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置いては往かない。

浜田視点 浜←泉 浜榛浜 『3,2,1,Go』の浜田side [中学]起点

Guilty or not guilty.



1.

あの時もそう、今みたいな気持ちでいた。

それが柔い肌でも皺枯れた肌でも、優しい感じをさえ自分に与えてくれるものならばどんなでもいい。そんな誰かを、いつまででもギュウときつく抱き締めていたいという欲求を持て余していた。
色の付いた意味は、真には無かった。血の通った肉に拒まれない、という時間が欲しかっただけだ。
だが、現実的にそうする時間と相手の了承を得るためには色恋の状況が必要だった。少なくとも当時の俺には、その道以外に思い付く手立てはなかった。

そこへきて、それらの条件を満たす者をただ単に抱き締めるだけでは済まないぶん、己の体は青かった。その部分は未だに変わらない。変わらないどころか、増幅の一途を辿っている。それでも、いずれは削ぎ落とせてゆくそんな外側の実を剥けば、最後に残った芯とはやはり、傍に在る自分のものではない体温、それだった。





2.

自室への階段を踏みながら、目に掛かる前髪、一段ごとに視界の端に入り込むペットボトル、それを握る中指の先、素足の爪までを、逐一認識してみる。
俺はもう、以前と同じ気持ちで野球の球に触れることはこの先の人生においてなくなった。否でも応でも、ただ、そうなった。
とにかくその事実の上に在ることになったこの躯は、それを不満に思うでも、何かを恨むでもなかったが、わずかばかり生じた気がする自己の空隙部分に目をやるたびに、そこが始終肌寒いようには感じていた。
そのうすら寒い心の隙間がここ何日か、無性に優しい気持ちになりたがっているのだ。誰のためでもなく、己自身を慰めてやるために。

「泉、いま食いモンなんもねえわ。」
冷蔵庫にあったペットボトルを適当に二本掴み出し、めぼしいおやつのなかった台所から部屋へ引き揚げてくると、元から大きかった目をこれでもかとさらに丸く見開いて狼狽している後輩と目が合った。


ベッドの脇にある小さな二段棚の前に座り込んでいる彼は、俺が昨日買ったばかりだと話した洋楽アルバムを探しているはずだった。陣取る位置に狂いはない。彼の膝周りに俺の収集している洋楽のCDが散らかる様も、予定の事柄と符合している。だったら何故、こいつの頬は今にも発火してしまいそうなほどに赤いのだろう。触れたらきっと、酷く熱い。
「なんつー顔してんの。」
原因の思い付かない俺は上気したプチトマトへ気安く近付いた。そのあいだに、ファニーな顔になってしまっている彼は慌てて後ろ手に何かをさっと隠した。といっても小柄な体だ。間近に膝をついたばかりの高さから覗き込むと、容易に隠された物の正体が掴めた。そして俺は、そこでぴたりと動きを止めてしまった。

一連の空気の変化を察知した可愛い後輩は、逸らした面を上げられないまま口を開いた。
「ス、スイマセン! 別に、見るつもりはなく、なかっ、ち、違……くて。あ、だって……いや、」
「ああ。」
ろくに言葉を組み立てられずに溺れている声を、自分の声でもって静める。持ち主である俺がそうなる前に、それを見付けた彼のほうが大層な動揺ぶりを見せてくるものだから、逆に俺は冷静なままで慌てる機会も失してしまった。
後輩の手元には隠しきれていない、コンドームの箱があった。





3.

「ごめん、忘れてた」と軽く謝り、俺はベッドと泉のあいだに腰を下ろす。気不味いとは思った。が、一方ではそれくらいの感覚しか湧いてこないともいえた。少なくとも俺にとっては、その程度の代物だった。
「そう言えばそこに置いたまんまだったわ。そのCDたちの裏っつうか、奥から出てきたやつだろ、それ。」
返答はない。ドアを開けた時にぎょっとしていた目もこちらを見ない。だが、依然真っ赤な首がほんの微か、縦に振れた。

