text_other03(援団)
置いては往かない。

浜←泉 浜+梅+梶 『貴方が好きだと叫びたかった・後』と連鎖 援団結成;表

古城と春



1.

渡り廊下の窓をガラリと開けて、
「いずみー!」
と、彼が大きな声を地上に送った。
ちょうど昇降口から屋外へ出たところでいきなり名を呼ばれた人は足を停め、よく知る声のしたほうを振り仰ぐ。見上げる先に、学ランに身を包む元先輩がいた。四角い枠の中で、白い手袋をはめた手をブンブン振っている。同じく白の、首から垂らしている細長い布は鉢巻だろうか。
(なんスか、その格好。コスプレ?)
後方二階の高さを走る空中廊下へは不審がる視線でもって応えておいて、未練をみせずにクルリと背を向けた元後輩は返事を発しないで歩き出した。空から「頑張れよ!」という言葉が降ってきた時はさすがに動揺して動きが止まりかけたが、それでも聞こえていないかのごとき無反応を装うことだけとにかく続けた。そうしてあちらの視界から外れるまで耐える。右に折れるや否やその場にしゃがみ込んだ。そこでようやく、ジワジワと気を抜いていく。
(あの人、馬鹿だ――!)
馬鹿みたいに真っ赤に茹で上がった顔を膝に埋めながら、彼は呼吸が整うのを待った。





「イズミって誰。」
そう問い掛けておきながら、
(あれか。)
と、質問者は直前の様子を参考にし、遠くなってゆく答えを自力で得た。それを目で追いつつ、ダラダラと久しぶりで会う友の元へ歩み寄る。
「何を頑張んの。」
「ん? 部活。」
「あれは……野球?」
「……、うん。」
大きな箱型の鞄を肩に掛けた姿が建物に遮られるまで、二人は抱える内実とは裏腹に同じように黙りこくって、一緒にその後ろ姿を見送った。ずっと見ていたが、梅原がその顔を確認することの出来ないうちに一個の影はコンクリートの直線に消えてしまった。

渡り廊下に佇む彼らは、改めて対面した。両者のあいだに流れていた空気が一呼吸置いてごく慣れたものに切り替わる。
「びっくりしたよ。いつからそこに?」
「やかましいんだよ、でかい声出しやがって。」
「スイマセン。」
「たまたま。通り掛かったらお前の声がしたから、見に。」
「はは。久しぶり。」
「いつ来たの。」
挨拶を省いて梅原が尋ねた。眼前の男に会った最後は、旧年度の三学期中頃のことだった。
「時間? 今日は、朝からずっといるよ。」
「じゃ、日にちとしては? 今日が初?」
春休みは遠の昔に明けていた。そうして新年度が始まっていたのに、梅原と浜田がこうして顔を合わせるのは新しい学期が始まって以来これが最初だった。
「いや、授業が始まってからこっち、ずっと来てるよ、今んトコ。」
「……へえ。」
(今んトコ、ね。)
特別な事情がなければなんでもないような箇所に重要性を見出した、一重の目が誰にも気づかれないほどに僅か細くなった。
「来てたんなら顔くらい出しに来いよ。オレもカジも、また九組だってメールしただろ。」
「あー、ウン。そのうちねー。」
それを聞いて、浜田の現れないことを梅原は察した。


「明日も来いよ」と教室を出て行く浜田に声を掛けると、決まって今みたいな調子で「そのうちね」と返された昨年度。一年間その往復を繰り返すうちに、彼の言う〈そのうち〉の信用は地にまで堕ちてしまっていた。
彼の〈そのうち〉はいつ実現するとも知れなかったし、一旦登校してきた日でも途中で抜けて帰ろうとするなどざらにあり、そんな時に引き留めてみたところで都合が許さないのか、単に聞き入れないだけなのか、またそのどちらもであったのかは量り兼ねたが、いずれにせよ大人しく級友の言に従い彼が教室に残った例は一度もなかった。
そうこうしながらつい強く意見することをしないまま、煎じ詰めれば本人の問題だからと好きなようにさせた。
(結果、留年させちまった。)
面と向かっては言わないが、梅原はそう思っている。

