距離である。勤務時間の他の私生活を悉皆誰にも紹介したくないイルカは、育った近所に住んでいなかった。 (付き纏いの被害にでも遭ったのかしらん。) こんな事を思い付くのは、変哲ない日常の朝に「一目惚れです」と出し抜けに告白されて、「いつも見てました」という恐ろしい科白を、かけらも面識のない人間から否応無しに浴びせられる対処にほとほと参った覚えが自身に一度や二度でないからである。それも、素顔を曝してほっついている訳でもないのにと辟易する覆面の下は噂にたがわぬ美形であるのが聞き手との温度差に輪を掛け、こぼしたところで同情の潮の干上がるばかりか、運を悪くすると怨嗟の種がまかれる始末なのであった。 ともあれ両手をズボンのポケットに突っ込み背中を丸めて歩く男には、一見すると里の上忍のなかでも最高峰の実力者であるという威厳が全然無い。但し、草いきれの中を抜け、炎天下の往来をぶっ通しで来たにしてはうだる気色もなく、文句の一つも垂れない姿に並外れた精神力があると深読みするのも各人の夢に自由である。 さて、本日の空模様や、赴く初回に限定の新鮮な道中の所感といった当たり障りのない前置きも振らないで、どこから仕入れてきたネタなのであろうか、辿り着いて玄関が開くと、客の側はまま有る紋切り型の挨拶と共に手土産の高級羊羹を、ぶらぶら提げてきた紙袋からずいと差し出した。 出迎えた側は唖然となって、直後に「それは、損害を出しちまった依頼主の所へ謝りに行く時の作法ですよ」と吹きだした。 「……担がれたか。」 「其の現場に居合わせたかったなあ、楽しそうだ。あ、カカシ先生も半分食いますか。だったら帰りしなに包みますが。」 「オジャマシマス……甘味に興味は有りません。」 「ええ、それじゃ、あ、どうぞ、どうぞ。ええ、是からはくれぐれも食べないのに持ってなんか来ないで下さいよ、じゃあ。此の分は、有難く頂きますね。当面の朝飯にでもします。」 「好きにして。」 「御客人は奥へ進んで、寛いで下さい。」 「屋内は涼しいですね。」 流し台でごそごそと熨斗紙を剥がす主人の指示通りにカカシは動く。 「角部屋だから風も通るんですよ。」 「御疲れ様でした」と横の台所で言っている、イルカと初めて言葉を交わした夏から三年目。招かれた恋人の自宅は予想していたよりうんと奇麗で、出しっ放しの雑貨が鉛筆の一本も見当たらない。己の棲家を見慣れている所為か、カカシの目にはこざっぱりした城ががらんとして見えた。 据えられた家具たちは統一性を欠いていた。しかしそれらには不調和よりも、どこかしら馴染み合う風情があった。上がり込んだ初っ端こそすっきりした室が放つ空気の、謂うなれば隙の無さに目をぱちくりさせたものの、カカシは、印象の大半を占める其の渾然一体とした趣を端的に、如何にもイルカの部屋らしいという冴えない形容に圧縮した。 なかでも目立つのは、壁の一面をほぼ塞いでいる白い本棚であった。棚の数は、腰から上の三段を中央で縦に分割して六つある。その全部に、本や書類が整然と立てられていた。奥行きもあり、手前の余った面積に色んな小物が並んでいた。 そうして万遍無く隅隅を視界に入れていた彼は、本棚の空き地を埋める静物に、場違いの角を生やした黒い固まりを見付けて一瞬ぎょっとした。それが、生きているかと見紛う仕上がりだったのである。 「ど、如何して、こんな処に。」 「ああ、甲虫ですか?」 居間と玄関を連結する台所から移って来たイルカが、 「模型ですよ」と補足した。 「へえ。凄い……精巧、ですね。」 「なかなかかっこ好いでしょう。」 「そう、ね。甲虫の……あ、星の砂。」 「え。」 「取って可い?」 「どれでも御自由に。」 保証させて下段から摘まみ上げた方には、小瓶の中身が水平を崩しても急劇な反応を起こし始めやしないか、底を浮かした途端に何かしら罠が発動しやしないかという主意があった。承諾した方は、その注意深さを単なる慇懃と受け取っていた。 