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置いては往かない。

阿部視点 阿←三 デートしようよ;三橋とミハシ

<2.
化石になっても君の傍で



3.-阿部の回-

三橋の様子が、どうも変だ。

行きの電車ではあんなに「ポップコーン、ポップコーン」と言っていたのに、映画館に入って売り場を指さしてやると「いらない」と言う。いつもは落ち着きなくソワソワとした動きをみせてばかりいるというのに、半券に刷られた指定の座席に辿り着いてからも妙に大人しいままでいた。
上映中、何度かそれとなく横目で確認してみたが、三橋が映画に集中していたのかどうかは怪しいところだ。ずっと正面を向いていた三橋の目はどこか虚ろに思われた。三橋の異変が気掛かりで、正直なところ映画をしっかり観ていなかったのは俺の方だった。

照明の戻った劇場から、三橋が「トイレ、トイレ」と言いながら走って出ていった。俺は、それを待ちがてら売店で今日観た映画のパンフレットを購入した。


三橋の機嫌に関しては飯でも食えば回復するだろうと予想していたが、その期待は大きく外れた。
皿の並ぶ卓を挟んで座っている今だって、スプーンをモソモソと動かしてはまた止めてガラス窓の向こうにある中央の吹き抜けを力なく見ていたりする。
「三橋。」
その皿の中身は、まだ食べるのかもう食べないのか、一体どっちなんだ。
「……三橋!」
二度目の呼び掛けで目が合った、途端に俯かれてしまった俺は自然苛付き始めてしまう。
「なんなの、お前。調子悪いのか?」
「そんなこと……ない、よー……。」
「ああ、そう。食うのか食わないのかどっちなんだ、それは。」
「た、食べるっ。」
「なら弄り回してないで早いとこ食っちゃいな。んで、店出たら解散にしようぜ。」
「え。」
「あ?」
「っ……、」
(出たよ、見ているこっちがもどかしい気持ちになるこの……妙な表情!)

今度は俺が三橋から目を離して、往き交う人の絶えない通路をぼんやりと眺めることにする。
「俺といたって盛り上がらねえことくらい分かんだろ? なんで誘うんだよ。」
「……っ、」
(ああ、今のは流石に言い過ぎたか。)
そう思って三橋に顔を戻してみたら、彼の双眸には早くも涙の膜ができ、白い明かりをユラユラと光らせていた。
(ヤバイ、泣かせた。)
焦るも時既に遅し。
彼が瞬きをした弾みで、溢れた涙はポツリと毀れ落ちた。これだけ人目のある場所でも、こいつは泣くんだということが分かった。
「三橋、泣くなよ。今のは俺が悪かったって。」
「っ、あべくん……は……悪くない……よ……。オ、オ……レ……、」
「いいよ、ごめん、俺が悪かったよ。なあ、俺が泣かせたみたいだろ、泣くなよ。」
俺は頭をガシガシ掻いた。出そうになった舌打ちの癖をすんでのところで堪えたのは、みたい、ではなく事実そうだったからだ。代わりについた溜め息は、自分に対するものだった。
「ごめ……困ら……せて、ごめ……、」
「困ってない。困ってないぞ、三橋。」
ガラス窓の外からも店内からも視線を感じるのは、きっと気のせいなんかじゃない。
「こちらお下げしても宜しいでしょうか?」
(このクソア……いや店員さん、何も今来ることはないと思いますよ。)
顔面が痙攣しそうになるのを感じつつも三橋にまだ食べるのか聞くと首だけ振ったので、「はい」と代わりに俺が答えた。ジロジロ見られるこの恥ずかしさにもそのうち慣れていってしまうのではなかろうかという一抹の不安が心をよぎる。


そもそも三橋は泣き方が大胆だ。両腕で顔を囲い込んだり肩の辺りで涙を拭おうとするから、よけいに人目に留まってしまう。そのくせ本人はこれでも必死に堪えているらしい、その様が、俺にはいかにも幼稚に思われる。なんにせよ、
(このままの状態で放って帰っても――)
こいつは家まで帰り着けない、という気がする。
途中から三橋が愚図りだした理由がはっきりしないのは腑に落ちないが、その原因究明よりも目の前のこの現状をどう回復させるかの方がより重要だろう、と俺は自分に結論付けた。

