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置いては往かない。

阿部視点 阿←三 デートしようよ;映画に行こう

化石になっても君の傍で



1.-阿部の回-

部活が終わって、
(クソあっちぃな!)
と思いながら半袖のシャツをさらに肩口まで捲り上げた俺は、さっさと帰ろうと部室のドアへ一歩を踏み出した。その矢先、後ろから不意にシャツを掴む奴がいる。振り向かなくとも分かる。三橋だ。

嫌な予感はしていた。何か言いたそうに、用事のあるそぶりで、だけどきっかけを作る勇気が出ないのだろう、チラチラ、チラチラと今日の三橋はずっと俺を気にしていた。俺はそれに一日中イライラ 、イライラとさせられていたがろくでもないことに巻き込まれて疲れ果てている自分の姿が脳裏を横切るものだから、あえて「どうした」の一言も言わずに今の今まで放っていた。そうしてこのままとっとと帰ってしまおうと思っていたのに、とうとうここにきて奴は俺のシャツを掴んできたのだ。

深い呼吸を一つした俺は、覚悟を決めて振り返る。
「何。」
愛想がないことは、この際大目に見て欲しい。
「あ、あのねっ。阿部くん、あの、明日、ヒ、ヒマです……か!」
それが言いたかったのか。
一日中モヤモヤしていた用件の輪郭をようやく捉えることができた。俺の心は、数学の計算問題が一問解けたときのように少し片付いた。だけど、どうしてそんなことくらいがなかなか言い出せないのだろう。俺にはない感覚だから、そこのところはまったく分かってやれずにいる。

「暇っちゃ暇だよ。なんで。」
「あ、あの、明日、え映画……行き……たい!」
「うん。……いいんじゃねぇの。」
「ホ、ホント?!」
「ああ。なんで?」
行けばいいだろう、映画くらい。
明日は練習のない週末だ。好きに過ごせばいい。俺から了承を得る必要が一体どこにあるのだろうか。まだ余力のある時なら、手探り状態で歩み寄ることも、忍耐強く待つことも試みるが、今はもう本当にクタクタで、三橋には悪いがダベるよりも早く家に帰って寝てしまいたかった。

「オレ、ね、観たい映画があるんだ……よ。」
「ふーん。」
「っ……、」
「ッ?」
(なんなんだ、見ているこっちがもどかしい気持ちになるその……妙な表情は!)
思わず、ぐっと拳を握ってしまう。


と、周りからの視線が自分に集中していることに気付いた俺は、個々に帰り支度を進めていた奴らをぐるりと見渡してみた。一様に不自然な顔の背け方で素知らぬふりをする。どいつもこいつも大根役者だ。田島だけはそんな状況はお構いなしで、横に居る花井の顔を覗き込みながら何かを懸命に口説き続けていた。
そんな二人のさらに横で、俺と同じように早々と帰り支度を済ませた格好でカバンを担いでいるのは泉だ。目が合った瞬間、彼の口が素早く動いた。
(――i、e。)
イエ……、キケ? いや……イケ、か?
音を乗せない口だけの動きでは何を伝えられているのか判然しなかったが、それと同時に顎先をクイッと小さく動かして指示をするその身振りは、確かに何かしらの行動を催促していた。

泉はこんなふうに、普段から何かにつけて俺と三橋をくっ付けたがっていた。正確には、どうやら俺たちは既に〈相思相愛〉の仲で、その上で単に俺が〈冷たい相方〉なのだと思っているらしい。だから、もっと三橋に優しく接しろ、という厳しい視線をしょっちゅう俺に向けてくる。
面倒臭いゴタゴタを最小限に抑えて野球がしたい俺は、三橋に向き直る。
「あー、えっと? 三橋の観たい映画って、何?」
これでいいですか、泉さん。

「はっ、あの、甲冑着ててね、大軍でバーッて戦って、剣を持った人がCMでウオーッてやってる、……タ、タイトル、忘れちゃっ……っ……!」
「ああ、知ってるそれ、ええっとなんだっけ? いまCMでやってるやつな、中世の話だろ?」
「う、うん! 阿部くんもそれ、観たい?!」
「あー観たい観たい。すげえディテールに凝ってそうだったもん。」
「よかった! じ、じゃあ、明日、ね……!」
「あー……、あ?!」
「っ!」
俺の声に三橋が肩をビクリとさせたが、驚いたのは俺の方だ。
(明日って何? 俺も一緒に行くの? え、それって他に誰か参加すんの?)

「ダ、ダメ……です……か……?」
「いや、駄目とかではなくて……、」
「じゃああの、明日……十時に、い、一番ホームで待ってる……ね……!」
「みは」
し、を言う頃には三橋はドアノブを回していて、そのまま転げるように部室から出て、帰ってしまっていた。


(――どこの駅の一番ホームだ!?)
思わず額に手を当てよろめくと、背中を軽やかにポンと叩かれた。
「……泉。」
「明日はデート、だな。」
そう言う顔が妙にキリリとして見える。
「お前ら一人も参加しねえの?」
「参加って! んな野暮な真似、しねえよ。」
どこにそのスイッチがあるのかはいまだに解明されていないが、こんなふうに、何かの世界に陶酔しているらしい時の泉はやけに漢らしい顔付きになる。しかし、そんな面持ちも今の俺からすればただ憎たらしいばかりだった。



結局俺は、家に帰ってから三橋のケータイを再三鳴らして明日の予定をどうにか立てる羽目になる。
居間のソファで寛いでいた弟からは「うるさい、あっち行け」と罵られた。そりゃあ、テレビを見ている隣で電話をしていた俺も悪い。だけど、三橋に電話をするためにわざわざ二階へ上がるのが面倒臭くて、そんな気力も残ってなかったのだから仕方ない。それに居間は皆が集う場所だ。
そもそも「俺だって、したくてしてる電話じゃない」と思うと無性に腹が立った。なので、横に座っていた弟のコメカミに無言で一発肘鉄を入れてやった。そしたら、すぐさま脇腹に容赦のない無言の蹴りが一撃返ってきた。弟って生き物は、兄ちゃんがしてやってる手加減ってものを理解していないから嫌なんだ。反射的に舌打ちが一つ出る。
「あー、ごめん、聞いてるよ。お前にじゃないから。」
電話の向こうで不安の気配をみせる三橋には相槌とフォローを返して、人のことを足蹴にする弟の、その足首を掴むと力任せにぐいっと引っ張ってやった。「わあ」なんて声を出すから、怒られたのはまた俺一人だ。
ハイハイ、分かってます。兄貴ってやつぁ割に合わない商売だ。

俺はこの夜、不貞寝した。










-続-
2.>
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