text_other04(援団)
置いては往かない。

浜←泉 浜+梶 『古城と春』後の話 援団結成;裏

古城と風



1.

浜田は思う。
俺は絶えない炎になれるだろうか、と。
(燃え上がる己の心は一体どんな色をしているんだろう。)
そのためにあの風は、いつでもこの身に新鮮な空気を届けてくれるだろうか、と。



そこかしこに植わる躑躅を鮮やかな赤や白に咲かせた熱を孕む大らかな風が、彼の体も一撫でしていった。
「よう、奇遇だね。」
聞き慣れた声のほうへ首を捻じると、帰り支度は万端と見受けられる梶山の姿が風上にあった。
「オーッス。今から帰るとこ?」
掃除当番の生徒たちはまだその時間の中にあったが、大半は放課後の解放感に身を置いている。
浜田は、校内の片隅に忘れられたようにある石造りの、背凭れも何もない古址みたいな腰掛けにいた。斜面になったそこから第一グラウンドを見ると、やや伏し目勝ちになる。背後には学校の歴史を感じさせる、瓦を載せた白塗りの壁が迫っていた。それが東西に走って敷地の内外を決めている。
このひっそりとある遺物より先は、駐輪場にも通学路にも繋がっていない。したがって、下校の時刻であってもなくてもここらに目的を持つ生徒は滅多になかった。眼下の小グラウンドにソフト部の女子がポツポツと集まり始めているものの、ちょっとした距離がそのままあそことここというように空間を隔てていて、人の気配が遠い。
「今日、原チャリで来てたの?」
「ああ。」
頭を掻いて短く答えた梶山は、元級友の横に自分も尻を付けた。学校の裏手に茂る草叢に原付を隠すように駐めてきた日は自ずと帰り道がここになる。学校側が認めていない登校手段であるから、そんな所に駐輪するのだ。
「もう帰り?」
「いやあ、愁いを帯びてベンチに佇む様子が絵になってたね。発見した瞬間、吹いたよ。」
「ウメは?」
「思わず写メりかけたけど、マァ、面倒臭いからそれはやめておいたよ。」
誰の注意もないだろうと気を抜ききっていた様を一方的に揶揄された、浜田はうるさそうに手をハタハタと振った。
「ああもう、わあーかったよ、格好良くってごめんなさいね。」
「そう取りますか。」
「お前ね、俺を一体どうしたいわけ。」
「ハハ、冗談。俺は帰るところだけど……、ウメはな、知らん。」
薄い外套のポケットに両手を突っ込んで背中を丸めながら男はそっけなく返答した。

去年の一学年次、同級だった彼らは組み合わせを変えながらもよくその三人で時間を過ごしていた。
「なんだ、置いてきたのか。」
そう言った口角がニヤリと上がる。
梶山は、
「探したけど教室にはいなかったし」と応戦した。
「ホラみろ、置いてきたんじゃん。」
「そんな日もある。ところでちょうどいい、お前に聞きたいことがあったんだ。」
「あー、話替える気だ。」
楽しそうに非難しておいて、浜田は「何?」と促した。


「言いたくなかったら別に言わないでいいし、聞いたからって何が変わるわけでもないんだけどな。」
「うん。」
「なんで野球部の応援団を創ることにしたんだ?」
梶山が団員に加わることを承知しただけで済ましたその場から、質問した今日までに幾日かが経っていた。
「あー……、やっぱり気になるよねえ。」
「……。」
相手の口が重くなったのを察した彼は、練習着姿の運動部へ、動く絵画でも鑑賞するようにやっていた視線を隣に移しかけて、途中で止めるとまた元の通り、土煙の舞いあがる正面に戻してしまった。そうして、このまま待つべきか、ここで切り上げてしまうべきかを推し量った。
「言いにくいことは何もないんだけど、ただ、なんて言ったらいいか迷っちゃってさ。」
訊かれた人は言葉を考え始めた様子でいる。
「いや、いいよ。どうしても知りたいってわけじゃないんだ、俺は。」
人の口をこじ開けて、生々しいものを引き摺り出すことに心血注いで目を爛々とさせる趣味は彼にない。
「ああ、カジは、ね。」
示された柔軟な態度から的確に含意を読み取った方はそう相槌を打ち、ついさっき話題に上ったばかりである某人の執拗な質問攻めを思い出しながらクスリと笑いを零した。
「そう。」
ご明察、と梶山は眉を器用に上げた。
「ウメがいる席で訊いたら多分、お前が窮するんじゃねえかと思ってよ。あいつは知りたがりだからなあ。お前のことが好き過ぎるんだよ、憚り様。」
「はっはっは。けど実際、ここで喋ったことをそっくりウメに聞かせたら、あいつ、しばらく臍曲げちまうかも。」
一旦そこで言葉を切ってから、彼は続けた。
「アー、実は、中学ン時の後輩が入ったんだよね、ここの野球部に。」
「へえ。」
「ウン。それで、俺はいろんな意味で駄目な先輩になっちゃってるんだよねえ……。ホント……、いろんな意味で……、ネ……。」
小声で繰り返された経緯に深く入っていく気が、聞き手には起こらなかった。
「そのへんは暈かしたまんま進んでも差し支えない?」
「ナイ、ナイ。」
一度は明るく応じてみせたが、
「それで、そいつがよりによって、俺にさ……」と話すうちにこわばっていった表情が、
「『頑張れって言って欲しい』って、言うわけだ。」
と言い切ってしまった時には、翳された手に隠れていた。

「慕われてんね。」
何気ない感想と、重たい溜め息が重なり、やがてその感想の中身を拒否して押し返すような声量でもって浜田が本音を吐き出した。
「言えるかよー!」
意外な着地点に、聞いていた方の薄ぼんやりした眠気はふっとんだ。





2.

