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置いては往かない。

浜榛浜 素麺食おうよ

<1.〜2.
白日Rock 'n'Roll



2.

ゴロンと仰向けに寝そべり、天井の低い家だな、と思う。肘をついて体を捻じれば、男子厨房に立つ。かなり手際よく調理を進めるその、自分と似た背丈の肩が丸まっているのを見て、どうやら流し台も低いことを知った。昔の人間はちっちゃかったんだな、と思って榛名は疲れた顎をさすった。
(こいつといたら思ってもない箇所を傷めそうだわ。それがこえぇんだよな。)
クーラーの動いていない真夏の炊事場でガスの火と高温の油を前に次々と天ぷらを揚げていることに関しては、屁とも思わない。唇を寄せたところで盛りが止まらなかった、罰なのだから。そのせいで取り掛かるのが遅れて、すっかり昼食の時間になっているのだ。あちらに拒否権はない。
榛名は出来上がりを待ちながら絶対に手伝わないという意思を見せつけ、堂々と携帯を弄る。メールの新規作成画面を開いて、
「ヨー、シー、ロー、がー」と作りたい文章を構成する文字を一つずつ声に出していった。「ド、ロ、ッ、プ……ア、ウ、ト、してなー、かった、きーねー記念に……一発、やりました、ホシ、と。」
こうして口を開くと大抵その内容はあけすけでエグい。
「ちょっと待て。星とか打ってる場合かコラ!」
竹輪をどんどん磯辺揚げにしていきつつ背中で聞いていた浜田はげっそりして口出しした。「誰に送る気だ、そんな文! 絶対送るなよ!」
「るせぇな、黙って天ぷら揚げてろ。」
「手ぇ離せないんだから、大人しくしててよ。」
「してるだろ。送、信、」
「うそ!」
「うっそー。」
「してねえだろ全然大人しく! アホかお前!」
「アホはお前だ。」
「「……。」」
それっきり、榛名はまた手持ち無沙汰に畳の上で伸びていた。

しばらくジュワジュワと揚げ物の音がしているのみだった一室に、
「あっっっ、つっ!!」と声がした。同時に、我欲を押し通したお仕置きとして黙々とさきいかの天ぷらを作り続けていた彼がいきなりブン、ブンと大きく左手を振った。
暇そうにゴロゴロしていた榛名は驚き、突然の大声が上がった方をさっと注目した。が、空耳に見間違いだったかと思うほど何事もなかったような料理姿がそこにはあるだけだった。
「おい、どした?」
「ん? 油が跳ねた。」
聞いた眉間に皺が寄る。
「冷やせよ。」
「ウンー。」
「おい、冷やせって。いいから早く。」
むくりと起きて横に並ぶと菜箸を取り上げ、ポスンと膝蹴りを入れて隣の奴をコンロの前から追い出した。
急かされて渋々蛇口を捻ったものの、もう熱くないのに、と浜田は面倒臭そうにグズグズしている。
横目でその左腕を見たら、赤い斑点がポツポツと出来ていた。榛名は舌打ちして、
「馬鹿。熱かったんだろ?」とすげなく言い、空いている手で蛇口をめいっぱいまで回した。
叱られたほうは口を尖らせて、ザーザーと流れる水に腕を突っ込んでいる。
「お前、鈍いだろ。」
「へ? なんて? ごめん、聞こえなかった。」
「……。」
大量の水音に、どこで鳴っているのかキューと変な音が混じる。腕に当たった水がダボダボと安っぽいシンクに散ってたしかにうるさい。
「もっかい言ってよ。何?」
「痛いとか、そういうのに気付くの、遅ぇだろ。」
「あー……、そうかな? 言われてみればそうかも。いや、どっかな。」
「ぜってー鈍いよ、お前。そんなんだから……。」
彼はそこまで言って一旦口を噤んだ。

浜田は水を止めて腕を拭いた。
「お前の身体、傷だらけじゃねえかよ。きたねぇっつうか……あ、ああ、いや、そういう意味じゃなくって……な……。」
油に浮く衣をつつく菜箸の先の動きに、もどかしさが表われていた。「あー……と……、綺麗、ではない、だろ、だって! 派手な打ち身とか、謎のかさぶたとか……、」
榛名はもう一つ、右肘の内側に残る、目立たない一センチほどの、火傷のような丸い痕を思っていた。それについて訊こうとしたことはないし、打ち明けられたこともなかったから、どういう経緯で付いたものなのかは不明だ。けれど、彼はずっと心に留めている。引き攣るその、皮膚の感じを。

