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置いては往かない。

浜榛浜 素行不良注意 past;夜半

昔日の陽





一.





1.

携帯を開いたり閉じたりしながら夜の街のキラキラを遠くに見ていたが、ザリリと砂を潰す音がして、ぼんやりしていた浜田は振り返った。
「あれま、来ちゃったの?」
「テメーで呼んだんだ。」
暗がりから自動販売機の明かりの前へ姿を曝したその人の眉間には、深い皺が作られていた。
「よう、『ハルナちゃん』。て、名字だったのな。」
「るせぇ、当たり前ぇだろ。それよかなんの用なんだよ、今さら。」
「あー、そうそう、そんな喋り方だったわハルナちゃん、懐かしい。久しぶり。」
「おい。俺を苛つかせるなよ。言っとっけど、お前は俺の人生の汚点なんだからな。」
「言うね。」
「あんまし会いたくも、喋りたくもねえんだよホントは。早く用件言えや。」
「いやあ、別に用っていう用はないんだけどさ。これからちょくちょく顔合わせることになるかもしんないから、そん時になってややこしいことにならないように、自己紹介しとこうかな、と思って。」
そう言って浜田は、池に面したベンチに腰を下ろした。


この緑化公園は広く、整備された庭園風の池と遊歩道があって、園内の道を辿れば一周するのに十五分ほど掛かる。太陽の高い時間なら、母に手を引かれてよちよち歩きの幼子がゆったり泳ぐ鯉にパン屑をやりに訪れるだろう、その池も今は真っ暗で、夏の風に撫でられた水面が時たま逃げるようにチラチラ光ってみせるだけだ。辺りにはほかに人気もなくて、ずっと向こうの白っぽい空に響くパトカーのサイレンの音が、その場所の静けさを際立たせている 。そしてそれが、二人にある共通の思い出を呼び起こさせる作用をした。
まさにここで、一年前、今晩と同じように大気がユラユラする夜に、浜田と榛名は出逢っていたのだった。

舌打ちを一つ落とすと榛名もベンチの端にどっかと座ったが、その顔はあからさまにそっぽを向いていて、なおも不機嫌そうだった。





二.





2.

「名前、なんてーの?」
その夜、浜田は見掛けない顔に声を掛けた。本当はいくらも前に、初めて目にする存在に気付いていた。けれども、彼をここまで連れてきた人物が相手をするんだろうと思ったから、自分からは近付かないでいたのだ。ところが、ふと見たら彼はいつのまにか一人になって、暇そうに突っ立っている。誰に誘われたのかはっきりしないが、彼からやや離れた所に停めてある原付についてそこで話し込んでいる二人組、もしくはそのどちらかが、きっとこいつのツレなんだろうと見当がついた。待っているような、いないような、この場に飽きているような、だけど他に行く当てもないような、そんな風情で彼がそいつらの動向を見ていたからだ。
通行人の気配を注視する野良猫みたいな、警戒心を剥きだしにした眼の遣い方に、人見知りという言葉を知らない浜田は苦笑を浮かべ、
「教えてよ」と気軽な足取りで近寄った。
「……、ハルナ。」
吐き捨てるように、猫が名乗った。
「へー、珍しいな。」
それは、てっきり下の名前だと思い込んだうえでの返事だった。
本人はどう書くのかを確認されることもある経験に鑑みてそれを、あながち的外れな感想でもないとした。

「ハルナ、誰の後ろ乗んの?」
「え。」
咄嗟に一緒に来た輩を見たが、別段懇意でもないそいつはどうやらもう自分の元に戻ってくる気はなさそうだった。ナンバープレートが跳ね上がったど派手な真っ青の原付に最前まで盛り上がっていた奴と共に跨っている。
やっぱりあれがツレだったんだと確信した浜田は、
(連れてきた奴、面倒見ろよー……。)
とも、
(まあ、こんなとこに責任感のある奴なんかいねえか。)
とも思った。
個々人に課される厳しい掟も、出身を明かす名簿もない。各人の生活上に生じている大なり小なりの責任を拒んで、そうした事情への反発心と有り余る熱力を割符代わりに感じ取り合い、暇潰しにたむろしているものの、ここにいるのはしょせん集団化したにすぎない他人同士だった。

「乗っけてやろうか?」
そう言っておきながら浜田は、早くも向きを変えて自分の原付へ引き返し始めていた。周りの動きもそろそろ駐車場から皆して移動してしまうことを知らせている。方々でエンジンの掛かる音がした。
残る者は皆無なのか。どこへ行くのか。何をするのか。一連の流れをまったく把握していない榛名は、しかしこのままここに取り残されても仕方がないと思い、釣られるように遠慮の要らなさそうな男に続いた。歳は同じか、違っても一つ二つといったところだろうか。気さくなのはいいが初対面に違いない、その彼に歩み寄りつつも、
「や、けど……、」と独り言をこぼしている。
(逢って数分の奴のケツに乗っけてもらうのもな……。まあ、接しやすそうではある。)

付いてくると決めたくせに躊躇している、自家撞着ぶりに笑いを一つ噛み殺した浜田はシートをペシペシ叩いた。
「あ、もう行くっぽい。ほら、早く乗れよ。」





3.

