単発text01_5_1
此処に眠る。

-(I,K,Y,K+Y,KxI;前,KxI;後) 抱合

<4.-カカシとヤマト-
鋭角の殻 自滅する百合



5.-カカシとイルカ;前-

もどかし気にサンダルを脱がせている乱暴な手付きと、足首、それらが自分の体だと、腰を屈めている体勢で気が付いた、カカシはふと顔を上げた。
「居るじゃないの。」
そこには、行き先不詳だった男がいた。


イルカは、薙ぎ倒された木の如く倒れ込んでいた格好から慎重に身を起こし、固唾を呑んでカカシを床から見上げていた。ドアの覗き穴に外の明るさが詰め込まれていて真珠の粒みたいだった。それが人影の動きに合わせてちかちか光る。有無を言わせぬ手段と圧倒される手際で一方的にここまで連れ戻されたイルカは、依然として事態を飲み込めていなかった。
玄関口を塞いで立つ人の発した言も自分に対してなのかどうか曖昧な上に、意味がはっきりしない。あたかもたった今見付けたような言い草だ。だからなんにも答えられずに、開きかけた口を閉じた。そして我が身の置かれた状況を整理しきれていない顔で、様子のおかしい人をまじまじと見詰めていた。


それがこちらの出方を待っている態度だということは判った。判ったが、カカシ自身も己の状態をいまだ把握できずにいる。
二人のあいだには容易に言葉が生まれなかった。
はたと我に返った彼はまず、今いる場所が自分の家の玄関であることを押さえた。
次に、行動の目的を思い出そうとした。ひずむ箇所は飛ばして、そうなる直前まで、頭に残っている音声や絵を辿る。たしか、イルカに会おうと考えていて、身柄の確保を目指していたはずだ。
その相手が正に手元にいる。この現状を受けて、彼は事実の確認をした。
「俺に、捕まったんですか。」
そう言いながらどう落ちようと微塵も興味がないという力の抜き方で胸の高さで持っていたサンダルを離すとタン、と固い音が大きく響いた。転がったサンダルは、横っ腹を地に着けた。


平生とは明らかに違う所作の彼に、イルカはおずおずと返答した。
「それは、いま起こっていることについて、ですよね。」
「……。」
突っ立つ男は手の平でこめかみをぐりぐりと押さえ付け、ドアを見返している。
「それなら、そうです。」
「……。」
顰めた表情は覆面の下だ。
「そうですけど……。」
「……。」
さながら無視されているような齟齬の只中にあるイルカは、相手の挙動に対する注意を怠らないで、俺はいったい何に巻き込まれているのかと不安がりながら返事を続けた。
「記憶に、ないんですか。」
無言で廊下へ上がったカカシには、後輩と郊外の畠にいたという臨場感からサンダルを脱ごうとしているところまでの記憶が不鮮明だった。
(片頭痛と吐き気が酷い。)
俄然あらゆる物事に嫌気が差して何もかもを放り棄てたい気分が爆ぜ、イルカの捜索に走った前後を覚えていない。撞着へ意識を注ごうとすると身体が生理的な次元で拒否反応を起こした。
「……。」
じっとイルカを見下ろす。さっき出した声も相当冷淡だったがこの視線も、恐ろしく冷ややかなものだった。





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ヤマトと別れてからなんとなく図書館に立ち寄ってはみたものの何の成果も得られず出てきて一旦家に帰ったイルカは、鉛筆を握り、これまでに色んな友人や知人としてきた信憑性皆無の猥談で聞きかじった単語を思い出し、さしあたり要ると思しき物を書き出してみた。それから、また通りに出て、当初の予定であった買い出しへ向かったのだった。
里の中心街からぐんぐん北に進んで、色街の区画を段段に降り、地下街まで下り切る。
ちょっとぶらつくと分かるが、この町は歩きにくい。突き当たる路地ばかりで入り組んでいるし、せいぜい人一人が通れる幅しかない道の足元は段差だらけだ。細い道も、門戸を閉め切った家々も旧の造りをしている。それでも主な通りへ踏み出せば石畳が敷かれていて、時間を選べば日光がそれを照らした。

飛び石の横丁に入り込んだイルカはあっちへ折れこっちへ折れして、積み上げられたごつごつした石垣と、勝手口の付いたのっぺりした硬い壁とがつくる裏道を、手の平に載せたメモを見ながら歩いていた。
その時だ。ぱっと空中で気配がした。と、思ったら、予告もなしに暗い空から人が降ってきていた。隊服を着ている。木ノ葉の忍だ。その正体を認識したのと同時に、彼は急襲した影に思い切り腕を掴まれ近くの壁に背面を叩き付けられるようにぶん投げられていた。
次の瞬間には頸部を前腕で圧迫されていた。首筋の感覚と動かした眼球から、刃物は当てられていないようだった。握り拳の中は空だと信じたい。正面に目を戻すと、物凄い形相のカカシがいた。畏怖の一色に感情が染まる、イルカはそのほとばしる殺気だけで気絶できそうに思った。


