企画text05_2
此処に眠る。

- 遊郭

<1.
守秘義務



2.

火ノ国最大の歓楽街にその見世はあった。その見世、まほら屋は二等地に開かれていた。ここらの町へ来ると、客を誘う連子窓からの声にだみ声が混じり、冷やかしの質は、下卑た怖いもの見たさに変わる。あちらこちらの行灯の明かりが重なり合って、そうした人々の影を蠱惑的に動かした。
カカシは格子越しに糸遊の見目形を確認した。依頼人と似た飴色の髪で大きな玉を作っている。襟元に淡いレースが走るその器量好しを指す時には、誰しも迷わず〈彼女〉を使うであろう。鈴蘭のように可憐である。それと彼女の後方の目立たぬ位置で、扇柄が艶やかな黒地の打掛も、暈けた光と吸い付け煙草の煙に巻かれていた。
鹿深の慣れた足に従い入口の先へ進んだカカシの目に、ニ、三の厚化粧が飛び込んできた。生まれ付いての女として十分通る面もあれば、採石場から切り出してきた大岩が女装しているとしか言えない姿もある。糸遊は中でも一等ちんまりしていて、遊女屋の禿に紛れても目立たぬくらい小柄であった。
張見世の中ほどに座る糸遊から、カカシは、壁沿いの隅にいる一人に視線を移した。連子窓の外を逆に品定めしているような白けた横顔が、静かに咲く黒いヘレボルスを思わせた。その彼に、向き直った糸遊がにこりと微笑みかけている。

黒内掛は楼主の肝煎りで数か月前に勤め始めたらしい。ある日のこと、「姐さんとこの旦那さん、見世に警戒され始めているようですよ。あんまり夢中な仲を大っぴらにしていると、そのうち引き離されかねません」と糸遊は彼に耳打ちされた。その出来事を、鹿深が伝え聞いていたのであった。
また、思いも寄らぬ親切を身に受けて以来仲良くなったとも彼女は語っていた。勇気を出して話し掛けてみたら気立てがよくて、私のほうが年下に思えるくらいしっかりしているの。真っ直ぐな黒髪に合わせた色打掛でね、背も高くて、とても格好良い子なのよ。

雇った忍と恋人を引き合わせる今晩、その場にいた蝶が、後日主人に告げ口をしたり、座敷での様子をぺらぺら口外したりしてしまっては計画がおじゃんになる。忠告をくれた蝶の特徴を前もって頭に入れていた依頼人が、見立てるふりで口を開いた。
「ソオドさん。」
これはカカシの偽名である。
「あの蝶はどうだい。」
「そうさねえ。」
「お客人。あちらの蝶は、変わり種どす。」
上玉でもおかちめんこでも、客を取るそれぞれを分け隔てなく一様に蝶と呼ぶのが、まほろ屋の慣わしであった。
「まず春は売っておへんのやけど、それどころか、お客さんに口さえ利くかどうか。あの蝶の機嫌次第なんどすえ。名も、不落と申します。」
「それはまた。商売に励む気がないのを、よく抱えているね。」
「話題性で、お客さん運んできてくれるやろか思いまして。」
「うん、私は鹿深さんのお薦めにしよう。」


一人で通い詰めていた上客に、今晩は連れがいた。初めて見る男の方は、一周り若そうな目元をしている。といっても片目は眼帯で塞がれているし、薄手の首巻きから黒い布地が鼻の所まで伸びていて、まるでお忍び客のように素顔を守っていた。紺の御召に髪の銀色が映える。籬越しに、男と不落は目が合った。隠された口元が、薄ら笑っていたように思えた。
いつもループタイをしている上客は、輪郭の先に髭を生やした顎を動かして妓夫台と遣り取りをしている。銀髪の客と不落の視線は絡まり合ったまま解けない。周りの人々が――溶けゆく蝋燭が――お囃子の撥が――虫の羽ばたきが十を数えているあいだに二人の時間だけが止まりそうな拍で漸く一、と刻まれているような感覚であった。そこへ、支度ですと不落に声が掛けられた。糸遊もまた支度と呼ばれていた。