「じゃあ……、お邪魔します……。」
こういう場面ではどう断りを入れるべきなのかと頭を捻りながら自分なりの文言を一旦差し挟んでシートに跨ってきた、その折り目正しさに浜田は、今度は大きく笑った。しかし鍵を回してエンジンを掛けるのが同時だったために、その笑い声は掻き消されてしまった。それほど、榛名に言わせれば、変な音がしたのだ。
「しっかり掴まっててよ。」
「おう。」
「いや、その状態は多分、落ちる。腕回さねえと。」
「ハ……?」
「んじゃ、しゅっぱーつ!」
クン、と身体が後ろに引っ張られた感じがした。次の瞬間、榛名は寸前の注意の意味を悟った。腹に響いてくるエンジンの音をどうだのこうだのと評する余裕もなく、出発、と聞いた直後からすでに彼は運転者に振り落とされそうになっていた。

「テメー! 落ちる! 落ちる!」
「ハルナちゃん何ー!? 聞こえねー!」
(落・ち・る――!!)
信号機の赤色に停められるまで前と後ろがそれ以上の会話を交わすことはなく、運転者はただハンドルを握っていて、同乗者はただ鼓膜がビリビリとなるのに耐えていた。


「テメー! ツレじゃねんだから、ちったぁケツに気ぃ遣って走れや!」
赤信号で停まったとたんに目前の頭を一発叩き、榛名が怒鳴った。傷みきった金髪が、粗く動いた。シートに跨る体勢を定めながらの手短な話で同い年であることは判明していたし、喋り掛けてきたほうが最初からタメ口であったことも、くだけた空気を引き込むのに一役買っていた。
「ハルナちゃんこそ、もっと自分で自分の体、固定しててくんねえと! 俺におもっきし体重かかってきてっから。」
「おいコラ。さっきからチャン付けしてんじゃねえよテメー。」
「テメー、テメー、言う前に名前くらい聞いて欲しいよ、あ、青、行くよー。」
「ぐあッ! いきなり出すな、テメー!」
黒髪がサッと靡いた。
結局両者の不満は何一つ解消されないままの発進――と思いきや、事態は、内輪揉めしている場合ではなくなった。俄かに後方から、不快なサイレン音が襲ってきたためだ。
歯切れの悪い、なんとも言えない唸り声のような低さからゆっくりと甲高くなって耳を塞ぎたい叫び声のような音に変わる。そのたった数秒を何十秒にも伸びた時間として体験しながら榛名は、スローモーションでゆっくりと我に返っていった。
( 何 し て ん だ 、 俺 。 )
それでも、実際には一瞬だ。
そうして彼が危機的状況にあることを客観的に認識するより大分前に、追われ慣れていた浜田は素早い反応で発車し、一気に速度を上げていた。
公園の駐車場にいた全員でどこか一カ所を目指すのかと思っていたらそうでもないらしく、幾つ目かの交差点で周りを見たら、やんちゃな原付は二台しか見当たらなかった。それも、先の音をきっかけにしてあっという間に散り散りになった。これは絶体絶命の窮地だと理解した顔からは血の気が引いていたが、榛名に出来ることといえばハンドルを握る男の腰に回していた腕に力を入れ直すくらいしかなかった。


(やべえな、二ケツで逃げ切れんのかコレ!?)
自重にいい体格の男を加えた総重量が、浜田を若干不安にさせる。
(パクられたら他の部員に迷惑掛かんじゃねえかよ! 最悪だ!)
榛名は今頃そのことに気付いて焦りまくった。今晩を今の今までボーッと過ごしていた自身の迂闊さに臍を噛み、苛立った。そして、取り戻した明瞭な判断力でもって、俺の住む世界はこんなところじゃない、と強く思った。
「俺の前途洋洋な未来を潰しやがったら承知しねえぞテメー!」
そんな勝手な喚きを聞き入れている余裕は、今の浜田にはない。それどころか、原付の前輪が一気に暗雲立ち込める方向を向いた。
(死・ぬ・る――!!)
まるで発射された弾丸のような原付は、あろうことか片側一車線の中央線を踏んでいる。
「バカか貴様ー! 対向来てんよ!」
「うっせんだよお前、ちょっと黙れ!」
さすがに気が立っていて荒い口調で返した浜田は、前方を塞ぐ一台を右側から追い抜いて、ハンドルを左に切り直した。
元の車線に戻る車体と一体化して傾いた運転者の肩越しに、進路が分からず勢いに乗り遅れる差でチラと後ろの目に映ったメーターの針は、一番右端で震えていた。その数字をあと二十は上げられるのだという地元の同窓生の自慢話を思い出す。どうりで車を追い越せるわけだ。

改造された愛車を操る浜田はまた側道沿いに寄ると、それまでよりさらにぐっと上半身を倒して、
「もちょっと先で、全力で左に曲がっから落ちないでよ!」と、うるさい拾い猫に早口で注意を促した。声を張り上げて腹から喋らないと、すぐ後ろの耳にすらその言葉は届かない。それくらいの風と音の中にいる。
「ギャアー!! 何キロで曲がってんだコラー!!」
ものすごい速さで一方通行を無視して抜けた。
日頃走り尽くした道の中から、車は侵入不可能という幅の路地を選んで折れてからは、街にあるわずかな隙間をすり抜けて、この世の全てから追われているような感覚でひたすら走り続け、二人はとうとうサイレンの音を振り切った。





4.