結局舌打ちで会話に片を付けた人の手から菜箸を返してもらった浜田は、
「だから、ハルナちゃんはスキ。」
と、この日三度目となる感想を、今は声にして本人に告げた。
「は? 気持ち悪。」
ガス台から外れた榛名はシンクに寄り掛かり、腕組みした。
「だって、優しいこと思ってんのに、それを伝える言葉の選び方は乱暴っしょ? いいこと言っても、悪い受け取られ方してそう。絶対、損しちゃってるんだろうなあと思って。けど、そこが可愛い。みたいなねー。」
次第に戯けだす男の尻に照れ隠しの蹴りがバスンと炸裂する。
「いっっっ、たっ!!」
油が跳ねた時とそっくりな反応なのは、わざとだ。
揚げたての天ぷらが山盛りに載った皿を机に運ぶついでに「ハイハイ」とだけ返し、ろくに取り合わなかった不器用な人の耳がほんのり赤らんでいるのが見て取れたが、それについては言及しないでおくことにして浜田もコンロの火を止めると素麺を持ってその後ろに従った。





3.

「では。」
猛然と冷風を送りだすクーラーの下に着座した浜田が背筋を伸ばして合掌し、慇懃に礼を述べて頭を下げた。「食材の提供、有り難く頂きます。」
対面で割り箸を割ったところだった榛名は、「いえいえ」と丁寧に答えた。それから、「では」とこちらも神妙ぶって手を合わせ、
「作ってくださり、有り難う存じます」と取って付けた恭しさで調子を合わせて正座で一礼した。
それに「いえいえ」と返した浜田が、二マァと笑みを浮かべた。
ゆっくりと面を上げた榛名の口角も勿論二ヤァと釣り上がっていた。
いざ、食わん。
待ちに待った一時の到来だ。

「「いっただっきまーす!」」
これを機に、榛名は足を胡坐に崩した。
浜田も片膝を立てていて、さっきまでの行儀の良さの名残はどこにも見当たらない。
で、後は無言、で、ガツガツ食らう。
他に気を向ける余裕は、腹がやや満たされて、そこから生まれる。
「あ、メールの返信。きてた。」
榛名は、利き手の箸を動かしたままもう片方で携帯を操作しだした。
「返信?」
そう言えば、と彼の腹這い姿をなんとなく思い返していた浜田の箸がぴたっと止まる。「……て、ねえちょっと、違うよね? 違うって言って、お願いだから。」
「違う。」
それは、なんのことだか把握しないうちに無責任に施された否定だった。
「ぜってえ嘘だ!」
乞うだけ乞うておいて、機械的に吐かれた返事を浜田は全力で否定した。「送っただろ! お前、あの送るなっつったメール、ホントはマジでどっかに飛ばしたろ!」
「あ?」
なんだそのことかと合点のいった榛名は携帯をポイと近くへ落としてしまうと、しれっと答えた。「さっきのアレはもう消したよ。飛ばすわけねえだろ。……つうか、内容自体は事実なんだからしょうがねえだろ。」

「違うよ!? 事実は全然違うでしょ!? ハルナちゃんが素麺の束持ってウチに押し掛けて来た、ってのが正解でしょ!?」
お互いに事実を言っているが、切り取る部分に差異が生じている。榛名は、
「うっせえな、もう!」
と返して、後は、暑苦しいんだよ、と目で訴えるだけにする。声に出したらまた、ハルナちゃんに言われたくない、とかなんとか切り返されるのがオチだからだ。
(何が、押し掛けた、だ。)
「家に上げようとしなかったくせに。」
彼はフン、と鼻息を大きくして不平がるくらいにしようと思っていた。しかし、
「それは……、だって薬味一切なしの冷やし素麺って悲しすぎるじゃん。」
そう言う浜田の、榛名に言わせれば至極どうでもいい主張が癇に障るのだ。
(俺は薬味のネギ以下か。)
と。
「だから、渡されたメモ通り全部買って来てやっただろうが! この俺、が!」
軽い皮肉で止まるといった高度な芸当は、やはり榛名には無理だった。朝の自分のあしらわれ様を思い出すと、つい癇癪を起こしてしまう。生粋の俺様気質なのだからそれも致し方ない。そして。
「ウン、ありがとー。」
毫も悪びれず平然と素麺を啜っている眼前の男の態度が、苛立ちに拍車を掛けるのだった。

