text_阿+水02
置いては往かない。

side阿部 阿-?→三 水→栄 阿部と水谷

な折れ給ひそ斯の声に、その身焦がさる恋の粉ぞ舞う



―― 前 ―― 阿部と水谷

1.

操縦を乗っ取られたみたいな体を校舎の外壁に預けてズルズル下がったと思えばそのまま頭を抱え込むようにうずくまった、阿部は、得体の知れないムシャクシャした気持ちに胸中をほしいままに這いずり回られていた。

そこは、運動場であった体育の授業が終わって通った中庭だった。
何気なく目をやった教室棟の廊下には、三橋がいた。自分には見せない伸び伸びとした笑顔を、隣を歩く泉に向けていた。それだけのことだった。
二人はそれぞれの手に、同じようなプリントを同じようにヒラヒラさせていた。一階のあんな所を移動しているのなら、職員室ではなく、教科準備室の方に提出に行くのかもしれない。だが、そんなことはどうでもよかった。一番打ち解けなければならないバッテリーの関係をさしおいて、仲良さそうに、対等に笑い合っていると感じた光景に、
(俺のことが好きなんじゃなかったのかよ。)
という気持ちが突発的に胸を衝いた。
(お前は俺が好きなんだろう!)
と、勝手なことを叫びたがる己の心についてゆけずに苛苛した。あげくそうした混乱ぎみの感情がなんの前触れもなく湧き起こってくる自身の近頃に、急に嫌気がさしてしまった。
「クソ!」と悪い口癖が洩れる。
こんな時の自分の顔は一体どんなに酷いだろうと思うと、それを誰にも、まして三橋には決して見られたくなかった。けれどもそんなふうに対象だけははっきりしているくせに、〈それはなぜか〉と理由を考えるたびに行き詰った。
阿部は、フラフラと歩を進めて白い外壁に寄り掛かると、三橋の後姿があった、中庭に面して走るそれに背中を付けた。心臓の辺り一帯が重力以外の別の負荷を受けている気がして堪らなかった。借りてきた他人の物のように、そこだけが自己の支配に反してざわめくと、自分の心臓の池で藻掻くその何物かを摘み上げて身体の外に投げ捨ててやりたかった。
しかし実際の彼は、地底から伸びてきた不気味な魔手に心臓を無理矢理引っ張られるその感に負けて、ただズルズルとその場にしゃがみ込んでしまうより他に仕方がなかったのだった。


(あ、阿部見っけ〜。)
三橋たちが使ったばかりであった廊下に、今度は水谷が現れた。ここはもしかしたら生徒の利用が一番ある廊下なのかもしれない。目指す方向が先程の彼らと逆なのは、これから学食に向かうためだ。
体育のあと、同じ学級の阿部とも花井とも行動を共にせず、早業で着替えて一足先に単身で教室へ引き上げた彼は、財布を持つと上ったばかりの階段を鼻歌交じりの上機嫌な足取りで下りきった。特に何があったというわけではなく、特に何もない時の彼は大抵こんなふうでいる。

主な校舎は、中庭を挟んで平行に建っている。それを垂直に繋ぐ、屋根は付いているが吹き曝しの廊下が、中庭の三つ目の辺を作っていた。それで、上履きで通ることが許されているものの、屋外のコンクリ舗道と言ってもいいようなその外廊下を渡って校舎棟から、三橋と泉の頭が向かいの新棟に、揃って吸い込まれて行くのを、階段を下りてきていた彼は見送っていた。
声を掛け損なったなと思っていたら、立て続けに友人を発見する。先の二人よりもずっと手前に。それが阿部だった。ところが、「あ、阿部も」と思うが早いか窓の向こうに一瞬捉えただけで、その体はすぐさまフレームアウトしてしまったのだ。下に。
水谷は影が沈み込んでいった窓辺に寄ると、えい、と上半身を乗り出した。やはりそこには、どういう訳だかうずくまる人がいた。


