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置いては往かない。
三橋視点 | 阿←三 | デートしようよ;迷子と騎士 |
<1. |
化石になっても君の傍で |
2.-三橋の回- 朝です。土曜日です。 たった今、オレは、ショッピングモールへの連結通路が目の前に伸びる、でっかい駅の北口で、改札機に切符を吸い込ませることに成功しました。電車に乗る時は、入れた切符が出てくるので取り忘れに注意です。だけど、こうやって駅から出るときには、切符はもう戻ってこないので、受け取ろうと手を出してスタンバイしちゃうと恥ずかしいことになるからそれはそれで注意です。オレのすぐ前で切符を通して出た阿部くんは、そんな罠には引っ掛かってなかったです。 さすが阿部くんです。 今日は、ショッピングモールにある映画館で映画を観ます。昨日、オレが決死の覚悟で誘ったのです。成功してよかったです。なにしろ決死でしたから。 「三橋ー、足元ばっか見て歩いてっとはぐれんぞ。」 さっそく遅れを取ってしまいましたが、阿部くんは待ってくれるから優しい人です。 「はぐれたらその時点で解散な。俺はその時点で帰る。」 「え!?」 「え、じゃねえ。いちいち探したり待ったりしねえからな。嫌なら俺を見失うなよ。」 「あ、う、うん!」 阿部くんを見失ったら、オレはもう終わりです。死ぬまで見失わないぞ。今、誓うよ――阿部くん! そうして急いで阿部くんに追い付きました。陸橋を渡って建物に入ったから、ここは二階です。 「阿部くん阿部くん、え、映画館、四階……だよ……。」 「ふーん、じゃあ三橋、四階押して。」 顔も上げないまま、どこかでいつのまにか取ったらしい施設案内だか何だかに目を通している阿部くんに頼まれて、オレは乗ったエレベーターのボタンを押しました。 阿部くんよりも先に役立つ情報を見つけられた、オレに一ポイントです。そしてボタンを押すという大役をこなしたオレに、もう一ポイント。なんのポイントかは聞かないでください。だって、オレにも分からない。 そうこうしていたら、ドアが開きました。阿部くんをコッソリ見ているあいだに到着してしまったようです。 「……三橋?」 「……はい。」 「ここ、一面駐車場の雰囲気だけど?」 「……う……ん?」 「お前、何階押した?」 「よ……っ」 「……。」 「……。」 二人で、並んであるエレベーターを振り返りました。二機の扉が数字を挟んで閉まっています。 「五階、だな? ここは。」 「ご……、オ……、」 「まあいいや、どうせ一階下なだけだろ? あのエスカレーターで降りようぜ。」 「うあ、阿部く、ごめ、」 「アーいい、いい。」 すぐに阿部くんの背中を追いかけようとしたのですが、そんなオレの視界の端っこに、泣いている女の子が突然ズバッと入ってきました。 「……!」 オレは、行きかけた体をクルリと返してエスカレーターとは逆の、駐車場と館内とを隔てている自動ドアの方に向き直って辺りを確認してみました。彼女は、一人です。一人ぼっちで、涙をボロボロこぼしながら下を向いて、チョボチョボ近付いてきます。聞いた瞬間にオレの心臓もグシャっとなるくらい、潰されそうな声で「おかあさん」と呼んでいます。迷子でしょうか。 困りました。 オレは上手く人と喋れないから、きっとそんな人間に話しかけられてもこの子はもっと泣いてしまうだけだと思うのです。だけど。 一人じゃ、心細いよね。独りぼっちで流す涙って、絶望的な気分になるし。縋るものがなんにもなくって、これがオレだったら今頃パニックになっちゃってるよ。誰かと一緒にいたほうが安心するかもしれない。たとえそれがオレなんかでも、こんな時なら、ちょっとくらいは心強いかもしれない。オレだって、この子よりは長く生きてます。よし! オレ、困ったけど、がんばろ! がんばる……ぞ! 「ど、どうしたんです、か。」 「うえああー!」 「……まい、ご……?」 「うえあああー! っえ、っえ!」 ――オレ、渡れもしない橋に足を掛けてしまったかもしれない。 「お、おかーさん……は? いなくなっちゃった?」 「っう、ううっ。」 あ、頷いた! やっぱり迷子なんだ。だけど、そうと分かればもう安心です。 「だいじょうぶ、だよ! おかーさん、見つかるよ!」 「うっ、えああー!」 手を、握ってあげよう。ギュって、しっかり握ってあげよう。 「一緒におかーさんを呼んでもらえる所、行こう。お兄ちゃんがいるから、だ、大丈夫だよ!」 そう、オレじゃあ頼りないけれど、オレたちには阿部くんがいるから! ね、あべく……。 あ……。 ……。 阿部くんが、いない……。 え? 阿部くん……? あれ、阿部くん? 阿部くん、どこ? オレ、まさか阿部くんを見失って……。 大変です。 オレ、迷子になりました。 まさか迷子と話しているあいだに自分も迷子になるなんて、一体誰が予想できたでしょうか。事実は小説よりも奇なり。まさかのダブル迷子です。