小指丈のそれに詰まったぎざぎざの白っぽい粒粒をカカシが傾けると、シャランと乾いた音がする。 「貴方もずいぶんと浪漫的な物を持ってるじゃない。」 そう言う彼の手元を見た所有者は又、「ああ」と肯った。 「有孔虫ですか。」 今度はカカシが「え」と聞き返した。 中段の甲虫と同一の面には、携帯用の筒型望遠鏡と、そのまた隣に意匠を凝らした高級の硯が置かれている。墨を磨る際に用いる、あの硯である。此等の顔触れの共通点を強いて挙げるならば、何れも黒い。だが、だからと云って其々をそこへ態態並べる意義について問われると丸っきりお手上げであった。 整列する小物をもすこし挙げれば、鋭いツマミの鑷子とか、千代紙の折り鶴とかである。然うした一一の組み合わせに、否、それ以前の一個ずつに対してカカシは首を捻る。鑷子なんど好例で、なぜ所定の救急箱なり活躍の域からはみ出した突拍子もないところに配置されているのだかさっぱり分からない。この暈けた土台の上に成り立つ客観的な心情で述べると、前触れも接点も無いとんちんかんな品品の連続をさして飾られていると言明することに、拭い去れないズレを感じた。 直截に云えば配列の趣旨が一般な感性からすれば不明で、脈絡がないのである。カカシは、世の中から風変わりの立ち位置を押し付けられる其の身を以てしても、イルカを相手にすると相対的に月並みの中心点に寄る気がした。 「ん、俺があげたやつ。」 そぼ降る梅雨の季節に、映画館で会った夜のこと、彼は土産のオルゲルを渡していた。それが八月の日ざかりに、瓶の空洞で見事に完成している帆船模型と、構造色が美しいポッペンに両わきを挟まれてちょこんと座してゐた。 「そう。箱が透明で、螺子を捲くと動く歯車が見られるでしょう。そこが気に入ってるんです。」 直ぐ傍で自然体のイルカに目笑されて、びりっと体内を走った緊張とともに、カカシは近接した肌の放熱を感じていた。 自ら見繕った物が相手の元々の私物に迎え入れられ、些とも浮かずに、強烈な明るさで差し込む午後の陽に光っている。 蜜柑色した背表紙の全集の前には、瓶に収まっていない別な帆船があった。くすんだ石ころはよくよく視ると巻貝の形がくっきり残る化石で、黒い小石がサヌカイトの矢尻、筒を覗けば宝石を砕いて作ったみたいな模様の浮かぶ万華鏡で、渋味のある御猪口がバラで一個あり、試験管を挿した試験管立てに、実用性の乏しい小型の青色ランタン、大小二連の風車やごつごつした鉱石が転がっている。 斯様に十人十色な物達に囲まれて満更でもないオルゲルを目撃した彼の胸は、ぎゅうと縮むだけ縮んでひとりでにボンと爆ぜた。それが、自覚の野辺から一瞬で突き放されて対岸の火事となる。めらめらと燃えさかる、尊いものを剥奪したい衝動の滅茶苦茶と、縋る藁の一本も落ちていないきっちりした景色の振れ幅に、カカシの頭は人知れずくらりとした。 4. 瞥見して棚だと思われていた家具は、手前に開いた蓋が天板に変わる仕組みをした一点物の書斎机であった。その上辺の本立てにも、緑がかった半透明な石の四角錐と、六、七寸の平たい木片の回転羽根、それに、一尺強の人体骨格模型がでかでかと直立していた。 一事が万事この調子なのである。総体に整理整頓の行き届いた部屋ではあるが、甲の次へ乙が定着した事由が謎であったり、用途が不詳であったりする物が其処此処にあって、そうした小粒の疑問を逐一列挙していけばキリがない。 書斎机は黒檀で、黒革の椅子が収まってある。本棚は白い。ところが、台所にあった二人掛けの食卓や小ぢんまりした食器棚は、硝子板と金属で作られていた。それに、ここの寝台の骨組も無機的な冷たい鼠色である。ぐるりと見まわした時、枕の上部が柵状になっている其の造りが目に留まり、耳鳴りにちかい硬い音がキンキンと脳内で谺するカカシには、 (拘束具を固定するのにうってつけの形だな。) という活用法がすぐさま浮かんでいた。勿論実行の願望はない。