浜田と梅原にもう一人を加えて三人でいることが多かった、そのもう一人である梶山という男も、学校側の決定を知らされた放課後には似たようなことを口にした。つまり、まるで己の誤算が招いた事態であるように受け止めたのだった。
その日は、人のまばらな一年九組の教室で進退を直接報告してくれた当人を唖然として見詰めた。しかし、至った結果については今更どうともしようがない。それで、せめて飲み込みにくい現実をいくらかでも口当たりよくしようと梅原が、「あなた、留年ですってよ」と寸劇風に味付けした。そしたら「ウム」と、すかさず芝居がかった物腰で梶山も相槌を打った。あとは、「ごめんなさい、私の力が及ばなかったばっかりに、こんなことになってしまって……」と被せられた展開を受けて、「お前のせいだけじゃない、ワシも悪いんじゃ。ワシがもうちょっと強く言っていたなら今頃は……」と悔恨を覗かせる筋立てに仕上がった。
ふざけながらに出された台詞はどれも正直な気持ちに他ならない。そのことは、三人が銘銘に感じていた。
だから、自分の処遇を伝えたら即興コントを始められてしまった、さしづめ不肖の一人息子浜田は、キョロ、キョロと友を交互に見たあと薄く苦笑して、「とーさん、かーさん、心配掛けてごめんなさい」と棒読みで参加し、首を垂れてみせたのだった。
がらんとした教室はきつい西日の加減で茜色に包まれていた。


そんな二年生になりそこねた男が、今年度は本人曰く、今のところ毎日登校して来ている。
(なんで? オレが言っても全然変わらなかったじゃん。)
「なんで。」
「ん? 何が。」
「なんで、顔見せに来てくんねーの。学校来てるって教えてくんねーの。なんで来なかったのに、来てるの。なんで、……なんでそんなカッコしてんの?」
「えー……と。」
「なんでなんで」と幼子がするような前向きの質問攻めに遭い、浜田は内心で(カジくーん!)とその場に居合わせないウメの第一人者に、恨みつつも助けを求めることになった。
「あー、応援団、やろっかなって……思ってるんだ、俺。」
それから、ひとまず片付けやすい「なんで」にのみ回答した点についてはニヒッという笑いで誤魔化した。

不自然な笑みを浮かべられて、梅原はきょとんとした。ややあって、
「……ああ、コスチュームプレイ」と閃いたものの、
「違います。」
という判定が即座に下り、今度は不機嫌そうに眉間を顰めた。
「不愉快だ。」
それは、親しんでいたい人の未知なる領域に触れたと思う、己の感覚を純粋に表していた。
「何が? 俺? 俺が?」
昔から他人との意思疎通にえらく時間の掛かる自分自身を知っている梅原は、今みたく会話のさなかに相手の頭上に疑問符の浮かんでいる状況が長引くのを好まなかった。
「なんとなく。」

彼は、疑問符の出現を察知するまではできた。
ところが、それが分かったところで、ではどうすれば自分と相手との落差が埋まるのかという段になると、何度同じ状況に陥ってもその解決の糸口を見つけられずにいる。
だから結局は、会話の泥沼化を避けるために曖昧な言葉で流れを寸断してしまうのだった。
そうやって梅原は単独で迷路から脱出し、おかげで取り残された相手はいっそう理解の場から遠くなる。
「なんとなく不愉快になられるって、けっこう傷付くんですけど。」
そんな苦情を寄越されたところで後はもう、力技で双方の越せない落差を揉み消すしか彼には手段が思い浮かばない。
「ふうん。」
「ふうん!? さっきの食い付きはなんだったのよ。」
変人が作り出す独特な緩急の流れに上手く乗れなかった浜田は、それまで密かに持っていた、この機に応援団勧誘、という意識の変更を余儀なくされた。
(そうだな、ウン、よし。カジ君を交えてやろう、やっぱり。)





2.

営業時間が過ぎて、学食の奥まった厨房は無人で暗かった。とはいえ、食事場所には一面の窓からたくさん午後の陽が差している。数ある机と椅子はこの時間、談話用に開放されていた。その隅を借りて、三人が揃うのはいつぶりだなどという前置きもそこそこに浜田は本題を切り出した。
「俺、応援団創ろうと思うんだ。」
呼び出されたというより付いて来たと表現したほうが似合いの梅原は、我関せずといった様子で紙カップに入ったジュースの水面を不思議そうに見詰めていて、たまにチビリと飲み進めることに没頭しているようだった。
「はい?」
てっきり中身のない雑談だと思っていたためにわざわざ場所を変えるのは面倒だと愚痴りつつ二年の教室が続く階から下りてきた梶山は、連立ってきた変わり者のことは好きにさせておきながら「何それ?」と話を次へ進めた。

「野球部がこの春、新設されただろ? それの。応援団。」
「なんでまた。野球が好きなのか?」
「……経験者。」
(なら野球部に入れよ。)
咄嗟に言い掛けたが、それをグッと飲み込んで梶山は考えた。他人から言われるまでもない一番真っ当な選択肢がなんらかの原因なり理由なりによってすでに除外されていることは明らかだと、すぐに気が付いたからだった。だからこいつは野球部員たちが部活をしている今ここにいて、だからこいつは俺たちにこんな話をしているのだろう。
さらに二択を蹴った答え方に、どうやら相手が複雑な心境を有しているらしいということをも看破した。しかし、嫌っているなら自らそれに接近するような計画は思い付かないんだろうから、答えを己の発した二択に還元するなら(好き、)なんだろうなと思われる。
そう思考している間ずっと腕組みをして無言を続けているものだから、外から見れば纏う空気が大変シリアスだ。
それにひきかえ、ついでの存在のようにしている梅原は相変わらず暇そうだった。