「一緒にランチしませんか〜?」
耳慣れた呑気な声に弾かれて阿部がそちらを振り仰ぐと、窓から半身をヒョコリと出して手をヒラヒラさせているクソレフトと目が合った。
疑問を浮かべて当然の現場に出くわして、開口一番「どうしたの」と発してこないこの男のこうした所作を、阿部は鋭いと思わずにいられない。何も訊かない、状況を無視した一方的な誘いはしかし、計算された彼の気遣いに他ならないことは、その眼を見れば阿部には易く窺い知れた。
「水谷のくせに。」
ボソリと憎まれ口をたたいてから立ち上がる。そうして、小憎らしく振られる、差し出されていたその手の平を掴んで、嫌味なほど強く握ってやった。それで相手には十分だった。
少し笑った水谷の心は、出しかけた憂慮の色を瞬く間に仕舞い込み、空いた軒先にはまたいつものふざけた暖簾を掛けて元の通りに戻してしまった。だから、
「惚れないでネ。」
と言ってニハッと愛想を振り撒くと、励ましてやった友からは「SHINE」と返される始末だった。

存分に悪態をつきながらみずから取りにいった手を、他の何かを振り払うように、阿部はまた自分からブンとぞんざいに放したが、
「俺には栄口という天使がいるから……」とますます芝居掛かった身のこなしでもってうっとりと言ってのけているこの男には、なんのダメージもないことだった。
無遠慮に接して差し支えのないことと心得ているとはいえ、阿部の仕打ちに容赦というものはない。
「ホントに気持ち悪い。」
それでも毫も意に介さないどころか、水谷の方では、
「阿部の気持ちには応えてやれないよ……」となおも茶番を続けているのだから、己の態度に上限を設けていないお互いなのだろう。


「お前さ、人の話を聞こう、まず。」
完全復活を遂げた阿部が中庭側から窓枠に肘を乗せて、いつもの調子で水谷を諭しだした。
もう身を乗り出してはいない水谷は、廊下側から窓ガラスに凭れ掛かり、
「ね〜、今日、なんか……カレーでも奢りたい気分じゃない? 俺に」と、気ままなペースで自分の主張を始めている。
「ハ? なんで? 頭沸いたのか?」
「……。」
「……。」
減らず口の友に、彼がジトッとした視線を送る。
阿部はそれをしれっとした顔で受け流してしまった。
すると、またすぐにコロリと相好を変えて水谷が、フワフワと空に浮かぶ雲のように喋りだした。
「ねえ阿部〜、俺カレーライスな気分〜。」
「食えよ、好きなだけ。お前の金だ。」
「元気にしてやっただろ〜、ケチー!」
「タカるな、人聞きの悪い! 俺は元から元気だったよ。」
「こっちの台詞だ、人聞き悪いなもう! 萎みまくってたくせに。」
水谷の言葉を捻じ伏せるように、わざとらしく何かを思い出した演技で阿部は棒読みの台詞を吐いた。
「ああ、それに俺、まだこれから着替えてこないといけないんですよー。」
改めて見ると、確かに彼はまだ体育時の服装のままでいる。
「わあ、ホントだ! そう言えばまだジャージ! ユー早く着替えて来ちゃいなヨ!」
「おー。時間あるようだったら食堂行くわ。」
「はいよ〜、そいじゃね〜ぃ。」
「おー。」



水谷の「そう言えば」攻撃は、この日の夕方、だいぶ時間が過ぎてから起こった。
「ねえ、ねえ」と脇腹を人差し指で何度も突かれ「何してたの、何があったの」としつこく纏わり付かれていた阿部は、とうとうコメカミに青筋を立てて夕焼け空に拳を振り上げた。また今度、昼休みのような変な気持ちに襲われたとしても、こいつにだけは相談しない、と思いながら。










-続-
2.〜3.>
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