「三橋、体調悪くないなら甘いもんでも食うか?」
「……、いい。」
目玉を右へツー、左へツーと動かした変な間のあと、首を振られてデザート作戦はあえなく失敗。
「そう、あー、じゃあ、とりあえず出るか。お前、どっか寄りたい店ある?」
「……阿部くんあのね、」
「うん、どこ。」
「オレ、今日のこと、……ずっと……、……忘れないでいても、いいと思う?」
場所を移そう作戦で腰を浮かせた俺の動きも、彼が自身の変な指先の仕草を見詰めながら呟いたその言葉によって頓挫した。
俺には多分永遠に見通せない、三橋の特殊領域があるとするならそれが此処だ。突然の乱気流に飲み込まれた飛行機に乗っているような、そんな気分に陥ってしまう。
「は?」
「……な、なんでも、」
「……あー、」
「……ナイ。」
「……そうね、……いいんじゃないの。」
「……、」
「……。」
「ウン。」
様子を探り探り提出したこの解答は、こいつの合格点を越せていたのだろうか。やっと微かに、三橋が笑った。

「なんだよそれ。また来りゃいい話だろ。」
脱力して俺が言うと、「ウン」とまた同じ調子で小さく相槌を打たれた。
席を立ち、反省の意味も込めて、まあお前が良ければだけど、と付け足したら、後ろで、
「ウン。……ウン。」
と、最後は何かを噛み締めるように呟かれた。
どうやら自分の答えが、優良可で評価したならきっと可であろうことくらいは俺にも推測できたが、所詮俺の浅慮なんかでお前の世界にゃ太刀打ち出来ないよ、なんて、皮肉屋になって今回の謎の意気消沈事件には一応の幕を引いてみる。


そんな訳で会計を済ませて飯屋を出た時、俺は「あ」と、あることを思い出した。
「なあ、二階にペットショップあったよな?」
「う? ん。あった、かな……。」
「俺いまからそこ寄りたいんだけど。お前も行く?」
「ペッ、ット……!」
「そう、……なんだよその反応は。」
「オレ、は……外で待ってる。」
目を見開いたかと思えばだんだんに声は萎んでいって、語尾も消え入りそうになる。
(よし、意味不明。いつも通りだ。)
一安心してから、返事した。
「動物もそりゃあいるだろうけど、水槽もあるみたいなんだ、そこ。」

迷子を二階の総合案内所に連れて行った時、奥に店があることを発見していた。階のy軸でいえば今いる場所の二つ下、x軸の位置だけみれば映画館と同じ場所だ。建物のど真ん中に設置された総合案内所の背後で黙々と稼動しているエスカレーター群のその先にある。入り口付近には遠目にもそれと分かるいかにもらしいペット用品の数々が並んでいたが、続く左の大きなガラス壁の向こうにはいくつもの水槽が見えていた。

「カルキ抜きと、あと餌も買って帰りたいんだよ。」
「カル……キ?」
「今、家に水槽あんだ。つっても、いるのは熱帯魚じゃなくてただのモクズガニとかザリガニとかなんだけどな。皆どっかで捕って帰ってきたのを放り込んでいくんだよ。」
「す、すごい。」
「三橋、魚なら大丈夫だろ? 行くか?」
「い、行く!」



ペットショップに入ると、三橋は意気揚々と水槽のある一角に駆けて行った。きっとあいつはそこから動かないだろうと勝手に決めて、俺は棚のあいだを餌の入った黄色い筒を探して回った。目当てのものはすぐに揃ったが、そのあとも何気なく商品の列を移動して、濾過バクテリアと書かれた筒やら、竹墨フィルター、蛍光灯、素焼きの小さな土管なんかを目に入れて歩いた。品揃えが豊富で、近所にあれば便利だろうなと思った。
最後の棚までくると、隣に続く小動物エリアの、ペットショップ特有の臭いが鼻を掠めた。今まで棚を眺めてきた流れでもって自分のすぐ横にあった透明な箱にも目をやった。
俺は、思わず固まった。イヌでもネコでもなく、そこにいたのはウサギだった。そのウサギの色が、三橋の髪色に酷似していた。そいつを見て、こんなふうに瞬間的に(三橋)と頭に浮かんでしまった自分に、俺は思わず固まってしまったのだ。
(いや、そこに可愛いとかいう意味合いは一切含まれてはいないがな。)
誰に対してなのだか分からない弁明をしておいてから、自分の直感を見極めるべく、俺はウサギの箱を体の正面に捉えてしゃがみ込んだ。