それ以降イルカに目を遣り「居るじゃないの」と奇異な呟きをするまでにカカシが発した言葉は、
「帰るよ。」
「跳べ。」
この二言のみで、それらは単なる指示に他ならなかった。





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二人は、膝と膝を突き合わせて坐っている。
「俺、頭にきてるんですよ。」
「……はい。」
「アンタに伝わってるかどうか知らないけどね、むちゃくちゃぶち切れてるんですよ、今。」
「……。」
はい、と声が出ないほど威圧されている。かなり怖い、なんてものではない。氷点下の寒気を伝播させてくる主は目と鼻の先にいて、自分と同じく正座している。正確には、カカシがそうして坐った手前イルカも足を崩せなかったのだ。とにかく、吐かれた台詞に反してカカシは最早乱れてはいない。襲われた時とは雲泥の差だった。あれほどの状態から短時間のうちに制御を効かせてここまで戻った彼の底知れない心力の強さを凄いと思ったが、そんな感想を抱くイルカに当てられる空気は血液がカチコチになりそうなほど凍てついていた。
要するに、怒り自体が収束に向かっているのではない。捩じ伏せた激昂の代わりに抑えられることのない、冷ややかな怒気がそら恐ろしかった。
イルカは部屋から逃げ出してしまいたいくらい心理的に追い詰められていた。しかし、張り詰めた緊張感が高すぎてそれを破る行動など、普通に呼吸することすら難しかった。それに、相手の方が、格が上だ。脱出は失敗に終わるだろう。よしんば成功したとしても、その先を、彼は全く想像できなかった。カカシとの関わりを断った己の人生というものは、彼には有り得ないものだった。

「なんなんですか、アンタ。」
カカシは普段から感情のこもっていない発声だったり、言葉数が少なかったりする。でも、この彼の口調はそれとは全然違っていた。どこまでも冷淡だ。許しを乞えそうな隙など微塵もない。

こういう付き合いに限っては誰に傷付けられても、誰に見放されても痛くも痒くもなかった、誰の気分を損ねようともさしたる反省の色も見せずにいた――今までは。そんなイルカは、心底惚れてしまった相手に向き合いながら初めて、捨てられる恐怖というものを体感していた。
(これまでカカシさんが笑って許容してくれていた、カカシさんの膝元から締め出されたら……。)
彼からの放逐を思い描いたイルカに起こったものは、脅えを飛び越えた瀕死の感だった。
独りになる。
「……。」
また、独りになる。取り残される。空っぽになる。
心がガタガタと震え、その振動が涙腺に伝わるように、イルカは不覚にも泣きそうになった。
(…………もう……あそこには…………戻りたくない……。)


「どういうつもりで黙っていたんです……アー……頭痛い……。」
「……、……。」
イルカは戸惑いを振り払い、おっかない恋人に内緒にしていたらしい事柄を急いで探した。そして、地下街で血相を変えた彼に自身の体を回収されたことと併せて、ある一連のことに思い至った。
「ハア。」
質量のないはずの溜め息が、鈍器のようにイルカの胸を圧し潰す。

今もなお憤激していると本人は言っていたが、それでも地下街で激しく壁に叩き付けられた時よりはすでに幾らも理性が働いているように見受けられた。卒然空から降ってきて襲われた時は、外見は確かにカカシでも中身はまるで別人かと思われたし、絞殺による絶命が脳裡によぎったくらいだったのだ。
少し前のその危殆を考えると、現在はとりあえずいつ首の骨を折られるか分からないといった瀬戸際は遠のいたようだった。街では即座に無理だと判断された、話すという行為も回復している。
氷柱みたいな冷気は怖いが、イルカは彼から殺気が消えたことで、己も一先ずの落ち着きを取り戻すことに専念した。そして、カカシが何についての話をしていて、自分が何に関して相談していなかったのか、答えるべき真の事柄は何なのかを的確に悟った。



部屋は重苦しい静けさに包まれている。両者ともに黙り込んでいた。そこで、どうせ取り付く島もないならこの際言ってしまうおうかという心の声に小さく頷いた、イルカの方から口を開いた。
「カカシさん。」
やけに喉が渇いて、張り付いたようで喋りにくい。
「カカシさんは、人に触られるのが苦手なんでしょう?」
確認された本人の無反応さは案の定だ。構わずにイルカは続ける。
「俺は、カカシさんに触られるのは気持ち好いです。」
大きな反応は返ってこないが、唯一覆面から覗く鋭い視線が一つ、ちらと上がる。
「撫でられるのとか、すげえ好き。」
「……。」
カカシの目が、細くなる。
疑う時も、笑う時も、気を悪くした時も、彼はよく目を細めることで内心を洩らした。たったそれだけの筋肉の動きを見られただけでも、働きかけに手応えを感じたイルカの緊張はやや解れた。まだ関わり合える可能性を、そこに見出せたからだ。