原付を立てる最後の気力を振り絞り、その近くに浜田はどっと倒れ込んだ。
後ろに乗っていたほうは、エンジンが切れる時には一足先にシートから尻を離して地べたに手を付いていた。
どちらも足で全力疾走をしたかのように肩で息をしている。
「アー、疲れた! 『終わった!』と思ったぜ!」
榛名は、体中の毛穴から汗が噴き出していていると感じた。
「終わったじゃねえよ、『未来』ある若者が、何してんだよ、お前」と、吐く息ごとに言葉を区切って、浜田がチロッと相手を睨み付けた。
「聞こえてたんかよ。」
明るい未来が待っている奴はとっとと家へ帰るべきだ。そうして今後は、あんな烏合の衆にフラフラ紛れ込んではいけない。苦虫を噛み潰したような心持ちをグッと沈めて、彼は全然別な返答をした。
「ハルナちゃんと遊園地に行ったら、帰る頃には声枯れてそうだよ。」

「地声がでけえんだよ、俺は。」
Tシャツの首元をバタバタと動かして言い返した榛名は、辺りを見回しながら、
「んで、ここ、どこなわけ?」と尋ねた。
「俺のお気に入りの場所です。」
マルメンと百円ライターをジーパンから引っ張り出した浜田が両手で顔を覆うような仕草をする。
「んじゃ、帰り道は分かってるんだな?」
カチッと小さく音がしたが、そちらではなく、斜面の遥か下方に点在するビルの赤い灯りに顔を向けたままで榛名が確認した。
「ああ、大丈夫だよ。ハルナちゃんはこの辺知らないの?」
「全然分かってねえよ、山に入ってんのかこれ? ……とりあえず、お前は責任を持って送れよ、俺を。」
「ぶはっ、ハーイ。ホント面白い、ハルナちゃんって。」
命令口調というより高飛車なお願いみたいな口振りが、浜田には憎めない魅力に映った。
ブワッと吐き出された白い煙を一睨みして、舌打ちだけした榛名はその場にゴロンと寝そべった。


その大胆な行動に浜田の興味はますます引かれた。
「Tシャツ、ダメんなるよ?」
「いいんだよ、気持ちいっから。」
興奮状態が冷め遣らぬまま火照っていた身体に、夜気にあたった草の冷たさが心地良かった。
「そうかな、気持ち悪くない? 葉っぱは肌に当たってチクチクするし、微妙に濡れてて冷たかったりするし。草の汁って案外取れなくね?」
「ぶっ! 知らねえよ、ンなこと! ぶひゃひゃひゃひゃ、ンだよそれ!」
同じように笑い飛ばしてみたかったが、浜田にとっては真面目な問題だった。なぜなら、家に帰って洗濯するのも自分、やっぱり駄目になったといって、かつかつの生活費から服代を捻出するのも自分という身の上だからだ。「知らねえよ」で済ませてしまいたいことはなんでも結局自分の頭上に振りかかってくる。とはいえ、そんなことは屈託なく笑う人には関係ない。
「何、汁って何?! ぶはっ、あー、ヤッベ……ぶっ!」
「えぇ、ハルナちゃんのツボってそこ? 今日初めて笑ったのがそこでいいわけ?」
端から割り切って物事を諒解している浜田は、意外な箇所で笑い転げている人の嘘のなさに好感を持って、呆れ顔を作ってみせた。
「だってオメー、……汁って……なんだよ! ひゃひゃひゃ! 取れねえって、お前! ぶはっ!」
「どんだけ笑うんだよ。」
思っていたよりずっと賑やかで口数の多いその男をやれやれと横目で見遣り、吸殻を地面に擦り付けて、ウーンと大きく伸びをした。そうして天に突き上げた拳ごと、どさっと浜田も草の上に背中を付けた。

「な、気持ちいいだろ?」
「……。」
「あ、今日、星もすげえ見えてんじゃん。」
「……。」
浜田は、ただ星空を仰いだ。

「あ、俺あれ知ってる。なんだっけ、オリオン……いやカシオペア? どっちだっけ。」
「……。」
「死兆星ねえかな? 知ってる? 北斗。」
「……。」
白い輝きが一面に散らばっている夜だった。それが、浜田には溜め息が出そうなほど奇麗に思えた。










-続-
5.〜6.>
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