オレは自分の迂闊さに血の気が引きました。 この子と話しているうちに阿部くんはエスカレーターで先に降りてしまったのでしょうか。オレは一気に不安になりました。阿部くんと一緒に居ると思っていたから、調子に乗って迷子に声を掛けたりしたのです。 『はぐれたらその時点で解散な。俺はその時点で帰る。』 『一々探したり待ったりしねえからな。』 オレも泣きそうになってきました。いえ、この子の手前、泣くわけにはいきません。がんばります。がんばりますが、ちょっとパニックになりそうです。阿部くんとはもう、一生会えないのでしょうか。 「うっ、ふえっ!」 「だ、ダイジョーブ、ダイジョーブ! い、行こう! い、行こ、う……。」 オレは握った手を離さないで立ち上がると、とにかく歩きだすことを決意しました。その時です。 (阿部くん――!!) 迷子の手を引いて降りのエスカレーターへ歩き始めたオレの目に、神々しい後姿がだんだんとせり上がって見えてきました。アルファベットの大文字のエックスのような形になっているため、逆方向の登りエスカレーターを使って戻ってきてくれた阿部くんの背中が、オレの視界にちょっとずつ入って来たのです。 「あ、お、お兄ちゃんが来たからもう大丈夫だよ! ホラ! あのお兄ちゃん!」 興奮気味に、女の子を励ましました。と、言うより、興奮した勢いで誇らし気に紹介していました。 この時の阿部くんの背中を、オレは生涯忘れません。なんて格好いいのだろうと思いました。そして、その背を見た瞬間に阿部くんだと気付いたオレは、なんて阿部くんのことが好きなのだろうと思いました。向こう側に降り立った阿部くんは、クルリと向きを変えて颯爽とオレの所へ迎えに来てくれました。 「ったく、お前はー! 三橋ー!」 「阿部くん! ごめんなさい。ま、迷子の子がいてね、この子と話してたら、」 「バカ! そんでお前もはぐれてんじゃねえかよ、探さねえつったろ!」 「ご、ごめんなさい。」 阿部くんの顔はけっこう怖くて相当怒られているなと思いましたが、それでもオレは嬉しくって嬉しくって、その声を聞いているだけですごく元気が湧いてきました。 「で。……なに、迷子?」 「う、うん、そうみたい。ね?」 「っえ……うう……っ!」 「そのへんにいねえの、親?」 「いない、みたい……。」 「じゃ総合案内所か、なんかそういうトコ行くぞ」と言って、阿部くんはオレたち二人の少し前を一人、歩き始めました。迷子ちゃんとオレは、今度は見失わないように、阿部くんの乗ったエスカレーターの次の段にしっかりと乗り込みました。 「阿部くん、戻って来て、くれた……。ありがとう。」 「信じらんねえよ、お前。俺が段に足乗せて何気なく振り返ったら、早くももう何かに気を取られて立ち止まってんだもん。」 「ま、迷子の、」 「アーはい、はい。分かったから、もういいよ。」 迷子ちゃんは無事に受付のおねーさんに引渡しました。それから、予定通り映画を観ました。終わってから、少し遅めのお昼ご飯を食べました。その最中、ずっとオレの頭には、強く焼き付けておいた儚い情景一つしかありませんでした。 さっきからオレの胸は、その時に噛み締めた刹那の仕合わせをオートリバースでなぞり続けています。 小さな子の手を引いて、前を歩く阿部くんを見ました。 きっと同じこの光景を、幾年か後には貴方のオクサンが見ているのだろう、と思いながら。 例えその人が、今のオレとは違う気持ちでこの景色を目に映していたとしても、オレの今感じている、この何倍もの仕合わせに、その人は包まれているだろうと思います。 自分の子どもの小さい手を引いて、今よりもずっと大きくて広くなった貴方の背中についてゆく。貴方は、後ろがはぐれないように時たまそうやって軽く振り返っては距離を確認して、歩調を合わせていてくれる。今と変わらない、優しい貴方の空気に包まれて、家族は雑多な世界の中を、自然な流れで進んでゆく。羨ましいほど、眩しいワンシーン。そんな、オレでは適わない未来が、ひっそりと誰かを待ち続けている。 これは貴方がいつか選ぶ、その〈誰か〉のために用意されている光景なのでしょう。 そうして、その〈誰か〉は、〈オレ〉じゃない。 オレはそのプレ段階をたまたま覗かせてもらえたにすぎないのでしょう。 これは、貴方と家族になった人だけが見ることを許された世界なのでしょう。 オレには、見ることを許されない貴方の背中があるのです。 だから、強く焼き付けたのです。この時の、少し前を歩く阿部くんを、己に強く焼き付けたのです。そうして、やりきれない気持ちはこそぎ取って、仕合わせな気持ちだけを胸に仕舞い込みました。それくらいなら、赦されるでしょうか。嗚呼、こんな擬似的な一瞬の錯覚を大事にすることしかできないなんて。 オレは、「好きだ」と思うたびに悲しい気持ちになることを知りました。 -続- |
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