「……言えねえよ、頑張れ、なんてさ……。」
ぽかぽかした陽気に包まれ、放課後という名の贅沢な一時をのんびり過ごしている、瞥見すればそんなふうに、さぞかし暇に映ったことだろう。けれども、あいにくここはそうした傍目から免れている一角だ。グラウンドの部員たちさえ集合して、散開して、いよいよ体を動かすことに励みだした。だからなおのこと、植木の切れ間に風景として溶け込んだ存在など誰の気にも留められなくなった。
「それでも、そいつは俺に『言って欲しい』って言うんだ。ンな資格なんて、俺にはねえのに。」
「……。」
無言でいる梶山は、眼鏡をクイと上げる仕草で間を埋めた。
「笑っちゃうだろ?」
自嘲する男の眼の奥で、黒い何かがそっと揺れる。
「俺、人のことなんか応援してる場合じゃねえんだよ。」
グー、パーを繰り返す手をもう片方の手の平で摩りながら、彼が性悪な主張を繋いでいく。
「ンなことしてたら、『いや逆にお前が頑張れよ』とか言われるぜ。俺が他人ならそう言うよ。」
そう言うよと吐き捨てたけれど、それを言うにはこの友が優しすぎることを梶山は知っていた。

「敵は多いわ、生活は自堕落だわ。後輩は切り捨てるわ……、もう良いとこなしだぜ。それで……、それでも、俺自身は胸張れないわけじゃないけど……。そんな人間に応援されて、相手が喜ぶのかって話じゃねえ? ……けどさ。――あいつは言うんだよ、それで……、」
「うん。」
「それで、奮い立つって。」
今やまったく俯いてしまった人の眼元は、掛かる前髪が邪魔をして分からない。が、ぼそぼそと喋る声は心なしか震えているようにも思われた。
「なるほどなあ。」
「……曲げねえんだよ、あいつ」と呟いた声は、苦しそうでもあった。


「惚れられてんね。」
内心ギクリとしたが、口調からして冷やかし以外の意味はなさそうだ。浜田は大きく息を吸って、静かに吐いて、心を落ち着かせてから、ありのままを打ち明けた。
「すぐにはどうとも答えてやれなくてさ。今だって、本当はその部分の葛藤がまだ自分の中にあったりするんだけどね。」
「そうか。」
「けど」と、弾みを付けて言った彼がそこで俄かにバッと面を上げた。その顔付きは、それまで纏っていた空気から脱皮したように清々しかった。
「個人的に後輩一人を応援するのは厳しくても、いっそ応援団として開けっ広げに全員を応援しちまう形だったらさ、思いっきり堂々と声援送れるんじゃねえか、って、ことで! 思い付いちゃいました。」
梶山は眩しそうに眼鏡の奥で目を細めて、軽音楽同好会の練習する音が聴こえてくる校舎のほうを見詰めている。エイトビートのリズムを刻むドラムの響きが、風に乗って運ばれてくるあいだにその音量を薄めていて心地良い。
(……吹っ切れなくても切り替えは出来る、って、ところかなあ。)
浜田は指で作ったブイサインをパチパチ動かして愉快そうに、歌うように言った。
「転んでもタダでは起き上がらないんだもんね。」

「で、援団長か。」
「そ。命短し、挑めよ男子! ってな。」
梶山はウンと大きく伸びをして立ち上がると、ことさら独り言のように告げた。
「さー、帰ろう!」
「そこは取り合ってくれないんだ。滑った感が否めなくて残念だよ、俺は。」
「精進するように。」
「あ、ハーイ。」
「それで。マァ。ウメには大まかに伝えておけばいいだろう。他にも聞いてみたいことはあるんだが、今日はもう帰るよ。お前のテンションがなんかウザい感じに上がってきたから。」
「酷くねえ? カジ君、あんまりだよね、さっきからね?」
「じゃあな。」
「クッソー、ことごとく流しやがって。分かったよ、バイバイ!」
「おお。」
梶山は、笑いながら正門とは逆方向に歩いて行った。



改めて一人になった、浜田は想った。尾根を越えて、河を越えて、崩壊した城を越えて、棄てられた村を越えて、海を越えて、夜を越えて、何処までも、何処までも吹いてくれる風を。
その風さえあれば、自分は絶えない炎になれる気がした。
(そんな炎の終焉は、そいつに吹き消されて終うのがいい。)
自分を含めた何者にも消せない火を宿そう。唯一の風がふっと強く吹き付ける気紛れを起こす、その時まで。
「君に誓うよ――なんつって。」
そうして浜田も、歩き出した。










終.
青春って何ですか。
ところで梅原は?的な…『M42』>
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