「で。それって、ただの願望? 発案してるだけ?」
梶山は再び口を開くと、確認したい要点を歯に衣着せぬ文句で抉った。けれど、
「や。もうやるって決めてんだ」と臆さず返ってきた意思の明示によって彼には聞くことがもうなんにもなくなった。
「へえ。」
なぜ野球部なのか。なぜ部に属さないで応援団という形を取るのか。
諸々の質疑があるにはあったが、どれもこれも梶山なりの捉え方でみた本筋に関わる類のものではない。その説明いかんでこちらの出方が変わることはないのだから、何もいま主題を取り巻く周りの層へと足を伸ばす必要はないというのが彼の論法だった。

「そんでさ……あ、ここまでが報告ね。ここからは勧誘。」
「ああ、ハイ、さようで。」
「ウン。そんでさ、どう。」
「どうって。」
「『君も応援団に入らないか!』」
底抜けの笑顔とともに人差し指をピンと伸ばした両手を元気良く向けられて、梶山は苦い顔を作った。
「なるほどね。」
予めしていた心積もりを上回るその沈着ぶりに、ここへきて初めて気を落とした浜田はやっとこさ、斜向かいに黙然と座っている男にも話を振った。
「ウメちゃ〜ん、カジくんのテンションが最低なんだけど。」
「うん?」
「ウメはどう。応援団とか、興味ない?」
「オレ、援団やってあげてもいーよ。」
これまで話し合いに一切混じってこなかった男は、先の軽い誘い文句一つに快諾した。
「マジで?!」
梅原が、あっさり肯く。浜田は色めき立って梶山に目を戻した。
「ホラ見ろ、カジ! ウメはやるって!」
「うるせえな、誰もやらないとは言ってないだろ。」
「保留? ウン、いいよ。考えてみて。」
「オイ落ち着けよ、鬱陶しいな。聞け。それって、お前以外にどんな面子が集まってんの。」
「あ、メンバー? まだ俺一人。そしてこれが最初の勧誘! はっはっは!」
「ハッハッハじゃねえよ、お前。」
ハアと短い溜め息を挟んで、梶山が、
「俺らが乗らなかったらどうすんの」と続けた。
しかしその実これはこの男の、仮定の形を取った単なる確認作業でしかない。彼にとっての本筋とは、あくまで浜田が応援団創設を貫徹する意志があるかないかであり、それが明確に見えたのなら己の身の振り方は「乗る」以外にはないのだから、答えがどうであれ筋に影響の及ばない脇の要素について試すように質問するのは意地が悪いともいえた。

ともあれ厳しい可能性の指摘に対して、
「しょうがないよね、その時は」と言われたので、気弱な言葉が並ぶのかと思いきや、
「当面は俺一人ってことで。」
と、肩を竦められた、彼は、「しょうがねえな」と同じように肩を竦めて返事した。
「付き合ってやるよ。」
それを聞いて、浜田が嬉しそうに目を輝かせた。机に身を乗り出してすかさず念を押す。
「ホント?!」
「ウメとお前が事を起こして、俺が無傷でいられるはずがねえ。」
「え?」
人差し指をクルクルと回し、もう一方の人差し指をヒョイヒョイと左右に動かして梶山が、
「傍観を決め込んでも結局は迷惑を被る形で巻き込まれるんだから、端っから渦中にいたほうが何にでも早いうちに対応できるってこった」と表面的な見解を述べた。
そして、ウーンと唸って解釈するそぶりを形式的にしてみせてから、「よく分からんけど、ヤッター!」と諸手を挙げて喜ぶ浜田に、(分かる手間を省くからだろ)と心の中で突っ込みを入れる。
「愛してるぜ、カジー!」
(こいつの丼勘定みたいな言動には一度しっかり苦言を呈さねば。)
そうして不本意ながら愛されし者が眼鏡を上げた時、隙を衝いてややこしい横槍が入ってきた。
「オレは?」
「ん、愛してるよ、ウメー!」
至極満足げに深く頷いた、愛されし者その二も告白する。
「オレも愛してるよ、浜田。」
「……。」
定番の結託に白けた梶山が「俺はその輪には入りたくない」と拒むと、「つれない」と浜田は言い、梅原はどういう感情なのだかよく分からない表情を向けてきた。
そんな横には一言を添えて梶山は、自身も変な顔を作り返してやった。
「不細工。」

そんなふうにして、三人は出航した。










終.
otherに置いた方がいい話ですが構成上、浜泉軸に。
で、本題…『古城と風』>
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