text_hmiz06
置いては往かない。

浜→泉 水+泉 嫉妬

立夏



1.

「あ。泉めっけ〜。」
聞き慣れた声とともに日の光が翳る。顔を上げると、甘い口角で笑うチームメイトが立っていた。
「水谷。」
眩しそうに目を細めた泉は、瞥見したのちニコリともしないでまた下を向いてしまった。「ついに七組からは追放か?」
屋上を囲うフェンスの足場に腰掛け、昼飯としてパンを三つ食べ終わったところだった。
「ついにって何さ。いいお天気だから、ポカポカしに来たの。」
「飯は?」
尋ねながらビニール袋をワシャワシャと鳴らして小さいゴミを一纏めにする。
「もう教室で食べてきたよ〜。」
泉も一人でいるの、と質問を返した水谷は至極当然といった身のこなしで、学級は違うが同じ野球部員の真横に居着いた。

「さっきまで田島と三橋もいたんだけど、『次の英語の提出プリントやってねえ』っつって、慌てて教室に帰っていったばっかりだよ。」
「なぁんだ、それならもうちょっと早くに来ればよかったね。」
「なんか用だった?」
「なぁんにも、ないけど。人数なんて多いほうが楽しいじゃない。」
「なんだそりゃ。」
泉が、お前は人間が好きだな、と一笑してシュッと勢い良く腕を振り、口の縛られたビニール袋を投げ捨てた。ちょっと距離ある壁際に設置された屑籠に、見事に入る。
「ナイスロー。」
水谷は愉快そうに言った。
「ん。ああそうだ、もうすぐ浜田なら、ここに戻ってくると思うけどな。」
「そうなの。」
そうして二、三、のんべんだらりとした話題を経た頃、ふと目の前の頭に注目をしたのは、人間が好きだなと評された方だった。
「泉、虫付いてる。」
「どこ。」
「待って」と言ううちに真っ黒な髪をさっと手で払い、取れた、と簡単に報告をする。
取ってもらった方も「おお」と淡泊にあしらった。
その流れで、すぐそこにある黒髪に視線を据え置いた水谷が意外なことを口にした。
「泉の髪って、相当硬いね。」
「そうか? まあ、軟らかくないとは自分でも思うけど。」
「触っていい?」
「……ああ。」
少々面食らったものの、変な奴、と肩を竦めた泉は気さくに応じてやった。


許可を得た人は、今度はゆっくりとそのこわい髪に指を通して、丁寧に触り始めた。
「俺のとは全然違うね。」
指の腹に伝わる質感を確かめている脳裏に浮かんでいたのは、今みたいに「触っていい?」「いいよ」のやりとりを交わした末に撫で回したことのある、栄口の短髪だった。
(あの子の髪も、短いからよく分からないけど、でも、どちらかといえば柔らかいもんね。)
そう思う彼自身も、フワリと柔らかい印象の髪質をしている。だからこそゴワゴワとした逞しい指通りが彼には目新しく感じられたし、物珍しく映った。そして、黒い髪は皆こんななのかな、とさえ根拠もなく思った。
「俺は猫っ毛だから……触ってみる?」
「興味ねえ。」
「え〜、その言い方、なんかショックだな〜。」
「なんでだよ。」
晴れた真昼の朗らかさとチームメイトの纏う緩やかな空気に、ほぐされるように泉は破顔した。

ふうん、なるほど、こりゃあピョンピョン跳ねるわけだと言って、触る側はなおも飽きずにその艶やかで太い髪の感触に遊んでいる。
触られている側は、自分の頭髪がまるで相手の玩具になったような感想を持った。そこに別段不快さはなかったが、それだけに始末に困った。なので、頭を触り回されながら特にすることがない彼は漫然と、やめさせる頃合いを見計らっていた。
(こういう奴が将来、美容師になっていったりするのかな。)
勝手に似合いの職業を想像されているあいだ水谷は、
「量も相当多いよね〜」と思いの外、しかし彼らしいといえば彼らしい優しい手付きで漆黒の束の動きをいろいろと試している。


