企画text05_3
此処に眠る。
| - | 遊郭 |
| <2. |
| 守秘義務 |
3. 合い部屋に見せ掛け、依頼人とその恋人の逢瀬に付き合っているカカシに、二回目の夜がきた。 彼の班は粒揃いで、この四日のうちに中忍が証文を見付けだしており、それは、拵えた偽の紙切れに既に置き換えられていた。下忍は周辺の辻や抜け口、人通りの多寡を丹念に下調べして地図に描き起こしている。奪取対象の体格が思いのほか小さかったので、力持ちの助っ人は不用となった。見世への同伴がない日のカカシは、正妻の放った、素人に毛が生えた程度の探偵を翻弄して暇を潰していた。 そして二回目のその夜、鹿深と揃ってまほろ屋に顔を出すと、ちょこんと張見世に座っていた糸遊が目ざとく見付けてにこにこしながら背筋を伸ばした。 酒席の片側両人は体と体に隙間なく、本日も睦まじい。 べたべたしたその様子を正面で見せ付けられている一方には、乗り掛かった舟で不落が同席していた。酌の相手は巻き添えを食っていると思われるソオドである。しかしこのそれぞれは、互いに秘密の事情を抱えて御猪口を取り、徳利を傾けているのであった。 「お一人で逢いには、いらして下さらないんですね。」 「あー、マァ、俺は揚代を奢られている立場なんでね。」 「それにしても、お二方とも男ぶりがいいこと。全体どういうお仲間なんです。」 「あれ、言ってなかったっけ。アーと、そうだな、何と言えばいいか。鹿深さんとは……そう、同じ私塾に通った仲です。彼の家は代々続く名家でしょ。俺は……所有してる土地に温泉が湧いて、今じゃ超成金になった家の、次男坊なんだあよ、脛ッ齧りの。気楽なもんさ。」 「さようでしたか。」 「さよう、さよう。」 「じゃ、貴方様の意思で逢いに来て下さることは、これからもないんですか。」 「う、ううん、そうねえ。」 前回の同衾が、さほどどころかちっとも不快でなかったカカシは、〈逢いに来て〉に聞こえるこの営業の弁が本音である可能性をも推し量っている己に動揺した。 (そりゃ不落はいい奴だけどさ……いやアバンチュールは無いって。無い無いそれは無い。ああ、危うく片道の橋を渡りかけた。怖いわー、玄人って怖いわー。) 「来れるなら来たいけどね。」 「口ばっかり。」 「そんなこと言わないでおくれ。誰かに取られやしないかって、気が気じゃない毎日だよ。」 「お上手。」 一笑しようとしたが、ここのところ馴染み客の揺さぶりにどっぷり浸かっていて、壁、床、天井の四方がじわじわと押し迫ってくる密室に閉じ込められているかのごとき、重苦しさに連日曝されていた不落には難しかった。 カカシも笑い飛ばすには燃料が足りず、しけった手持ち花火みたいな空気が座の片方に流れた。 「あのさ、こんなことを言って今更やる気を失くされても困るんだけど、見世に睨まれればアンタだって辛い折檻を受けることになるってのに、なんでまた手を貸してやろうって思ったの、不落は。」 「私だって関わりたかァなかったですよ。」 「はは、だあよねえ。」 「……でも。いつ死んでもいいと思っている人間にはね、死ぬ気でやろうって奴を応援する理由なんて、特に必要ないものなんですよ。」 ぼんやり話す声はどこか、心ここにあらずという調子を帯びていた。カカシは思わず右に侍る面持ちを覗き込んだ。その大きな動きに苦笑した不落が訊いた。 「ソオド様は?」 「俺は……道楽さ。」 新月の今宵は、東に天の川がきらきらと流れていた。 さて、一つの布団に二人寝るとどこかしらがくっ付いてしまう。そこで、カカシが敷布に肢体を伸ばし、不落は下辺で丸められた夜着に凭れかかるようにして半身を沈めた。脚は畳にはみ出している。