そんな不穏当な分子の混じる秘密は扨置いて、家具の趣味が斯うして不統一をきたしているのは、両親が遺して逝ったのを瓦礫の中から引き取って使っているからだと、後になって彼は知った。 里が壊滅の危機に瀕する事変のあった木ノ葉では、生まれ育った地区から離れた人も大勢いた。カカシとてそうであった。また、イルカの話に拠ると独身寮は家具の大きさと不釣合のために辞退したらしい。 真相はどうであれ、集められた一片一片はばらばらであるのに却って何物も突出して感じない、いわば互いが一つの要素になり合うパッチワークみたいな効力を感じる部屋である。此の家具が、現在のイルカの家族となっていて、彼が帰ると在るこの家具が、一人暮らしの家を心做しか家庭的に見せているのだとカカシは思った。 「どうぞ。」 ドリップで淹れておいた珈琲に氷を落として、イルカが勧めた。カタンと作業面が下ろされる。そこでカカシは、オルゲルと合わせて渡していた或る鉛筆と会遇した。 「有難う」と言葉だけ受けて、筆立てからすっと其を抜き取ってみる。 「あれ、使ってない。」 申し開きをするなら聞く耳を持たぬ私ではないぞとばかり、罪人を咎め立てするみたく横目で睨まれたイルカは作り顔で、 「言い分あってのことです」と、取り繕った。 「こっちはお気に召しませんでした?」 「いえ、そんなこたァないんですがね。」 「なら、使えば。」 「……削ると、ほら、元の形じゃなくなっちまうから、あの、勿体無くて。それで貰った儘にしてあるんですよ、敢えて、さ。」 「敢えて、ねえ。本当ですかァ? どうも胡散臭い。」 「し、失礼な。」 「如何せん『残念』といちゃもんつけられた、此奴と俺にはココロノキズが残ってるもんでね。ま、こんなこったろうと思ってましたよ。」 この鉛筆は天辺に手彫りで加工された木の象の飾りが付いていて、動かすと安い金具でぶら下がる足や鼻がぷるぷると揺れる、素朴な民芸品の出来栄えをしていた。不細工といえば不細工であり、可愛いといえば可愛いと云えなくもない。ただ、はっきりしているのは、イルカにとっては間違っても自分では手に取らない代物だということである。 「やだなあ、カカシさん。其は大事にとってある証拠なんですってば。信用無えなあ。」 「有ると思っていたのが驚きです。」 「……アー……。」 「アンタ、逃げるしね。」 ぎくりとして珈琲を飲む手が止まった相手に、カカシは先日起こった事実を感情の籠らない声で思い出させた。しかし殊更責めようという考えでもないらしく、彼は変化のない語調で鉛筆の話題に帰っていった。 「使ってよ。その積りで選んだんだから。チビになったらまた買って来て上げますからね。」 「ぐ。」 「何。」 「ア、ああ、いえ、はは、なんでも。其奴は、この長さが最適なんです。うん。はい、戻して、さ。こうしてね、飾ってるんですからね、良し、と。」 その返事に不服そうな贈り主から取り返した鉛筆を、イルカはさっさと元の通りに挿して終った。それでも、自分の贈ったものが彼の興味深い空間に溶け込んで見えることに関しては、カカシは非常に満足していた。 「イルカ先生の部屋って面白いね、不可解で。」 丸で成長の軋みに潰し残された童心がその存在をさとられぬよう無意識下を巧みに利用して、本人に選ばせ、好きなものを並べて悦に入っているみたいだとカカシは思っていた。 「秘蔵品なら未だ有りますよ。」 身の丈程ある本棚の下半分は引違い戸になっている。そこからイルカは、厳めしい長方形の箱を引っ張り出してきて、蓋を開けた。 「うわあ、なんですか。これ、楽器?」 蛸の足の吸盤みた様な部品が付いた、細長い筒が入っていた。組み立てると横笛になると言う。 「でも、母の形見なので俺が吹ける訳じゃないんです。昔彼女が滞在していた駐屯地で演奏した、慰問楽団のお姉さんに触発されたんですって。」 