text_other02(阿+泉)
置いては往かない。
阿+泉 | 阿←三 | 浜←泉 | 阿部と泉 |
<1. |
な折れ給ひそ斯の声に、その身焦がさる恋の粉ぞ舞う |
―― 後 ―― 阿部と泉 2. 水谷の言葉はあてにならない。昼食は学食にするようなことを言っていたのに、その姿はどこにもなかった。 「ヨース。」 たくさんの生徒で賑わう食堂の片隅にある四人掛に座を占めたばかりの阿部は、声を掛けられて正面をチラと見上げた。そこにいたのはクソなレフトではなかったが、同じ野球部の部員だった。「ここ、いい?」 「おー。」 「他は?」 無愛想な了承を得て、向かいの席を引きながら泉が訊ねた他とは、言うまでもなく阿部と同じ七組に籍を置く花井や水谷のことを指している。 「知らね。」 「そ。」 短く了解した彼自身も、見たところ今日は九組の誰とも連れ立っていないようだった。阿部は、それを珍しいと思った。 「そっちは?」 「俺も一人。」 「珍しいね。」 「そうか?」 なんとなくそう思ったから口にしてみたまでの感想を聞き返されると、正直なところを答える他ない。 「さあ、知らないけど。珍しくねえの?」 (知らないってなんだよ。お前が自分で言ったんだろ。) 相手の無責任な言い方にいささか引っ掛りを覚えた泉ではあったが、 「……まあ、言われてみれば珍しい、かな。」 話しているうち、自分も存外適当な物言いをしているということに思い当たり指摘は止した。 それから、何か話し掛けるのがいいだろうとそれぞれにあれこれ話題を思い浮かべてみるものの、どれもこれも相手が乗ってくる想像が付かないばかりか、そもそも話を振ろうとしている自分自身がさして興味もない事柄ばかりで、泉と阿部は、どちらも飯を運び入れる以外には口を開けずにいる状態で数分を過ごした。 しばらくして、一つ乗せるとそれだけで匙が一杯になるぶつ切りの根菜をカレーの皿から掬い上げ、口内に招き入れるべく大口を開ける阿部を見ながら泉はふと、前からぼんやりと心にあったことを投げ掛けてみた。 「阿部はさ、」 「ン?」 「三橋のこと、好きじゃねえの?」 ゴボッと変な音をさせた後も、阿部はゴホゴホと激しく咽せ返り続けている。 そうさせた張本人は、まるで他人事のような視線で一瞥したぎりそれが治まるのを自然に任せ、自分は表情も変えぬまま黙々とオムライスを食べ進めていった。 水を咽喉に流し込んでハーと息を整えつつ、阿部は内心答えに迷った。 眼前の男は三橋の側に立つという、その位置を日頃から明確にしていたから、そんな彼から暗に責められることにはもう慣れていた。ただし、それはあくまで阿部の気持ちが三橋に向いているという前提があって成り立っているものだった。その大前提の部分を彼は、今更ながらに確認してきたのだ。 これまで阿部は、その点については強い否定も、はっきりした肯定も示さずにいて、それに関する判断は第三者や三橋本人の自由に任せていた。どうする気もなかったが、それ故に、どうとでも転がっていけるように。好きでもなんでもないという否定に回れば当座の風当たりを無くすことは出来るだろうが、それは最良の策ではないと考えていた。だからといって、相思相愛ですなどと肯定してやるほどの意思もない。彼は、少なくとも三年のあいだは他の部員にも三橋にも、適当に合わせたり流したりして無用な波風を立てないように過ごすと決めている。 事はそう単純な様相をしていない、誰の立場で臨んだとしても。 「そんなん、お前に言うことじゃねえよ。」 答える目は少し機嫌が悪そうであった。 不穏な空気が流れたのは、その目付きが阿部だけのものではなかったからだった。 野球の話は楽しいが、世間一般の雑談は煩わしい。今のメンバーで、いい状態で野球はしたいが、それ以外の騒動には興味がない。そんな料簡でいる阿部は、どちらかといえば泉も自分に近い人間だとどこかで勝手に思い込んでいた。 確かに今のように三橋に関する件ではいちいち圧力を感じもする。が、それも友達思いといってしまえばそれだけのことで、興味本位とは受け取れず、彼が自分から、例えば、浮かれて色恋の無駄話に花を咲かせている姿など、阿部は目にしたことがなかった。水谷なら想像も容易いが、そういえば泉が自身の話をしているところには一度も出くわしたことがない。 (こいつとこういう話をするのは、三橋が絡んだ時だけだな。) そう思った時、思考の先で何かがパッと光を放った。 「泉って、もしかして好きな奴いる?」 一瞬言い当てられたと思った背中に、冷や汗が伝った。彼は普段から、自分の想いが他人に覚られることのないよう常に意識を張って生活している。だから、恋の話に関わらず噂話から怪談まで、お喋りを始めとする人との交流が大好きな水谷あたりの追及から逃れる術には長けていた。ところが、ここに思いもよらぬ伏兵がいた。絶対に人の恋模様に首を突っ込まないと思っていた人間から矛先を向けられて、密かに気が動転する。それで、とりあえず冷静になる時間を作るためだけにゆっくりとオムライスを咀嚼した。 情緒に疎い阿部は細事に頓着しない性格も手伝って、いるんだか、いないんだか、正解を見極められずにいる。どちらにしろ、どうだっていいことに違いはないのだが、閃いた自分の解答が合っているのかどうかを単純に知りたかった。そこで、ルーを集める己の匙を目に映しながらもう一歩踏み込んで、その自分なりの答えを発表することにした。 