「この俺、様、が! 門前払いの上、二度手間食らったんだぞ、オイ!」
もはや己の働きに対する称賛が足りないとばかりに駄々を捏ねる餓鬼の容相だ、という目付きで単純な所作を繰り返し、胃袋を満たす合間に、
「わあーかったよ、うっさいなあ、もおー」と浜田はぞんざいに言葉を投げ返す。
要するに、彼は榛名の思い通りには動いてくれない男なのだった。
「ああああ! ムカつくわ、コイツー!」
そう、そしていつでも小憎たらしい切り返しを平気な顔でしてくる奴なのだった。
「俺はけっこうスキだよ、ハルナちゃん。」
(あっそ!)
スキだスキだと言われ慣れてしまった榛名は、付き合ってられないとばかりに感情をガラリと切り替える。
(もう、無視。いちいち相手にしてやる必要はない。それよりこの、最後の一枚だ。)
大皿に一つ残る大葉の天ぷらを、この局面で自身が勝ち取れるかどうか。そのことのほうが、暖簾に腕押しな男の不信な告白なんかよりも彼にはよっぽど重要だった。素知らぬ顔で、最後の天ぷら、皿から回収。
(良し!)





4.

そうした茶目っ気のある人を、油断を装いおかずを譲った浜田は盗み見る。友達に対するでもなく、恋人へ向かうでもない感情を何と分類すればいいのか分からないままに。
(惚れられればよかったのになあ。)
榛名のことがスキであることは間違いないが、惚れているわけでは決してなかった。それでも、確かにスキだった。その存在は、他の人間とは明らかに一線を画している。そういう意味では特別だった。それに、とても大切に思えた。
だけど、それはやっぱり恋愛感情ではない種類の気持ちだった。浜田は、榛名に対しては独占欲が微塵も湧いて出てこない。嫉妬することもない。心を許す対象として見てもらえていることは誇らしかったが、相手にとってかけがえのない存在になりたいと思ったことは一度もなかった。むしろ、彼に好きな人の話なんかがもしもあるなら聞いてみたいくらいだった。彼の恋は全力で応援したいと思うし、その成就の暁には、自分は喜んで赤の他人になれる。

「世間では、これを何と定義しているんだろう。」
つくづくと彼を眺め、呟くと、
「え? 泥棒? 違う違う、別に誰の物って決まってねえもん、だって。早いモン勝ちだろ。」
と、言われた。
――誰の物って決まってない――、ね。
榛名と交わす会話は楽しい。せっかくだから、浜田が質問を重ねた。
「なんのこと?」





5.

さては誘導尋問だなと睨んだ榛名は、しかしどうせすっかり平らげおおせていると開き直り、思い切って白状してしまった。
「最後の一個、残ってた天ぷら。」
さらに、この件の糾弾を阻止すべく、
「ご馳走様でした!」とすぐさま威勢よく食事と会話を畳んだ。
ところが、予想に反してそれに倣った「ご馳走様ー」が聞こえたので、拍子抜けした。
「……。」
どこまでが素の面で、どこからが作られたものなのか、見極めが非常に難しい浜田の隙を目ざとく見付けるのに榛名は長けていた。





6.

盆という気の利いた台所用品があるはずもなく、空き皿をその手に持てるだけ持って流しへと腰を上げた浜田は、背後に手ぶらのまんまでどういうわけだか付いてきた榛名の気配を感じた。
「どうせならなんか下げてきてよー。」
後背へそう声を掛け、両手の割れ物を洗い桶へ浸けようとしたとたんに彼は、無言の相手になぜだか分からないが羽交い絞めにされていた。きっと、なぜだか分からないが自分の手が皿から離れる次の瞬間にはそのまま体を捻じられ、浮かされて、茶の間に組み敷かれているのだろう。
その気紛れとしか思えない動きに、浜田は笑った。そして、易々と捕まった。










終.
お疲れ様でーす。
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