向き合う格好をはばかり寝返りこそ打たなかったものの、愚直にも並んだ枕に頭を載せて寝た初回を思えば、こんな形は変と言えば変である。だが、彼らには適切な距離感というものを定めようがなかった。 親しくはないが初対面でもない。一度目よりも、一度目で近づいてしまった相手に逢う二度目のほうがよっぽど意識する。享楽に耽る場所にいながら、房事に励むでもない。そんな気は毫も起こらない。起こらない筈なのに、何故か、カカシは不落の、不落はソオドの魅力をいちいち数えているのである。一体今が不自然に離れているのかどうかなど、誰に分かろう。屏風の内では、一切が妥当へと早変わりを遂げる。 やがて滑り込みの客を迎え入れた見世が表で戸をゴトンゴトンと閉め始めたのを合図に、不落がすっと座敷を抜け出した。 厠にでも立ったのかとその時は気にしないでいたカカシが足元の夜着を伸ばして被り、首を長くし始めて、漸く相手が帰ってきたのは草木も眠る丑三つの、しんとした夜気に拍子木がカンカン鳴り渡った後だった。 「お帰り。」 てっきり眠っていると思っていた人に声を掛けられて、枕元にこごんだ彼は肩をびくりとさせた。 「ほかの男の所へ行っていたの?」 「……お勤めですから。」 「誰のものにも、ならないんだよね?」 「可笑しい、まるで焼き餅を焼いてる声。」 「それもそうだな。可笑しいや。」 カカシは、好みみたいなものを持っていた自身が意外であった。しかもその篩によってちゃっかり不落を選り分けていたことをはたと自覚した。 (本当に、滑稽だ。) 女の目利きをやる際とは全然違う観点でもって選り好みをしているという自己の知らない一面を半ば面白がり、策なき足掻きはあらゆる損失を生むという彼の人生訓が半ばあっさりそれについての是非を打っ遣った。 試しに「寒くないかい」と訊ねながら腕でふわりと夜着を上げると、口の開いた貝みたいなそこへ不落は身を差し入れた。仰向けになった彼が、ふー、と天井に向かって大きく息をつく。ここにいた先より疲れて帰ってきたのがひしひしと伝わり、心を掻き乱されたカカシが肘を支えにして上体をやや起こした。 「その表情。作ってないっていうなら天才だね。」 「……。」 閉じきらない唇、倦怠感の増した頬。行灯が柔らかい影を落としている。 「……。」 「……。」 目尻に差した紅が、まみえる者の意識をぐっとそこへ惹きつけた。 「……。」 「……。」 潤む黒目が眼帯の男を映す。 (奉公中だっつっても長期に亘って禁欲してなきゃいけない訳じゃないし。一人で抜くと思ったら、ちょっとくらい触れ合ってもいいような気が……、いやちょっと待て。精神消耗してかなり濁ってるな、俺。……ああ、けど、すっきりしたら冴えた思考を……って、俺が誘惑されてどうする。ああ、やっぱ迷ってるっつうか、こんなふうに言い訳を試みてる時点で……テンパってる……か?) 不落の心はぐらついていた。 太腿を包む緋の襦袢に軽く手を添えると蝶があんまり初初しく体を硬直させた。 「春は売ってないって言ってたけど、まさか本当に水揚も済ませてないとか?」 「……うちは遊女屋じゃありません。」 踏み止まる不落を膝で跨ぎ越え、カカシはせなへ寝そべり直した。 背面にこの客を感じることには初日の晩で慣れていた不落は拒まずにいた。そうしたら、今度は腰から腹へと緩く腕を回された。帯は前結びである。これを解かれたらどしようと案ずる心境があるいは手籠めに怯える女の性に掠った気がして、とはいえ果たして実態は不安を表わす〈どうしよう〉であるのか、はたまた迷いの〈どうしよう〉であるのか、(どちらにしても)とまで思った彼は、密やかに上気していた。 (自分で開くか? 相手に当てられるか?) 「……。」 (いや――ダマテンで、流局……ってのがあったな……。) 「……まほろ屋は、もどき屋って嗤笑されているんですよ。夜な夜な舞ってる蝶たちを見れば……いえ……私を見れば分かるでしょう。」 「なあんにもしなーいよ。」 先刻接客していた馴染みとソオドとの歴然たる差異に、くたびれた不落は目を回しそうになった。 「まっとうな世界が厭んなって、遊びの世界にも厭いて、流れ流れてゆき着くのがここなんです。どこにも属せないという属性の一枚皿。ここに来る客は、浮き世をさ迷う亡者たちに違いない。」 「野暮な質問したよね。」 「この世界にはこの世界の理があります。何を売って何を買ったかなんて、簡単には語れません。だから……。」 「うん。休もう。」 カカシとて休暇を取った上で、自腹で登楼るんだったらもっと思い切って押せるのにという躊躇があった。 「……お休みなさい……」とささめきを括った蝶の一言は淫靡な場にそぐわぬために危うく聞き落されるところであった。台詞だけが頗る健全で折り目正しい。客がクスと笑みを漏らした。 彼らはそうしてこの日も、夜の帳の上がるのを添い寝して待つ関係に留まった。触れ合う素足と素足が心地好い。それで満足だとは到底言えやしないが、欲に身を任せないことは可能である。 うつらうつらするカカシは夢の中にいた。いつもならそれは、ぶり返す過去が脚色された悪夢を指す。怒号と、叫び声と、暗雲と、目に痛い土埃や喉を刺す煙や、地響き、火薬と血肉の臭い、小さくなった音、料簡違いと悟れぬ責任感に、出したくても出ない声、一遍に体中の血管が千切れんばかりに猛る生命、何度も何度も何度も骸になる衆生にうなされ浅い呼吸が限界を迎えて、肥大した緊張感が己の理性の最期を食って弾けたと同時にぱっと瞼が開くような、そんな夢の見方で寝汗を掻いているのである。けれども、この時はシトシトと雨の音が聴こえていた。さながら天女が楽器を奏でている美しさで鼓膜を震わしている。トポン、ピチョン、トポン、ピチョン。硝子の窓を開ける。寺子屋という学び舎の。立ち入ったことのないその場所には、故郷の忍者学校の記憶が使い回されていた。夜風が入って、ふと――いつの間にか真横にいた不落の髪が靡く。そうか、このひっそりとした暗い教室でランデビュウしていたのだと思い出す。ひどく安らかな静寂を湛えた辺りの、湿った空気の粒に不落の火照る香が乗る。その体温に、彼は何世紀も前から俺のものだったと感じていた。「雨上がりの空気は気持ちいい。ああ、最高だ。好きなんです。ああ。」。そう話す唇に唇を重ねると止まらなくなった。止まらない、と思う耳にタンタンタンタンと雨滴が何かを叩く音が響く、そのリズムで心臓もバクバクバクバクと血を送っていた。ぬめるぬめるぬめる舌が……舌を舌で執拗に追い掛け、思いっきり絡ませ酸素が足りなくなって急いで息継ぎして、熱い首筋の味を舐めようとしたら、ぱちっと目が覚めた。 「おはようございます。」 「……アー、あれ……ゆめ……。」 「雨、降ってましたね。」 「……あめ……。」 夢の中では、降っていたり止んでいたりであった。 「雨。降っていたんですよ。明るくなった頃には雨垂れも止みましたが。お帰りの足下にどうぞお気を付けなさいまし。」 「その言い方。いつから起きてた?」 「え……。」 「ずっと、起きてた?」 「や、そんなことも、ないです。」 「そう。俺、変なことしなかった?」 「さ、さあ。」 欲を吐き出し痴態に興じることが本筋である一角で節度を守るソオドを、この蝶は不憫がった。 「今しがた起きたところですよ、私も。」 と、畳の上の彼は何故かばつが悪そうにどちらも喫まない煙草盆に指先を走らせ、行ったり来たりさせていた。 