「それに、足を開くくらいなら死んだ方がマシでしょう? 俺もそうでしたから、ケツを使ったことはないんです。」
カカシが何か言いそうだったが、イルカは先を急ぐ。
「でも、カカシさんが俺と繋がりたいと思うことがあるんだったら、それを受け止めるっていうのが俺なりの気持ちの表わし方かなと思ったんです。もしそういうことがあるんだったら、俺はその時には受け止めたいと思ったんです。それで、そのためにはまずケツを拡げないといけないかなと……思いまして……。」
「誰が穴を拡げろって言ったんだよ。」
「……。」
居心地が悪い。悪いどころではない、最悪だ。己が居ることを許されていた空間を、イルカはこの部屋に一切見出せなかった。
「言われてませんけど、俺の体だし……。」
「へえ……。」
「事前に言わないことが悪いなんて考え、これっぽっちも浮かびませんでした。」
彼は、今日初めて、カカシの放つ凍て付く気を浴びた。四囲が極寒の氷海に感じられる。ひんやりしているといってもいつものそれなら、もっと静的な、人目に付かない人工物を伝う蔓が宿す侘しさに似たものなのだ。質がまるで異なっていた。
「じゃあアンタは、俺がいきなり明日から自分の体のどっかを抉じ開けて何をしだそうが、文句はないんですね。俺の体なんだから、アンタには何も話しませんよ。たとえ隠れて人体実験にこの身体を提供していたとしても、アンタには関係ない話だという諒解でいいんですね。」
俯いて、
(カカシさんの体はなるたけ大切にして欲しいな。)
と思ったイルカの胸はひりひり痛んだ。


ハアと溜め息を吐くことで相手のどうでもいい返事は聞く前に捌いてしまった、カカシは、ぶすっとした言い方で本題へと話を移した。
「一人でやるつもりだったんですか。」
「まあ、そうですよね。使わないなら使わないでおきゃいいしって……いう……。」
カカシが苛立つとイルカの肌を這う冷気が尖る。憤怒の切っ先は直接、感覚を圧してくる。その正面に坐り続ける息苦しさと強烈な心臓への負荷は、耐え難いものだった。イルカはこの、諍いというより説教の最中に、カカシを本気で怒らせると命の保証のないことを学習した。それでも、もうとことんまで話すと腹を据えた彼の口は、止まりはしない。
「慣らしておいて結局使わないのと、使いたい時に使えないというところから始まって、使いもんになるまで使えないのとじゃ、前者の方が良かあないですか。」
「俺、言った?」
「……。」
「慣らしておいてって、俺が言ったの?」
言ってないです、と心の中で返事したイルカに、カカシはぐらついて溢れた分の感情をぶつけた。
「余計なお世話だよ!」
「……。」
余計なお世話はなんだか的外れ、という違和感の代わりにイルカは、
「だって、」
と反論した。この勇敢さを我ながら讃えたいなどと、この時の彼は思っていた。なぜなら、こっぴどく怒られているから大人しく従っているものの、どうして自分がそこまで責められなくてはならないのかと内心ではその理由と怒られ方に納得していなかったからだ。現にこの男はまだ一度も謝っていない。

「カカシさん、躊躇うじゃないですか。」
「は?」
会話をこなしているうちに、じょじょにではあるがカカシの剣幕は痴話喧嘩のレベルにまで下がってきていた。
「途中で止めるじゃないですか。」
「……アー……、」
二人の触れ合いはいつも、ある線から先へは進まなかった。それを止めていたのは、カカシだった。
どこか遠くを見詰めて彼は気まずそうに相槌を打つ。
「ウン……。」
それまでの酷薄な気配は急速に萎んでいった。
「だから、まあ、勢いでぶっ挿すことができたとしても、その前段階というか、下準備は……ねえ? ……気が進まないというか……萎えるというか……、そういうのかな、と。」
「……。」
「とにかく自分でやればいいかな、と。俺が自分の意思で。自主的に。それで、やってきた使いたいって時に使える具合になってりゃいいかなと……思って。」
たっぷり息を吸い込み、気合いを入れたイルカは、
「黙ってたというより、言う必要があることだとは毫も思ってなかったんです。」
と言い切った。本当は今でも、言う必要があるのかという意見に変わりはない。だが、あくまでも仲良くなりたいのであってカカシに嫌われたいわけではないから、少なくとも相手は嫌だと思ったのだという部分を主に汲み取った彼は、本音よりも現場の空気に副った答えを出すよう努めた。こういう時には決まって、心の中で呪文のように唱える一文がイルカにはある。
(俺はもう大人だ。俺はもう大人だ。俺はもう大人だ。俺はもう大人だ。)
「ごめんなさい、カカシさん。」










-続-
5.-カカシとイルカ;後->