客が一足先に階段を上がる。酒や肴を注文しながら待つことになるが、事前に済ます大きな段取りのない不落は膳と前後して座敷へ一礼した。
「不落でございます。」
「糸遊から噂はかねがね。さ、そちらへ。」
立ち上がった彼にはカカシと変わらぬ上背があった。
「宜しく。」
「どうぞよしなに。」
そうして新規の客の横に黒を基調に装った蝶が付いてから十五分程して、対照的な白と藤色を使った衣装の糸遊も障子を開けた。鹿深の隣へ膝を折る髪に挿し込まれた、生花の飾りがかぐわしい。
「糸遊。この方が前に話して聞かせていた、ソオドさんだよ。」
「以後お見知りおきを。」
「ソオド様、あんじょう宜しゅうおたの申します。旦さん。この子が、不落え。」
挨拶の連鎖に自分の名も付け加えられて、不落は小さくお辞儀をした。

ほどなくして、蝶に狂う為でなく、あくまで客同士で詰めたい仕事の話があるのでと言って、太鼓持ちを下がらせた。
そうして宴席に邪魔が入らないように人払いを終えた鹿深が、
「ソオドさんは、私のたっての願いを叶えてくれる御仁だよ」と向かいの男をぼんやり紹介し直した。糸遊は余計なことを口にしないで真剣に頷き、もう一度頭を下げた。それから依頼人はカカシの右手の蝶にも言葉を掛けた。
「貴方が助言を下さった方ですね。」
彼らが危険極まりない駆け落ちを本気で目論んでいるとまでは思っていない不落は、
(人を同席させてまで会いに来るとは。入れ込みすぎんなって言っただろうが。)
と内心毒づきながら、会釈だけで無愛想に返した。


ざっと各人の挨拶が済むと、常連は己が伴って来た客とはろくに会話もしなくなった。傍らの姐さんとばかりぼそぼそと語らっている。
見るに見かねてくれてやった一言をきっかけにやたらと姐さんに懐かれていたうえに、馴染みが客を連れて来たら指名される役を引き受けてくれないかと、あらかじめ懲りない頼み事をされていた不落が銚子を摘まんだ。すると、横から伸びた客の手がそれを取り上げて、
「アンタも」と促した。
「……。」
不落は、自分がダシに使われていることをこの男は承知しているのだろうかと思っていたが、連れにはやばやとほったらかされてさも平気の平左でいることからどうやら相手も仕方なくこの場にいるようだと感じて、親近感を抱いた。
それに、口元を顕わにしたソオドは二枚目であった。歳も近そうだし、相手をするたびに精神力を擦り減らされる自分の馴染みよりずっと好感も持てたので、彼は気分転換がてら一杯だけ杯を空けた。

「それにしても変わった売り出され方をしてるよね。」
「……。」
「気に食わない客とは、話もしないんだって?」
「……廓言葉を私は遣いませんから。私を指名したところで浮き世の夢なんぞは見られません。」
「ふ。それで、押し黙って通しているのかい。」
「ええ。」
「なるほど。さえずりに欠点でもあるのか、よっぽど気が強いのかと思っていたら、客の夢を壊さないように心を配っているんだね。」
「……。」
「こんなふうに進んで危ない橋を渡るのも、不落が優しいからなのかな。」
「……さあ。」
「用心しろって、前のお二人さんに知らせてやったがために俺の相手をする羽目になっちゃったんだよ。」
「……。」
「お人好しさん。」
「それは貴方様では。」
「んマァねえ。でもさ。春は売らない、夢も売らない。そんならアンタは、一体何を売ってるの。」
「……。じゃ、そちらは一体、金で私の何を買おうとなさっているんです。」
互いは視線をぶつけた。不落の目にはしっかりした力がある。僅かに揺れたのは、カカシの瞳のほうだった。
「なんて。すみません。ソオド様は別に私を選ばれたわけではありませんでしたね。糸遊さん姐さんに頼まれているのが偶々私だっただけで。」
「白状すると、そりゃ最初はね。どうやって一晩過ごそうかって色々考えてたけれど。」
「……お気の毒さま。」
ややこしいことに首を突っ込んでしまったと舌打ち気分でいた不落は、こうなれば自分を指名した客については呑む酒に薬を混ぜて一番鶏が鳴くまで寝息を立てていてもらおうと企んでいた。下心のある普通の客を相手にする気は更々なかった。
が、何故か男には先ほどから隙がないように思われる。