4. ほどなくして糸遊は消えた。 「抜けた? 糸遊さん姐さんが……脱走を?」 (いいや、あの足繁く通っていた奴との駆け落ちだ。きっとループタイの上客も今頃行方知れずになっていて、もう廓へ寄り付くこともないんだろう。) 「不落、お前さんも、最後の何度かは御座敷に呼ばれていたね。何か変わったことはなかったのかい。まさかとは思うが、私たちから依頼を受けているさなかに、その私たちの利益を損なうような行為に加担しては、いまいね。見世の蝶たちを我が娘のように大事に思っていることは、お前さんもよく汲んでくれているところだろう。だからこその依頼なんだ。ええ、とにかく糸遊の駆け落ちに関わってはいまいね。」 「無論なんにも知りやしません。あのお客様がそんな大胆なことを。なさるようにはとても見えませんでしたのに、人って分かりませんねえ。ご依頼の件を探っていてもつくづくそう思います。それに第一、こちらもそのご依頼に命を懸けて取り組んでいるんですよ。命を懸けて奉公している最中に、ただ働きで依頼人を裏切るなんて真似をしたところで私になんの得があるとお思いです。」 こうして見世に疑惑の目を向けられても強気に返し、不落は難なくすっとぼけおおせたのであった。 楼主が鬼の顔をして足抜けした糸遊の消息を掴もうとしているあいだにも、白い蝶の暮らしていた二間へ、それまで一間しか持っていなかった他の蝶が昇格して引っ越した。そして空いたその一間に不落が引き移ることとなった。 カカシは一旦木ノ葉の里に帰還し、それから任務完了の手続きを終えるとすぐさま次ははっきりと有給を申請し、ごっそり日数をもぎ取って慌ただしく火ノ国へと折り返した。 新緑の森を抜けて、シロツメ草の畦道がジグザグ広がる田んぼの混ぜ返された土を横目に見、刷毛でさっと白を刷いたような薄い青空を仰ぐ。 南部の国境付近で、霞む日が山脈の端にかかるのを眺めた。それから、鮮やかな躑躅が一斉に咲いた街路を行くと丸い雀が四羽、チュンチュン鳴いて前を横切った。 彼の胸は、この平和すぎる晴れやかな景色にあの黒い蝶を放ったらどんなふうに、どんな速度で翅を搏つだろうという妄想に膨らんでいた。 黄昏れるにつれ盛んに人を、とりわけ男どもを飲み込んでゆく色街の象徴である大門を単独潜り、まほろ屋の通りへ足を運ぶ。久しぶりに目にした格子越しの不落はいくぶん細って見えた。その時である。見世番から声が掛かって彼が腰を上げた。見世の若い者の接客ぶりで、指名したのは馴染みの客であると知れた。 「今日は朝までニワキ様とご一緒できるんですか。」 「悪いね、不落。夜四ツまでしか居れないんだ。」 「そう」と肩を落とした不落は、客引きに雑用を言い付ける振りをしてニワキに見付からないよう口早に言付けた。 ――見世先に銀髪の、隻眼の殿方がまだ居らしたら、こう言って客引きして欲しい。四ツ時から空きますから、どうか上がって待っていて下さい。 兄妹のように似通った彫りの深い顔立ちや、矯正するのに苦労した糸遊の独特の訛りが等しくあったその馴染みが世間のどこにも見当たらなくなり、まほろ屋は、間近にともに登楼していた覆面の男こそが手引きを謀ったのではないかとソオドを疑っていた。もしそうであるなら、堂々とまたこの見世の敷居を跨ぐことなど決してできない筈である。 ところが、ソオドは単身となってもふらりと現れた。こうして再び金を使いにのこのこやって来たのだから、ということは、風体に多少の怪しさはあれど、こいつも使われたに過ぎないただの遊び人かと見世は結論を出し、二階へ案内したのであった。 -続- |
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