他人の関心物は、よく解からない。やれやれという気持ちで何気なく地上の時計塔に目を落とすと、フェンス越しに、長針がちょうどいい潮時を示していた。泉は校舎に入る扉の方向へ掃き出すように手の平をヒラヒラと振って、
「さあもういいだろ、いつまで触ってんだ」と、悠長に寛ぐ奴を急き立てた。
「はあい。ありがと……あ、そうだ黒髪といえば……阿部の頭も触ってこよ〜。そんじゃあ泉、またね。」
「おー。」
(阿部はきっと触らせてはくれないぞ。)
眉間に皺を寄せた捕手がけんもほろろに拒否している場面があまりに容易く思い描けたことが可笑しくて、彼はまた失笑した。
その余韻を引き摺り、出入り口に目を移すと、去りゆく後ろ姿よりも手前に、こちらへやって来る人物があった。
だが、ここに帰ってきたところでどちらもすでに昼飯は食べ終えているし、まもなく午後一番の授業に突入する予鈴も鳴ることだろう。屋内へ引き揚げようと、泉は一緒の組に籍を置くその人物の進路を転回させるべく自らも立ち上がった。





2.

「はまだァー、あいつらももう教室だし、戻ろうぜ。」
少し声を張ってそう告げる年下の同級生が歩いてくるのを見て取った浜田は、言葉の通り彼が単身であることを把握して足を止めた。否、そこに田島と三橋のすでにいないことを彼は、開けた扉の先を一目見た時点で知っていた。

そして、九組の顔ぶれが二つ消えた代わりに、七組の捉えどころのない男に気安く髪を撫でさせていた泉をいち早く捉えていた。
とはいえ、それも束の間、何か言葉を交わし合って、二人は別々になった。
それでまず、涼しい場所へ切り上げてきた水谷と擦れ違った。
浜田を見つけるといつもは遠くからでも手を振って嬉しそうに声を挙げるくせに、この時の彼は、形式的に頭を下げたものの擦れ違いざま口の中で呟くように「ス」と小さく挨拶しただけだった。
浜田も、半ば反射で出た浅い会釈で辛うじて対応して過ぎた。失礼だとか感じが違うねなんて、そちらに気を取られている余裕は微塵もない。それよりも、という思いが先に立つ。ドキンドキンと動悸が激しい。状況を吟味するだけの冷静さが足りていないなかでたっぷりと明るい空の下に残る泉のほうへ目を走らせると、こちらに首を動かした彼と目が合った、というのが浜田の側から見た事の顛末だった。

(それは、あいつを見送るために向けた視線か?)
浜田は、己の脳味噌がギリギリと捻れていくのを感じた。そんな螺旋が脳味噌の片隅で起きると、目の奥は燃えるように熱くなった。
(随分と楽しそうな顔をして、その髪を好きにさせていたんだな。)
心臓が、巨人の両手でバチンと挟まれてペラペラの一枚になったようにユラユラと揺れている。
体内にありながら離れた二箇所で同時に生み出される、このギリギリとユラユラの波長がチグハグで、乗り物酔いをした時のようにムカムカとした吐き気が胸に込み上げてくる。
彼は、何事でもないふうに声を掛けて自分の横を素通りしていく泉に対して我慢が出来なかった。自分が崩せと言ってそうさせた、よそよそしいタメ口にすら苛立ちを覚えていた。普通なら双方の仲は敬語を使う間柄よりも親しいと判断して正しいその喋り方は、彼らの場合に限って、逆の作用をするものらしい。
つまり、むりやり位置付けた新しい距離を表わすその口の利き方は、結果的に二人のこれまでを闇に押し隠し、さながら薄いけれども決して破れない膜のようなもので行く手を覆う働きをしているように、当事者の耳には響くのだった。

浜田は、平生まるで日陰の寂しいコンクリートの壁みたいにひんやりしていると感じている己の瞳の奥が、この時ばかりは焼き切れたと錯覚した。それからの数秒間は一切の思考が働かなかった。彼は、初めて焼きもちというものを焼いた。










終.
やっちまったな!
浜榛浜にバトンタッチ…『極彩色までのテンカウント』>
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