そうしてパチリと留め金を掛けて丁寧に、有った戸棚に仕舞い乍ら「これの可笑しい話はね」と、べちだん耳新しい情報ではなかったかして形見と聞いても反応を示さなかった相手に、こごむイルカは話を続けた。「うら若き乙女であった彼女は、ろくすっぽ吹かないうちに習得することを諦めてしまったんです。何故なのか。その弁解がこうです。此の儘練習を続けていたら、頑張れば頑張るほど唇が鱈子になっていく! で、お嫁にいけなくなるって、焦ったのってところで笑っちまいましたよ。全国の奏者に謝れって俺がツッコんだら、女心が解かってないって透かさず駄目出しされました。」 「因みに、こんな箱があることからしてまるまる父には内緒だったみたいです」と動く唇をカカシは見た。 「先生は吹かないの。」 「ええ。俺の趣味じゃない。」 「ふうん。」 彼が距離を測る様に微かに目を細めたのを察して心臓がピクリと小さく跳ねたイルカは意図的に話を逸らし、あらぬ空気を掻き散らした。 「そうだ。そう言や、カカシ先生。」 「ん。」 「貴方の部屋の掃除、多少とも捗りましたか。」 嬲るのが本意ではない。 (好きだから、今以上には歩み寄れない。その俺が気に食わないのなら、他を当たってくれ。貴方を支えられる素敵な人は、必ずどこかに居る筈だから。) 欲しくて手を伸ばしたのに、カカシと居ると時々、封じた世界の昨日と明日が氾濫して、逆流して、漂っていたい心が根掛かりした様に重くなり、息を吸って、吐いている今に安息を感じるとその分だけ彼は辛くなった。 「掃……除?」 「貴方の家の。」 「……。」 「片付けるって、言ってましたよね。」 「き、気が向いたら……。」 「向かなかったんですか、あれから一度も?」 「う。まあ。未だいけるというか、それなりに大丈夫というか……。」 「いい加減で始めなきゃ、片付けに押掛けますよ。」 「はあ。俺の部屋なのに、そんなに奇麗にしたいんですか。」 「……まあね。」 遣り込める積りが痛い指摘を受けて、不利と有利が一気に覆る。イルカの態度は確かに、交流のある人に自分の生活圏を知られたがらないのと同様、他人の個別な能事にも踏み込みたくないというので一貫していた。なのにカカシにそれを適用するとき心は小波立つのである。彼は含み笑いで、蝕まれてゆくのだか新しくなってゆくのだか判然しないけれどもちんけには違いない、転覆しそうな小舟を自嘲した。 「赤裸裸に言やア冷やかしですよ。あんまり汚かったら、一寸見て上がらずに帰るんです。」 「非道い男だあね。」 そんなことを喋って二人は過ごした。 砂時計の砂の代わりに液体が入っている置物を、説明されて試しに引っ繰り返してみたカカシは、色の着いた液がぷくぷくと球になってころころと移動する規則正しい動きに感興をそそられ、話の合間に飽きもせず何度でも上下をさかしまにして堪能した。やがて耳触りの好いイルカの声と、体温が気怠く感じる真夏の気温と、ぷくぷく、ころころと流れる環状の時間に、彼の思惟活動は静かに混濁していった。 (嗚呼、此の声の主を骨抜きにして、アンタなしじゃ生きていけないって泣かせたい。) 仮に、イルカの魔法で人形にされた自分が、何かが全体的におかしいこの空間に属することになったとする。それから、若しかしたら、異世界に迷い込んだかと思わせる部屋の不思議と住人の人物が評価されて、百年後に保存された此処が一般公開されることもあるかもしれない。すると、入館料を払った見学者たちは皆、人形の俺の前で腕組みをし、或いは腰に手をあて、解説の小さい文字をフムフムと一読し、この変な部屋にぴったりだと一様に評して退室してゆくのである。家庭の色味はあっても生活感がないこの家は、丸ごと保存された記念館。俺は動かない展示物。 カカシが半ば夢現のトリップで拘ったのは、門外不出の禁術忍法よりも空想的な、魔法に依るという点であった。 -続- |
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