今まで俺は、
(三橋を例えるなら、小動物より虫じゃないか?)
と思っていた。最近密かに似ているなと思っていたのは、タガメなくらいだ。

箱の隅に貼られた紙には、「ネザーランドドワーフ。オレンジ。」という店員手書きの文字がある。それに「六千円。大きくなったため。」と続けられていた。
(お前、ここまで育っちゃう今までこうして売れ残り続けてきたのかよ。)
俺の胸に、ジワリと憐憫の感が滲んだ。
(六千円だってよ。大きくなっちゃったから、だって。)
値段の相場は知らなかったが、元値より安くされていることは明白だ。
そのウサギは、どこだか知れない一点をじいっと見詰めながら自分の下に敷かれた干草をモソモソ、モソモソと食んでいる。それを見ていた俺の頭には、さっき目の前で昼飯を食っていた三橋の映像が蘇ってくる。
(タガメだと思っていたのに、あいつはウサギだったのか。)
口に物を含んでいる時の妙に素早くて回数の多い小刻みなその、筋肉の使い方がそっくりだ。
何に注目してどこを見ているんだかはっきりとしない、不思議な視線も似ている気がする。


俺はすっくと立ち上がると、他の箱も覗いて回った。
ミハシ(仮)よりももう一回り小さいウサギが、奥の箱で丸まっている。そいつもミハシ(仮)と同じように三橋の髪の色をしていた。きっと同じ種類なのだろう。だけど別段、そいつには何も感じなかった。
その横はハムスターの箱だった。上に乗せられた籠にインコがいる。人一人が通れる幅をあけて箱の横に設けられた柵の中では、フェレットがハンモックに揺られて眠っていた。
そして隣の柵で囲われているのは、またウサギだ。隅に貼られた四角の紙には「ミニレッキス。ロップイヤー。」と書かれている。箱の家の奴らよりさらに小さい白や黒や茶色のウサギが数羽、水を飲む奴を踏み越えて走り回ったり、突然走りだしたかと思えば脇目もふらずに柔らかそうな布に頭から突っ込んだりしている。さながら保育園だ。

一通り見て、俺は再びミハシ(仮)の前に座り込む。
(なんでこいつを見てると三橋が頭に浮かんでくるんだ?)
箱の隅で姿勢を崩さずに鼻だけをヒクヒクさせているその姿を凝視する。
(三橋はウサギに似ていたのか? いや、他のウサギからは、別に三橋を連想しなかった。他の小動物にしてもそうだ。タガメの方がまだ似てる。)
俺は、鼻先がガラスに付くギリギリまで顔を近づける。
(――そうか! 三橋がウサギに似てるわけじゃない。こいつが、三橋に似てるんだ!)
改めて見ると、不遇な身の上もなんだか三橋を彷彿とさせる。まるで、図形問題に隠されている一つの直線を見つけ出した時のように胸が躍った。


「阿部くん。」
突然、耳元で三橋の声に呼ばれた。俺の肩は、自分で自分の驚きようにびっくりするほど大きく撥ねた。
「あ阿部くん、ウサギ、も好きなの?」
三橋が俺と同じように、すぐ横で膝を抱えてしゃがんでいた。
「三……! いつからいたんだよ、お前!? びっくりさせんなよ。」
「ゴ、ゴメン……。」
俺の勢いに当然のごとく驚かされた三橋は、何度も瞬きを繰り返していた。

「い、いや。あ、俺、会計まだだった。ちょっと行ってくる。」
その場にいるのがなんとなく気不味くて足早にレジへと向かう。
「このままもう、店出ちゃってもいいよな?」
振り返って三橋に聞くと、まだ瞬きをパチパチとさせながらコクコクと頷いていた。
俺は、人知れずミハシ(仮)がいい飼い主に巡り会えることを願った。
(あと、三橋に「勝手に名前使ってごめん」と思った。)










-続-
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