真っ直ぐな発達をしている後輩の受けた衝撃は、客観的に理解出来る。人は性的な物を隠したがるし、思春期には誰も彼もがその脅威的な力に支配され蹂躙される瞬間を持つ。そして俺たちの年頃には無駄に強い自我のお蔭で、恥ずかしいと思う事柄が溢れ返るほどあるのだ。
無論、恥なら俺も持ち合わせている。けれど、むしろ避妊しないことのほうが恥ずかしいと思うくらいで、避妊具に対して羞恥の心を払う気にはならない。こんな時には、
(俺が何か欠落してるのか?)
と思うのだが、自分には備わっていないらしいその部品をいま探してみたところですぐに己の内部に新しい何かを発見できるわけもなく、また、だからといって別段不都合もないので、そこまでで考えることは止めにする。


虚を突いて現れた部屋の主に驚き仰け反った、その体勢から今また右の片膝を抱え込むようにして固まり直した泉の、俺に近い半面が急拵えの壁のように見えてしまった。不信感からきたものか、嫌悪感からきたものか。無意識であるにせよ作り出されたそれの成分を推し測ってみる。いずれにしても、どれを取ってみたところでそこから跳ね返ってくる己の投影は漏れなく情けないという一所に帰結することを悟った俺の口からは、思わず溜め息が出た。
「CDは見つかった?」
気を取り直して話し掛けるが、下目であらぬ一点をなお見詰めているその表情から察するに、投げ掛けた言葉は耳に届いてさえいないのかもしれない。
いつまでも彼の手がその箱の上にあるのが宜しくないのだと判じた俺は、腕を伸ばしてそれの回収にかかる。腕が迫ったぶんだけ泉はまた大げさに仰け反って後退した。手中の箱と一緒に。
「それ、返して。」
いいかげん俺の語気も多少強くなる。当たると心地の悪い、紙ヤスリみたいなザラつきをして。
「ス、スイマセン。」
「いや、だから、怒ってねえよ。それは全然、ていうか逆にごめんって、だから」と話しながら相手の気持ちの切り換えを待ってみたものの、筋肉の強張りは解けそうにもない。後ずさったのは、反射的に動いたというだけに過ぎないのだろう。
「それずっと持ってる気かよ。」
可愛い後輩の初心な感情をなるたけ大切にしてやりたかったが、ぎこちない空気に付き合うことにはもう飽きた。ここまで言って頑なに手離さないのならあとはもう本当に、言葉の通りコンドームを持たせた状態で放って置こうと俺は思った。気の済むまで持っていれば良いと思う。俺はどちらでも構わない。
すると、今までの遣り取りとどう違ったのか、泉は俄然手荒に箱を滑らせ、半ば捨てるようにあっさり二人の前へ提出してきた。その時になって、俺は漸く事の全貌を知った。


「開けて、見たの?」
意表を突かれて馬鹿みたいな確認をしていた、俺は、そして困っていた。
(俺、どうしたらいいんだろう……どう出たらいい?)
さすがに思考が働かない。

棚の奥にそれを見付けた時の彼の気持ちなどはなんの気にもならなかった。
慌てふためき、赤面していることにも特別な興味はそそられない。
だが。
彼は、それを自分の意思で開けてみた。開けて、見たのだ、自分の意思で。横に置くでもなく、元に戻すでもなく。俺に見付かるまで、彼は自身が下した決定の下で動いていた。
よくよく見てみれば、小さく折り畳まれた同封の取り扱い説明書は箱からビラビラとだらしなく広がっているし、繋がれた未開封の正方形も箱に全くきれいに収まっていない。そもそも、蓋が開いている段階で疑う余地はない。
気紛れだか出来心だか、強い好奇心だかは知らないが、確かにその指で。開けて、見たのだ。その眼で。
自分で、そうしたのだ。彼が。


指先から黒い双眸に視線を移すと、彼の黒目の輪郭はボヤボヤとしたものになっていた。涙の成分が一面に広がっている。
俺の質問は、仕方が悪かったのかもしれない。責められているように感じたのならそれは誤解だ。
(俺はただ、聞きたいだけだ。)
自分の思考が雲行きの怪しい方向へ転がってゆくのに気付いた時には、もう遅い。
「興味あったから? これに。」
それとも、それを使う俺に。
「初めて見たから?」
それとも、手に取ったのが初めてだったのだろうか。使ったことがないのだろうか。もしくは、使うようなことをしたことがまだないのか。
(何、思ってた?)
何を思って、その眼で見ていた?
そこに俺の痴態は浮かんでいたのかしらん。それとも、もっと漠然とした濡れ場を映していたのかしらん。あるいは、泉自身が――。
「使ってみる?」