相手の杯に細工をしようと隙を窺っていたのは不落だけではなかった。カカシは当初、自分に宛がわれた蝶には薬でも盛って一晩中ぐっすり眠っていてもらおうという考えでいたのである。
一服盛るほか、口達者なら説得するとか、瞳術使いならそれを発動させるとか、忍なら得意の方法でこの時間をやり過ごせるのではないかというのが鹿深の期待するところであった。
「きっかけこそ偶々でも、俺は不落に当たって良かったと思ってるよ。そうだねえ、今は、端緒が欲しいかな。不落の恋心に繋がっている、導火線がもしもあるならそれを買いたいね。」
不落は呆れた目を向けた。男は手にした椀を鼻に近付け臭いを嗅いでいる。
「ソオド様は、ここの遊び場には初めてお越しになったんですか。」
「そうだよ。どうして。」
「堅気に思えない。」
ぎくりとしたが、その続きに忍は胸を撫で下ろした。
「素人じゃなかなか言えない気障な殺し文句でしたので。遊女屋筋で遊び歩いていた人が、新しい趣味を開拓しにでも来たのかと。」
「言うね。俺のことよか不落はどうなの。いつから、夜行性なの? アンタも、玄人には見えない。」
襦袢の下の発達した胸囲や、正座によって張った太腿の肉を見られていた。
「鍛えてあるでしょ、体。」
「……。」
「言いたくないなら言わなくていーよー。」
「……。……秘密、と言ってだいたいは済ましているんですが、今日の夜はまだ長いし、変な勘繰りはご免ですから少しだけ、お話することにします。その代わり。」
「何。」
「追加の質問はなし。」
「どうぞ。」
「つい最近ですよ。沈められるまでは、町の寺子屋で手習いを。ついでに、女子に護身術、男児には柔術を教えていたんです。簡単なものですがね。物騒なご時世ですから。」
「……先生、だったんだ。」
人目も憚らずに寄り添う鹿深と糸遊は完全に自分たちの世界に浸ってしまって、それに巻き込まれている向かいの連れ合い客と蝶はいないも同然の扱いであった。

いちゃつきながら飲み食いして、まだ早い時間に依頼人は床の準備をさせた。床廻しが端と端に夜具を敷く。それが妙に直接的で、現実味があり、遠くに聴こえる三味線の旋律に乗ってふわふわしかけていたカカシの頭は一気に醒めた。
「え、もう寝るの。あの、俺たちは、どうすれば……。」
「ごゆっくりなさって下さい。私たちも、ご迷惑にならないよう極力静かにしていますから。頃合いを見て、後ろの襖から奥へ下がります。」
「ちょっと、まだそんな時間じゃ……。」
「では、朝まで失礼します。」
「不落、おおきに。」
こうして、もう待ちきれない鹿深と従順な糸遊は屏風の向こうに場所を移した。
シュルシュルと衣擦れの音がする。屏風に帯が掛けられた。取り残された二人は俯いた顔をなんとなく見合わせてしまって、ますます落ち着かない空気になった。

泊りの客といつまでも起きていることはできない。そんな過ごし方をしていたら、夜中に明かりを継ぎ足しにきた不寝番に大問題だと騒がれてしまう。
「酒をお替わりしようにも、この状態じゃあねえ。」
「ええ。あちらとこちらの、この温度差を覗かれてはいけませんね」と、不落が恨めしげに屏風へ目をやった。このまま畳の上で駄弁を貪っているわけにはいかないので、
「狭いですが、形だけ床に入っておきましょうか。」
「そうだね。寝転んで、ごろごろしよう。」
と言って彼らも屏風の裏へ身を移した。
不落は、相手が汗っ掻きの肉団子でなくて幸運だと思った。カカシは、地毛だという肩より長い黒髪をクルクル指に巻き付けてみたり、適当な量を掬い取って三つ編みを作ってみたり、手遊びしていた。屏風のあちらから官能を刺激する音が洩れてくるとどちらの呼吸も一瞬止まって、時おり気まずさを味わった。
それから、ずっと続いていた一階の清掻が絶え、襖が細く開いて、閉じた。
「不落。もう俺の相手はいいから、あっち向いて休みな。」
「そうしたら、ソオド様がお暇に……。」
「俺も、便所に行って戻ったら寝るよ。お疲れさん。」
特にこれといった代案も浮かばず、一日働いて眠気を催していた不落は目を瞑ってうとうとした。
一旦布団を離れたカカシは、迷子になった酔っ払いの足取りで、建物の間取りと人間の動きを自分の目で確かめて回った。

カカシが駆け落ち援護作戦を実行している見世は、奇しくも別件で同郷の忍が潜入活動している見世でもある。このことを報ずる里からの密書は依然、彼の手元に届いていない。伝令役が、ぽっかり空いた自然の落とし穴に落っこちて両脚を骨折していたせいである。










-続-
3.〜4.>
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