「三橋だったりする?」 聞いた途端に泉の、人知れず緊張していた筋肉からは一気に力が抜けていった。オムライスを嚥下するのに喉仏がゴクンと上下する。 「……鈍いだけならまだしも、とち狂っていやがる……もう救いようないぜ、阿部。」 脱力して溜め息混じりに宣告してやると、初めて耳にする異国の言葉で話し掛けられているような困惑の顔付きで、 「何言われてっか、全然分かんねえんだけど。」 と、的外れの推理を披露した重症人が答えた。 「だろうよ。」 そうした事柄に疎いという地点に留まっているにすぎないのであれば、その現在地を教えてやればよい。先に広がる景色に気付かせてやれば済む。だが、狂った方位磁石の針を信じてあらぬ方向に独り勝手にずんずん進んでいってしまう場合、厄介だ。泉は、こういうのを恋愛音痴というんだ、と一種白けた目で対面の野球馬鹿を眺めた。 「いや、だってさ。三橋、三橋ってあいつのことになると、やたら俺を目の敵にしてくるだろ。」 「皆、お前より三橋の方を可愛がってるだろ。」 「そりゃあそうなんだけど。なかでも顕著っつうかさ、泉は。」 そう言ったあとで「ごちそうさま」と続けた阿部はコップの水をゴク、ゴクと飲んだ。 こちらもきれいに平らげた、プラスチックの皿に視線を落とした泉は、一生懸命な三橋の姿を思い浮かべた。三橋を思い浮かべながら、全く別の人を想った。そうして、自分の胸の内を覗いてみた。 「三橋を、……不安にさせんなよ。あんまり、さ。」 迫るとはぐらかすくせに手許に置いて浅はかな餌をちらつかせる、その態度が誰かさんにそっくりだという感想で向かいに座る男を見遣り、彼はそう呟いた。 阿部は億劫そうに首元に手を置いて、 「大事にしてやろうとは思ってるよ」と返した。 やけにあっさりとなされた、耳にした者が小っ恥ずかしくなるような表明に、発言の真意が伝わっていないことを察した泉は思わず机の下で拳を握る。 「お前が言ってるのって……、だからさあ、前から思ってたんだけど、意味が違ぇんだよ。こう……、さあ!」 「あ?」 「フィジカル面の話をしてるんじゃなく……ていうか、よくそんな恥ずかしいこと言えるなお前。まあそれはどうでもいいんだけど、だから……あ。」 「え。」 「リンゴ食わねえの?」 「……は?」 「いや、リ、ン、ゴ。」 泉は、さっきまで振るっていた熱弁などまるで端っからなかったかのような真顔でもって向かいの盆に載る小鉢を指差している。そこに、リンゴの薄切りが残っていた。 阿部は、内容も話し振りも、何もかもがいきなりがらりと切り替わったその様子に慌てて付いていった。 「あ、ああ。」 「なんで?」 そう尋ねる彼の顔付きからみて、今や注意の照準は爽やかな甘みの果実に逸れている。阿部は、訊かれたことに素直に答えた。 「サラダに入ってるのが嫌だから。」 「へー。」 「……。泉は?」 「サラダのリンゴ? 平気。」 「ふうん。……食う?」 さすがに馬鹿にするなと怒りを買うか、話を元に戻されるかと覚悟しつつ分かり易すぎる逃げ口を利いたつもりでいた。ところが、意外にも泉が「ん」と言って両唇をパカッと開けたものだから、戸惑ったのはむしろ言い出した阿部の方だった。 「食うんだ。……え、食わせろってこと? それは。」 「だって俺、スプーンしかねえし。」 「そうね。」 どういうわけだかそれで納得してしまったらしい彼はフォークを持って小さなリンゴを刺すと、再びパカッと開いて待機していた暗がりに放り込んでやった。泉の口の中で薄切りのリンゴがシャリシャリと鳴る。 「ウマイ。」 「へえ。」 彼らは淡淡と二遍ほどこの遣り取りを繰り返した。そしておそらくほぼ同時に、 (あ、これ「アーン」ってやつ?) ということに思い至った。すると自然に目が合い、それからこの二人にしては珍しく、どちらもが声を出して派手に笑った。 3. さて、学食の出入り口の脇に設置された自動販売機まで飲み物を買いに、四階から地上へと降り立った三橋は、どこかに級友の泉が見えはしまいかと思い、何の気なしにガヤガヤした広間を見渡していた。すると、出入り口には背を向けて座っていた泉を認識するより先に、誰かと和やかに昼食を摂っている阿部を見つけてしまった。反射的に目を逸らして、その一時が頭に残らないようにする。連動した動きで踵を返して退きかけたところに、買いたての紙コップを持った浜田がいて危うくぶつかるところだった。 二人は、一緒に教室を出てきていた。テトテトと横に移動して行った三橋に、先に目的を果たした浜田がいつの間にか歩み寄っていたのである。 「三橋、ジュースは?」 「い、いい……要らな、い。」 返事を聞いて一呼吸置くと、上背のある彼はやや高いところから「……帰ろっか」と柔らかに言った。心変わりの理由を問われなかった三橋はチラリと上目を遣った。 「教室、帰ろっか。」 優しそうに微笑む浜田は、もう一度三橋を促した。 三橋は知らない。 すっと背を向けて歩きだした男の、目のずっと奥底に微かな翳りの差したことを。 そんな浜田の一歩後ろに付いて階段を上がる三橋は、戻った教室で田島に話し掛けられるまで無言でいた。しかし、その心はいつまででも阿部を呼んでいた。誰かに笑い掛けている、阿部の心を呼んでいた。彼の心は唯、阿部だけを呼び続けている。 終. |
阿部と泉は会話が続かない罠。 |
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