それまで不安定に揺れていた黒の眼は、明確な意思を持ってグリと動いて俺を射た。その瞬間、五指の毛細血管がブワリと一斉に花開いたように感じた。同時に自分の口の端が吊り上がるのを、俺は抑えることが出来なかった。
多色な感情がめまぐるしく去来する。興奮する頭を、心が自嘲している。可愛いと思う反面、しかし男は男だしなと思う。やっぱり俺のことが好きなのかなとも思えたが、嫌われてはない程度の自覚で留めておくことにする。捕えてみたいが、しくじれば甚大な傷を負う。この流れで進めばまず間違いなく成功するだろうが、今まで培ってきた適度な関係性や正しい親しみは壊さずに保ち続けたほうがいい気もする。
俺は後ろ暗い衝動を隠したいけれど、思春期には誰も彼もが色情の脅威的な力に支配され蹂躙される瞬間を持つ。ただ抱き締めるだけで終れない、己に付き纏うどうでもいい欲に苛苛した。





4.

精神的にも身体的にも、お互いにとっての逃げ道を十分に確保しながらミリ単位で彼の唇への軌道をゆく。泉が退かない。軽く接触した刹那、俺は一度顎を引いた。最終確認を取っておかなければいけない。
「逃げなくていいの?」
返答は、ない。泉はもうずっと黙っている。そして可哀相に、今日はずっと顔を火照らせている。泉の頬に触れるとやっぱり、酷く熱かった。

「センパイ」とだけ泉は言う。後には何も続かない。沈黙のせいでその声の切なさが俺の体内で反響する。頭の中で血管が幾つもぶち切れてゆくような大波に攫われる。
そんなふうに、肉体に薄皮のごとくへばり付いている感覚部分だけはその肉に受ける刺激を素直に反映していった。が、他の全ては肉体から切り離されたところで宙に漂っているようだった。ごく一部が騒げば騒ぐほどに全体では冷たさを増してゆく。果ての無い真っ白な虚無感に、一点の赤色が強烈に捻り込まれていくように錯覚する。白い世界で優しい気持ちになりたいだけなのに、捻り込まれた赤の点からは火柱が噴き上がるように興奮という感情がひたすらに出続ける。
その間、泉が発した言葉は「せんぱい」という、それぎりだった。
はたして言い掛けて止めたのか、言い終わることが出来なかったのか分からない言の破片は幾つかあった。けれど、ほかの言葉が彼の口から溢れることは結局なかった。





5.

そんなふうにして、俺は脱線した。中学最後の秋だった。その時点で既に残り少なになっていた手持ちの枕木はこの時にまた一つ、焼け焦げて減ってしまった。
走るつもりでいた線路に敷くために抱えていた枕木はさらに一年が過ぎる頃には全部無くなり、俺はとうとう空手になるのだが、当時にはそうした未来を知る由もない。

その秋以降なんとなく間隔が開いて、積極的に会うこともなく、新たな路線作りのなかで、要するに俺は、身勝手にも泉を切り離してしまった。
自分のしたことに自覚はあったから、泉を教室で見付けたあの春の日には本当に驚いた。
それでも、久しぶりに見た変わらない泉の本質が眩しかった。


それからも数ヶ月経ち、蝉時雨に包まれて。
「うっせえな、もう! 家に上げようとしなかったくせに。」
「それは……、だって薬味一切なしの冷やし素麺って悲しすぎるじゃん。」
相変わらず、俺のうすら寒い心の隙間は埋まらずにある。そして相変わらず、そこが発作的に無性に優しい気持ちになりたがる。
「だから、渡されたメモ通り全部買って来てやっただろうが! この俺、が!」
「ウン、ありがとー。」
それが柔い肌でも皺枯れた肌でも、優しい感じをさえ自分に与えてくれるものならばどんなでもいい。
「この俺、様、が! 門前払いのうえ、二度手間食らったんだぞ、オイ!」
「わあーかったよ、うっさいなあ、もおー。」
「ああああ! ムカつくわ、コイツー!」
「俺はけっこうスキだよ、ハルナちゃん。」
今もそう、あの時みたいな気持ちでいる。










終.
泉、すまん。浜田のゴールはお前だから…。
とりえあず今は冷やし素麺…『白日Rock 'n'Roll』>
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